2012年3月30日金曜日

君よ! 天国を目指さないのか!

いったいだれが主とともに苦しめるのだろうか。
われわれこそ主の御前に出て、その御座のそばに座す。
忍耐する信仰こそ賞を得る。
最後まで十字架を忍び通した者が、栄光の冠を受ける。

大いに祝福された、こうこつと胸おどらせる希望よ!
それは元気を失った魂を引き上げ、
死んだ者にいのちをもたらす。
この世での戦いはやがて去り、
ついには勝利と共に上る。

あの不滅の冠を望み見て
私は今、十字架を負う。
あちこちとさまよっても、喜びを保ち、
労苦にも痛みにも、ほほえみを失わない。
私は60年の苦しみの歳月を耐え忍ぶ。
すぐに救い主が来られるのだ。
必ずや、そのしもべの涙をふき取り、
流浪の家から解放してくださる。

さあ! 元気を出して、旅を続けよう。
天にある永遠の場所に至るまで。
われわれの国籍は天にある。たとえこの地をさまよい歩いても。
ここはわれわれの住む地ではない。
われわれは他国人であり、巡礼者なのだから。

イエスの招きを聞いて、われわれはすべてを捨てた。なおも、捨てよう。
イエスのため。われらの楽しみさえも。
この世には何の未練も残さず、前へ進む。
ひたすら上にある国を目指すのである。

(『天国』所収のチャールズ・ウェスレーの詩を抜粋引用した。同書169頁、176頁、181頁より。今日、我孫子で行なわれた92歳で召された老聖徒の葬儀に出席して。)

私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。(新約聖書 ピリピ3:20〜21)

2012年3月29日木曜日

天国は御父の住みたもう所(下)


 そこには、あなたの心を押し流す悲しみの涙はない。そこには、心くずおれる悲しみはない。嘆き、落胆させるものはない。「あなたの心を天国に置きなさい」とイエスは言われた。そうすれば心安らぎ、喜びに満ちあふれるからである。「あなたの宝物を天国に置きなさい」とイエスは言われる。そうすれば、すべては晴れ渡り、光に輝く。

 天国とこの世とを離して考えてはならない。もし離して考えるなら、光はかげり、混乱が生じる。暗いものはさらに暗くなり、ついにその光は闇の中に失われる。イエスは、天国とこの世とを分けて考えるなと言われた。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)

 衣食の不安、将来への懸念などが、多くの人を打ち負かし、不安をさらに倍加させ、信仰を根こそぎ奪い去って来た。主は、こうした思い煩いや不安の原因は、天にいますわれらの父を信じないことにあると言われた。

 絶対に確かな唯一の不信仰のいやしは、ひたむきな天国の追求にある、と主は言われる。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)

 そしてイエスは、「あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」(マタイ6:32)という事実を強調して、われわれの不安を静められた。ここには、御父、その権能、その配慮などを結びつけておられるのを見ることができる。

 父の住みかである天国が、われわれの住みかでもあることで、イエスはわれわれの心を静め、われわれの心を天国に向けさせる。

 この世のことが、われわれの目を奪っているかぎりは、心はさまよい、天国を求めることはできない。イエスにとって、天国は実在の場所である。御父の場所であり、そしてホームである。

 人は地の家を求めるがいい。
 それは、炎に飲まれ、波に洗われるのだから。
 私は、はるかに勝る住みかを持った。
 天にある御座近くの邸宅を。
 地は衰え、星は落ち、
 月や日は輝きをやめ、
 森羅万象は消え失せた。
 しかし、天の家は私を迎える。       ウイリアム・ハンター

(『天国』E.M.バウンズ著いのちのことば社訳34〜35頁より引用。この本はすべての人が読むべき価値のある本である。三年ほど前に初めて読んだが、今回は二度目である。以前読んだとき不明であったものが、今は直近のものになった気がする。同書129頁にある「天国を求める生活とは、生きるためのいのちを求める生活、死とは反対の生活である」は至言である。E.M.バウンズにはこの他『祈りの戦士』『祈りによる力』『祈りの目的』などの著書が邦訳されているが、聖書自身からそのメッセージが語られているので、聖書そのものが神のことばとして私たちに伝わってくるので感謝である。)

2012年3月28日水曜日

天国は御父の住みたもう所(上)

やっと日本も暖かくなりました!

 先週の火曜日、一人の方をお見舞いした。拙い私の福音の伝達に、酸素マスク越しに「ありがとうございます」とはっきり言われた。その方が昨日午後召されたことを独り娘であるお嬢さんから知らされた。92年の御生涯であった。この機会に再び天国についてのE.M.バウンズの著書から標題についての文章を以下二日間に分けて引用させていただく。

 天国は御父の住みたもう所であり、その場所それ自体、御父の栄えに輝いている所である。父の御名とその住みかは、共に聖く、あがめられるものである。だから、天国は神のホームであるだけではなく、この世が見習うべきひな型であるということができる。

 この世は天国にその範を取る。その調和もその美も、その喜びも、すべて神のみこころへの全き服従の中からもたらされる。そして、どうすれば天国のようになるかを学ぶのである。

 ところがこの世は、今の姿に満足して、より高く、より聖くと、われわれが見習うべきところを、完全に忘れ去ろうとしている。

 そこをイエスは、今われわれのために準備しておられる。そして、その場所、その様子、規則、その美しさなどを、われわれに示し、御父の家にはどんなにすばらしいものがたくさんあるかを語られ、「あなたは神に似る者となりなさい」と言われるのである。神はあなたの父である。子は父のごとくあれ。天国は父の家である。あなたの家を父の家のごとくせよ。

 「この世は安全でない」とイエスは言われた。ここには泥棒がいる。大事にしておいても盗まれる。布を食い荒らす虫がいる。最上の絹も高価な衣服も虫で食い荒らされる。またさびが生じる。最高の宝石も純金も、貴金属も風化していく、そしてさびる。

 天国は一つの場所である。この世が一つの場所であるのと同じく、現実の場所である。しかも絶対に安全な場所である。

 そこには泥棒はいない。そこかしこの広野や町々には盗人は出没しない。衣服を食い荒らす虫はいない。その虫に衣服を食い荒らされることもなく、しみを作られることもない。宝石や貴金属もさびで腐食することもない。すべてが聖く美しいまま、光沢を保ち、いつまでも安全なのである。安全であれ! 従順であれ! この命令のなんと力強く、絶対のものとして響くことか。

自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。(新約聖書 マタイ6:20〜23)

 神の人の力強い「天国」の使信! イエスは、われわれの心が常に天国にあるようにと促される。もし一度でも天国を得た経験があるなら、そこにいつまでもおるようにしなさい。心とは魂である。生命であり人間である。安全は天国にある。あなたの価値観をそこにだけ置きなさい。あなたの心を天国に置きなさい。そこにはあなたの心を浸す涙はない。

 以上は『天国(原題Heaven-A Place, A City, A Home)』いのちのことば社訳32〜33頁の引用である。昨日の記事中のウオッチマンの父は64歳で召された。Ni Weng-hsiu had died a true child of God. とAngus Kinnearは書き留めた。お父様もこの天の御国に憩うておられることを確信する 。

2012年3月27日火曜日

神の御心のみが成り立つ

 上海のある人がウオッチマンに小型自動車フィアットをあげた。自動車は車庫にしまわれてほとんど使い古したものだったが、彼は時々長い足を折り曲げては、数人の仲間の同労者と宣教に車で走った。あるとき、マラヤから訪ねて来たフェイスフル・ルカと一緒に杭州に一人の若い同労者、ステファン・カウング(彼らは、彼の聖書教師としての賜物は将来大きく実ることに意見が一致していた人だが)の宣教を知るために車で出かけた。ステファンと彼の妻はしばらくシンガポールの働きを助けるために教会によって派遣される予定だったが、侵攻する日本軍を前にしてかろうじてそこから逃げて来ていた。
 
  神様がニー夫妻を懇ろに取り扱われる幸福なしるしもあった。ある日、二人は一人のご婦人にお茶に招待された。彼女はチャリティーに小包を手渡してびっくりさせた。開いてみると、ウオッチマンが結婚記念に贈った聖書だった。その聖書は日本軍が上陸してから家から姿を消していたものだ。これには一つの話があった。一人の中国人宣教師がアイルランドの集会で話していて、その話の途中で「もし中国語の聖書がありさえすれば、このくだりははるかにもっとはっきりと説明できるのですがね」と思わず叫んだのだ。ところが驚いたことにすぐ中国語聖書が差し出されたのだ。「どのようにしてあなたはこの聖書を手に入れたのですか」とその中国人宣教師は尋ねた。明らかになったことによると、友達の息子が租界地のイギリス軍にいたが、略奪品を得ようとして空の部屋に入って一 冊の本を取りあげたのだった。本の見返しのところに英語が読めた。「この本を読むことはあなたを罪から守る。さもなければ罪はあなたをこの本から遠ざける。」これは聖書に違いないと彼は思い、それを記念として持っていたのだ。 宣教師は献辞を見て、そこに中国語の名前があることに気づいた、それは「ウオッチマンからチャリティーへ」と認めてあった。宣教師は頼んで、すぐに返してもらう許可が与えられたのであった。
 
 ニーお母さんは、絶えず動き回っており、香港で夫とは離れて長女のクウェイ・チェン(チャン夫人)と一緒にいたり、しばらくは上海のウオッチマンとチャリティーのところに滞在したりしていた。教会の中では一人の姉妹に過ぎなかったが、家に帰ると依然として支配的な母親であった。彼女はいつも病人のために福音を伝えたり、祈ったり、専門職にある人からアヘン中毒者にいたるまでの人に証をするのであった。しかし彼女は息子を大切にし過ぎ、彼が自分で訪問に出かけるとき、誰も彼に食べ物を与えようとは思いもしないのではないだろうかと心配するのだった。このことは彼をいらいらさせたことであろうが、今にいたるまで彼は先祖や親のしつけをいさぎよく受け入れて来た。
 
 「時々私たちは間違った家庭に生まれて来たにちがいないと思うものですよ、」彼は1940年6月に仲間の同労者に話したことがある「けれども、神様は私たちが誰それの子どもとなることを決めておられたのです。主のために特別な働きをなしたヨセフは違った兄弟たちを願ったこともあったかも知れません。しかし「神は」とヨセフは言うことができたのです「私をあなたがたのいのちを守るためにあなたがたの前に遣わされたのです」と。私たちの全生涯はまさしく、単に私たちの救いの時からだけでなく、神様によってご自身の最高の目的を達成するのにふさわしく準備されているのです。サムエル、イザヤ、エレミヤ、パウロ、すべての人は必要が生ずる前に長い長い準備がなされた神の人だったのです。「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(註:ローマ9:16)
 
 1941年12月7日、土曜日、日本軍はホノルルの真珠湾を攻撃した。まるで天が上海の五百万人の人々を嘆くかのように、霧雨の降る中、翌朝8時に、日本軍はアメリカ軍、イギリス軍の黄浦江に停泊中の小型砲艦を沈めて、入港し上海の公共租界地やフランス租界地を占領した。行動は素早く完全であった。有刺鉄線のバリケードが道路を横切って投げ出され、車は徴発され、自転車が貴重品になり、バスは姿を消し、食料価格は直ちに高騰した。難民の間の死亡率が増すにあわせて、倉庫には遺体がうず高く積まれた。町で亡くなった人は誰一人として埋葬するために運び出されることはなかった。犯罪がたちまちのうちに増えたが、日本軍は構わなかった。中国人の恐ろしい報復の恐れが犯罪者を守ったのだ。
 
 1941年12月18日香港で、ウオッチマンの父は突然心臓マヒで亡くなった。ちょうど一週間前は日本軍が香港を占領した時だった。彼は64歳であった。日を置かずしてウオッチマンは現地へ出かけ葬儀の準備をすることができた。ニー・ウェング・シュー(Ni Weng-hsiu)は神様のまことのこどもとして亡くなった。

(『Against the tide』by Angus Kinnear 165〜167頁。今日のところで第13章Heydayは終わった。今日の火曜の学びはネットで参加した。重田さんは1テサロニケ5:16〜18を語られた。「いつも喜んでいなさい」「絶えず祈りなさい」「すべての事について感謝しなさい」いったいそんな事が人にできるのであろうか、と多くの人は思われることだろう。しかし、偶像の神でなく、全知全能の主に祈る私たちはそのことが可能である、と語られた。ウオッチマンの今日の記事もまたやはり重田さんのメッセージと全く同じである。一方今日の証者は私と郷里が同じ方で、主にある愛をとおして昨年末から交わりをいただいた方だった。そしてこの方の背後にも主の大いなるご計画があったこと、これからもあることを感じることができた。)

2012年3月26日月曜日

主の働きを喜んでし続けるために・・・

 事実、霊的な無気力は決して「小さな群れ」の特質ではなかった。もしいくつかのグループ、すなわち恵みのうちに成長することに夢中になっているグループが聖書の学びを最初の課題としたのなら、ほとんどのグループが福音伝道の証と奉仕において実に生き生きとしてくるのだった。彼らもまた改宗者に工夫しながら関わり続け、その証と奉仕を貫いた。ウオッチマンは今度は一連の救いの基礎に関する文書を書いた。フーチョウの「福音シャツ」までが町や村の証の特徴として続いていた。そしてウェン・テー・リで広い地域の子供たちの日曜学校の働きが、ホールに収容できる余地がなかったので、大部分はそれぞれの家庭で気づかれないうちに続けられた。ウオッチマンのすぐれた福音文書はすでに話題になっていた。良く書かれ、色鮮やかであったので、彼らはそれらの文書の配布とそれによる話し合いを勧めた。
 
  キリスト教書店はレジや陳列台に福音文書を常時用意し、訪問客が来ても長期セールスのガラス製のカウンターの真ん中に見やすいように置いた。ウオッチマンが信者に対して、人々に罪人の友であるお方(註:イエス・キリスト)をどのように紹介するかに関して書いた明確な勧めは、彼自身が絶えず経験している例がもとになっていた。と言うのは、神が教会に数人を福音伝道者になるようにしたとしても、テモテに対して「福音伝道の働きをなす」ようにと勧めた(註:パウロの)勧告 を、ウオッチマンはすべてに結びつけて考えていたからである。
 
 少なくとも一日に一人の人に証をというのが彼の決まりであった。だから彼は12軒の路地のうちで一人のお手伝いさんが信じたとき、右側の家のお手伝いさんに働きかける決断を知って喜んだ。彼女は次々と働きかけ、その話がウオッチマンの耳に入る頃までには6人のお手伝いさんが救い主であるお方(註:イエス・キリスト)を見出していたのだ。
 
 しかし、こういうことは上海の教会の最も素晴らしい年月のうちにあって、納得づくの上であったことにも関わらず、その証は驚くべき批判の嵐に直面し続けた。批判者たちはホールのレイアウトや活動の性格が非常に融通の利くものであったので、不規則だと非難した。また特別な集会が説教者の心の重荷となり、はっきりと固定した期間でなかった時、突然延期されることがよくあったこともその理由であった。
 
 別の観点からウオッチマンの考え方に攻撃がなされた。一人の尊敬されている宣教師が「今日中国のかなり多くの人が新約聖書の信仰にもどるように教える教師また指導者としてのニー氏になびいている」ことを知ったので、彼の「重大な誤り」を攻撃する文書を発行する必要を感じた。それは、彼の先駆的な働き人は「使徒」ということばを侵害するものであり、彼には 「たくさんの弟子を引き離して、自分のあとに引き連れている」という罪があるとするものであった。そして内情を知っているとする一人の中国人がウオッチマ ンが自らの働きを支えるために外国資金の確かな流入に手を染めてきたと断言し、それら資金を用いている彼の品位を攻撃することまでも書くパンフレットを発行した。
 
 指導者としての偉業は以下の格言を思い起こさせる以外の何ものでもないように見えた。「他者のかしらを越えてかしらをもたげる者は遅かれ早かれ首を切られるであろう」(引用者註:日本の諺では「出る杭は打たれる」か)あるいはもっと適切な聖書の用語によるなら、「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(註:新約聖書2テモテ3:12)
 
 ウオッチマンの宣教団に関する私的な評価において上位を占めていたのはクリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンスであった。しばらく彼はその宣教団の一人と非常に親しい間柄にあった。とは言え、彼が自分と自分の働きを不公正だと感じるような具合に批判している記事を雑誌に載せていることを知りがっかりした。しかし彼は自己防衛に関して自身の考えを持っていた。「もし私が自分を正しいことを明らかにするなら、私の兄弟が間違っていることが明らかにされるでしょう。けれども私にとって益になることは私の兄弟が間違っていることが明らかにされることなのでしょうか」
 
 もっと大切なことは彼が私たち主にある兄弟に対してなすことは私たちに対する主のお取り扱いの実践方式に則るということを強く知っていたことだ。もし私たちがあわれみ深いなら、主があわれみ深いのだ。この理由のために彼は自らの感情を押し殺し、説教を退き、数週間チーフーからこっそり姿を消した。そこで一人の友は彼が鬱のどん底にいるのを知り、彼の心が自由にされる必要性を感じ取り、彼に強く勧めた。「君は主を賛美しようとしているの?」と。彼は「うん、そうする」と言うなり、テニスコートに出かけて行って、大きく息を吸って、あらん限りの力を尽して「ハレルヤ」と咆哮した。この処方箋は機能し、彼は間もなくもう一度講壇に戻った。
 
(『Against the tide』 by Angus Kinnear 163〜165頁より引用。霊的指導者に対する攻撃がどれだけ激しいものか、いつの時代にも言えることを改めて知らされる思いである。しかし、その時でも主の御愛は変わらないことを覚えたいものだ。)
 
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。(新約聖書 ルカ6:36)


2012年3月24日土曜日

人の一生

足利織姫山麓の紅梅、白梅

 久しぶりに足利に出かけた。家を出た時は少し雨が残っていたが、着いた頃は空は青く何となく心が弾んだ。一本の電話でにわかに足利行きを決めた。日赤に知人のお父様が緊急入院され、予断を許さない、とお聞きしたからだ。

 私にとって足利は第二の故郷となる土地であった。それほど馴染みのある土地をいとも簡単に跡にしてしまった。30代初めの決断であった。日赤は私にとっては知ったる病院。交通事故で最初に行った病院であるし、簡単な手術も受けた病院である。 足利市駅から歩いて20分ほどのところだ。久しぶりに渡良瀬川の橋桁を歩きながら、道を急ぐが、改めてこの川の大きさに目を見張る。今住んでいる町にはこんな川はない。川だけでなく、町に迫る山並みも美しい。こんなに素敵なところを良くも跡にしたものだと今にして思う。

 さらに通りを過ぎると、長男を出産した病院が昔ながらにあった。道路沿いに記してある町名や家々の軒先の表札を見るとはなしに見ていると、路地から卒業生がひょっこり姿を表しそうな錯覚にさえ陥る。鑁阿寺を右手に見ながら、目的地まであとわずかだと歩を進める。高台にカトリック教会と赤十字病院が見えた。もうあとわずかだ。お父様とも会えると祈り心で近づいた。ところが、病院はガランとしており、柵が設けられ、容易に入れそうにない。そのうちに「6月から五十部町に移転」という看板が目に入った。

 土地勘があると、大見得を切って家を出たのはいいが、肝心の病院が移転してしまっていたのだ。 方角も違う。もちろん五十部町がどこかは知っている。遠いのでタクシーを拾おうとするが、駄目。バスもないので、結局それからまた3、40分ほど歩かざるを得なかった。その道路は通勤で自転車を走らせたので勝手知ったる場所ではあるが、そんなに遠かったとは思いもしなかった。これまた随所に思い出がある。そんなこんなで気を紛らせながら、長い道のりを歩く。結局予定より一時間ほど時間を費やしてやっと病院に着くことができた。

 立派な病院である。お父様はその三階のICUに入っておられた。 ところが、ナースステーションでは家族でないと面会はできないと言われた。たまたまご家族に連絡しないで急遽思いついて出かけたのでそれもやむを得ないが、責めてお父様にお会いしたいと思い、お願いしたところ幸い許可してくださった。お父様は機械を装填されていて、意識もなさそうなご様子であったが、話しかけさせてもらい、お祈りして辞去した。当方に不安がなかったわけではない。しかし、耳は開いている、とよく聞かされているので、主に頼りながらさせていただいた。ただ心なしかお元気に見えた。

 この間、わずか10分足らずだったが、人の一生の大切さを改めて思わされた。

あなたが人を押し流すと、彼らは眠りにおちます。主よ、あなたは代々にわたって私たちの住まいです。山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。(旧約 詩篇90:5、1〜2)

福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられている。(コロサイ1:23)

2012年3月23日金曜日

宣教における人間関係の実際

チャリティーはいつも出席し、もの静かで控え目で人々の群れからは少し離れているのを好んだが、夫がなすことを全面的に支持していた。彼女の姉のフェイス(バオ夫人)は他の女性の働き人のように、もっと積極的に個人的な相談に応じた。ウオッチマンの二番目の姉クェイ・チェン(リン夫人)もそうだった。彼女は町の別の責任から抜け出ることができる時は裏方にまわって姉妹たちの必要を手助けした。そして大柄で、元気のいい頼りがいのあるピース・ウワング、小柄で鳥のように素早く、賢く大変思いやりのあるルツ・リーもまたいつも出しゃばらないでいた。

 1940年の春にウオッチマンは集会で「神様のご自分の民に対するお取り扱い」という題でアブラハム・イサク・ヤコブに関する一連の実践的な学びをした。それは後の部門で特別話するものとなった。ヨーロッパから戻り、彼はまた教会に関する説教に、もっと「霊的」なあるいは奥義的な注釈を与えた。「教会、勝利者、そして神の永遠の目的」は彼の最初の修養会での演目であったが、これらは続いて信者や仲間の同労者にとっての「教会、からだ、そして奥義」に関する拡大した学びのコースとなった。ウイットネス・リーはこれらに出席して、霊的に盛況なチーフーの集会に戻り大変強められた。ウオッチマンは修養会を継続するために合衆国での聖書訓練のための魅力ある招待をきっぱり断った。

 この霊的な強調は、ニーの完全な特徴ではなかったが、無意識のうちに献身している婦人宣教師たちの間の好みを満たした。彼女らは西欧からやってきて彼と再び結びつきを持ち、今や上海の様々なつながりのある他の人々とともに外国人の共鳴者という大きくなっていく(教会の)からだの一員となった。何人かの者はもうすでに宣教団をやめ、ニーの働きに献身した。婦人宣教師の間では無言のうちに他の人々も彼らのあとに続くようにという期待があった。

 1938年にもどれば、ロンドンでW.H.アルディスはニーに表明していた。それは 「あなたが上海に戻れば、あなたやあなたと一緒である人々とC.I.Mとの間で、奉仕においてもっと多くのまたもっと緊密な交わりが可能かもしれないという真摯な希望」の表明であった。この希望は特定の地方の場合に実現されたかもしれないが、規模が大きくなれば、失望させられることになったというのはほとんど驚くに当らない。C.I.Mの現場の理事たちや他の宣教団体はニーの働きを注意をもって見続けていた。とは言え、この働きに対する主な見方は、依然として主の働きの場における、改宗者の羊どろぼうとして、ニーがイメージされていたことに恐らくあったのであろう。

 宣教師の中で、ソーントン・スターン博士はのちに教会の長老として中国人教会に参加するためにすでに招かれていたが、彼を除けば不幸なことにウェン・ テー・リ(Wen Teh Li)と関係する一人の外国人もいなかった。これは重大な欠陥であった。というのは、数人の婦人たちはニーを神の人のように優れた人だとおべっかを使うことに夢中になっていたのが疑いなかったからである。彼女らにとってはハードン・ロード(Hardoon Road)の教会が上海のキリストのからだの最高の現われであるというだけではなかった。彼女らが神の御心は彼にあるとした中国のただ一人の人が「私たちの兄弟」(引用者註:ウオッチマン・ニーのことであろう)であったのだ。

 彼女らは神の子どもたちを支配するという神の永遠の目的の「新しい教え」に夢中になり、未信者の救いだけを考えるのはこの目的から逸脱することだと考えて万事を判断した。奉仕と証、祈りと静思の時はこういう言い回しの中では容易に「生まれながらの人間の訓練」にすぎないとされる可能性があった。この素晴らしいキリストのからだの啓示が求めたものは長い試みによってその生まれながらの人間が破産することであった。そう、「静かに座せ、そして神にすべてをまかせよ。」だ。

 このような行き過ぎが、数人の人々が宣教団を離れ、何もしないでハードン・ロードに留まっているという疑いを支持するのに役立った。このうちにある真理の要素がたとえどんなものであっても、与えられる印象は、無気力になり、動かず、「御霊から離れて」行動しないようにしようとする恐れだった。キリストに対する目に見える活動は、より高度なものと考えられるものの支持のため、軽蔑され放棄されるようだった。

 そのような証言に基づいて、ニーの外国人に対する影響は役立たなかったという見方が表明されて来たが、そのことはむしろ求められたことであったのかもしれない。こういうことの幾つかの結果がウオッチマンに関する疑問を明らかにすることでなかっただろうか。確かに西欧の人々が入って来て直面した一つの点で、ウオッチマンはスターン家の人々に彼がこういう宣教団体の「脱退者」の中の数人を恐れていることを打ち明け、ソーントンと彼らのために分離した集会を持つことについて議論さえした。

 そして1941年に二人の理想主義者ではあるが、大事なことを知らない若い宣教師たち、彼らはウオッチマンの働きに向こう見ずにもしがみつくために不十分な根拠に立ち、がんばっていたのだが、ウオッチマンの次の助言は心理的にみてふさわしいものだった。「あなたがたはかなり不安な時を経験して来た。良い休暇が必要だ。浜に出かけて、子供たちを見つけて、取っ組み合いをしてごらんなさいよ」ーそれは時宜にかなった上でも、また急激な治療という点においても、どちらにあっても明らかな処方箋となった。

 こういうものの中の一つの慎重な結論は恐らく正しいものであろう。つまり、ハードン・ロードが中国に対して代表していたものは外国のひもつきでないキリスト教であったので、いくつかの注目すべき例外を備える外国人たちが、こういう事情(引用者註:外国のひもつきにならないと言う宣教)にはふさわしくないとするのは議論の余地があったということであ る。しばしば宣教地で「地方教会」の証を評価していたこれらの宣教師たちは、主の働きをし、自らもっとも素晴らしい奉仕をした。それは彼ら自身が宣教地にとどまるのは、たとえ増し加わる苦痛があったとしても、それを乗り越えてささげる祈りと同時に身を低くすることによるのであった。

(『Against the tide』by Angus Kinnear161~163頁より。今日の箇所はかなり翻訳の難しいところであった。当時の事情はわからず、Angus Kinnear というイギリスの宣教師がウオッチマンをどう見ていたかとも関係するところである。 Angus Kinnear はオースティン・スパークスの娘婿であるはずだから、ウオッチマン・ニーが信頼していたオースティン・スパークスからの話も聞いていたことであろう。小石とも言うべき単語伝いに全貌がひとつづつ明らかにされるのが翻訳の妙味であるが、私自身の理解が不十分なところがあるのでとんでもない誤訳になっている恐れは多分にある。諒とされたい。)

まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです。私は老人よりもわきまえがあります。それは、私があなたの戒めを守っているからです。(旧約聖書 詩篇119:24、99〜100)

2012年3月22日木曜日

わからなくても、主よ、あなたを愛させてください!

 1
キリストがたとえ千回、      ベツレヘムに生まれたとしても、
もし主が心の中に生きなければ、  救いの恵みはない。
ゴルゴダの十字架が、       あなたを救うのではない、
内側の十字架が、         あなたをいやすのである。
(復)
おお、キリストの十字架、     あなたを心の中に受け入れる、
自己の支配から出て、       わたしを完全に神の命で生きさせたまえ。


人よ!あなたが何かを愛するなら、 あなたの慕うそのものに似てくる、
もしちりを愛するなら、ちりに、  もし主を愛するなら、主に似る。
自己が出て行けば、神が入り、   自己に死ぬなら、神が生きてくださる、
あなたがなければ、キリストがあり、何もなければ、万物を得ている。


もし神を認識しようとするなら、  「愛」こそ最短の道である、
もし知恵を使わなければ、     回り道しなくてすむ。
もし自分のためでなく、      何の利益も求めないなら、
あなたの霊は神の愛で満たされ、  あなたは神の聖なる心となる。

(『ウオッチマン・ニー全集第23巻』230頁から引用 。詩は私の心を浄化する。キリスト者の詩は私に生きる希望のよすがを与える。ちりに等しき罪人にすぎない私が主なる神を心から愛する者と変えられ、神の御性質にあずかる者と造り変えられるからだ。)

人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。(新約聖書 1コリント8:2〜3)

2012年3月21日水曜日

自分自身に、よく気をつけなさい

 人が人を導くことは至難の業で、それは人間には不可能である。「説教」というものがある。「説教」は聞く人にそうなって欲しいと思って語るものである。また、「説教」を聞く人も自分が今の自分でなく、もっと成長したいと考えて「説教」を聞く。しかしそんなことが果たして可能なのだろうか。不可能なことをなそうとしている「説教」の機微について書いた以下の文章を紹介する。題して「あなたの経験の水準」(『真理のための戦い』オズワルド・スミス著 松代幸太郎訳1960年初版58〜60頁より引用)である。

 ここに偉大な教訓があります。ほんの少数の人々しか知らない教訓です。あなたは、他の人々を、あなたのする説教の水準にまで高めることはできません。あなたの教える水準にまで高めることもできないのです。あなたはただ彼らを、あなた自身の霊的経験の水準にまで高め得るだけです。(※引用者註「霊的経験」とは人と神との間柄のことを指すと一先ず考える)彼らはあなたのようになるのです。
 
 それゆえあなた自身が深い霊的経験に達し、かつそれを維持 することが重要となります。りっぱな説教をする多くの牧師は、なぜ会衆がその説教の水準にまで向上しないだろうかとふしぎに思っています。しかしそれは絶対不可能なことです。牧師のように、会衆はなるのです。牧師は人々を彼の経験の水準までは引き上げることができます。しかし、彼の説教の水準までは引き上 げることができないのです。

 もしあなたが霊的な結果を望むならば、あなた自身がまず霊的にならなければなりません。(※引用者註「霊的になる」とは「神に信頼する」と読むことができないだろうか)あなたは深い真理を説教し、あるいは教えることができるかもしれません。しかし、あなたの生活があなたの言うところと一致していないならば、あなたの説教を聞いた人々の生活があなたの説教によって少しも変化しないことを見いだすでしょう。重要なのは、あなたがどのような状態にあるかということです。

 神の御命令は不変です。あなたのかわいがっている犬は、決してあなたの子供に変わることはありません。どんなにあなたがその犬を教育しても、犬は犬であり、 いつまでたっても犬なのです。果物は常に果物を生み出すのであり、それ以外のものを生み出すことはありません。「肉から生まれる者は肉である」のです。

  換言すれば、肉欲から生まれるものは肉欲です。この世的なものから生まれるものはこの世的なものです。霊的なものから生まれるものは霊的なものなのです。 あなたのうちにある霊的なものは、他の人々の中に霊的なものを生み出します。それゆえ、パウロがテモテに向かって「自分のことに気をつけなさい」と言ったのも、驚くにあたらないことです。

 このことは、説教の最も重要な要素は、説教をする人にあることを意味しています。講壇への最善の準備は、神とともなる経験です。単なる神学者は説教者としては落第です。クリスチャンとしての経験を阻害するものは、すべて彼の説教の効力をも減殺するのです。人格こそ最も重要な要素です。論理でなく生活がたいせつなのです。経験があって教理のないのは、教理があって経験のないのにまさります。人は説教の準備をするだけでなく、自分自身をそれにふさわしいように備えなければならないのです。どのような人であるかということ が、彼の説教の力を決定するのです。

 敬虔な生活によって生み出された説教は、ほとんど抵抗することのできない力を持っています。説教者の権威は見えざるキリストから来るのであり、彼の力は聖霊から来るのです。説教者は、見えざる世界に親しんでいる人であると見られるような生活をしなければなりません。彼の生活は、キリストとの交わりの結果として、純潔であり、強靭でなければなりません。なぜなら、その時はじめて彼は、特別の力をもって語ることができるからです。

 重要なのは、彼が何を語るかではなく、彼がどのような経験をしているかということです。彼はたえず神の御前に出て、霊的な生活を送っていなければなりません。

 読めば読むほど含蓄のあることばの文章である。結局彼が言っているように、説教の力は見えざる神から来るものでしかないことがわかる。

自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。(新約聖書 1テモテ4:16)

2012年3月20日火曜日

愛は恐れを締め出す

突然、大陸から送られた一本の悲しむべき電報がこの町にも伝えられて、多くの人々の興奮の焦点となった。当時アフリカはまだ余り人に知られていない広漠たる神秘境であって、奴隷と異教との恐怖に襲われていた、ところがその未開の大陸を踏破して、多くの湖や河または土人たちの隠れた秘密を徐々に見出していた人があった。それは実に世界の英雄中の英雄であったスコットランド人リビングストンであった。この時までにも彼は、幾度かアフリカ蛮地深く分け入って、全く消息が失われたこともあったが、このたびの飛電は彼が蛮地の小屋で未明に祈りながら独りさびしい死を遂げたという知らせであった。この報知に接した町の人々は、互いに、今はどんなになることでしょう、誰があの偉大なる開拓者の事業をついであわれな土人たちを救うであろうかという噂に満たされていた。そうした神の召命に多くの人の心が躍動させられつつあったのであるが、中にもメリー・スレッサーは一大決心を与えられて、お母さまの前に出たのであった。

 「お母さん、私は宣教師として献身したいと思います。どうか心配しないで下さい、その代わり私は、月給の内を割いて、お母さんのもとに仕送りをいたします。そして妹のスザンとジェニーとが儲けてくるお金と合わせて、きっとお母さんが幸福に過ごせるようにします」

 その時の母の殊勝な答えは、

 「メリーよ、私は喜んであなたを行かせます。どうか立派な宣教師になって下さい、神さまはきっとあなたをお守りくださいますよ」

 という一言であった。

 二三の彼女の友達は彼女のそうした決心を怪しんだ。彼らはメリーが特別に勇敢な婦人というわけでもないということをよく知っていた。いいえ、彼女の臆病なことは彼らの間のからかいの道具となっていた程であったのです。

 「まあ、メリーさんが? あの人ったら、犬でさえおっかない癖に! あの人は町中で、向こうから来る犬を見つけでもしようものなら、たちまちに路地か物陰に身を隠して、その犬が通り抜けるまで出て来ることが出来ない程の臆病者なのよ」

 と彼らは話し合った。たしかに彼女はそれにちがいなかった。けれども彼らは、愛はすべての恐れを除くということを忘れていたのであった。

 彼女は自分が送ったエジンバラ市の合同長老教会外国伝道局宛の志願書に対して返事の来るのを、恐れとおののきをもって待っていた。吉報いかにと一日千秋の思いで待っていたその返事が彼女の手に届いた時に、彼女はお母さんのもとに飛んで行って、

 「私、受け入れられましたよ。嬉しい! 私はいよいよ宣教師となってカラバーに参ります」

 と言いながら、嬉し泣きに泣きくずれたのであった。

 長い年月の間、工場の壁の中で働いて、機で織物を一生懸命に織りながら、忍耐して待っていた彼女は、今やアフリカの最も未開な蛮地と言われている所に行き、蛮人の命を新しく美しい模様に織り込もうとしていたのであった。

(『命がけ メリー・スレッサー 原題  Calabar Mission Field in 1875 When Miss Slessor Arrived』W.P.リビングストン著森溪川訳1971年35〜37頁より引用。)

愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。(新約聖書 1ヨハネ4:7、18)

2012年3月16日金曜日

吉本隆明氏

 吉本隆明氏が亡くなった。たまたま昼間病院に行っていて、そこで訃報に接した。テレビでは何人かの方がインタビューを受けていたが、梅原猛氏は「彼の思想の営みは孤立したものだった」という意味のことを語ったようにテロップで見た。私もご多分に漏れず吉本シンパであった時期がある。相当長く吉本氏の作品は所持していたので何冊かは残っているものと家に帰って早速探してみたが一冊も手許になかった。
 
 大学時代、学園祭に吉本氏を招待した時は、私たち一部の学生は興奮した。その時、どんな話をされたか思い出すことができない。ただ質疑応答があり、何人かの者が質問したが、その時、 私もその内の一人だったが、極めて場違いの質問をした。それは今でも覚えているが「あなたはそのように思想を売文として生きられるが、私たちはそのように生きられない。思想を問題にするより、生きることに精一杯であろう。あなたはそれに対してどう思われますか」という質問だった。
 
  他のものは思想の先鋭性を問題にしてもっと高尚な質問であったが、私のは極めて幼稚であった。果たせるかな、吉本氏は、私に、真っ直ぐ答えてくれた。「いやー私だって不安ですよ。何らあなたと変わらないですよ」と答えてくれたように思う。私にとってこの彼の答えは十分であった。それ以後、吉本氏の作品は私にとって身近な存在になった。作品のなかに肉声をつかみとれるようになったからである。「丸山眞男論」は良くぞ言ってくれたりという思いがしたのを覚えている。今の私の立場から言うと「マチウ書試論」が思考の対象になりそうなのだが、これは聖書の入門書にはならない彼の構築した「彼」の世界にすぎないと思う。
 
 まだ夕刊の評伝を見ていないので私個人の思いを書き連ねたが、このような一介の場末の人間にも影響を与えたという点では「よしもとりゅうめい」は忘れられない人物の一人かもしれない。テレビは意識してか意識せずしてかどちらかわからないが、今日発売されたipadに若者たちを中心として人々が熱狂しているニュースに移った。ひょっとしてあの遅れてやってきた私の青春時代に朝から晩まで「りゅうめい」さんの書き物に引き寄せられていたのも、あの時代の流れだったのかと思わされた。私たちの時代の「りゅうめい」さんはその後、様々に変質して行って私にはつまらなくなってしまったのは事実だが、彼が真面目に私の問いに答えてくれたあの誠実さは忘れることができない。

貧しくても、誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさる。銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。(旧約 箴言19:1、17:3)

2012年3月15日木曜日

みことばという食べ物を求めて

 ウェン・テー・リーでの聖書教育は依然として不備な建物でかなり制約されていた。集会の年配の一人の姉妹が土地つきの建物を時価のわずか40パーセントで提供すると申し出て、一同に望みが沸き起こったが、彼女はその建物の開発が取るべき形態を指図することを強く願った。それに対して兄弟たちが彼女に神ご自身が神に与えられる賜物を最善の使用へと導いて下さらなければならないのだと指摘したところ、その申し出は引き下げられた。その代わりに古い骨組みの建物の二階が事務所として改造され、さらに宿泊施設が路地に見つけ出された。階下に三つの区画に分けている(のちには五つの区画に拡張されるのだが)沢山の木の柱がきっちり収容できる集会のためにと、一階区域に様々な改作を余儀なくされた。ホールは暖房がなく、床は歩くたびにギシギシと不快な音を立てた。

 レナ・クラーク、彼らの間で7年間過ごしたことのあるこの人は1940年の光景を次のように述べている。

 日曜日の朝には大勢の人が9時半には粛然とみことばの取り継ぎを聞きに集まり、縦の長さよりは横幅の広いホールの片側に婦人たちが座り、もう一方の側には男性たちが陣取っている。背もたれのないベンチに全員が空きを最大限使用するためにと、できるだけ密着して座らなければならない。三面の建物の外側にはもっと多くの人が窓や二重扉に座ったり、拡声器に耳を傾ける。二階はあふれてさえいる。

 貧しい人はもちろんのこと、教養のある人や金持ちもいる。博士たちが労働者たちと入り交じり、弁護士や教師たちが人力車夫や料理人たちと混じり合っている。質素な形をした姉妹たちの間には少なからざる今風の婦人や少女がお洒落な髪型や化粧をし、短い袖を出 し、絹織物の大胆なスリット入りの支那服に身をやつした人もいる。子どもたちが走り回り、犬がうろつき、行商人が路地に入って来、外では車が道路でガンガン音を立てる。拡声装置は危なっかなしい状態だった。

 けれども日曜毎に十字架のことばが忠実に宣べ伝えられる。罪と救い、キリストにある新しいいのち、そして神の永遠の目的、奉仕、霊的な戦いーすべてが解き明かされ、何も隠されるものはない。人々はもっとも強力な食べ物ともっとも真っ直ぐな挑戦を与えられている。

 ウオッチマンが説教に(帰国して)復帰すると熱心な多くの人たちが彼のすべての話に夢中になった。彼が、濃紺の綿製のガウンに身を堅めて講壇に立つと、人々は彼の落ち着いた物腰、簡潔ではあるが、完全な推論や適切な比喩に引きつけられた。誰も彼がいかなるノートを用いているのを見たことがなかった。と言うのも、彼は読んだことはどんなことでも覚えており、もう一度再現できたからである。要点を視覚的に説明するために、彼はよく空中に素早く空想上のスケッチを描いたりしたものだ(のちに一人の若い同労者がポスターに再現したように)。そしてもし何かの要点を啓発するために個人的な逸話を語る場合はほとんどつねに自分自身に不利な話であった。彼の鋭いユーモアの感覚はしばしばホール全体に笑いをさざ波のように起こした。それで「集会中は眠れるどころでなかった」しかし最初から終りまで彼は決して主題からそれなかった。「肝心なことは」これが彼の口癖だったが「明らかにされることばの有効性である」とし、終りには間違いなく、聴衆の心に明確で深い印象を残したのであった。

(『Against the tide』by Angus Kinnear 159~161頁より。この記事を読むと、以前読んだムーディーの伝道集会の光景が彷彿として来た。一方昨日の家庭集会もほぼこの状態であることを思わされた。やはり足の踏み場もない、座れるところに座り、とにかくみことばに耳を傾けると言うものであったからである。昼はルカ1:5〜25、1:57〜80、夜はコロサイ2:9〜10の引用聖句であった。)

数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。(新約聖書 マルコ2:1〜3)

2012年3月13日火曜日

「国家」と主の御心

 ウオッチマンがいない間にほんのしばらく兄弟間に仲違いが生じたが、説教の間隙はジョン・チャング、それにとりわけ眼科医であったC.H.ユー博士によって埋められた。ユー博士は背丈は小さく、繊細で上品な物腰の態度だったが、音楽好きでもあり、時々歌い手に加わってバイオリンを奏でたりもした。話し手として彼は末頼もしい素質を現わした。彼は主を愛しており、主のみことばに敏感な人であった。

 1939年9月の第一日曜の朝に、ウオッチマンは教会にヨーロッパの緊張状態のために祈ることを要請した。数名の兄弟たちがその集会を導く上でウオッチマンと一緒に行動することを求め、彼は「教会を彼と一緒に神様のご臨在のもとへと歩を進めさせた」。彼の主張はこの危機においては主の御意志以外の何ものもなされるはずがないというものだった。かなり多くの人が参加した、この非常に印象深く過ごした時の終りに「主なる神様、あなたはあなたの教会が祈らなかったとは決しておっしゃらないでしょう」という祈りのことばで締めくくった。

 月曜の祈り会と日曜の夕べのパン裂きの両者が今や町の数軒の家庭で分けて持たれ、 信者たちは神様が日本の居留地に向けての侵略を抑えてくださるようにと強い執り成しの祈りを始めた。そのために、ウオッチマンは彼らの考えが明確になるのを手助けするために、1940年の初頭には「中国人(あるいはイギリス人またはアメリカ人)に対してではなく、キリストにある男性や婦人へ」という、神様は世の統治を用いられるというテーマで話をした。ペルシャのクロス王からスペインの無敵艦隊にいたるまでの幅広い範囲で、彼は神様による世俗の歴史の整序がどのようにしてご自身の民と本質的に関係しているかを示した。

 「だから、私たちは祈り方を知らねばなりません。イギリスとドイツ、中国と日本のキリスト者が一緒に膝をかがめて祈り、全員が求められていることにアーメンと言うことができなければなりません。もし可能でないなら、私たちの祈りに何か間違いがあるのです。私たちは神様に日本がどんな態度を神様に取っているかを思い出させるようにするでしょうが、私たちもまた中国のキリスト者や宣教団体のうちに(この世の)国家とはるかに親密関係を持っていることを思い出していただかねばなりません。先の欧州戦争において神様の御名が汚された祈りがたくさんありました。私たちは同じ過ちをしないようにしましょう。教会は国家問題の上に立ち、『私たちは中国の勝利を求めているのでもなく、また日本の勝利を求めているのでもありません。たとえどんなことであっても、あなたにとって大切な一事やあなたの御子の証の益になることを求めているのです』 と言わねばなりません。そのような祈りは決して空しい言葉ではありません。もし全教会がこのように祈るなら、戦争はすぐ神の方法で解決するでしょう」

(『Against the tide』by Angus Kinnear第13章「Heyday」158〜159頁より。今日の箇所を通してウオッチマンが日本との戦争の中で中国人キリスト者として何を考え、どのように行動しようとしたかを知ることができる。
 今日も火曜の学びに出させていただいたが、「もし政治家が聖書のことばがとこしえにかわらない絶対的真理だと認め、それに従おうとすれば、この世界の問題はいっぺんに解決されるのに」と言われた。ウオッチマンの上記の行動と一脈相通ずるものを感じた。学びにおいて、肝心要〈かんじんかなめ〉なこととは、先ず私が神に対して叛く罪人であり、神の前に失われた者であることをはっきり認め、そこからの救いが聖書には約束されていることをつねに知り続けることだと教えられた。次回ご紹介するウオッチマンの行動とも関係することだ。今日の学びの引用聖句のひとつを下に掲げさせていただく。)

みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります。(旧約聖書 詩篇119:160)

2012年3月12日月曜日

Father is God !

 ウオッチマンは予定より6年早く事が進んだので、そろそろ合衆国を経て帰国の旅につく予定であった。ところが大使館で調べたところ、太平洋の港には日本国がヨーロッパからもどってくる特定の中国人を拘束する手段として強制的な予防接種をしているとほのめかされた。そこで彼は何と言っても英国船で黄浦江までの全航程をとる方が賢明であろうと決心した。ボンベイ、コロンボ経由の旅はインドで非常に短期間の立ち寄りはあったが、7月には上海に戻り、何よりも(妻の)チャリティーを安心させた。彼女は欧州で今にも戦争が始まりそうで夫の無事をずっと心配していたからである。二人は再会を喜んだ。 数ヶ月して、ウオッチマンは新婚のカップルにむかって「結婚とは履き慣れた靴のようなものだ、時が経てば経つほど、ますます履き心地がよくなるよ」と話した。

 彼は昔の自身の面影はあるが、外国の占領の惨めさを受け陽気な生活がすっかり鳴りを潜め、かつての繁栄した貿易も戦争の圧迫で息の根をとめられている町に辿り着いたのであった。呉淞江を横断する荒廃した地帯から疫病が外国の租借地へと広がっていた。こういうところは英国、フラ ンス、アメリカの軍艦の存在で依然として開港が維持されていたが、今や困窮せる難民が一杯であった。ウオッチマンは古びれた正服をまとい、型の崩れた帽子をかぶり各家々を出入りするたびに、広まっている難儀よりも一層悲惨である無感覚にさせられている魂に出会った。なぜなら紛争が現存する中で、恥知らずの自己追求やご都合主義が優勢になっていたからである。それは信者でさえ影響を与えずにはおかないもののように見えた。

   「私は多くの人がもうすでに自らを守るためにと称して心を頑にしていることに気づいた」と彼は友人への手紙で言った。「そして数人の人はまわりの人々の苦しみがどんなものであろうとも無感覚になり、相も変わらず主をほめあげている。私自身はどうかと言うと、まわりの人々の抱えているどんな小さなことも同情すると告白せねばなるまい。私は御国への地歩を得て、主にしっかりすがるのみだ。私たちのまわりに起こっていることはたとえ人がどんなに様々な心を備えていても、どの人をも駄目にしてしまうには十分である。しかし私の父は神である!私は今日ほど『神』ということばを愛するために学んだことはなかった。ああ神よ!」

(『Against the tide』第13章Heyday 157~158頁より。昨日は震災一周年であった。一年前にも語る言葉を失った。一年経っても同じだ。上述のウオッチマンの態度は事態は異なると言えど、 何かしらヒントになることを示唆しているように思えてならない。)

イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」(新約聖書 ヨハネ20:17)

2012年3月10日土曜日

ただ聞きさえすればよい。

北海道・美瑛駅 by Y.Oku

聖書は、人間の救いを、終始「信仰」という言葉に結びつけている。だから、わたしたちは、いまこの信仰という問題に焦点をおいて、こういう問いをあげてみよう。わたしたちは、どのようにして、信仰を持つようになるのだろうか。信仰とは何か。魂の覚醒を経験した信仰者は、誰でも、この二つの問いに対する正しい解答の上に立って、自分の魂の救いをのぞみみているのである。

では、キリストは何と言っておられるだろうか。「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている」(ヨハネ15:2)と言っておられる。また、生ける神のみ霊は告げている、「耳を傾け、わたしに聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる。わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てる」(イザヤ55:3)と。「わたしに聞け」である。ただ聞きさえすればよい。

信仰は聞くことによって生まれる。信仰は、おのずから、自然にわきあがってくるものではない。魂の目ざめを経験した者たちが、神の語りたもうことに耳を傾けないで、ただ考えに考えを重ね、思索し、沈思黙考、推測し、哲学することは、魂を激しくかき乱し、傷だらけにするだけである。信仰は思考することによって生まれるものでもなく、いちずに、聖霊を待ち望むことによって、もたらされるものでもない。また、自分の心を、信仰に引き入れようと努力した結果あらわれるものでもない。信仰は、決して、そのようにして生まれるものではない。

イエスは「わたしのことばによって」と言っておられる。心を静めて、神のことばに耳を傾けなさい。そして、みことばを、すなおに受け入れなさい。神の御約束を信頼しなさい。神は偽りを言ったり、裏切ったりなさるおかたではない。あなたの生活が、たとい、どのように不完全であっても、あなたの心が、どのように罪によごれていても、神のみことばにたよりなさい。あなたが、神のみことばを心に受けて、神がみ子について語りたもうことを信じさえすれば、ただそのゆえ、キリストはあなたの救い主となりたもうて、信仰をとおして、あなたにあらゆる恵みと、幸をさずけてくださるのである。

使徒パウロの、意義ふかい貴い言葉を読んで頂きたい。「しかし、信仰による義は、こう言っている、『あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな』。それは、キリストを引き降ろすことである。また『だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな』。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。では、なんと言っているか。『言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある』。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」(ローマ10:6〜10)

(『あらしと平安』ロセニウス著岸恵以訳聖文舎1961年刊行409〜410頁より引用)

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(新約聖書 マタイ11:28〜29)

ウオッチマンが必要とした交わり

 一人の中国人として彼が西欧の宗派が輻輳して過剰に存在することを大きく否認したとき、共感する読者は賛意をあらわしたが、「地方性」すなわち、世界のどこにおいても一都市、一教会だと彼が厳格に強調するとなると躊躇した。それは聖書からする可能な結論であり、それだけにすぎなかったのだが。 新約聖書の書き手は誰もそれを原則だとは断言していない。ある聖書学者がそうなると新約時代おそらく百万の住民がいる一つの市にあてて書くことになると鋭く指摘したように、パウロの手紙は「ローマの教会へ」というふうには宛名書きしていない。ニーは何百万という西欧の都市の信者にとにかく新約聖書の経験を取り戻すためには、新約聖書の人口数に戻すことを求めているように思えた。
 
 多くの人はこの問題を半生以上にわたって考え抜いた。それは、自ら手にする聖書と数世紀間にかけ新たな始まりから生じ大きくなっていく複雑な証拠とを正直に謙虚になって神様の前に持 ち出すことだった。私たちのすべてにとって基本的に小アジアかあるいはイギリス・サクソニアの「理想的な」社会状態に戻らないことが前進であったのか、と彼らは問うた。このようにして、たとえば、ウオッチマンの友人であるT・オースティン・スパークスは、むしろキリストのからだの奥義と今日この世で様々な体験を与える聖霊の自由、天にあるかしらであるお方に対する証を強調する道を選んだ。「ひとつのからだとしての教会、個々の教会、からだとしての教会の秩序、教会の働きを理解するためには」(と、彼は「私たちの宣教に関して」という彼自身の原稿に書いたのだが)「キリストである神の包括的観点から始めることが肝要である。あらゆる神の分野、道においてキリストを知ることは教会がどうあるべきかを知ることである。すべては『キリストのうちに』あるのだ。」

  12ヶ月のち上海において私たちはニー自身が教会に対してやや類似した観点で表現していることに気づく。「私たちの立場は、それゆえに、いかなるところにあっても、主のものであるすべては、私たちのものであるということだ。なぜなら私たち自身がキリストのものだからだ。そして主のものでない人しか私たちのものではない。もしハードーン・ロード※がそもそも働きの一つの方法となり、その方法にしたがって地方教会に対する関心が単なる地域主義の概念に道を譲るとするなら、その時神は私たちをあわれんでそれを粉砕するかもしれない。なぜならそれは霊的な価値を持たなくなるであろうからである。私たちは決して次のことを忘れてはならない。つまり主が自由に働かれるすべての人は主にある私たちのものであるということであり、いかなる場所においてもそれはひとつの霊的な地方教会ですらなく、私たちが築き上げるように召されている教会という、それこそキリストのからだそのものであるということである。」※上海、1940年7月11日
 
 しかし、この二人の間の理解と暖かい友情は深められたが、この特別な論点に関しては、それぞれが同じ考え方にいたるまでには少し時間がかかった。二人は新しいぶどう酒については何ら相違はなかったが、ウオッチマンの関心はぶどう酒を入れる皮袋にあった。彼の特別な問題は健全で神的な様式に対して伝統に左右されない働きを広げ、拡大するように調整することであった。来る年も来る年も彼はそのことに取り組まねばならないことを予期していた。しかし、もし西欧で彼が望んでいたすべての実践的な助言が得られなかったとするなら、質問する時点では、彼が求めたことはどこにあっても十分な答えが得られなかったということが認められるに違いない。
 
 上海に戻って数ヶ月、ウオッチマンはオースティン・スパークスに自分が一人の指導者として孤独を訴える便りを返事として書いた。「あなたが知っておられるようにここにいる兄弟たちは年少なので主の御心を求めることは除いて 私の言うことはどんなことでも通るのです」それゆえに、非常に短い期間のうちに二人の間で成長して来た交わりについて、彼は言うのであった。「主はいつも 私に話してくださいました。年少の者として、あなたが同じ証を持つ年上の兄弟だとわかっているので、私はあなたとの大変生きた交わりを必要としているのです」なお実際に彼らはよく手紙のやり取りをしていた。依然として中国には彼と同じ水準の人で、必要な時には相談できるような中国人にしろ西洋人にしろ現われてこなかった。まことに私たちにとっては悲劇であるように思われることは彼に対する主な影響は非常にしばしば女性であったということであった。ドラ・ユー、 彼の母、マーガレット・バーバー、ルツ・リー、エリザベス・フィッシュバッハーすべてしかりである。そして彼が本格的な学びをするために自らに課した制約のため、熟練した人たちとの刺激的でかつ切磋琢磨する友情が彼から奪われたことも数えられるかもしれない。

(『Against the tide』by Angus Kinnear154〜156頁。※のハードーン・ロードとは上海におけるフランス租界地のようだ。今日の箇所はウオッチマンが教派の教会の存在を否定していることとオースティン・スパークスのキリストのからだの奥義の理解とがどうつながるか、また彼らの間の親密な間柄を知る上で重要な目撃証言だと思う。このことは第 8章The old wineskinsでくわしく扱っており、その知識が必要な気がした。取りあえず第12章Rethinkingは今日の所で終り。次回は第13章Heydayに入る)

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。(新約聖書 使徒9:31)

2012年3月9日金曜日

『聖戦』第4章 霊王の諸将人霊を囲む(下)

[諸将は人霊市を回復するために軍勢を送ることを決心する—人霊市は固く決心して抵抗し、その結果諸将は冬営地にまで退却するー伝説氏、人智氏、人工氏は叱咤将軍の配下に登用されるが、捕虜となり、魔王の所に連れて行かれる:三人は万屋将軍のもとで魔王の兵士と認められるー敵意が再開され、町は全く陵辱されるー人霊の飢えと反乱ー町は和平交渉がなされるように思われたが拒絶した分別氏と良心氏の懐疑氏との争論ー小競り合いが続いて起こされ、損害が両陣営に生ず]

 彼らは直ちに相談会を開いた。その結果、我意氏が耳門に往って、喇叭を吹いて、諸将を呼んで談判することになった。我意氏は壁の側に往って喇叭を吹いた。 諸将は甲冑に身を堅めて、一万の兵とともに来た。我意氏は言った。自分たちは諸将の召呼(まねき)を聴いて熟考した。そして諸将および霊王と条約を結びたい。その条約の箇条はわが君主の命ずるところによればこうである。この箇条が許されたらば併合して差し支えない。

 1、新市長と忘善氏は大胆なる我意氏とともに霊王の下にありて人霊の市と城と門との管理者たるべきこと。
 2、巨大なる魔王の下に現につかわれる人々は霊王の下においても人霊市において住家も宿所も自由も安全たるべきこと、
 3、人霊の市民は在来許されたる権利と特権とを認可され、彼らの唯一の君にして大いなる擁護者たる魔王の治下にある時と同じく、永久愉快に生活すべきこと。
 4、新たなる法律、官吏、裁判官は市民の選挙または同意を経ざれば、効力を生ぜざるべきこと。

 「かかる平和の条件を入れられるならば、我らは汝の王に服従せん」と彼らは言った。
諸将は人霊市のこの薄弱な申し出と傲慢不遜な要求とを聴いて、再び決心する所あった。叱咤将軍は次のように演説した。

 「ああ汝ら、人霊の住民よ、余は汝らが喇叭を鳴らして談判せんとするを聴いて心に悦んだ。汝らがわが王に従わんとすと言うを聴いて、なおさらに悦んだのである。しかるに何ぞ、愚かなる条件をつけてへ理屈を並ぶるや。汝らはおのが面前に罪の妨げを置くのである。わが歓喜は今や悲しみに変わった。汝らが帰り来るというわが始めの希望は疲れに疲れた心配と変わった。

 人霊の昔の敵である邪思案(よこしましあん)がかかることを建言してこれらの条件を作ったのであろう。しかしながらその条約は少なくとも霊王につかえる人々にとりては耳にするだも値なきものである。故に我らはかかる事柄をば最大なる罪として断固拒絶する※。
されどああ人霊よ、汝らが我らの掌中、いな我が王の掌中に身をまかすならば、また王の善しと見たまう条約をなすことを王に一任するならば、かえってそれは汝らにとりて最も大いなる利益である。そして我らは汝を受け入れ、平和は汝とともにあるのである。しかるに汝らが霊王の腕に身を委ねるを好まぬならば、現状を維持せよ、我らは施すべき手段を知っている」


 このあと反撃に転ずる人霊市の市長老懐疑氏の演説で何もかもふいになった。和睦の望みはなくなり、それぞれ諸将は陣営に帰り、市長は城に帰る。
 『聖戦』のおもしろさは、私たちはもともとそれぞれ主なる神様に対して様々な思いを持つ者だが、その心の思いが、擬人化されて描かれているところにある。バ ンヤン氏はこの一冊で十分この人間世界の「霊のたたかい」を描き切ったと思う。何度も読んでみたい本である。彼はこの2の文章中※に下記のみことばを挿入している。

それにもかかわらず、神の不動の礎は堅く置かれていて、それに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」また、「主の御名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ。」 (新約聖書 2テモテ2:19)

2012年3月8日木曜日

神とキリストとの祭司となり・・・

今日は朝から太陽は顔を出さない。たとえ顔を出さなくても、また冷え冷えしていても、主の民はみことばを求めて集まって来られる。すごいことだ。今日も40名余の方が集われ、市内のS兄がメッセージしてくださった。引用箇所は黙示録20:1〜6で、題して「千年王国」であった。現下の世界情勢の中で右顧左眄することなく、聖書は何と言っているか、もう一度探られる基本的な学びをしていただいた。私自身がもっとも無知識な個所の一つである。語られる方は特に神学を学ばれた方ではない。まずは聖書である。引用聖句は20余であった。このような家庭集会ではそれぞれのメッセンジャーがよく祈ってご自身と主との祈りの格闘の中で示されることを語られる。聞く私たちもわからないながらも「耳門」(バンヤン)を開き聞くのである。集会は語る人、聞く人双方のコミュニケーションがよく保たれる場である。

 その学びに花を添えるのが証である。今日もわざわざ遠く船橋からT兄が来てくださった。私の証にはドラマ性がないと言われたが、それだけに証は主がなしてくださった恵みが誰にも分かるように語られた。一冊の証の本のなかに記されていたガラテヤ2:20のことばをとおして涙が出て来たと言われた。苦しみのうちに主は兄に必要なことを語ってくださったのだ。兄が紹介された『光よあれ 』4集の54頁以下には次のようなことが書かれている。

 神は私の内にみことばを啓示された・・・。信仰の土台とは、こういうものです。千秋※さんの生活の結末をよく見て、その信仰にならうということはまた、人間の考えていることはぜんぜん大切ではなく、主なる神が何を考えておられるか、それこそが重要だ、ということを絶えず覚えることです。主なる神は真理であられますから、主なる神のみことばも永遠に真理そのものです。聖書に書かれている事実がちっぽけな人間に理解できるかできないかは、決して問題ではありません。信じても信じなくても、認めても認めなくても、事実は事実だからです。

 千秋さんの喜びの源は、神のみことば、また神の約束でした。神のみことばは最大の宝物であり、回心の種子であり、真理そのものであり、彼の足の灯であり、彼の道の光だったのです。パウロも、千秋さんも、長い間イエス様に対して無関心でした。それのみか、パウロはイエス様を憎んで迫害しました。誰も彼をまちがった道から引き戻すことはできなかったのです。しかし彼は、どうしてイエス様を信じるようになったのでしょうか。彼は次のように記しています。

いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)

 主イエスを通して明らかにされた愛は、パウロを圧倒しました。・・・

 と、あります。まさしくT兄も妻の信仰に無関心で会社生活オンリーであったが、主の愛の前に己のわがままが砕かれたのであった。みことばによる救いを体験している兄には静かで大きな何物にも代え難いドラマがやはりあったのである。

 このような地味な集会、人々がただみことばを求めて愛する集会であることを心から感謝する。 S兄、T兄ありがとうございます。

(※千秋とは往年のフジテレビのニュースキャスターであった山川千秋さんのことで、この文章はその葬儀で語られたメッセージの一文である)

2012年3月7日水曜日

『聖戦』第4章 霊王の諸将人霊を囲む(上)


[霊王は人霊を取り戻すために4人の将軍、叱咤将軍、確信将軍、審判将軍、執行将軍を派遣する、彼らはすごい勢いで演説するが、それはほんの小さな目的であったー魔王、懐疑氏、邪思案氏、その他の人霊市の面々は人霊を降伏させないように干渉するー偏見氏は耳門に60人の聾者の兵士とともに防御する]


 「聴けよ、ああ人霊よ。汝らはかつて有名なる無垢の民であった。しかるに今や汝らは堕落して虚言(うそ)と欺偽(いつわり)に満ちている。汝らは余が兄弟叱咤将軍の言う所を聴いた。汝らに申し出された平和と恩恵との条件をいれてくだることは賢明であり幸福である。いわんや汝らが叛いているその人からかかる条件を申し出したのである。汝らを寸断する力ある霊王の申し出である。もしかれ怒れば、誰かその前に立つを得んや。汝らは罪を犯さず、我が王に叛かずと言うかも知れぬが汝らが王に仕えざるにいたったその日以来なせるところは、十分にそれを証明している(王に仕えないということは既に罪の始めである)。

 汝らは暴君からいかなる事を聴かされたのか、汝らはいかにして彼を王にしたのか。汝らが霊王の律法(おきて)を拒みて、魔王に従ったのはどういうわけなのか。汝らは今どうして武装しているのか、諸門を閉ざして我らを入れず、魔王に忠臣たらんとするはどういうわけなのか。 けれども心を静めて、わが兄弟の招きに応ぜよ。恩恵(めぐみ)の時をのがすなかれ、速やかに汝らの敵と和せよ。

 ああ人霊よ、魔王の奸計に陥りて、恩恵に浴せず、種々なる不幸に走るなかれ。汝らをして霊王に仕えしむることが、汝らのためにあらずして我らの利益であるように思わしむるは、魔王の奸計であろう。我が王に服従することは汝らの幸福である。これ我らがここに来った所以である。余は再び言う。ああ人霊よ、霊王が斯くのごとく謙遜なる態度にいでらるるのは、驚くべき恩寵(めぐみ)ではないか。霊王は我らを用いて、懇ろに説諭して汝らを服従せしめんとするのである。汝らが霊王を要することは、霊王が汝らを要する以上ではないか。いな、いな、彼は恵み深き王である。人霊の死するを欲せず、彼に帰りて生きんことを欲せらるるのである※」


 上記は四人の将軍のうち二番手の確信将軍の演説である。この演説のしめくくりにある引証句※の一部は下記のみことばである。

こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(新約聖書 2コリント5:20〜21)

2012年3月6日火曜日

主は自分を救わず

      1
      主は自分を救わず、   十字架の上で死なれる、
      あわれみは届く     破れ果てた罪人にまで、
      神の御子は血を流し、  罪を清め、解放する。

     2
      主は自分を救わず、   義を完全に成し遂げる、
      わが罪のゆえに      主は刑罰を受け死ぬ。
      律法の要求を満たし、  負債をみな消す。

     3
      主は自分を救わず、   われの身代わりとなる、
      わが罪を担って     主は罪人のために死ぬ。
      十字架で血を流して   わが罪をみな担う。

     4
      主は自分を救わず、   何たる驚くべき愛よ!
      主は自分を救わず、   何たる極みまでの愛よ!
      われらこの愛に触れ、  心は溶けて賛美に満つ。

(『ウオッチマン・ニー全集第23巻』詩歌202頁より。今日はたくさんの人の前で証をさせていただいた。今の自分にふさわしい詩はないか、と探したら、この詩が見つかった。今日のベックさんのメッセージも諄々と語られるたましいの内側に届く、しかも具体的なメッセージであった。感謝あるのみ。)

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。(新約聖書 1テモテ2:4〜6)

2012年3月4日日曜日

ひと日の終わりに ロセニウス

幼子らをわたしのところに  ウーデ 画
 冬の暗い嵐の夜であった。空には、不気味な黒雲が一面に広がっていた。雨は、すさまじい勢いで、地面をたたいていた。道を歩くこともできな い。旅の途上にある者のことが気がかりになるような夜であった。日もとっぷり暮れて、どの家の炉辺にも、桜のたきぎが、パチパチ音をたてて燃えていた。

 森の中に、一軒の小さな家が立っていた。だが、その軒をくぐって宿を求める旅人は、ほとんど、ひとりもいなかった。ところが、その夜、ひとりの旅人が戸をたたいて、一夜の宿を乞うたのであった。その家の人々は、彼をやさしく迎えいれ、たき火の近く、一番暖かい椅子に座らせて、雨にぬれた服を乾かしてやっ た。そして、質素な食卓をともにかこむようにとすすめた。食事の席で、旅人は、家族の者たちに、急に暗やみが迫ったとき森の中で道に迷ったことや、親切な人の家に導いてくださいと神に祈ったことや、祈りおえたとたんに、嵐とやみの深いとばりをとおして、この家の窓からもれる光を、かすかにとらえることができたことを告げたのだった。

 食事が終わったとき、旅人は、何事かを期待するかのように、あたりを見まわしていた。そこで、主人は、寝床につくように彼をうながして、客のためのこじんまりとした寝室のドアを開いた。子供たちは、それぞれ床につく支度をはじめていた。

 「寝るのですか」客は驚いたように叫んだ。「そのまえに、何かすることを、忘れていらっしゃるのではありませんか」。

 「いえ、別に、何もありません」。主人は、腑に落ちない表情で答えた。「わたしたちは、一日の仕事を終えたのです。夕食もすましたので、もう寝るばかりです」と。

 「では、わたしは今までの皆さんのご厚意を感謝して、またすぐに旅をつづけることにしましょう。道は暗く、嵐もまだおさまってはいないけれど」。客は、いそいで言葉をつづけた。「わたしは、一日の終わりに、すべてを神の御手にゆだねて、神の御加護と御恵みを祈らない家族のかたとは、一つ屋根の下に、どうしても眠ることができないのです。夜半に、屋根が落ちはしまいかと心配になるものですから」。

 「わたしたちは、そんな事は、一度も考えたことはなかったのに」。妻の細い、ふるえる声がきこえた。

 「天の神は、考えておられたでしょう」。客は、荷物を取りあげながら答えて言うのであった。「もし神が忍耐強いおかたでなかったら、この屋根は、ずっと前に落ちていたでしょう。なぜなら、祈りのきこえない家は、いわば、砂の上に立っている家のようなものです。すみませんが、わたしの用意を、手伝ってくださいませんか。もう出かけなければなりません。わたしには、この家にとどまる勇気がありません」。

 「今夜、どうぞ、ここに泊まってください」。貧しいこの家の主人は、客にすがるようにしてたのみはじめた。「そして、わたしたちが、どのようにして一日を終わったらよいのか教えてください。わたしたちと一緒に祈ってください。わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、まだ一度も家庭礼拝を守ったことがないので、どうしたらよいか、わからないのです」。

 客は、すぐに急いで小さな聖書をポケットから取り出し、短い聖句を読み、椅子の横にひざまずいて、熱心に祈りをささげた。自分自身のため、また、人里離れた森の中に、神からも遠のいて住んでいる家族のために。彼は、この人々が、いっさいの思い煩いを、天の父に告げる者となるように、また、すべてのよいたまものは、神から授けられていることを悟るように祈った。彼らが、限りなく貴いたまものであるところの、 キリストによるゆるしの恵みを、乞い求める者となるよう、また、彼らの心の中に、聖霊がゆたかにそそがれるようにと祈った。彼は、最後に、家族の者と、自分自身をあわれみ深い神の御腕にゆだね、ひと夜のみまもりを願って、真心のこもった「アーメン」で、祈りを閉じた。嵐の夜、奥深い森の一軒屋で、ささげられた祈りは、決して無駄ではなかった。イエスの名によって祈る祈りはきかれる、とのみことばどおりに、その祈りは、神のみ座にまでとどいて、神に聞きあげ られたのであった。神に対して、何年も閉ざしていた家族の者の心を、神は、祈りのゆえに開きたもうた。その祈りは、心の扉を開く鍵となったのである。昔のルデヤのように、彼らは、「みことばを、喜んで受けた」のだ。

 客が寝室に案内されたときには、すでに夜はふけていた。「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」との聞きあきた陳腐な問いのかわりに、今や、「救われるためには、何をしたらよいだろうか」という、最も大切な問いが、家族の者の心に生まれたのだった。スカルの井戸べで、主が教えたもうたように、旅に疲れたこの客も、「彼をつかわされたかたのわざ」を行なうためには、喜んで、自分の睡眠を犠牲にした。彼にとっては、主のわざを行なうことは、睡眠よりも益になる尊いことであった。

 夜が明けた頃には、雨もやみ、嵐も去って、雲のきれ目から太陽が笑っていた。客は、家族の者と朝の礼拝を守った後、旅をつづけるために、別れを告げた。彼らは、その旅人を再び見ることはできなかった。しかし、その日以来、かの森の家では、新しい生活がはじめられていた。イエスが、その家の主人となり、両親と子供たちは、喜んで主に仕えた。新しい生活にはいった彼らにとっては、祈りは呼吸の役目を果たすものとなった。彼らは自然に祈り、絶えず祈った。祈りのうちに、心 の静けさや、平和や、みちたりた思いを見いだすことができた。新しい人は、天国の清潔な空気を呼吸しなければ、生きることはできない。

 家族の者たちは、あの寒い嵐の夜に訪れた人の名前を、ついに尋ねずに別れたのであるが、日々の祈りには、彼のことを、必ずかかさずに祈った。大いなる主の日、隠されていたことが、すべてあきらかにされるその日には、この家族の者と、無名の旅人とは、再び顔を合わせるであろう。そして、互いにそれと知って、 神のくすしいみわざを賛美するであろう。

 愛する友よ。あなたの家庭は、どのような状況にあるであろうか。まっすぐな支えがなく て、ガラガラと崩れかけはしまいか、と気にかかっているのではあるまいか。そのような家の中で寝起きするのは、危険である。祈りのない家は、喜びのない家である。見はなされた家、キリストのおりたまわない家である。もし家庭礼拝を守っていないなら、今晩、家族の者を集めて、神の前に、あなたの心のうちにあることをそそぎ出し、家族の者のため、また、あなた自身のために祈りなさい。そうすれば、あなたは、神の永遠の愛のみつばさの下に憩うことができるであろう。今が、そのときである。明日を待てば、あなたには、その機会はないかも知れない。

(『あらしと平安』ロセニウス著岸恵以訳聖文舎 1961年刊行524〜528頁より引用。)

そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。(新約聖書 マタイ21:13)