足利織姫山麓の紅梅、白梅 |
久しぶりに足利に出かけた。家を出た時は少し雨が残っていたが、着いた頃は空は青く何となく心が弾んだ。一本の電話でにわかに足利行きを決めた。日赤に知人のお父様が緊急入院され、予断を許さない、とお聞きしたからだ。
私にとって足利は第二の故郷となる土地であった。それほど馴染みのある土地をいとも簡単に跡にしてしまった。30代初めの決断であった。日赤は私にとっては知ったる病院。交通事故で最初に行った病院であるし、簡単な手術も受けた病院である。 足利市駅から歩いて20分ほどのところだ。久しぶりに渡良瀬川の橋桁を歩きながら、道を急ぐが、改めてこの川の大きさに目を見張る。今住んでいる町にはこんな川はない。川だけでなく、町に迫る山並みも美しい。こんなに素敵なところを良くも跡にしたものだと今にして思う。
さらに通りを過ぎると、長男を出産した病院が昔ながらにあった。道路沿いに記してある町名や家々の軒先の表札を見るとはなしに見ていると、路地から卒業生がひょっこり姿を表しそうな錯覚にさえ陥る。鑁阿寺を右手に見ながら、目的地まであとわずかだと歩を進める。高台にカトリック教会と赤十字病院が見えた。もうあとわずかだ。お父様とも会えると祈り心で近づいた。ところが、病院はガランとしており、柵が設けられ、容易に入れそうにない。そのうちに「6月から五十部町に移転」という看板が目に入った。
土地勘があると、大見得を切って家を出たのはいいが、肝心の病院が移転してしまっていたのだ。 方角も違う。もちろん五十部町がどこかは知っている。遠いのでタクシーを拾おうとするが、駄目。バスもないので、結局それからまた3、40分ほど歩かざるを得なかった。その道路は通勤で自転車を走らせたので勝手知ったる場所ではあるが、そんなに遠かったとは思いもしなかった。これまた随所に思い出がある。そんなこんなで気を紛らせながら、長い道のりを歩く。結局予定より一時間ほど時間を費やしてやっと病院に着くことができた。
立派な病院である。お父様はその三階のICUに入っておられた。 ところが、ナースステーションでは家族でないと面会はできないと言われた。たまたまご家族に連絡しないで急遽思いついて出かけたのでそれもやむを得ないが、責めてお父様にお会いしたいと思い、お願いしたところ幸い許可してくださった。お父様は機械を装填されていて、意識もなさそうなご様子であったが、話しかけさせてもらい、お祈りして辞去した。当方に不安がなかったわけではない。しかし、耳は開いている、とよく聞かされているので、主に頼りながらさせていただいた。ただ心なしかお元気に見えた。
この間、わずか10分足らずだったが、人の一生の大切さを改めて思わされた。
あなたが人を押し流すと、彼らは眠りにおちます。主よ、あなたは代々にわたって私たちの住まいです。山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。(旧約 詩篇90:5、1〜2)
福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられている。(コロサイ1:23)
なぜ人の一生の大切さを思わされたのですか…。
返信削除そうですね。書いた時の気持ちは、やはり、死の間際に福音を聞くよりも、元気な時に福音に心を開かれるのがどれほど素晴らしいか、と思ったからです。もちろん臨終の床で福音を聞かれる恵みも主は排除しておられませんからね。現にこの方は翌日覚醒して、お嬢さんから「お父さんの罪は全部イエス様が十字架で負って下さったから、大丈夫だよ」と言われて、泣かれた、と聞きました。コロサイ1:23のみことばは素晴らしいと思いませんか。「天の下のすべての造られたもの」が福音の対象なのです。
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