ウラギンシジミ(※) |
一足早く9日に52歳の誕生日を迎えた次男と昨日12日に誕生日を迎えた家内とのさりげない会話でしたが、そこに母子の間に交わされた老い行く者とそうでない者との間の、歳をとることに対する暗黙の了解のようなものを感じさせられました。昨日の家内の子どもたちへの誕生祝いのお礼の挨拶には冒頭で「ありがとう、79歳だとは!あっというまに80だよねー」と繰り言が記されていました。私たち夫婦は、まったく歳をとる自覚もないまま、あたら余生を生きている感じです。
こんな日々ですが、日曜日の福音集会でお話しくださったかたが次のみことばを語ってくださいました。
主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。(新約聖書 1テサロニケ5章11〜12節)
そして今の信仰生活はこのまま天の御国につながっていると語って下さいました。老いも若きも天の御国を目指している自覚を持つ時、年輪を越えて主への感謝を持つことができるんだなとこの文章を書きながら改めて思わされております。
一方、礼拝では、私が土曜日に投稿しようと思っていたルターの「神は高きやぐら」(讃美歌267番)を一語で示す御言葉が朗読されたのです。
まことに、あなたは私の避け所、敵に対して強いやぐらです。(旧約聖書 詩篇61篇3節)
朗読された方は、私がそのような文章(ルター作詞作曲の讃美歌についての紹介文)を書いているなんて全くお知りでなかったでしょうし、逆に私自身はこの御言葉を知りませんでした。福音集会でのメッセージといい、礼拝のおりの朗読箇所といい、主なる神様はまったく無駄なことはなさらない方なのだと思わされました。
※先日玄関先の植え込みに黄色と白の紋白蝶が舞っていました。バックの花といい、ちょうど良いタイミングでしたが、中々撮れませんでした。そんな矢先、家内が別のこの蝶を見つけ、教えてくれました。初めて見た蝶の姿でした。しかも撮影した時には気づきませんでしたが、この写真を見る限り、羽根が一部欠けているのですね。何となく我が身に照らし合わせ、哀れさを感じさせられました。
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