時ならぬ 入道雲 時おもう(※) |
「私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっている・・・私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(新約聖書 ローマ7章15節、22〜24節)
と叫びしその深き悩み、これがすべての人を悩ましているのである。どうかしてこの鎖から逃れて、自由なる、清い、肩の軽い人間となりたい、とは実に万人の切なる願いである。これよりも深刻なる願いは人の心の中にあり得ないのである。罪から赦されるとはすなわちそのことである。
しかるに、この真面目なる願いに対して、それを法王が叶(かな)えしめてやるというのである。法王がすべての人の罪を赦してやると。どうしてか。曰く金で売ってやるのである。若干の金を出せばどんな罪でもことごとく赦されるという不思議な効能を有する切符を与えてやるのである。それは法王の印を捺した一つの切符である。この切符を買いさえすればどんな罪でも赦される、おまけに神のお恵みにあずかり、また他人のなしたる善行の功徳がその身に及ぶというありがたい切符である。
それをマインツの大監督アルバートが請負をした。すなわち法王に対して若干の金を納めるという約束をして、それ以上に売りさえすればあとは自分の利益となるのである。ゆえにこの監督さんは商売の上手なテッツェルという坊さんを委員に雇い入れて、ドイツの諸方へ赦罪券の行商に歩かした。もともと利益のための商売であるから、その販売の方法は今日市中を練り行く広告隊と少しも異ならぬ。すなわち先頭にはビロードまたは金色の布で作った赦罪の宣言書を押し立てて行く。その後ろから委員のテッツエルが進む。その傍には紅い十字架を捧げ、また法王の旗を翻して行く。その後ろにはあらゆる司祭、僧侶、議員、教師、学生、あらゆる男と女とが旗と蝋燭(ろうそく)を携え歌をうたい一大行列を成してついて行く。教会はガンガン鐘を鳴らしオルガンを弾いてこれを歓迎する、という風であった。そしてテッツエルは公衆に向かって叫んでいうた、「金の音が箱の中でチリンと鳴るや否や、霊魂は煉獄を飛び出すのである」と、また「赦罪の紅い十字架はキリストの十字架と等しき力を持っている」と、また「この切符は神の母を犯した者をも赦す力を持っている」と。
それのみではない、この切符でも赦されない罪もあるという。それは何か。法王の身体に対する陰謀の罪とか、その他の高僧に対する暴行の罪とかである。なおその他に奇体なものがある。それは異教国から明礬(みょうばん)を輸入した罪も絶対に赦されないという。この当時法王領内のトルフアという山の中から明礬が出て、それを法王が全欧に一手販売をなして莫大の利益を得ておった。ゆえにこの利益を害する罪も絶対に赦されないというのである。以上をもってほぼ赦罪券とはどんなものかがわかると思う。
このように、赦罪券はいずれの点より見ても奇怪千万な現象であった。そしてその直接の目的は法王の貪欲にあった。こんな怪しからぬものを、誰が見ても是認するはずがない。しかるにもかかわらず人々は争うてこれを買い求めたのである。テッツェルは到る所の町々村々で盛んな歓迎を受けた。而してある日彼がもはや売り物も残り少なくなったからやがて紅い十字架を取り下ろして天国の戸を閉めねばなるまい、もしこの機会を逸して赦罪券を買わざるにおいてはある罪の如きは永久に赦されなくなる、残る数日の売り出しの間は価格を割引するから何人も今すぐこれを買え、と勧めた時には一入(ひとしお)買い手が増したのである。
このように多くの人の心に訴えるものである以上、赦罪券の販売は決してこれを単に一個の馬鹿げ切った商売とのみ見ることはできない。然り赦罪券は確かにそれ以上の意味を持っている。赦罪券は実はある人生の大事実を具体的にあらわすシンボルである。それはどんな事実であるか。曰く「誤りたる信仰」である。まことの「たのむべき所を知らざる人の心」これである。(『藤井武全集第8巻』601〜603頁より引用)
※ 先月30日の夕方の風景です。今の「時」がどんな時か気になります。500年前のドイツの姿を眺めていますが、我が日本は室町幕府が撰銭令を発したり、蓮如が石山本願寺を創建したりしています。彼我の違いや、時代の趨勢にかかわらず、聖書が指し示す真実に改めて目が開かされる思いがします。一方、この文章の著者藤井武は、この時30歳ごろであるが、「山形県理事官の職を辞して上京し、聖書研究および福音のために専心するに至った」とあり、自身の人生航路の選択がルーテルと重なる所があると編者矢内原忠雄は述べています。
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