2024年11月5日火曜日

ルーテルの恃み(6)

空と川 秋晴れやかに 流れ行く(※1)
三 聖書本位の生活

 このようにしてルーテルは生まれかわった。彼のたましいを圧しつぶすばかりであった煩悶の重荷はすっかり取れてしまった。ちょうど家をも樹をも吹き倒さずんばやまないような大嵐が収まって、澄み渡りたる秋の空に晴れやかな日の光が輝き渡るが如くであった。今や彼のうなだれたる首はもたげられた。その顔にあったいうべからざる暗い影は消えてしまって、歓喜と感謝と希望との光がこれに代わった。彼は今や元の如くに孤独ではない。彼には恃むところがある。彼には何よりも大なる伴侶がある、イエス・キリストがそうである。またいとも親しき父がある、父よと呼んで日々その面(おも)を仰ぎこれと物言い、その御心に従っては生きつつあるのである。而して彼にこのように神を示してくれたものは何であったか。それは友人でもなかった、教師でもなかった、法王でもなかった、もちろん儀式や制度ではなかった。それは唯一の聖書であった。聖書がありたればこそ彼は救われたのである。一巻の聖書なかりせば彼の霊魂は遂に破産したであろう。しかしながら幸にして聖書は神の姿をあからさまに教えてくれるのである、イエス・キリストの生涯とその教えとにおいて神の御心は隈なく現われているのである。ここにおいてか彼にとって聖書ほど大事なものはなかった。彼の恃むところはただイエス・キリストの福音である、すなわち聖書である。ゆえにその時以後彼の生活は全く聖書本位であった。ただ聖書と親しみ、聖書を守り、聖書のために戦うの他何でもなかった。

 彼は先ず全力を注いで聖書を研究した(※2)。彼は当時行われておったラテン訳の聖書ではもちろん満足しなかった。是非とも原語で読もうと思った。彼は既に多少ギリシヤ語ヘブライ語の素養があったけれども、なお一層その研究に努めた。1508年にウイッテンベルヒ大学の哲学教授に任ぜられてエルフルトから移って来たが、その後教団の用事でローマへ派遣された時、ローマ滞在の機会を利用してユダヤ人のラビからヘブライ語を学び、またコンスタンチノーブルから避難して来た人についてギリシヤ語を勉強した。ウイッテンベルヒに帰ってから、彼は神学博士の学位を授けられて神学の教授になった。しかしながら彼の講義ぶりは他の神学の先生とは全然趣を異にした。当時の神学は聖書を抜きにしてむしろスコラ学派その他哲学に基づいておるものであった。ルーテルは全然それらの神学に価値を認めなかった。彼にとってはすべてが聖書本位である。聖書に基づかない神学は神学ではない、神学が正しいか否かはただ聖書に照らして見てわかるのである。ゆえに彼はいうた、他の先生たちは神学の博士であるけれども自分はそうではない、自分は聖書の博士になればよいのであると。従って彼はもっぱら聖書を講義した。詩篇とロマ書とガラテヤ書と、これらの講義は実に驚くべき斬新なるかつ力のあるものであった。学生は未だかつてかかる注釈を聞いたことはなかった。さながら天の黙示を受くるがごとくに感じた。ドイツ全国から学生が集まった。学生のみではない、町の人々もまたこの神の言の新しき生きたる説明を聞かんと欲して、自ら学校に籍を置いて聴講したのである。

 マルチン・ルーテルという一人の霊魂の小さき世界にかかる変化が起こって聖書本位の生活を進めている間に、教会という大なる世界には赦罪券の販売というようなことが益々盛んに行なわれつつあった。教会はもちろんルーテルの心中にそんなえらい革命のあったことなどに気が付かなかった。しかし実は面白い対照であった。この二つの世界が離れている間は無事であるが、これが相触れる時にはただで済むわけには行かなかった。ルーテルはもちろん始めから改革を企てたのでも何でもなかった。彼はまた法王が赦罪券を利用してどんな貪婪(どんらん)を働こうと、そんなことを一々干渉する気はなかった。彼はただ忠実に聖書を守った。聖書に関係なきことは彼にも関係なきことである。しかしながら事もし聖書の大事な真理に背く時には、彼は黙って見ているわけには行かなかった。赦罪券はただの商売ではない。これは馬券の売買や株の売買や富籤(とみくじ)の売買とは根本的に異なるものである。赦罪券は聖書の一番大事な教えを蹂躙するものである。罪の赦しが金によって法王によって与えられるというが如きは、ルーテルの耐え難きところである。しかもルーテルは我慢しきれるだけ我慢して見ておった。しかるにテッツエルは彼方此方を経巡りて、1516年の暮れより翌年春にかけウイッテンベルヒの近傍を行商しつつあったのである。そしてルーテル自身の教区に属する人々、いつも彼の許に来たりて信仰の告白を為す男女たちまでがこれを買って、ルーテルのところに持って来てその承認を求めるのである。火は既に彼の袂(たもと)についたのである。ここにおいて彼はもはや我慢し切れなくなった。彼は一巻の聖書に照らしてその非を訊(ただ)さざるを得なかった。その結果如何なる禍が彼の身に及ぼうと、そんなことは彼の知るところではない。彼は福音によって救われたのである、ゆえに今ただその福音を擁護するにすぎない。いわゆる九十五箇条の論題はこのようにして添付せられたのであった。(『藤井武全集第8巻』613〜615頁より引用)

※1 最近、古利根川散策はこの一角を一周することにしています。手前が「藤塚橋」、奥に「ゆりの木橋」(川の蛇行のため見通せませんが)、ちょうどこの二つの橋を渡って一周すると二キロ強です。「ゆりの木橋」の上流部にはさらに東武野田線(アーバンライン)が鉄橋を渡り、そのすぐ先に「人道橋 」があります。こちらの両橋は一周二キロ弱です。以前、セミを探しながら歩き続けたところです。
 今はもっぱらこの写真の川中の水鳥(鴨と鷺など)を見るのを楽しみにしています。川続きですから、上流部にも水鳥はいるのですが、なぜか上流部にあたる川より下流部にあたるこの川(写真)の方が数が多いのです。理由はどうも水位、水の深さにあるのではないかと考えています。上流部より下流部の方が浅く、たとえば鷺が歩くのに都合良さそうに見えるのです。あと、川の蛇行が関係しているのかも知れません。それに即応して、圧倒的な青が支配しているかに見える川には、直接は見えませんが、たくさんの魚が棲息しているはずです。その獲物に惹きつけられて水鳥たちは行動しているのではないでしょうか。夕空ではありますが、空の青を映し滔々と流れる古利根川に思わず敬意を表したくなりました。

※2 「聖書の研究」という言い回しを読んで、私は同じドイツ人であったベック兄の心を思い出します。兄は誰よりも聖書に精通しておられました(したがって聖書の研究に落ち度がない方でした)が、私たちのように「聖書読みの聖書知らず」の生活を続けてよしとしている者に向かって、「聖書は研究するものでなく、食べるものだよ」と言わんばかりによく次の聖句を示してくださったのです。
「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました」(旧約聖書 エレミヤ15章16節)

イエス様も言われました。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(新約聖書 ヨハネの福音書5章39〜40節)

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