濁り川 ルターならずも 我然り(※) |
その真の原因は人の見えないところに、彼の心の中にあったに相違ない。それはどんな煩悶であったかルーテルは少しも発表しなかった。しかしながらそれを知ることは決して困難ではない。何となれば青年ルーテルに来たりし煩悶はまた我らすべてに来たる煩悶であるからである。ルーテルだけが苦しんだのではない、すべての青年が苦しむのである。ただそれをごまかすか、正直に受け取るかの相違のみである。永遠者を慕うその慕わしさである。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、・・・私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています」(旧約聖書 詩篇42篇1〜2節)というそのAspirationである、たましいの渇きである。この渇きは論理学や修辞学や文学や哲学をもってこれを潤すことができない、いわんや法律学をもってこれを満たすことはできない。ルーテルはしばらくこの渇きをごまかして法科大学の秀才として学校を継続すれば、世間からも賞賛せられことに親の心を満足させるのであった。彼はそのことを百も承知しておった。しかしながら世間が満足し親が満足しても、独り自分のたましいだけは満足せざるをいかんせん。彼は世間より笑われ親には失望をさしても自分のたましいをごまかすことができなかった。
彼は小さき自分のたましい一つをもてあましたのである。何処かにこれを救ってくれる者を探し当てるまではどうすることもできない。しからばその救いはどこにあるか。彼は周囲を顧みて何処にも行くべき道を発見しなかった。唯一あの修道院の壁の内側だけには何かあるのではあるまいかと疑った。昔からまじめな信者が幾たりかあそこの門を潜って入った。果たして修道院中に自分の求めるものがあるかないかは分からない。しかしながら他に行くべき道が一つもない以上はこの門を叩くより他ないのである。彼は早くからその決心をしていたのであろう。それがここに至りて火のつくように彼を促したのであろう、我がこの世の生涯もいつ終わるかも分からない、もし光を見ない前に死んだらば如何、彼はこれを思ってもはや一刻も躊躇ができなかった。彼は断然決心した。かくて憐れむべき青年ルーテルはその年7月無量の煩悶を抱いて漂然アウガスチン派の修道院の門を叩いた。
院長は先づ新来の青年に尋ねた。「我が子よ、汝は何を求むるか」と。ルーテルは答えていうた、「私は神のいつくしみとあなたの友情とがほしいのであります」と。いかに温かき心にあこがれていたであろう!彼は果たして修道院でそれを得たか。否、彼の得たものは冷たき規則であった、死したる習慣であった、機械的なる形式であった。朝から晩まで唱歌を歌い、祈祷の言葉を繰り返し、断食をなし、起ったり座ったり、手足を動かしたり、頭を動かしたりする生活である。もちろん求めるものは得られなかった。しかしながら彼にとっては行くべき道は他に一つもないのである。この僧侶生活において光を得ずんば死するより他ないのである。
ここにおいてか若きルーテルは命がけの生活を始めた。彼は飲食を廃し、鞭をもって身体を打ち、夢中になってひたすら修業をした。ある時は一片のパンをも一滴の水をも口にせずして三昼夜を過ごしたこともあった。ある時はいつもの礼拝に彼の姿が見えない、どうしたろうといって同僚が探して見たら、自分の小さな部屋の床の上に卒倒しておった。然り、青年ルーテルは人生問題に悶えてついに卒倒したのである。今日の青年にしてかくまで真面目に煩悶する者果たして幾人かある。わがルーテルは正直であった、彼の煩悶は真剣であった、彼は現代の青年の如く慰み半分冗談半分の生温かい煩悶をしなかった。彼にとりては all or nothing 全部かしからずんば無であった。救いかしからずんば死であった。彼にとりては煩悶は確かに命がけであったのである。
このようにルーテルはその生命をも賭して、救われんがために必要なるすべてのことを為した。彼はのちに至っていうた、「もし僧侶がその僧侶生活をもって天国に入り得るならば余はとっくに天国に到着しておったに相違ない」と。しかしながら彼の外側の行を積めば積むほど彼の内側のさびしさは募るばかりであった。彼は少しも神に近づいたような気がしなかった。彼は神に近づこうとするけれどもどうしても近づくことができないのである。神は余りに聖く、余りに義しく、余りに偉大であって、どうしてもその親しさを感ずることができない。神と自分との間には超ゆることのできない深い谷がある。
ことに彼は神の怒りについて教えられておった。神は人の罪を怒りこれを罰せずしては措(お)き給わないと教えられておった。ゆえに我々は自分の罪を清め過去において犯したるすべての罪を償うだけの善行を積まねば救われないと教えられておった。ゆえに彼の神に対する心持ちは畏敬または恐れであって少しも温かい感じが出て来ない。彼は修道院において僧侶の為すべきすべての勤めをことごとく果たしたらば、自分の罪が償われ従って神の救いを受け得るのであろうと思った。然るにそれを果たしてみても少しも自分の罪が清まりたる感じがしない、相変わらず汚れたる、みじめなる、弱き浅ましき自分ではないか。彼はもちろんかかる姿をもって神の前に立つに忍びなかった。彼が初めてミサの儀式を司った時、「我はこの献物を汝永遠に生ける神にささぐ」という言を発しようとして、たちまち恐れとおののきのため胸が一杯になり、祭壇から転げ落ちようとしたことがあった。彼の如くに自分の良心に忠実なる者もまた少ないのである。
メランヒトンの言うところによれば、彼が自分の心の浅ましさを思い、而して神の怒りとか罰とかを思う時には、実にたまらくなってとても生きていることができないほどであったという。彼自身ものちに至って白状している、「私の心は砕けてしまった、私はただ悲哀の中にあるのみであったーーもしその時福音の慰めによって救われなかったら、あと二年は生きることができなかったろう」と。同僚の坊さんたちもかかる様子を見て非常に同情した。ある老僧は彼に使徒信経を読ましめ、「我は罪の赦しを信ず」という句のところへ来たら、ちょっと止めさせて、そこへ「我が」という字を入れて読んでご覧なさい、「我は我が罪の赦しを信ず」と、神は我がすべての罪を赦し給うのであると。しかし彼はそれを信ずることができなかった。またある人は曰うた、悔い改めさえすれば赦されるではないかと。しかし我は果たして我が罪の全部を悔い改めることができるか、自分で知らない罪もあるではないか、完全なる悔い改めそのことがまた一つの不可能事ではないかと思った。しからば一体どうしたらよいのか。どうすることもできない。自分は神の許に近寄ることのできない人間である、近寄りたくても進むことができない、ああ、しかしながら神が恋しい、神にすがりたい。ここに至ってルーテルの煩悶はその絶頂に達したのである。(『藤井武全集第8巻607〜611頁より引用)
※ 一週間前の日曜日、この長野県御代田町の濁り川ベリのレストランに入って昼食を取りました。上述の文章を読み、その題材にふさわしいものはないかと思案している時、この事実を思い出しました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%81%E5%B7%9D_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C)
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