聖書を翻訳するルーテル(※1) |
しかしながらルーテルは孤独ではなかった。彼には恃むところがあった。彼の後ろには目にこそ見えないが主イエス・キリストが立ち給うたのである。この偉大なる援軍をもって、彼は勝利を収めざるを得なかった。彼はきのうと同じ問いに対して答えていうた、「私は一つも取り消すことができません。私の頼るものは聖書であります。私は法王や宗教会議に頼ることはできません。何となれば彼らが間違いを為していることは、白日の如くに明瞭なことであるからであります。私は聖書に縛られている者であります。私の良心は神の言につながれております。私は聖書にそむき良心にそむいて取り消すことはできません」。ちょっと途切れた後に付け加えて、「これより他どうすることもできない、私はここに立つのである、おお神よ助け給え、アーメン!」(※2)。
カーライル曰う、これ近世歴史上最も重大なる時であった。英国の清教徒もフランス革命もアメリカ建国もその他欧州のよきことは皆この時生まれたのである。もしルーテルがこの答弁をしなかったら欧州は亡びておったかも知れない、」ゆえにこの時全欧が彼に嘆願しておったのである。曰く我々を亡びにやるなかれ、我々を救いに導けと。然り独り欧州のみではない、日本もまたそうである。我々の救いも彼のこの答弁によって確立せられたのである。
皇帝は遂に法王の要求にしたがって、ルーテルの保護を剥奪するという布告を発布した。二十日を経過した後には何人も如何なる方法をもってもルーテルを助けてはならない、犯す者は厳罰に処せられるのである。この世のすべての権力を代表する帝国と教会とが共に彼を棄てたのである。ここにおいてか残るところはただ帝国の官吏が彼を逮捕して焼殺の刑に処するのみであった。しかるにルーテルは突然行方をくらました。何人も彼の行方を知る者がなかった。
彼はウオルムスを去って元来た道を引き返した。旅程数日ののちアルテンスタインの城を過(よぎ)り、道はようやく曲折して木の茂れる坂道にさしかかった。一脈の渓流がその傍を走っている。突然森蔭から二人の騎士が五六人の従者を従え騎馬のまま飛び出してルーテルの馬車を引き止め、彼を一頭の馬に乗せて何処とも知らず連れて往ってしまった。これはあくまでルーテルを保護せんとするフレデリック選挙侯の心配によりワルトブルヒの城へ隠されたのである。ルーテルはここに人目を忍んで十ヶ月を過ごした。その間にも彼は無為にはくらさなかった。彼は色々のことをなしたが、中にもこの隠れ家にある間に彼の事業として最も適当なる一つの貴き仕事をなし遂げた。それはすなわち新約聖書の翻訳である。
この時までドイツ訳の聖書がなかったわけではなかった。否実は総体で十九種ばかりの訳がすでにあったのである。しかしながらこれらはいづれもラテン訳聖書からの二度訳で、文体も平民にはわかりにくく、間違いも少なからずあった。そしてまた実際平民はあまり聖書を読まなかった。これはルーテルにとっては大問題である。棄て置き難き問題である。聖書を与えずして福音を伝うるも無用である。聖書を読まずして信仰を維持することは不可能である。自分はすべての場合に聖書を唯一の恃みとしているではないか、しからばこの貴き神の賜物を平民に分けてやることは何よりも大事な急務である。彼は早くから聖書翻訳を思い立っていたであろう、しかしながら今日まで適当なる機会がなかった。今やしばらく世間と全然離れてワルトブルヒの城深く静かに研究の時を与えられた。
この時ルーテルが聖書の翻訳に着手したというほど自然的なことはない。そしてこれまた確かに神の摂理であった。彼はその聖書翻訳をなさんがためにワルトベルヒに隠されたのであるというも決して過言ではない。彼の翻訳はもちろんギリシヤ原語からであった。そして原文の精神を活き活きと伝えんがために非常なる苦心を為した。その原稿の一部が今でも残っているそうだが、それを見れば適当な訳語を発見するまでに十五回も書き直したところがあるという。ことに彼は一般の平民に分かりやすい書物にしようと苦心した。かかる苦心の結果出来たる翻訳であるから、実に見事な出来栄えであった。必ずしも文字が原文の通りであるとはいえぬが、読者を導いて直ちに原文の中心へつれて行くという点においてはどの翻訳もこれに及ぶものがない。彼の聖書翻訳はドイツ国語に一新紀元を作ったといわれるが、その宗教上における功績はほとんど無限であるといわねばならぬ。
かかる貴き仕事に従事している間にウイッテンベルヒの形勢は日々に変化しつつあった。ルーテルの精神に感激した人たちが熱心のあまり暴力に訴え、極端なる革命を実行しようとしておった。ルーテルはこれを見て非常に憂えた、これまた聖書にかなわないことである。ルーテルはローマ教会に反抗して宗教改革に着手したけれども、彼の事業は徹頭徹尾聖書本位であった。もし武器が要るというならば聖書が我が武器である。聖書を説教することによってすべて必要なる改革は成し遂げられるのである。たとい如何に貴き改革を実現するためといえども暴力によるが如きは絶対に不可である、とは彼の持論であった。
しかるにウイッテンベルヒにおいては改革派の人たちが乱暴にも教会に闖入(ちんにゅう)して画像を引き裂き、儀式を撹乱し、僧侶を侮辱し、あるいは大学を解散して学生を散乱させ、その他色々の不都合なる騒擾が日々に盛んになった。これを見てルーテルは自己の安全を護るためにいつまでも選挙侯の保護の下に隠れておることができなくなった。彼は決心した、よし我が身には何が起きるとも我はワルトブルヒを出ねばならぬと。侯は驚き恐れ、もしここを出たら所詮ウオルムスの布告による処分を免れないと警告した。ルーテルは侯宛手紙を書いていうた「私は閣下の保護よりももっと遥かに高い保護の下に移ります。閣下といえども決して私を保護しきれるものではありません。私は別に恃むところがあります。どうぞ帝国の官吏が私を捕えましてももはや決して保護してくださいますな」。(『藤井武全集18巻622〜625頁より引用)
※1 今日の図版は『改革者マルティン・ルター』(岸千年著 聖文舎1958年改定版発行)126頁に載っていたものを用いさせていただきました。少しでもその有り様を想像できるのではないでしょうか。
※2 何かこのルーテルの決心をあらわすにふさわしいみことばはないものかとあちらこちら探しましたが、中々見つかりませんでした。とりあえず以下の聖句をあげておきます。
いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。(新約聖書 使徒の働き20章22〜24節)
彼はこう言った。主、わが力。私はあなたを慕います。主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は敵から救われる。(旧約聖書 詩篇18篇1〜3節)
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