2011年12月30日金曜日

一年が終わろうとしています

「子よ。あなたの罪は赦されました。」(新約聖書 マルコ2:5)

一年が終わろうとしています。我々はどういう思いで一年を閉じましょうか。

ある人たちは、喜びも悲しみも飛び越えて行きます。また、新年に向かって、先のことだけを考える人もいるでしょう。

クリスチャンは、神の光の中に自分を置いて見ます。そうすると、過ぐる一年、いかに多くの罪、咎、背反を重ねてきたかがわかります。そして、もう一度新たに罪のゆるしを確認することが、最も大切だと思うようになります。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(1ヨハネ1:7)と聖書は語っているのです。

これが最も重要であることを、かつて主イエスはこのうえなく明らかにお示しになりました。それは、数人の人たちが、中風の男をかつぎ込んだ時のことです。彼らはそのことのために、実に心を砕き、男が直ちにいやされることを切に期待しておりました。

ところが、イエスはまず、「あなたの罪は赦されました」と仰せになります。こんなに偉大なことは、主だけが仰せになれるのです。罪のゆるしを与えること、それは主だけがおできになれることです。

おそらく我々には、新しい年に対する多くの願い、大切なプラン、課題などがあることでしょう。しかし、まず主イエスに思いを傾けましょう。すなわち、最も大切なことは、古い罪を新年に持ち込まないこと、古い良心の重荷を閉じ込め続けないことです。

旧約聖書に、「あなたの神に会う備えをせよ」(アモス4:12)とあります。そうしようではありませんか。主の御光の中に立つ備えをしましょう。主とともに、過ぎ去った一年をたどりましょう。多くの咎を覚えるでしょう。しかし、主イエスは、そのような我々のためにも、釘あとのある御手を広げて、「あなたの罪は赦されました」と仰せになるのです。

主よ! 我らの生涯を整えるために、我らをお助けください。
アーメン

(『365日の主』ヴィヘルム・ブッシュ著岸本訳12月30日より。)

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