2011年11月12日土曜日

近江兄弟社という設計図(下)

信仰もなく、この種の経験を何度も味わったことのない人には、こんな話(※)を聞いても、ただ偶然として抹殺してしまうかもしれない。しかし、 そうした事件の連鎖の中に、神の聖霊による不思議な働きがあると考える方が、単に偶然として片づけるよりも、合理的であり、自然であるかわからないと思っ た。

この種の「事件の連鎖」で、確信を与えられたものは、日本到着に先だつ、三年近くの間のできごとである。このことについては、すでに何回も述べた。あの期間に起こった事情を思い起こしてみると、幾千マイルをへだてた太平洋の両側で、偶発的なできごとが、驚くほど正確に、しかも、あとあと累積的効果を発揮しようとは夢にも考えなかった。この間の事情を、もう一度簡単にまとめると、私の大学生活の二年目のとき、卒業までのあと二年間の全学費を、自分で稼ぎながら勉強しなければならない事態になった。これは外国で自主独立の冒険を試みるためには、貴重な経験となった。それから無神論者の級友を、信仰に導くためのテストを受けたが、これも伝道者としての適切な訓練になった。次に明治35年のトロントの会議に出席したことで、自分の生涯の職業として考えていた、自己中心的な計画がくつがえされ、聖霊に導かれる生涯へと転向した。そして外国のどこかで大きな冒険な事業をやるのには、必要な仕事上の一つの完全な連鎖が、次々と心に描かれるようになった。

しかし、アメリカにおけるこの「事件の連鎖」と年代的に並行する、もう一つの「連鎖」、が日本にも行なわれていた。私が、聖霊の導きにまかせきって、外国伝道事業のために生涯をささげる方向を決定したとき、近江八幡においても、一人の若い学生がキリスト教に入信した。彼は英語にすぐれていたので、商業学校の校長の注意をひいた。しかし、校長がその青年に、卒業後学校に残って英語教師になるようにと勧めさせたものは、校長に対して外部から働いた見えざる大きな神の力であったと、堅く信じている。こうして、この事業を成功に導くための必要条件である、英語を話す日本人の協力者が、適当なときに、すでに用意されていたのである。お互いには面識もなく、名も知らなかったが、両方で、そのような協力者の与えられることを祈り合っていたのである。二人はそれまで互いに何の交渉もなかったが、キリストの福音が、若い学生たちの間に宣べ伝えられることについて、共に深い関心を寄せつつ祈っていた。私が近江八幡に着いた第三日に、二人は早くもこのことを発見し、私たちが祈り始める前から、神はすでに二人の祈りにこたえていて下さったことを思うと、驚きと感動とに堪えない。

このような不思議な事実に直面するとき、これをただ偶然として片づけてしまうことはできない。それからの半世紀に相次いで起こった不思議な事件の連鎖が、現在の近江兄弟社にまで進展してきたことを思うとき、人間の計画ではとうてい及びもつかぬことが、見えざる神の手によって計画されていることを認めずにはいられない。もっともさまざまの手段、方法として、人間の手や足やくちびるが必要ではあるが、仕上げの業(わざ)を成就なさるのは、聖霊の能力であり、永遠に働く神の愛である。(略)もし自分の計画を押しつけたり、自分勝手な考えで神の先回りをしたりするときは、きっと不成功に終わるという事実を私たちはよく知っている。

要は、自分の計画によりたのまず、聖霊の導きにまかせきることである。イザヤ書40章の31節には「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」という聖句がある。これは青年、中年、老年の区別なく、あらゆる年齢層に適用される真理である。

(『失敗者の自叙伝』一柳米来留 William Merrell Vories Hitotsuyanagi著217〜219頁より。福音について使徒17:2〜3は次のように記す。「聖書に基づいて彼らと論じた。 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、『私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。』と言った。」 ※筆者が昭和30年の7月汽車旅をする中で混み合う客車で4人の大学生と一緒になり〈うち一人の大学生が20歳を越えており煙草を吸っており、法律上そのことは問題ないことではあるが〉、 タバコの害を指摘し健康と精神と霊魂の関係について話す機会が与えられた。軽井沢で下車する筆者は、話の途中彼らと別れざるを得なかったが、入れ替わり乗り込んできた一人の青年がいた。ところがその青年は七年前父に連れられて近江兄弟社を訪ねた人であり、筆者の日頃の考えを知っていた人であった。筆者はその青年に大学生たちに話足りなかったことをバトンタッチする形で下車できたことを指す。)

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