柿がいくらおいしいと言っても、御言葉の「おいしさ」にはかなわない!高宮の柿。 |
あなたは私に、聖書は無味乾燥で興味がないと言い、それだから聖書を読まないと言います。私はあなたに申し上げたい。あなたが聖書は無味乾燥で興味がないという理由は、あなたがその著者を知らないからです。すでに述べたように、あなたは聖書の著者にお会いになりました。しかし、まだ親しくなっていません。一度あなたが真に聖書の著者を知ったならば、あなたはその著者から来るものは、すべて喜ぶようになります。
かつて、ある若い女性が詩の本を読もうとつとめていました。しかし、彼女はその本が全く無味乾燥で興味がないと思ったので、その本を投げ捨ててしまいました。後に彼女はその本を書いた青年に会い、彼を愛するようになりました。そこで彼女はもう一度その本を取りあげて読みました。ところが驚いたことには、彼女はその詩の本が、これまで読んだ本のうちで一番興味深いものであることを発見したのです。この相違をもたらしたものはなんでしょうか。詩は前と同じように無味乾燥なものでした。変化したのは彼女の側であり、詩ではないのです。彼女はその詩の著者に会い、その詩を読みながら彼のことを考えたので
す。
あなたにとっても同様です。もしあなたが、著者である主イエス・キリストを知ったならば、あなたは主の御言葉を大いに楽しむようになるでしょ
う。聖書は、あなたにとって、他の本よりはるかにまさってすばらしいものとなるでしょう。あなたが聖書を読めば読むほど、さらに読みたいという願望が起こってくることでしょう。私が一回以上読む本は極めて僅かです。二度読む本は少しあります。三度読んだ本はほんの一冊か二冊です。俗世間の本は、人間の著者によって書かれたものであり、容易に理解することができるから、すぐ興味がなくなってしまいます。
神の御言葉はこれとは全く異なっています。それは超自然的なものです。それは神から来たものです。私は決してその底をきわめることができませ
ん。そこには常に何か新しいもの、私がこれまで知らなかったものがあります。それを読めば読むほど、私はそれを楽しみます。私が旧約聖書を読む時、私は近いうちに会おうとしている人々について読むのです。だから、私はそれらの人々についてできるだけ知りたいと思います。それゆえ、私は、新約聖書と同様に、
旧約聖書にも心をひかれるのです。
(『真理のための戦い』オズワルド・スミス著松代幸太郎訳68〜70頁より。「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」旧約聖書 詩篇119:103)
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