近江の家並み(by Nobuo.Y) |
私は明治35年(1902)の初頭、カナダのトロントに開催された学生伝道運動の大会に出席することになった。私は単にコロラド大学だけではな
く、コロラド全州からただ一人の代員というわけであったから、自分に負わされた責任と使命の重大なことを痛感せしめられた。私は数日にわたる、豊かなプログラムに、漏れなく出席して、私を選出してくれた地域の学生たちに、その報告をせねばならないと思った。
ところが、一週間の会期が残すところあと三分の一ぐらいになったころ、中国に伝道している婦人宣教師(Mrs F. Howard Taylor)の講演があった。彼女は、二年前に起こったかの団匪事件について物語り、その中で暴徒が、中国からすべての外国の勢力を駆逐しようとし、とくにキリスト信者に対し暴力を振い、多くの信者が、つぎつぎに主の御名のために殉教の死をとげたことどもを、静かな、しかも、目に見えるような口調で物語ったとき、5千人の会衆は、さながら水を打ったように静まりかえり、さしも広い大講堂のふんい気は、急に一変したように思われた。
それがほかの人々にはどう響いたか私は知らない。しかし、私にとっては、その一瞬、あたり一面がまっくらになり、講堂の5千の会衆の顔が見えなくなって、そこには、私だけしかいないような気がした。そして、その講師は、まるで私だけを対象に語りつづけるようで、キリストへの信仰を捨てることを拒み、神の国への忠誠を貫くために、虐殺された何百人かのクリスチャンたちの遺業を継承するために、ひたすら外国伝道に献身することを訴えているように感じた。
ある瞬間、その講師の顔は、キリストの顔に変わり、キリストご自身が、壇上からその愛のまなざしをもって、私の心を刺しとおし、私に、「おまえはどうするつもりなのか」と尋ねていらっしゃるように感ぜられた。この幻は、ほんの瞬間に過ぎなかったが、その感化は、いまもなお私の中に、はっきり残っている。その瞬間、私は自分の姿をはっきりと見ることができた。そしてひたすらキリストの聖前にざんげするより他はなかった。従来の私のひとりよがりの態度を、キリストはどのようにみそわなしていたであろう。私は自分の取るに足りない、生涯の個人的な計画のために、神の召命を避けていたのである。私はそれを否定しようとしても、否定しきれなくなった。
同時に、私がこの大会の代員に選ばれたのは、単なる偶然の出来事ではなかったということを知った。もはや絶体絶命、最後の土壇場に追いつめられたとき、突然、私はおそろしいごう慢の罪を犯していたことに気づいた。私は神への服従の道を避けようとし、神の永遠のご計画にさからって、自分の意志や考えを押し通そうとしていたのである。だから私はキリストの弟子だということを捨ててしまうか、絶対無条件でキリストに従うか、この二つに、一つのどちらかを選ぶよりほかに道はなくなった。
建築は、もはや私の一生の職業としては捨てねばならない。長年思いつめていた建築家志望を放棄することは、寂しいことであったが、不思議なことに、予期していたほどの失望や苦痛を覚えずに、建築学専攻を思い切り、新学期からは、大学の履修課程に、いくぶんの変更を加え、学習時間以外に、趣味または娯楽として
建築の研究を続けた。ところが、これが後年になって、さらに役にたった。まことに神のご計画の不思議さを思わせられるわけである。
最初私は、将来いわゆる「宣教師」となるための準備として、大学卒業後、神学校の課程を修めることが必要であろうと考えていた。しかし、将来の仕事に対する幻が新しい現実の見通しとなって現われるにつれ、私に与えられた使命は、むしろ種々な職業を通じて、人間生活基準となるような、キリスト的生活の徹底的な実践にあるということが、明らかになってきた。なぜなら、世の多くの実業家や、農、工、その他に従事する人々は、ある特殊な職業は別として、自分たちのような仕事の中で、キリスト精神にしばられては、とても満足な世渡りができないということを考えたり、語ったりしているが、はたしてキリストの精神が一般の生活に適用できないか、自分が一つ実験してみたいと考えた。そこで大学卒業後、神学校に学ぶことをやめ、普通の宣教師のような課程をたどらないことにし
た。
こうして、徐々に、将来の近江兄弟社となるべき事業の輪郭を、幻のうちに見るようになり、ついに太平洋を越え、日本内地の田舎、ナザレにもたとうべき近江八幡に導かれるに至ったのである。ここは保守的で、なんら重要性を持たぬ土地として、内外人がひとしく軽んじていた町である。この地を中心に、宣教事業を企てるなどとは、少なくとも当時の宣教師や伝道界の識者の判断からすれば、骨折り損のくたびれもうけとしか考えられなかった。
(『失敗者の自叙伝』一柳米来留 William Merrell
Vories
Hitotsuyanagi著66〜72頁抜粋引用。この不思議な本は最近知人から貸与していただいた本である。「失敗者」とは何か。果たして、一柳氏のどこに失敗があるのか、彼は功成り名を遂げた人でないかという、表面的な見方しか、私はしていなかった。しかしこの324頁にわたる本を読み終えて、神がこの人を1905年2月2日に近江に遣わされとしか言えなくなった。これから数回にわたって引用紹介させていただく。私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」イザヤ書6:8)
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