2024年11月2日土曜日

ルーテルの恃み(3)

イナゴ殿 汝恃むは 叢(くさむら)か(※)

 そもそも人は誰でも恃(たの)む所が欲しいのである。それがなくては生きることができない。人は強そうに見えて実は弱い。もちろん多くの場合において自分の弱いことを忘れている、またはごまかしている。この世の煩わしき刺激を受けながら齷齪(あくせく)と暮らしている間は、自分の弱いことを考える暇もない。しかし誰でも一生のうちに少なくとも一度はしみじみと自分の弱さを自覚せしめられる時があるのである。それがなしにこの世を終わる人はない。而してその最も普通の機会は青年時代である。

 人は子供の時代には単純な空想の世界に遊んでいる。壮年以後は目前の現実世界のみに捕われる。ただ何人も青年時代に一度だけある無限の世界の幕を一寸上げて彼方を覗くことを許されるのである。その時から彼は自己の弱さを自覚せしめられて、如何ともすることのできないさびしさがひしひしと胸の底に湧き返るのである。そしてこの広い天地の中に何処にも自分を慰めてくれるもののないことを感ずるのである。然り、その時のさびしさは何物よりも大きい、宇宙よりも大きい。ゆえに何をもって来てもこれを満たすことができない。

 友? 親しい友は我がために泣いてくれる。しかし友の熱き涙も我がさびしさをどうすることもできない。恋? 恋は甘い、かつ強い、しかしその恋をもってもなお酔うことのできないある深い要求がある。音楽も駄目、文学も駄目、哲学も駄目、どうすればよいか。人以上この世以上の何かに頼るより他ないのである。ゆえにこの時何人も宗教的の要求を抱く、神を求める、然るに悲しいかな我らの眼は曇って神を見ることができない。したがって神に頼らんと欲してこれに頼ることができない。

 神に頼る能わず然れども神以下のものをもって満足する能わず、これ人類の大多数の真相である。この矛盾を調和せんがために姑息なる安心が始まるのである。すなわち神を信ずると思いながら実は神以外の者に頼るのである。あるいは人に頼る。あるいは制度に頼る、あるいは儀式に頼る、あるいはその他何か不思議な力を有するものに頼る。ローマ法王というえらい人がある、教会という大制度がある、サクラメントという立派な儀式がある、赦罪券という不思議な切符がある。これらのものに頼って自分の霊魂を慰めていたのがすなわちルーテル当時のキリスト者の状態であったのである。赦罪券の売買はこの誤りたる信仰を一つの型に表したものに過ぎない。而してただにドイツ全体の信者のみならず、全欧の信者がことごとくかかるごまかしの信仰を抱いていたのである。

二 ルーテルの煩悶とその解決

 このようにキリスト教会全体、すなわちローマ法王を頭にいただき欧州全体の何千万という霊魂をもって成り立つ大なる世界がかかる信仰をもって安んじておった時に、ここに一つ別の世界があった。それは極めて小さき世界であった。そはただ一つの霊魂に過ぎなかった。しかも決して人の目につくほどのものではなかった。否、むしろみすぼらしきものであった。それが世に出たのは貧しき坑夫の家庭においてであった。しかも流浪中アイスレーベンの旅宿においてであった。彼は貧乏の間に育てられた。その母は度々自ら松林に赴き枯枝を拾いこれを肩に担うて帰って来たのである。父はもともと百姓の出であった。ゆえに彼は常に言うた、「余は百姓の子である。余の父も祖父も曾祖父も皆純粋の百姓であった」と。

 彼の学生時代にはその時代の習慣に従い乞食のごとく家々の前に立ち歌をうたうてはパンを乞い、もって生活を支えた。小学校より高等学校を経てこの貧しき一人の少年はついに大学に進んだ。エルフルトの大学である。その時分から父の生活は多少楽になったので、彼はようやく乞食書生の列から離れ、親の脛(すね)をかじって勉強することができるようになった。父は最初からして彼を法律家にしようと願っていた。このお父さんは僧侶が大嫌いで、「偽善の塊」であるといって心からこれを悪(にく)んでいた、えらいものは人民のためを計る法律家であると思うていた。それで自分の一生がつまらぬもので終わらねばならぬ代わりにこの倅(せがれ)には自分の取り逃した立派なものを得さしてやりたい、これは是非えらい法律家にしてやりたいとは倅が生まれた当時からの父の願いであった。さればこそその貧しい間にもできるだけ節約し、自分のための慰安はすべてこれをなみして、身分不相応の大学教育まで受けさしたのである。

 エルフルト大学といえばドイツ最古の大学であって、ルーテルの入った頃は最も有名であった。「良く学ばんと欲する者はエルフルトに赴くべし」という諺さえあった。ルーテルはお父さんのおかげで、1501年すなわち彼の満18歳の夏この有名な大学の予科に入学した。而して論理学、弁証学、修辞学、古典文学、音楽、医学、天文学などを学んだ。彼は勤勉なる学生であって、ことに実際的研究を重んじた。メランヒトンの言によれば、彼の非凡の才能は大学全体の怪しむところであったという。而して翌年の10月には早くも得業士(バチェラー)の称号を得、四年目の1505年には一先ず哲学科を卒業し十七人中第二番の好成績をもって学士(マスター)の称号を得た。これからいよいよ法律科に入るのである。お父さんは喜んだ。今日まで苦労した甲斐あって倅も今は大学の秀才ともてはやされ予て志望の法律家になるのももう遠くはない、ハンス老人定めし故郷にありて年老いたる妻を相手に祝杯を挙げておったであろう。

 然るに驚くべし、息子は親にも相談しないで突然大学をやめてしまった。何処へ行ったろう? エルフルトの修道院に入ってしまったのである。これから法律学をやろうというその大事な時に、何が原因かは知らぬがそれをやめてしまった、しかも選ぶ物もあろうにお父さんの何よりも嫌いな坊主になりにお寺へ入ってしまったとは、マンスフェルトの老夫婦の家庭における悲しみはとても想像することができない。思えば22年の昔、親族故旧から離れてアイスレーベンの木賃宿に寒い11月の中頃辛い思いをして産み落として以来、母はやせた腰を曲げては枯枝を拾ったり父はわずかな楽しみをも皆やめたりしてこの一人の子供の大法律家に成る日を今や遅しと待ち焦がれておったのに、それがみなあの坊主、あの詐欺師偽善者の仲間入りをさせるためであったろうか、実にこの時の両親の心中は同情に余りがある。我々から考えてそうである、いわんや当人のルーテルにおいてをや。彼は父や母の心情を察して定めし断腸の思いがしたであろう。彼はそのために幾たびか泣いたであろう。幾度か躊躇(ちゅうちょ)したであろう、しかしながらどうしても思いとどまることができなかった。なぜ?

(『藤井武全集第8巻』604〜607頁より引用)

※ 古利根川はいつの間にか鴨が数十羽、鷺が数羽現れる季節になりました。そのような中にあって、叢に小さいながらもイナゴが目の前で飛びました。二匹だったのですが、一匹はどこかへ飛んで行きました。さて、イナゴについての描写は意外に聖書に何度か出てきます。以下の聖句は上記の藤井武の本文とは直接関係がありませんし、この聖句の意味するところを私はまだよく理解していませんが、今日の聖句としてご参考のために転記しておきます。

その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。・・・そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。(新約聖書 黙示録9章3〜7節)

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