2023年5月30日火曜日

横紙破りの弁解と悔い改め

忘れたり 聖霊降る 記念日を
 先ほど、所用あって外出した。東口の教会の前を通った。日曜日の牧師さんの説教題なのだろう、一枚の看板が置かれたままだった。「聖霊降臨記念日『教会の原点』」と縦二列に習字できれいに書かれていた。私は内心「しまった」と思った。伊勢崎の日曜礼拝の時、全くそのことを意識していなかったからである。

 そう言えば、パリ在住の次男が家族へのLINEの中で、5/18の日付で、過ぎ去った十年間の彼ら夫婦の歩みをふりかえり、主イエス様に守られて今日まで来たことを感謝する証をしていたが、最後に一言「今日はこちらでは(イエス様の)昇天記念日です」と書き添えていたことを思い出した。先週土曜日にミュンヘンから短期出張で帰ってきた長男も何やら記念日のことを言っていた。欧米のキリスト教国では常識なのであろう(信仰を抜きにしてだが・・・)。

 いったい、事実はどうなのだろうと、手持ちのスコフィールドの『HOLY BYBLE scofield references 』を調べてみたら、何とそのものずばりが表示されていた。すなわち
 Events                                Place         Time
(できごと)        (場所)   (時)

The ascension                      Bethany    Thur. , May 18
(昇天)          (ベタニヤ) (木曜日、5月18日)

Holy spirit given Pentecost   Jerusalem  Sun. , May 28
(聖霊降臨、ペンテコステ) (エルサレム)(日曜日、5月28日)

である。この書物自身は1945年版(printed in Great Britain)で、古書で10数年前に手にしたものだから、もちろん、2023年のことは関知しないのである。ところが、たまたまこのようにぴったりと日時が合っていた。私に事前にこの聖霊降臨の日についての意識があったら、昨日、記したようなメッセージの引用箇所で済ませなかったであろう。

 実は、教会の前を通った時、『教会の原点』ということばに思うことがあった。確かに教会暦を無視して礼拝をしていた自分自身に弁解の余地はない。しかし、だからと言って、伊勢崎での15名の礼拝が「教会」でないはずはない、むしろ互いに主イエス様を中心にして礼拝・交わりを与えられたという点では、人後に落ちないと思っているからである。でも、それがいつどういうことで始まったか、それをもう一度それぞれが問うて「原点」に立ち返ってみる必要があったと思わされたのだ。

 「教会」と言うと、多くの方は手っ取り早く教会の建物を連想されるのでないだろうか。私も最初出かけた教会はステンドグラスのあるカトリック教会であった。そこでおごそかなオルガンの音の洪水に浸れば、魂の浄化ができると思っていた。また深淵な神の世界はそうして知るものだとばかり思っていた。

 ところが、のちに、自分の罪を認め、主イエス様を自分の救い主として信じ、聖書を読むに連れ、徐々に「教会は建物ではない」と、知るようになった。聖霊なる神様が主イエス様を信ずる時に、私のうちに働き、主の愛をくださり、何物をも恐れる必要がないことが徐々にわかってきた。その上、主を信ずる者同士が神の子として互いに兄弟姉妹と呼び合う親密な間柄に導かれた。そしてその集合体、個々の信者からなる有機的な「からだ」が教会であり、その教会のかしらがイエス様であることを体験するようになった。

 そのような聖霊の降臨こそ、教会の原点である。イエス様は、今年の暦で言うなら、5/18の昇天の時、次のように言われた。

聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。(新約聖書 使徒の働き1章8節)

 その始まりが、昇天後10日にして実現した、5/28の聖霊降臨であった。長いが、聖書に書いていることをそのまま書き写してみる。

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが天下のあらゆる国から来て住んでいたが、この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」(新約聖書 使徒の働き2章1〜11節)

 こうして聖霊なる神様はいつも私たちに語りかけてくださり、距離や性別や年齢や趣味や、ある場合には言語さえ超えて、主を信ずる者をひとつにしてくださるのである。それにしても結婚記念日を忘れることは、相手に失礼であり、愛がないと言われればぐうの音が出ない。

 聖霊降臨の記念日を忘れるようでは、イエス様への愛も地に堕ちたと言える。私ごとだが、今年は結婚記念日も忘れた。今後は自戒して歩みたいものだ。なお、掲載の写真は、伊勢崎の家の教会とされた、建物である。

2023年5月29日月曜日

麦秋、いざ伊勢崎へ

麦秋 主を賛美す 桜桃
 昨日は伊勢崎まで出かけ、主にある兄弟姉妹と主を賛美する礼拝にあずかった。総勢、私をふくめ15名の参加者であった。男性5人、女性10人であった。先ほど、NHKのカルチャーラジオ「米沢富美子(物理学者)」さんの放送をお聞きしたが、女性は「直感と忍耐」に富んでいて、このことが自分の研究者生活に役立ってきたのではないかという趣旨のことをおっしゃっていたが、まさに主を賛美・礼拝に集う女性陣が多いことを思うと宜(むべ)なるかなと思わされる。https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=1890_01_3863113

 主の救いは個人に始まり、自ずと家族に及ぶ。だから妻である女性だけでなく、当然夫である男性にも主の救いは及ぶが、中々男性陣が主の救いを受け入れない。科学者に男女差があろうはずがないとは永年物理学の研究に打ち込まれてきた米沢さんの信念だが、当然の如く、イエス様が指し示してくださった福音もまた男女差がない。けれども米沢さんのお話をお聞きしていて、他分野のことではあるが、男性にはこの「直感と忍耐」が乏しいゆえに、なかなか男性が、折角の主の救いを拒んでいる原因となっているのではないだろうか、とさえ思わされた。

 昨日の今日であるが、全くふさわしい話を聞くことができた。しかも同氏の第一回目は、「二人で紡ぐ人生」という題名の文化講演会の中で、同氏のご主人との最後の別れを語っておられたが、まさに過去考えさせていただいた三回にわたる「不思議な『遺稿集』との出会い」と題する投稿拙文と通底するものを覚えた。http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/05/blog-post_24.html


 ところで、この伊勢崎の人々は9家族が集っておられるので、数字が示すほどの男女差はない。きわめて健全な恵まれた集いではないだろうか。

 しかも、この集いを提供されている建物は、歯科医院として本来建てられたものである。上の写真の左窓越しに見える看板がそのことを示している。

 提供されているご主人夫妻家族は別のところで医院を開いておられる。このご夫妻家族がどうして主イエス様の救いに預かられたかは、それだけで大変なドラマを構成している。この場で簡単に紹介はできないが、稀有な出会いのうちに、主イエス様が働かれた栄光の証がある。(左の表紙絵はその様子を漫画化して自費出版なさったものである。)

 人に歴史あり、こうして私がはるばる伊勢崎まで出かけるのが、義務ではなく喜んで出かけていく理由がわかっていただけるだろう。途中二時間ほど電車の旅だが、その間には大利根川を通過するし、水田風景を堪能しながら、ところにより白鷺が田んぼ一つに一羽のなわばりを保つところや、一方麦秋盛んなる田園地帯を次々通過する。そして、かつて住んでいた足利を横目にしながら10数名の方々との三ヶ月に一度の再会を期して、車内でメッセージの用意をさせていただくのである。

 ちなみに、私のこの日のメッセージ題名は『羊飼いであるお方の祈り』であり、引用聖句は下記のものであった。

シモン、シモン、見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、たち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(新約聖書 ルカの福音書22章31〜32節)

2023年5月27日土曜日

ダリアのごとく平安あれ


  昨日は次女の家に出かけた。リノベーションして購入した家を私たち両親に一目でも見て欲しいと、ここ二、三ヶ月嘆願していたのだ。重い腰を上げて、やっと実現した。それぞれ次女夫妻の思いが新居にあらわれていて好ましかった。また安心もした。

 家に行く前に、私設とも言うべき植物園に連れて行かれた。家内の花好きを知っての母親思いのはたらきである。私もつきあわざるを得なかったが、花の多さに改めてびっくりさせられた。でも気に入ったのは、この一枚の写真があらわすダリアだった。この黄色一色こそ、昨日の次女宅訪問のイメージをあらわすにふさわしいと思った。

 もちろん、次女夫妻が気に入っている、ダイニングキチンの出窓の景色は、お隣のお宅の庭の木々を春夏秋冬見させてくれて、さぞかし心のリフレッシュになるだろうと思った。痛ましい事件が次々起こり、安閑としてはおれぬが、お隣さんと親しい交流を持てることは、今や何物にも変え難い、これまた財産ではないか。


 谷口幸三郎氏の作品も左側に覗いているし、隣にはみことばいりの可愛いカレンダーが置かれて、「26」という昨日の日付を知らせていた。みことばは次のものであった。



「私たちは、見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(新約聖書 2コリント4章18節)

 彼女の自宅の主な通りも車に乗せてもらって移動したが、途中、浦和高校もあった。私は80歳のミーハーお爺さんなので、浦和高校を一眼見たいと今度はこちらからお願いした、広い校舎敷地には驚かされた。ほぼ一回りしたところの一角に二棟の建物があった。これこそ私が撮影したいものであったが、残念ながら緑の木立に囲まれて道路からは思うように撮影できなかった。そうして辛うじて撮影したのが、次の写真である。


「中」の字が光っている。多分、旧制浦和中学の校章なのだろう。とするとその建物は同窓会館として利用されているのではないかと想像した。左手奥には時計台の尖塔が、それこそ緑の木々の間に見えた。私としてはこの二棟の建物を収めたかったのだがそれは無理だった。

 そのあと、じっくりと次女の家のそれぞれの部屋を見せてもらい、庭の草花を鑑賞させてもらった。家内は早速庭の雑草取りに夢中になった。おかげで今日は腰が痛いと言っている。そんな長い時間雑草退治に精を出したわけではないが・・・。それだけ歳をとったのだろう。家に帰ってきたのは六時近くになっていた。

 さて駅の階段に近づくと、ツバメがヒューと飛び去って行った。そうだ、ツバメの巣はどうなっているだろうかと思い、見上げたら、ちょうど母鳥がヒナに餌を与えているところだった。嬉しかった。

 してみると、前回撮った写真は、まさに母鳥が卵を抱いていたときでないだろうか。あの日からすでに二週間は経っている。母鳥はこうしてヒナに餌をやり育てていく。自然界に繰り返されているこの営みに脱帽せざるを得ないではないか。

 「命」をたいせつにしたい。目に見えるものにとらわれるな。目に見えないものこそ見よ。主は私たち罪人に今日も語りかけて下さっている。

2023年5月25日木曜日

おさんどん前の珍事

鴨家族 会之堀川 泳ぎ行く 

 珍しい光景に接した。夕食の買い物帰りに、自転車で走っていたら、川幅わずか二、三メートルの会之堀川の川面が何やら揺れ動く様が見えた。覗き込んでみたら、大きな鴨と子鴨の一団だった。あわてて自転車を降りて撮影に走った。気づいているのは私だけだった。買い物かごの買ったばかりの食品も気になったが、こんな機会はめったにない。上から覗き込んだが、欄干の足元ぎりぎりに泳いでいる。とても撮影できる状況ではない。でも何とか撮りたい。先に自転車を走らせていた同行者の家内にも声をかけたが聞こえないようだった。鴨は私たちの帰る方向と反対側に泳ぎ走り去っていく。

 大変なジレンマであった。買い物籠は気になる。かと言って、買い物籠を死守していては、ますます鴨を逃してしまう。何とか助け舟をと思うが、家内は気づかずドンドン先に行ってしまっている。しかし、程なくして妻は私の不在に気づく。十数メートルほど離れてしまっていたが、身振り手振りで知らせる。今度は二人して家に帰る方向と反対側に自転車を走らせた。このような時は決まって家内が先行する。そして、家内が泳いでいる鴨を、しかも手前でなく、向こう側に沿って泳ぎ去って行く鴨の存在を教えてくれた。

 この写真は十枚程度撮った写真の中の一枚だが、最初に撮った写真は何しろ足元の写真であり、自分の足が写って、鴨は塊としてしかとらえきれていなかったのだが、この写真は向こう側に向きを変えた鴨家族をばっちり撮ることができた。

 親鴨の前を脇目も触れず泳ぎ行く九羽の子鴨、そしてそのあとをしんがりとなって追ってゆく親鴨の姿に生きる力を教えられた。それにしても男親はどこをほっつき歩いているのだろうか。

わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。(新約聖書 ルカの福音書13章34節)

2023年5月24日水曜日

不思議な「遺稿集」との出会い(下)

児玉煕子さんと金子暁子さん ロサンゼルス喜びの集い参加 1993年6月
 昨日も野村ミサヲさんの遺稿集をご紹介させていただいたが、肝心なことをご説明していなかったことにその後、気づいた。それは、どうしてこのような遺稿集を出版できるようになったかの経緯を、この本の後書きで、ご主人である野村弘さんが語っておられたことだ。

 妻であるミサヲさんは皮膚がんだったが、その癌は転移が進み、口内の舌にまで及び、そのため一切話ができず、筆談に頼らざるを得なかった。そのことがこのような遺稿の集積となった旨語っておられたのだ。「塞翁が馬」とは中国由来の日本語の言い回しだが、まことにミサヲさんのお気持ちが後塵を拝する私たちに過不足なしに伝えられることになったのは、このような激烈な病との戦いの中でもたらされた恵みだったのだ。このことは聖書の成り立ちにも関係することだ。

 新約聖書の中にはパウロの手紙がたくさんあるが、彼が獄に捕らえられ、行動の自由を奪われた結果、やむを得ず、各地の集会に手紙を出した。ある場合には口述筆記の形態を取った時もあったが、そのようにして2000年近く、今も私たちが自由に、しかも完全に主なる神様の御心を知ることができる聖書となっている事実だ。

 さて、5月17日(水)に持たれた金子暁子(としこ)さんの記念会についても、この機会に触れておく。なぜなら、野村ミサヲさんはご主人の弘さんに、絶筆とも言うべきご主人への遺書では最後に「ありがとう」という言葉を連呼されたからである。「ありがとう」と五回繰り返し、しかも最後は無限に続くように「・・・・」で書き遺されたたことは昨日述べた通りである。

 しかし、実は私はこの病妻が看病してくださった夫に謝意を表される姿が、金子暁子さんの場合にもあったことを知らされていた。夫である光男さんの記念会でのご挨拶のうち「ご臨終」について述べられた言葉を引かせていただく。(なお、初めの方で「暁子はベックさんから、『理由を問うのはやめなさい、神様からのことばを素直に受け入れなさい』ということばに接して救われたんだというお話が(今)ありました。それを聞いて深くうなずくことがございました。ああーそうだったか」と、おっしゃり、三年間の闘病生活の中でも、祈りが中心であり、癌病室のまわりの人々が苦しみを訴える中で、そういうこともなく、平安に過ごした。それは今に至るまでも最大の慰めであり、「こういうこともあるんだということで感謝しております」と語られもした。しかし癌性の腫瘍のため、徐々に体力は低下していき、食事もおかゆから、重湯、ついには水しかうけつけなくなったことに触れられ、最後、次のように語られた。)

 二月に入り、二月二十五日臨終の時になりますが、病院から電話がございまして、「血圧が落ちてきた。早目にお越しください」ということで、取るものも取りあえず、車で病院に駆けつけたわけでございます。最初は私の方を見ておりましたけれども、段々呼吸が荒くなって、今まで見たこともない呼吸をするわけですね。「苦しいのか」と言うと、頷いて、六時五分でしたか、変だなと思いながらジッと見ておりましたら、「あ」「あ」と言うんですね。口を大きく開けて。その声が大きな「あ」だったのか、小さな「あ」だったのか、今となってはよくわかりません。とにかく口を開けて「あ」と言っているわけです。

 で、「何だ、何が言いたいんだ」。それでまた荒い呼吸に戻るんです。二回目にまた「あ」と言うんです。「何だ、『ありがとう』と言いたいのか」と言ったんですね。そしたらまた荒い呼吸になって・・・。今思うと、あれは「あ」だ、「ありがとう」に違いないと思っております。「う」だとちょっと気味が悪いですね。「うらむぞ」となるわけですから。そう言われてもしょうがない亭主でしたから。家族をほっぽり出して、大学の仕事を、中学・高校の校長をやったりなんかして、そっちのほうが大事だったんですかね、あるいは出世したかったと言う浅ましい根性があったのかも知れませんけど、とにかく家庭はほっぽり出して。だから「う」と言われてもしょうがない。でも「う」と「あ」では口の形が違いますから、あれはきっと「あ」に違いない。そのことを持地さんに伺いましたら、それは「あ」でいいんだと言われ、ホッとしました。

 その時、思いました。人に与えられる最大のものは何であろうか。最後は結局はことばなんだ。そういう意味で、人間はこれをやる、あれをやる、そういうのはないわけであり、そうすると、心の中にこもっている思いを、自分の相手にキチンと伝える。そして、それに感謝のことばがあれば、受け取っている人間に、これによって「ああ、赦されたんだ」そのことを深く受けとめ、そして私は深く慰められた。良かった。「最後はことばなんだなあー」ということをつくづく知った次第であります。

 このようにご遺族のご挨拶の中で述べておられた。まさに、絶筆ならぬ絶語である。光男さんは先頃の春の叙勲で瑞宝賞中序賞の栄典に浴された。永年の教育者としての働きが認められたのだ。そのうちには奥様の暁子さんの内助の功、祈りがあったことは言うまでもないが、今回のご挨拶はまさにそれに対する感謝のご挨拶ではないだろうか。

 私は10月27日に暁子さんのお見舞いに、わずか一度しか行かなかったが、その時、暁子さんが晴々と「主人は変わりました」と言われたことばとその明るさがなぜか印象に残った。そして記念会のメッセージを準備している時、暁子さんに関する一つの夢を見させられた。その内容は省略するが、光男さんのこの「ことば」と「赦し」の二語に一致していることに今新たな感動を覚えている。

 だから、野村さんの遺稿集が今週の日曜日に私の手元に舞い込んできて、身近にある人の死を(母の死をふくめて)改めて思わされ、天の御国を益々実感させられたのは決して偶然ではないと思う。

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(新約聖書 1ヨハネの手紙 1章9節)

われらの神、主。あなたは、彼らに答えられた。あなたは、彼らにとって赦しの神であられた。われらの神、主をあがめよ。われらの神、主は聖である。(旧約聖書 詩篇99篇8節〜9節)

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(新約聖書 ヨハネの福音書1章1節)

私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。(新約聖書 ピリピ人への手紙3章20節) 

2023年5月23日火曜日

不思議な「遺稿集」との出会い(中)

私のおかあさん 小4 吉田浩
 懐かしい絵を、今日は引っ張り出してきた。これは全国小学生図画作文集(講談社発行昭和27年)に掲載されている私の絵だ。今も大切に保管している。昭和27年というと、1952年、今から71年前になる。私はこの絵を描いた。「描かされた」と言ったほうがいいかも知れない。今だから言えるが、この絵を先生と一緒になって包装し出品する前に、先生が手にして、さっとエプロン姿の袖に赤を入れた。絵はその瞬間見違えるように明るくなったことを覚えている。

 母は熱心だった。小学校に入る前から、この先生のところに通わせた。何とか私のために「情操教育」をと考えたのであろう。一方この先生も熱心でその指導には県下で定評があった。学校に行っても放課後になると、この先生が好きでその図画工作の部屋に行っては絵を描いては、疲れると寝っ転がっていたりし、この先生に言い寄って来る男の先生などとの会話を耳にしたりして、私にとっては結構、家庭だけでは知ることのできない男女の機微などを知る場でもあった。私はこの先生と母のおかげで4年生まで絵を描いては、県下だけでなく全国の絵画展で何度か賞をいただいた。アンデルセンの童話や牛小屋の乳搾りの姿などをせっせと描いては、雑誌に絵が掲載された。

 さて、この本には「この全国小学生図画作文集『私のおかあさん』は、母の日運動の趣旨を小学生児童に理解させる目的から、昨年同様本年春、主催森永母を讃える会 協賛母の日中央協議会 後援文部省・厚生省 で募集した『図画作文』の入選作品で、図画19点、作文63を収録してあります。」とあり、絵には伊原宇三郎さんの選評が載っている。

 その選評を見ると、私の絵が応募数5万数千点の中から、19点の中に入り、文部大臣賞、厚生大臣賞、森永賞に次ぐ金賞として選ばれたのかが書いてあった。そして絵の題材が審査委員の方の目を引いたのでないかと思った。私にとっては、大根をせっせと洗っている母を何度も描いた記憶があるので、この絵は井戸端の母の姿をいくつか描いた作品の中の一つだった。ばけつの上、下の文字は今思うと矛盾だが、なぜと言えば、上用(かみよう)と下用(しもよう)に分けているのだが、なぜ、下用のばけつが絵の中で上の棚に置かれているのかだ。何か恥ずかしい思いがする。今もこの場所は残っている。そして何よりも、私にとってこの「母」は健在である。

 そんな母は44歳の若さで死んだ。今振り返ってみると、それは私にとって、もちろん大きな出来事であった。母は胃がんを患っていたのだ。今もその闘病を記した手帳を大切に保管している。その中に走り書きした次の文章がある。

私が宿命的な病気、分けても最も恐るべき胃癌であった(手術によって一層確認された)事実が受験期の高校生にどんなショックを与えただろうか。でもそこから何かを学びとり(プラスになるものを得)人生に対する覚悟というか、心持ちをしっかりと身につけてくれたことと思う。自分の方向にまっしぐらに進む勇気が出来たとしたら何十万のお金で購えない尊い報酬(と言わねばならない)となろう。今度の私の病気によって浩が何を体得してくれたか、涙を拭い拭い、時々こんな甘いことを考えて見るこの頃である(尊い何かを体得してくれたろうと)

 今までも私はこの母のことばを何度となく見ては反芻している。母にとってイエスさまはどういう存在であったのだろうか、と考えるからである。今となってはわからない。正式な日記として「婦人之友社」発行の主婦日記を使っていた。そこには主管者である羽仁もとこ氏を通してであるが、福音の片鱗は覗いていたのではなかろうか、と我が身を慰めている。北海道森町にいた頃どうだったのか、以前書いたことがある。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2020/05/blog-post_22.html

 さて、前置きが長くなってしまったが、本題である。同じ44歳で野村ミサヲさんは召された。その遺された「愛する我が子へ」と題する文章は昨日も少し紹介したように、そこにはキリスト者としての行き届いた母としての助言がある。以下は昨日の続きの部分である。

 また、これからは異性の友だちもできるでしょう。この世の人たちはどんなことをやっていても、神さまは結婚前に性的な行ないをすることを禁じています。それは結婚後に祝福がいくためです。どんな誘惑があっても、そのような性的なものを求めている人なら特別な交際をしないほうがいいです。相手と自分との間にいつも神さまを見ながら清い交際をするなら、相手にも自分にもよい思い出が残ります。
 さらにその人が主のみこころなら、結婚まで導かれるでしょう。その時こそハッピーな二人になり、神さまと二人と三よりの糸となって、長い人生に信頼し合える夫婦になります。性的行為ほど汚くもなり、美しくもなる差の大きいものはありません。結婚を抜きに、神さまを無視した性関係は恐ろしい泥沼です。拭おうとしても、拭えないことでしょう。しかし、主に祝福され結婚しての性行為には、二人が一体となるために神さまがくださった恵みがあり、とても美しく、生命を共に受け継ぐ喜びがあります。あなたたちに信仰の素晴らしい子孫の与えられることを祈ってやみません。

 この文章のあとにも、隣人を愛するためにどうあったらいいのか、キリスト者の仲間だけでなく、すべての人を愛することの素晴らしさ、また家族同士のあり方などを書き留められている。同じ44歳とは言え、私の母の走り書きのものと異なり、ここには懇切丁寧な地についた母親としての生活を通しての助言が事細かく書かれている。私は今までこの手の本を何度か手にしたことがあるが、このような助言が、困難な病の中でミサヲさんによって書き遺されていたことを大いに主に感謝する。ちなみに三人のお子様の名前は睦代さん、良也さん、知一さんである。それぞれ聖書のみことばから取られていることも明記されていた。

 その聖書の個所をご紹介する。
 
見よ、兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。(詩篇133篇1節) 睦代さん

強くあれ。雄々しくあれ。(ヨシュア記1章6節) 良也さん

主を恐れることは知識の初めである。(箴言1章7節) 知一さん

 この本の序文で渡辺信男さんは次のように書いておられた。

 野村姉は危篤状態において、ご主人に遺書を書き残しました。その最後には、「本当にありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・」と記しています。これは野村さんご夫妻が、いかに深い愛の絆で結ばれていたかを教えてくれると共に、奥様の長い苦しい闘病生活中に、どれほどまで野村兄が、奥様を励まし、力になったかを物語っています。この遺稿集『天を夢みる枯れない葉』を通して、本当の意味での家庭、夫婦、子供の教育のあり方等について、深く学ぶことができます。
 経済的には、豊かになった今日の日本、しかし、家庭の崩壊、子供たちの非行、病に苦しむ人たち、孤独に生きる老人、自殺する若者等、様々な問題を抱えています。どんな試練の時にも、聖書を読み、祈り、キリストと共に歩み続けた野村姉。その生き方は、これらの多くの問題に対して、解決の糸口を与えてくれるばかりでなく、光となり、私たちの日々の生活に、ますます勇気と希望を与えてくれるものと確信します。

 私たちは30年ほど前に認(したた)められたこれらの文章を読む時、時代が確実に悪くなっていることを思わされる。まして井戸のつるべで汲み上げては炊事、部屋の掃除に勤しんでいた我が母の時代からは70年が経過している。この間人心は少しでも進歩してきたであろうか。全く逆である。改めて次のみことばを覚えたい。

愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ愛は律法を全うします。あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。(新約聖書 ローマ人への手紙13章10節〜14節)

2023年5月22日月曜日

不思議な「遺稿集」との出会い(上)


  昨日、礼拝のあと、知人から家内が一冊の本を託された。上掲の『天を夢みる枯れない葉』がそれである。今日午後初めてその知人にお電話して知ったことではあるが、その知人は私の家の近くで咽頭がんのために苦しい闘病生活を強いられている友にその本を是非渡してほしいと託されたのであった。

 私はそのことを知らされないまま、なぜか、今朝吸い寄せられるようにして、そのお預かりしている本をパラパラとめくっていた。私の良く存じ上げている牧師さんのお名前が三名ほどその本の中にはあった。その内容は野村ミサヲという方が悪性黒色腫という皮膚がんのために、三年余りの闘病生活の末、1987年3月26日に四十四歳の若さで天に召されたことを記録した「遺稿集」であった。

 何はともあれ、一体どういうご病気であったのか、またその方が、またご家族がどのような思いで病気に直面し、過ごされたのかを知りたくなり、ミサヲさんの書き遺された文章「涙の谷を過ぎる時も」を読ませていただいた。ところが、読んでみて、驚かされたのは大変な自らの病の記録よりも、病室に入って出会ったお一人お一人の方々と苦しみを共にし、かつその救いを心から願い、密かに祈っておられた姿であった。

 それもそのはず、彼女は入院する際に、ご主人と祈りをともにした時、ヨハネの福音書20章21〜22節を通して、死から三日後によみがえられたイエス様が弟子たちに『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします』のみことばが与えられ、「私は病院へ遣わされて行くのだと信じて家を出た」と書いておられたのだ。

 病室では創価学会の方、またエホバの証人の方、実業界の方、教育界の方と、実に様々な方々との出会いがあり、それぞれの方に福音を伝えることが許され、永遠の「いのち」の確信までもっていただけたという喜びの話だった。

 私は、ちょうど5/17(水)に開かれた一人のご婦人の召天記念会のために聖書よりのメッセージを自ら買って出ていた。しかし、そのために、ゴールデンウイーク以来、どのようにその場でお話ししたらいいのか日夜思案し、苦しまされた。その懸念していた記念会も無事に終わり、ホッとしていた矢先、このような、この方の病を忘れさせるほどの様々な証の言葉に接して、ここに生きた証があったと思った。そして、もし、このことを事前に知っていたら、私の記念会のメッセージも随分変わっただろうなあーと思わずにはいられなかった。

 そうこうするうちに、つまり様々な方の追悼文やお写真を見るうちに、私はこの野村夫妻を以前から存じ上げていた方であったことを、薄紙をはがすように徐々に思い出したのであった。特にご主人の野村弘さんには何度か「ノア」に乗せてもらって、埼玉県内を行き来したことを思い出した。そして本の序文を書いておられる方とは、お互いにその存在を知っており、その方が中学校の責任者として私の勤務校にお見えになった時にはご挨拶を交わしたことまで思い出した。

 それにしても1991年8月20日発行の本が30年以上も経って、なぜ今、私の手元に渡ってきたのか、不思議でたまらなかった。その上、この遺稿集にはこのミサヲさんの記念会で語られた内田和彦牧師の爽やかなメッセージも載せられていた。内田牧師は様々な本を書いておられる方だが、私たちが信仰を持った当時、神学生であった方だ。懐かしくなり、野村さんにお電話したが、何しろ30年以上前の住所・電話で、通じなかった。

 そして「愛する我が子へ」と題した三人のお子さんに対して書き遺されたミサヲさんの20頁ほどの文章は特に感銘を受けた。その内の文章を一部抜粋しよう。

 あなたたちには信仰があり、聖書があり、祈ることができます。それこそ最善です。何か困ったことがあったら心を合わせて聖書を読み、祈り合ってください。神さまは必ず答えてくださいます。内輪もめほど、損なことはありません。兄弟仲よくしてください。それがお母さんの切なる願いです。友だちのまねをしたくなったら、それがいいことかどうか、聖書と照らし合わせてください。

このあと、さらに大切な勧めがなされている。その引用は明日にするが、これらには行き届いた母ならではの愛が満ちている。そして、長女の睦代さん(当時、高一)の記された「母の召天日」は、それゆえに、切々と迫って来る臨終の様子が記録されていて、涙せずには読めなかった。

 思えば、私も今から62年前の今日、1961年5月22日に母を四十四歳で失くした。この日に合わせるかのように、この「遺稿集」は何も知らない知人の手を通して私の前に現れた。まことに不思議なことだ。

涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。(旧約聖書 詩篇84篇6節)

2023年5月13日土曜日

母の日、間近なり

軒下に 燕子育て 主の愛 
 草花は百花繚乱、いよいよその勢いは増すばかり。と、思っていたら、魚も鳥も忙しげに泳いだり、飛び回ったりしている。まさに春爛漫である。ふなも亀も雀も燕もヒヨドリも鳩も、餌を求めて余念がないのだ。溝(どぶ)川に泳ぐふなたちは悠然と泳いでいるので、何度かカメラに納めたが、どす黒いばかりで私の趣味に合わなかった。一方、チチッと鳴く可愛い声に、カメラを向け、何度かその姿を野原の緑をバックに撮ろうとするが、成功した試しがない。そんな中で燕だけは人家の軒下に巣を作っている。それでも一頃に比べると目にする機会が少なくなったが、遅鈍な私には格好のシャッターチャンスではある。

 その私のために、相方が近寄れないで鳴いているのを耳にしながら、背伸びしてカメラに収めた。電車の地下通路の階段を上がり、地上に出るところだ。そこに燕は巣を作っていた。言うまでもないが、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません」(新約聖書 ルカの福音書9章58節)というイエス様のおことばを思い出していた。天地万物の造り主であるイエス様はご自身の身を守ることはいとも簡単なのに、なぜこのように言われたのかと考える。と同時に次の讃美歌を思い出し、母の愛を思うた。

1 まぼろしの影を追いて
  うき世にさまよい、
  うつろう花にさそわれゆく
  汝が身のはかなさ、
   
  春は軒の雨、秋は庭の露、
  母はなみだ乾くまなく
  祈ると知らずや。 

2 おさなくて罪を知らず、
  むねにまくらして、
  むずかりては手にゆられし、
  むかしわすれしか、

3 汝が母のたのむかみの
  みもとにはこずや、
  小鳥の巣にかえるごとく、
  こころやすらかに、

4 汝がためにいのる母の
  いつまで世にあらん、
  とわに悔ゆる日のこぬまに、
  とく神にかえれ、

 YouTubeにいくつか演奏がある。https://www.youtube.com/watch?v=ONUgNNVdvOU

女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。(旧約聖書 イザヤ書49章15節〜16節)

2023年5月10日水曜日

風そよぐ ニゲラの花の 宝石よ

咲き揃う ニゲラの花の 愛らしさ
 五月になり、庭には様々な花が咲き乱れ、木々の緑の葉がそれを覆わんばかりに生い茂り、新緑を楽しませてくれている。しかしそんな花園にもとんでもない外敵がいる。ウイルスだ。垣根として育てているベニカナメが年を追うごとに、その被害が広がって困っている。

 そんな私たちの心配を他所(よそ)に、家の道端にあたる、駐車場スペースとドブの境目に沿い、ニゲラの花が列をなし芽を出し、いつの間にかグングン背を伸ばしていた。そのニゲラが、連休最後の雨を受けてだろうか、いっせいに花を咲かせ、風にそよいでいる。数えて見ると50輪ほどあった。いずれも一人ばえである。あまりの美しさ、その壮観さに、庭の花々をそっちのけにして、思わず、カメラを向けてしまった。

 ちょうど、今日は長女がはるばる車で時間をかけ私たちとの交わりに来てくれたのだが、早速ベニカナメの剪定をやってくれた。その間、ニゲラの花は車の影になり、私たちの視野から遠ざかっていたが、娘が帰った後の空壁を埋めるかのように、車の下敷きになることもなく、その存在を私たちに示してくれた。これぞ天与の産物だ。

 いずれの花も見るたびに創造主のみわざの素晴らしさに驚嘆させられる。そして、その草花を通して、父なる神様の愛がいかなるものかを、私たちが悟るように、とイエス様が語られることを思い出す。先頃の戴冠式で望見できたチャールズ王の装いは、さしずめ往年のソロモンと比肩されるべきものであろう。ゆりの花に、ニゲラの花を、ソロモンにチャールズ王を置き換えてみことばを味わった。

ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか、紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。ああ、信仰の薄い人たち。(新約聖書 ルカの福音書12章27〜28節)

2023年5月9日火曜日

大切なこと(下)

雨降りの 蕎麦屋の出窓 浅間山  23.5.7
 昨日、書き忘れたが、もう一つ泣かれた方がおられた。その方は私がトンと「喜びの集い」に姿を見せないのは、私のわがままの所為(せい)だと思っておられたようだ。私の不在に心を痛めておられ、それが解消したと涙を流して喜ばれた。

 かと思えば、帰りの電車で偶然ご一緒した知人が話の中で一人の盲人の方と親しく交わっていると話された。まだお会いしたことはないが、点字の奉仕をしながらその方と今ではすごく親しくなっているのだという話だった。お聞きしているうちに、その盲人の方は、50数年前に、私の救いのために祈ってくださった、当時大津に住んでおられ、それ以後もお互いに見知っている方と同一人物であることがわかり、互いにびっくりした。

 こちらに戻ってから、別の用件で銀行の手続きに朝からバタバタと動いていたが、それも一段落して近くの郵便局に寄り、いつもは通らない33年前出てしまった教会の前を久しぶりに通った。月曜日だから、教会には人はいないな、と思う間もなく、一台の車が教会の前でスーッと止まり、中から一人の方が降りられた。若いころ、私たちが「山ちゃん」と呼んでおり、その後、牧師さんになられた方だった。

 思わず、駆け寄り、声をかけた。お互いに声を掛け合い、ご挨拶をした。たまたまその前の週に普段一緒に交わっている方から、日曜日牧師と交わるという話を聞いていたので、早速その話をした。牧師さんも周知のことであり、結局そのまま、その牧師さんは車に戻り、もう一人の方を降ろして立ち去られた。

 ところが、降りられた方は今一人の牧師さんであり、私のいた時にはおられず後から赴任されたが、私はこの方とは二、三回お会いした覚えがあり、共通の知人がいたので、教会の前で二人で立ち話をしていた。と間もなく、教会には誰もおられないと思っていたのに、中から、一人、二人と次々現れ、あっという間に牧師さんをふくめ四人の方々と会うことになった。その中のお一人の方とは私が教会を出てから全くお会いすることのなかった方であった。

 こうして33年前に教会を出て、長年の年月を経ている私が教会の人々と再会するというハプニングをゴールデンウイーク明けの昨日月曜日に経験した。二三日前には「絶妙のタイミング」と題して事の次第を書かせていただいたが、これら教会の人々との出会いも誠に摩訶不思議な事で、やはりその偶然に着目せざるを得なかった。

 しかし、その後、私の家の近くに住んでおられ、咽頭癌を患い、喉を切開して、そのために会話もままならない方をどうしても訪ねたいという思いが起こされた。家内と二人で訪ねた。奥様がご不在であったが、その方は招き入れてくださり、私たちの話に、その方は筆談でもって答えてくださった。その方の不自由な闘病生活を直に感じ取ることができ、自分自身のその方に対する薄情さを改めて思い知らされた。私にとって「大切なことは何か」、それは「絶妙なタイミング」を喜んでいるだけでなく、示された訪問を実行すること、私たちの自由意志をどう用いるかということこそ、大切なことであると体験的に知らされたのである。

 こうして、今年の五月の連休は、私にとってはあっという間に過ぎ去っていったが、最も大切なことは何かを学ばされた一瞬であったと思う。雨の御代田で昼飯を食べるために、道中、傘を差し、濡れながら歩き「香りや」という蕎麦屋まで足を運んだ。これは私の自由意志の然らしめる行動である。そしてその蕎麦屋の出窓を通して雨中に煙る浅間山を眺める至福にあずかった。何のためにあなたは生きているか、主に問われ続けている気がする。

さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(新約聖書 ルカの福音書10章38節〜42節)

2023年5月8日月曜日

大切なこと(上)

林間に 薄日差込み リス動く 23.5.6
 この風景はいつ見ても心を癒してくれる。ここはゴルフ場の一角である。リスを見たわけではない。でもリスがいてもおかしくない風情だ。昔、スコットランドのエジンバラのプリンセス通りの公園でリスが姿を現し木登りしていたことを思い出した。

 土曜日曜と一泊二日で再び御代田に出かけたが、日曜日は生憎の雨であったが、土曜日はこのような木洩れ陽に恵まれていたのだ。3、4年ぶりの聖書を中心とする喜びの集いに参加し、たくさんの旧友に久しぶりにお会いした。それぞれが確実に年輪を重ね、30数年前とは違い、皆歳を取ったが、再会の喜びは変わらない。

 しかし、その中でも一人の方と10数年ぶりにお会いした。この喜びにまさるものはなかった。先方から声をかけられたが、見覚えはあるが、どなたかわからない。でも相手の方がニコニコして挨拶されるので、こちらもそれに合わせてご挨拶を返していたが、相変わらずどなたかわからない。そのまま離れ、どなただったのかと一所懸命、記憶を辿るが、中々思い出せない。

 そのうちにしっかりと苗字の最初の漢字が思い出せ、徐々に記憶がよみがえってきた。その後、名前までは思い出せなかったが、はっきり苗字が出て来た。それに気付いた時、私は飛び跳ねんばかりであった。何とその方が姿を見せなくなった始めの頃はそれでもどうしたのかと心配していたはずである。ところが一年経ち、二年経ち、数年経つうちにすっかりその方のことを忘れてしまっていたのだ。でもその方が帰って来たのだ。

 一方、これとは全く逆の立場になった私自身の再会の出来事もあった。私が3、4年ぶりに参加したことを心から喜んで泣かれた方がいらっしゃったのだ。私は、そんなに泣かれるほどにそれまでその人に対して私の心が閉じていたのかと、思いながら、泣かれるその方の心にどのように答えていいのか戸惑い、「あなたの心を100%受け入れます」とこれまたとんでもない言葉を発してしまっていた。

 集いに参加する道すがら、林間を通して見える空の明るさは、その時、私の心に何か希望めいたものをすでに抱かせていたが、その答えがこのような多くの人々との再会であったのだろう。天の御国での再会はこれにはるかにまさっていることだろう。だから、地上にあっても、主イエス様を中心として「あなたの心を100%受け入れます」なんて不作法・不器用なことばを用いず、「あなたを愛します」と素直に言えるようになりたい。

私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを私たちは待ち望んでいます。(新約聖書 ピリピ3章20節)

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。(新約聖書 コリント人への手紙13章12節)

2023年5月5日金曜日

絶妙のタイミング

浅間山 弾む会話の ゴールデン 23.5.4

 絶妙のタイミングというものがある。小さなことではあるが、クリーニング店に洗濯物を届けるべく家を出ようとしたら、一台の車がスーッと入って来た。三男家族の一行だった。連休の帰りがけに、届け物もあり、前日果たせなかった、ちょっとの顔見せも兼ねてやってきたのだった。

 危ういところだった。一秒でもその場を離れていたら、出会いは成立しなかったからだ。二日前は二日前で、その家族の末娘が風邪で、家族全員が我が家にも来るはずであったが来れず、お母さんの実家に泊まる家族とは別に、お父さんである三男だけが、我が家に泊まるために夜やって来た。ところがこの突然の来訪は来訪で、またとない絶妙のタイミングだった。

 折しもこの時、私たちは苦境に立っていた。ここ三、四年行っていなかった小さな別荘が、今冬の凍結でダイニングが水浸しになっていると、昨年夏に出かけた次女夫妻が、それ以来久しぶりに訪れゴールデンウイークを過ごすべく万端整えて出かけて行ったその矢先の惨状だった。「悲鳴」に近い叫びと共にそのことを電話で伝えて来た。

 ちょうどNHKのプラスを利用して、「日本一最強の城はどこか」という番組を視聴していてお国びいきの彦根(城)出身の私の気分も高揚している時だった。私はもはや番組どころではなくなって頭を抱え込んだ。取り敢えず、状況を把握せねばと、別荘からトンボ帰りに帰ってくる次女夫妻と翌日同行することを大急で決めた。

 三男が単独で我が家に泊まりに帰ってきたのは、このようにあれやこれやで右往左往している最中だった。そのこととはもちろん露とも知らずレンタカーを借りて泊まるためだけに帰って来た。翌朝(4日朝)事情を知った三男は「自分も出かけ、少しでも手助けしたい」と、車で私たち夫婦を迎えに来た次女夫妻の車に代えてそのレンタカーで行ってくれた。

 その惨状の後始末は、一番よく利用している次女夫妻が何から何まで準備してその作業に従事してくれたことはもちろんだが、援軍である三男の働きに大いに私たちは感謝した。折角のゴールデンウイークはその作業と往復八時間ほどかかった車内での互いの語らいに終始した。このことを私のLINEで知らされた長男は「災転じて・・・」だなと感想を寄越したが、まさにそうだった。

 神様はさまざまな出来事の中で主導権を握っておられる。パリにいる次男夫妻はちょうど10年前のこの5月に彼らが経験した惨事を今に覚え、守られて来た10年に感謝している旨、最近知らせて来たばかりである。

http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/05/blog-post_25.html

長女夫妻家族もさまざまな試練の中で日を過ごしていることと思う。万事を益としてくださる主を仰ぎつつ、目をさまして歩み続けたい。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(新約聖書 ローマ人への手紙8章28節)

2023年5月3日水曜日

目をさましていなさい

川流る 緑あふるる 空青し
 晩春、古利根川の両岸の桜並木は、瞬く間に葉桜の時を越え、すっかり「緑陰」の格好の舞台となっており、ちかづいてみるとヤニさえ出している。がっしりと河岸に根を伸ばし、頼もしい限りである。その真ん中を悠々と川は流れる。いつの間にか多くの水鳥が姿を消し、二、三羽がときおり姿を見せるのみだ。

 圧倒的な水量の豊かさと、無限にひろがる空を見上げる時、表現することばさえ失ってしまう。引き続いて主の再臨に関連し、イエス様が語られたみことばを写しておく。(主人とはイエス様ご自身です。私たちすべての人間にとってイエス様は「家の主人」だと語られているのです。)

目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。(新約聖書 マルコの福音書13章35節〜37節)