日輪を コスモスの群れ 仰ぎ見る(※) |
ルーテルはかかるたくらみがあるとも知らず、やむをえず引っ張り出されてライプチヒに向かった(1520年)。ライプチヒはサクソニー公国の首府であって、その王様のジョージ公はルーテルの大敵であった。ライプチヒに滞在中エックはあらゆる名誉をもって歓迎せらるるに拘(かかわ)らず、ルーテルは非常なる侮辱を受けた。彼はただはねのけ者として爪弾(つまはじ)きせられるばかりであった。礼拝のため教会に行けば、僧侶らはやあ異端が来た汚れる汚れるといって祭壇から聖餐用の品物を取りおろした。彼は不快の念禁じ難かったけれども、ただ聖書を恃みとし神によって慰められて、心の平和を保っていた。いよいよ討論の折にもエックは種々なる詭弁を弄(ろう)し、またルーテルの言をあるいは曲解しあるいは誤解し、無暗に圧服するような風があったが、ルーテルの態度は落ち着いておった。彼はいつも一束の菫の花を手にして討論の熱する時など度々その香りを嗅(か)いでいたという。その様子を実見したモゼルラヌスの如きは、特別むつかしき立場に置かれながらかかる態度を保ち得るからには、必ずや神彼と共に在り給うのであろうと信じたというておる。
しかしながら討論の結果はエックの策略の成功であった。彼は歩一歩ルーテルを押しつめて、遂に予定のわなのところまで連れて来た。そしてルーテルのある言葉を捉まえて尋ねた、「それでは貴下の意見はフスの意見と似ているではないか」と。ルーテルは答えた、「そうです、フスの意見の中にも全然キリスト的かつ福音的のところがある」と。この一言に満場どよめき渡った。傍で聞いておったジョージ公の如きは憤然として頭をふって全聴衆に聞ゆるような大音声で叫んだ、「おお大変だ、この疫病め」と。喜んだのはエックであった。ルーテルからこの一言を聞けばもう目的を達したのである、この上はもはや何ら討論の必要がない。彼に異端の宣告を与えフスと同じ刑罰に処しさえすればよいのである。憐れむべきルーテルは遂に窮境に陥ったのであった。彼自身も意外の結果に陥ったことを驚いた。しかしながら「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません」(新約聖書 Ⅱコリント4章8節)、彼は決して失望しなかった。世界中が彼を異端扱いしても、彼にはなお恃むところがあった。法王は彼を焼き殺しの刑に宣告するとも、彼にはなお大なる慰めがあった。それは他なし、やはり聖書であった。ライプチヒの論争は表面より見てルーテルの失敗である。しかしながら実は彼をしてこの世のすべてに望みを失わしめ、ただ益々聖書にのみ頼らしめんとする神の摂理であった。神の摂理は度々人の失敗の形をもって現わるるのである。彼はひとしお心を込めて聖書を研究した。而してフスの意見のあるものも自分の意見も共に聖書に背かざることを知って、非常なる慰安を感じた。彼の心には前よりも大なる勇気が湧いた。彼は筆を執って盛んに自分の意見を公表した。その当時のルーテルの著述の盛んなること、実に驚くの他ない。ドイツ中で出版する本の半数もしくは三分の一は彼一人の書いたものであった。而してこの不思議なる力に動かされて、ドイツ全体が彼の著述を争い読んだ。何か彼の著述が出版せらるるという時には、その最初の版を手に入れたいとて群衆が印刷所の戸口に押し掛けてこれを待ち受け、しかも家までそのまま持って帰ることができない。途中でまた他の群衆が彼らを包囲して声高く読み上げさせたという。メランヒトンはいうておる、「何人もルーテルのように全国民の心を動かす者はない、貴族といわず農民といわず諸侯婦人小児といわず、みな彼の貴き言葉に動かされた」と。(『藤井武全集第8巻』615〜618頁より引用)
※ 文化の日の翌日(11/4)の古利根川沿いのコスモス畑です。私たちの散歩コースの折り返し点になる「人道橋」からはさらに上流部側に位置するので、私たちは圏外扱いにしておりますが、秋のこの時期には足を延ばして訪れるようにしています。さてどこからどのように撮ったら様(さま)になるか考えましたが、コスモス一輪一輪がそれぞれ思いのままに咲き誇っているのを眺めているうちに、いつしか、アメリカ国民の大統領選に臨んでいる姿を想起せずにはいられませんでした。
本文中にルーテルとエックの討論の様子が描かれていましたが、ルーテルは自らの立場がたとえどんなに不利になってもその信仰は弱らなかったことが鮮明に描かれていたのではないでしょうか。「神の摂理は度々人の失敗の形をもって現わるるのである。」とは名言ではないでしょうか。
ルーテルの信仰は世界をひっくり返しました。そのルーテルの申し子でもあるアメリカ大統領は果たしてトランプ氏なのか、ハリス氏なのか固唾を飲んで世界中の人々が注目しています.。
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