2012年4月19日木曜日

果報者

中々字は上手にならない、恥っさらしだが記録のため
 昨日の家庭集会は午前中曇っていたが、午後は晴れ間が見えた。メッセージをなさるベック兄にとっては今のご病気(皮膚がん)に対して紫外線がもっとも大きな害を与えることを知っていたので、比較的陽の当らない、部屋の片隅に腰掛けていただいてお話をうかがった。初めて来られた方が今日メールを下さったが、「集会に、あまりにたくさんの人たちがいらっしゃったので驚きました。兄弟姉妹とのよき交わりも与えられ、感謝です。また参加させてください。」とあった。

 来て下さった方のお一人お一人のお顔を思い浮かべながらお名前を書き出してみたら、ほぼ前回と同様に90名余の方が集まられたことが分かった。もとより普通の家だからそんなにたくさんの人が入れるわけがない。皆さんに詰め合わせていただき、窮屈な思いでがまんしていただくしかない。それでも皆さん、みことばに静かに耳を傾けられる。もちろんこの私自身もその中の一人だ。

 私自身、イエス様の福音を聞いて欲しい人はまわりにおられるのだが、中々それらの方々に直接家庭集会の案内をお知らせできないうちに当日を迎えてしまう。しかし、フタを開けてみると、不思議と他の皆さんが誘い合わせて遠くから集まって来て下さる。本当に感謝である。毎回毎回集われる方の二、三十人前後の方が入れ替わる感じなのに、総数ではほぼ同じ人数になることには驚かされるが、喜びでもある。

 みことばは昼間は民数記23:19、ルカ18:27であった。主がどんなに何でも出来るお方であるか、ルカ18章の一つ一つのみことばを通して解き明かされた。そして、祈りは必ず答えられること(1〜8)、どんな罪人でも救うことがお出来になる(9〜10)、預言はこの方にあって必ず成就すること(31〜34)、そして奇蹟を行なうことが出来る方(35〜43)としての主イエス様の御力が明かされた。

 夜は会場を別の方のお家に移して行なわれる。こちらの方は昼間は出席できない会社勤めの方が集われる。7時から始まる。夜のみことばは1コリント15:3〜9であった。私自身、途中うとうとしてしまったが、コリントの教会の一人一人のうちに忍び込んで来た「憎しみ」や「汚れ」のようなものに、いかに対処することができるのか、それは決して人の生まれながらの善意でもって太刀打ちできるものではなく、イエス様のよみがえりの力をもって対処するしかないことをパウロが示していることを、この心で聞かせていただいた。そして、そのよみがえりの力こそ、七つの悪霊を追い出されたマグダラのマリヤがイエス様の十字架を経験して絶望の淵に瀕していたが、力を得て生きて行くためにも、また迫害を続けたパウロが新しく生きるためにも必要なことであり、現に彼らはそのようにして生きたことが明らかにされた。

 メッセンジャーのベック兄は12時ごろ東京を出て、23時ごろ東京に戻られるはずだ。この間、二つのメッセージとその合間には主を求める方々との交わりのために時間を割かれる。82歳にしてこの奉仕を続けられること、そのことは人間の力では不可能である。全面的に主により頼んで、主の全能の力を信じ、よみがえりの力を実際の働きでも示されている。この生きた証を私たちは聖書が人の実生活にあらわされるものとして喜んで受け入れさせていただいている果報者である。

 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(1コリント15:10)

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