神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(新約聖書 1ヨハネ4:9)
楽しいクリスマスももう終わります。ツリーの飾りも、商店のウインドーの飾りも片付けられます。
さて私たちはどうしましょうか。
子供たちがまだ小さかったころ、私は旅行の帰りには必ず、彼らに何かを買って来るようにしていました。
ある日、そのような旅行から帰って来ると、子供たちは庭で遊んでいました。彼らは、スコップでブリキのふたを叩いて歌いながら、ぐるぐる回っていました。
そして私を見つけると、大歓声をあげました。何よりもお土産が気になったのです。私が包みを開いて、中身を見せると、それは残念ながら彼らの気に入らなかったようです。つまらなそうにプレゼントを見つめていましたが、やがて男の子が叫びました。「おいで、ハンナ。太鼓たたきをしよう!」
我々も同じことを、神のクリスマス・プレゼントに対してするのではないでしょうか。神はひとり子をお与えになりました。我々は、お祝いのシーズン中は、それに心を留めます。しかし、やがて、「太鼓たたきをしよう!」ということになります。そして、あたかもクリスマスのニュースなど聞かなかったかのように、子供の太鼓遊びほどにも重要と思えない、日常の喧噪に戻っていくのです。
そんなことがあってよいはずがありません。神の愛がイエスにあって示されたというのです。このお方によって、我々は「生きる」ことができるのです。植物のように、あるいは石のようにではなく、真に生きることができます。この救い主によって、我々は、神からのいのちを持つことができます。
そうです。クリスマスは「終わって」はなりません。この愛の光の中を歩み続けましょう!
主よ! 我らを、祝福された民であり続けさせてください。アーメン
(『365日の主』ヴィヘルム・ブッシュ著岸本訳12月29日より。)
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