クリスマスものがたり フェリクス・ホフマン さくから |
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。(新約聖書 ルカ2:11)
「きょう、救い主がお生まれになった!」—こんな素晴らしい知らせを伝える役を仰せつかった御使いは、どんな喜びをおぼえたことでしょう。
喜びの知らせをもたらすことほど楽しいことはないからです。
また、その知らせをどれほど簡単に語ったとしても、驚き怪しむに足りません。御使いは、退屈な、めんどうな説教はしません。彼の語ったことは、子供にもわかります。が、同時に、学者が一生を費やしても、そのことばの深みを窮め尽くすことはできないでしょう。
「きょう、あなたがたのために、救い主がお生まれになった」—あなたがた!「神の正しいさばきに服すべきあなたがた。死に定められるべきあなたがた。多くの罪に埋もれてしまうべきあなたがた。善をなそうと願いつつ、悪を行なってしまうあなたがた。そのあなたがたのために、救い主がお生まれになった!」
「救い主」—ギリシヤ語に即して訳すなら、「救助者」ということです。失われた世界の真っただ中に、力強い神の御腕が伸ばされ、我らを滅びから引き上げ、いのち、喜び、平和の岸辺、神の岸辺に携え行ってくださるのです。
さらに、「きょう」、それは起こります! 先祖たちは、この日を待ち焦がれていました。が、ついにその日が来たのです。
この知らせの偉大さを、だれが計り知ることができるでしょう!
マティアス・クラウディウスはこう語っています。「これは奥義であり、我々はこれを窮め尽くすことができません。しかし、神から来たものであることは確かです。なぜなら、この知らせは、天の印を帯びており、神のあわれみにあふれているからです。」
「人として生まれた方/主イエスよ、あなたをたたえます。」
アーメン
(『365日の主』ヴィヘルム・ブッシュ著岸本訳12月25日より。)
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