クリスマスのものがたり フェリクス・ホフマン作から |
そして急いで行って、・・・飼葉おけに寝ておられるみどりご(と)を捜し当てた。(新約聖書 ルカ2:16)
羊飼たちは馬小屋の戸口にたどり着きました。息せき切って駆けつけたのです。胸は高鳴ります。ついに目的地に着いたのです。あとは戸を開くばかりです。
この戸! 聖書には行間に記されるばかりです。が、実に重大な戸ではありませんか。
我々が、この世の大物を訪ねようとするなら、まず門から入ります。それから、いくつもいくつもドアを通って行きます。そしてようやく——秘書嬢に会えたと思うと、彼女は言います。「先生は、ただ今、執務中です。」
それにひきかえ、ベツレヘムの馬小屋の戸は! 羊飼たちは、事もなげに押し開けました。だれにも邪魔されずに。そして、もうそこが救い主の御前です。なんと簡単にお会いできることでしょう。こんにちもそうなのです。我々の人生の救い主、その御前までは、ただの一歩です!
なんとみすぼらしいドアでしょう。しかし、それが、ふたつの世界を分かちます。外側は律法の世界。我々は——好むと好まざるとにかかわらず——神の律法のもとに生きています。そして律法が我々を告発します。我々は、自分が罪人であることを、充分に承知しています。神の律法を押しやって、絶えず自己弁護をし続けねばなりません。それでもなお、神の律法は、我らの良心に訴え続けるのです。
羊飼たちは、しかし、戸を押して入りました。それだけで、彼らはもうひとつの世界、新しい、神の恵みの世界に入ったのです。彼らとともに、我らも、みどりごを拝し、賛美することができます。「恵みによる! もはやいかなる功績も/自分のわざも役立たず/ただ、愛のゆえに人となられた/このお方のいさおにより/彼の死が我らの救いとなった。」
主よ! 恵みの国の王よ!
我らはあなたのものとされたく願います。 アーメン
(『365日の主』ヴィヘルム・ブッシュ著岸本訳12月28日より。)
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