2012年3月12日月曜日

Father is God !

 ウオッチマンは予定より6年早く事が進んだので、そろそろ合衆国を経て帰国の旅につく予定であった。ところが大使館で調べたところ、太平洋の港には日本国がヨーロッパからもどってくる特定の中国人を拘束する手段として強制的な予防接種をしているとほのめかされた。そこで彼は何と言っても英国船で黄浦江までの全航程をとる方が賢明であろうと決心した。ボンベイ、コロンボ経由の旅はインドで非常に短期間の立ち寄りはあったが、7月には上海に戻り、何よりも(妻の)チャリティーを安心させた。彼女は欧州で今にも戦争が始まりそうで夫の無事をずっと心配していたからである。二人は再会を喜んだ。 数ヶ月して、ウオッチマンは新婚のカップルにむかって「結婚とは履き慣れた靴のようなものだ、時が経てば経つほど、ますます履き心地がよくなるよ」と話した。

 彼は昔の自身の面影はあるが、外国の占領の惨めさを受け陽気な生活がすっかり鳴りを潜め、かつての繁栄した貿易も戦争の圧迫で息の根をとめられている町に辿り着いたのであった。呉淞江を横断する荒廃した地帯から疫病が外国の租借地へと広がっていた。こういうところは英国、フラ ンス、アメリカの軍艦の存在で依然として開港が維持されていたが、今や困窮せる難民が一杯であった。ウオッチマンは古びれた正服をまとい、型の崩れた帽子をかぶり各家々を出入りするたびに、広まっている難儀よりも一層悲惨である無感覚にさせられている魂に出会った。なぜなら紛争が現存する中で、恥知らずの自己追求やご都合主義が優勢になっていたからである。それは信者でさえ影響を与えずにはおかないもののように見えた。

   「私は多くの人がもうすでに自らを守るためにと称して心を頑にしていることに気づいた」と彼は友人への手紙で言った。「そして数人の人はまわりの人々の苦しみがどんなものであろうとも無感覚になり、相も変わらず主をほめあげている。私自身はどうかと言うと、まわりの人々の抱えているどんな小さなことも同情すると告白せねばなるまい。私は御国への地歩を得て、主にしっかりすがるのみだ。私たちのまわりに起こっていることはたとえ人がどんなに様々な心を備えていても、どの人をも駄目にしてしまうには十分である。しかし私の父は神である!私は今日ほど『神』ということばを愛するために学んだことはなかった。ああ神よ!」

(『Against the tide』第13章Heyday 157~158頁より。昨日は震災一周年であった。一年前にも語る言葉を失った。一年経っても同じだ。上述のウオッチマンの態度は事態は異なると言えど、 何かしらヒントになることを示唆しているように思えてならない。)

イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る。』と告げなさい。」(新約聖書 ヨハネ20:17)

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