人となり
ベンジャミン・マッコール・バーバーは1865年エジンバラの貧しい家庭に生まれた。今日、若い頃の彼の生活はほとんど知られていない。けれども1890年までにエジンバラの目抜通りの一つに、成功せる高級な文房具店を経営していた。
その当時は電話はなかった。だからコミュニケーションは主に手紙や電報であった。仕事の上でも人々は急を要する答えが欲しかったので、何百人もの電報配達夫が雇われていた。彼らは街中を自転車で配達しまわった。当時は1日に六回郵便配達があった。それでコミュニケーションは取れ、十分だった。非常に熱心なクリスチャンだったマッコール・バーバーは電報配達夫である少年たちに大変な重荷を覚えていて、彼らが仕事の空いた時間にやって来ては、ゲームで遊ぶことが出来るように、地下に遊技場兼ミッションホールを開いた。彼は遊戯や遊びの外では直裁な福音メッセージを話した。それでたくさんの若者たちが主に導かれた。彼の宣教活動は電報配達夫に限られていなかった。彼はすぐに若者たちのすぐれた指導者となった。彼の信仰に満ちた説教は常に最も有効であった。
その頃、宣教活動にとって、中国における主の働きにとっての恐ろしい事柄が起こり始めていた(※2)。そうした時、マッコール・バーバー氏はこの件についての一組のスライドを獲得して、礼拝の行われるいろんなところで語り始め、人々が神の召しを受けて宣教地に出て行くように祈ることを促すようになった。1895年主は彼に仰った。「あなたが行きなさい」それで彼は仕事を手放し、ささげたお金でもって献身し、七名の青年とともに訓練を受けにアメリカにある聖書カレッジに出かけた。半年経って、マッコール・バーバーに行くように召された主はエジンバラに戻るように話された。彼は答えた。「主よ、今私には仕事がありません、お金もありません」しかし、主は彼に先のことは主に信頼しなさいと話された。彼は従った。そして、残りの48年間の生涯、目に見える支援は受けなかったが、主が彼の必要を満たしてくださった。七人の青年は、アメリカに留まり、訓練を終え、福音という栄光あるメッセージを表すために世界の各地へと出て行った。
マッコール・バーバー氏はエジンバラ市の中心にホールを確保し、その48年間、福音を伝え、みことばを教えた。約四百人の青年、数人の子女たちが彼の集会からフルタイムで主に仕えるために世界各地へと出て行った。彼が書簡として用いていたどの手紙の上部にも、彼の生涯の経験となった、ゼパニヤ書の三つの単語があった。
He faileth not.(※3)
そのメッセージ
1900年、マッコール・バーバー氏は最初の小冊子を書き、出版した。その小冊子は彼が大変な重荷を抱いていた青少年向きにデザインされていた。その小さな始めから、その文書伝道は成長し、今日では大変広範囲に広がっている。
この偉大な神の人の生活指針は箴言3章5〜6節であった。「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」彼は歳をとった人にも若い人にも、どんなすぐれた忠告を与えることが出来たのだろうか。彼のメッセージは生き生きしており、救われる必要こそ重要であった。救いは罪の悔い改めとキリストの尊い血潮による洗いを求めることを通してのみであった。そして一度救われたら、神の子は日々死ぬことを学ぶ必要があった。自己に死に、古き性質に死ぬことが勝利の道であったし、常にそうである。この教えが彼の力強い宣教の要素となっており、ガラテヤ書2章20節の素晴らしいみことばを喜んだ。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」主イエス・キリストが生活の中に生きており、その生活を完全に支配している時、どんな祝福が続くのだろうか。勝利あるキリスト者は、主の働きを喜び、豊かにされることを学ぶのだ。パウロが1コリント15章58節で言っている通りだ。「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。」
彼のメッセージのもう一つの幸せな面はテトス書2章13節に見出される。「祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むように」そう、マッコール・バーバー氏は救い主が再び来られるというニュースをしっかり握りしめていた。彼は長年にわたって一月に一回Prophetic Rallyを開催していた。第一次大戦中、彼は「今日かも知れない(Perhaps Today)」のタイトルで小さなカレンダーを発行し始めた。そして毎月違うメッセージを持つこのカレンダーは今も毎年発行されている。
主イエス・キリストのそのしもべたちに対する最後の命令は「行きなさい」であった。そして長年にわたって毎月、マッコール・バーバー氏はMissiponary Rallyを開催した。たくさんの人や数人の子女が神の召しに従って、失われた人々を捜し求め、その人たちに救い主を指し示すために出て行った。母国における福音伝道と海外に対する宣教の働きが「イエス様が救い主だ!(Jesus Saves)」という栄光あるメッセージを運んでいるのだ。
マッコール・バーバー氏は天国へ召される前の最後の数時間の間に、彼のそばにいた人々に言ったのは次の言葉だ。「福音を獲得せよ」それこそ確かなメッセージだ。そしてそれは依然として今日も真のメッセージなのだ。すべての人は罪人である。しかし、主イエス様は救うことができる!(※4)
※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/10/blog-post_15.html
※2 義和団事件に象徴されるように中国社会の反キリスト教の動きを指しているのでないかと想像する。
※3 ゼパニヤ書と言えば、「救いの勇士だ」が有名で、それに当たるかと思ったが、英文聖書で言葉を探したところ、欽定訳聖書のゼパニヤ書3章5節にあった。日本語訳で「主は不正を行わない。」がそれに該当する。そう、思って読み進めると、マッコール・バーバー氏の確信ある信仰がわかる気がする。
※4 この言葉が、昨日赤字で示した英語を翻訳したものである。
すべての人は罪人である。しかし、主イエス様は救うことができる!
All have sinned, but the Lord Jesus can save!