2012年4月22日日曜日

経済的苦境と宣教のはたらき

 リバイバルを唱える説教者が満喫する一つの利点は彼が自由に行動できることであり、働きの実の面倒を見ることを人まかせ、神まかせにすることである。ところが、ウオッチマンは一人の使徒として働き、教会を立て、自ら築き上げることに心を配り、はるかに重い霊的責任を負い、政治的な危機や交流がなくなったこの二、三年の間、彼に重くのしかかる責任を負うのを当然としたのだった。すべてのうちでもっとも深刻なことは彼が若いフルタイムの同労者に対して覚えていた道義的な責任であった。彼らは何の確かな報酬も得ず、国中のいたるところに散っていき、忠実に福音に仕えていた。

 彼自身の初期の経験、すなわち神様が実際的な必要をご存知だったということは、若き働き人が神様に対する犠牲的な奉仕の中で経験する試みに何らかの理解をもたらしたのであった。ウオッチマンが彼らのうちの一人が厳しい信仰の試練を通過しているのを見て指摘したように、「涙を拭いながら手を鋤につけることーそれがキリスト信仰なのだ」(註:ルカ9:62)そこで彼は同労者に次のように書くことができた。「教会の関心事と世界のこの地域に関する事情は私にとって重くのしかかっている。私は楽天家ではない、主に信頼して地道に歩くものだ」

 この急速に拡大する働き、およそ二百人のフルタイムの働き人をかかえ、広がる旅行、書物発行のプログラム、借り入れられた土地、自らの地所とする計画はどのようにしてその台所が支えられたかと問われるかも知れない。主原則は各個人の収入の十一献金であった。これは決して律法的には行なわれなかった。十一献金は人が自分のすべてを神に捧げるしるしだと見られていたからである。ただ与える原則は教えられ、勤勉に実践された。その結果あらゆる各地のアッセンブリー・ホール教会は自給であった。しかし、私たちが見て来たように、長老を持つ教会と必ずしもどの地方教会にも責任のない同労者が仲間としてともにいる働きとの間には違いがあった。

 福音を新しく開拓するとき、こういう人たちは家族の家計に加えて一時的なホールの借り賃や聖句集やトラクトの印刷のような支出のしわ寄せが生じた。彼らは教会や個々のクリスチャンから贈り物を受け取ることがあり、信仰生活を実地に教えられた。しかし彼らは霊的な相談事や物質的な支えにおいて、ウオッチマン・ニーにある程度個人的にお世話になった。彼らのうち約40人は現実にウオッチマンが直接責任を担った。だから働きのための資金は教会の捧げものと切り離した資金として取り扱われ、ウオッチマンと二三人の年配の同労者により管理されていた。

 中国人は商売の特別なセンスを持っていて、救いの福音により多くの成功した実業人が教会に来るようになった。(the saving Good News had brought many successful businessmen into the church.)こういう人たちのうちの何人かは働きを拡大するために気前の良い融資をして主に対する愛をあらわした。この時になされた「不正の富」についての透徹した話の中でニーは、もし(引用者註:富を持つ)エジプトが神の御顧みという点からは「役に立たない」ものとされるのなら、どのようにして私たちの富はもたらされねばならないか、富は神の領分とこの世の領分を分かつ境界線を横切って送られてはいけないかを示している。つまり私たち自身がその境界線を越えなければならないということである。

 したがって彼はこの世の仕事に反対しなかった。むしろ彼は使徒パウロのテトスへの勧めに従った。「確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」(テトス3:8)「私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。 」(テトス3:14)(註:ルカ16:9参照)

 しかし、日本軍の東方海上の占領による揚子江貿易の初期の破壊にともなって、多くの中国人の商業上の利益は損なわれ、こういうものに依存していた限り、 主の働きの台所事情は全て厳しい打撃を受けた。危機的な時期に、二回、海外から戻ってきてすぐ、ウオッチマンはイギリスから働きのための捧げものを受け取った。今や日本と合衆国との対立が激化したことにともない、インフレーションがかなり急速に進行し租界地における中国貿易はほとんど行き詰まりに達した。キリスト者の事業のための資金の放出や移動はどんなものもほとんど不可能になった。

 彼は今やこういう忠実な若い「使徒たち」の多くが、その上、その家族が飢えており、身体を悪くし、家計が貧窮しているのを見た。普通の教会員がかなり暮らし向きが悪くなり、彼らも彼も困っている人のために助けとなる残された資金を持ち合わせなかった。

このようにしてウオッチマン・ニーの物語は今や予期せぬ転換にさしかかり、数人の者には人が変わったように感じられる事態が発生する。この悪化する問題に落胆して、彼は数ヶ月間にわたり解決を神に求めた。1942年の初頭、今や、彼は神が導かれると確信していたのだが、彼の友人たちの数人の心には大きな疑問を起こすことになった歩みをはじめた。

(『Against the tide』by Angus Kinnear 14章 WITHDRAWAL p.168~170より。全体的に訳しにくいところばかりなのだが、取りあえず英文を併記したところは意味が通ぜず、果たしてその訳で良いのかどなたかに教えていただきたい。)

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