2012年3月15日木曜日

みことばという食べ物を求めて

 ウェン・テー・リーでの聖書教育は依然として不備な建物でかなり制約されていた。集会の年配の一人の姉妹が土地つきの建物を時価のわずか40パーセントで提供すると申し出て、一同に望みが沸き起こったが、彼女はその建物の開発が取るべき形態を指図することを強く願った。それに対して兄弟たちが彼女に神ご自身が神に与えられる賜物を最善の使用へと導いて下さらなければならないのだと指摘したところ、その申し出は引き下げられた。その代わりに古い骨組みの建物の二階が事務所として改造され、さらに宿泊施設が路地に見つけ出された。階下に三つの区画に分けている(のちには五つの区画に拡張されるのだが)沢山の木の柱がきっちり収容できる集会のためにと、一階区域に様々な改作を余儀なくされた。ホールは暖房がなく、床は歩くたびにギシギシと不快な音を立てた。

 レナ・クラーク、彼らの間で7年間過ごしたことのあるこの人は1940年の光景を次のように述べている。

 日曜日の朝には大勢の人が9時半には粛然とみことばの取り継ぎを聞きに集まり、縦の長さよりは横幅の広いホールの片側に婦人たちが座り、もう一方の側には男性たちが陣取っている。背もたれのないベンチに全員が空きを最大限使用するためにと、できるだけ密着して座らなければならない。三面の建物の外側にはもっと多くの人が窓や二重扉に座ったり、拡声器に耳を傾ける。二階はあふれてさえいる。

 貧しい人はもちろんのこと、教養のある人や金持ちもいる。博士たちが労働者たちと入り交じり、弁護士や教師たちが人力車夫や料理人たちと混じり合っている。質素な形をした姉妹たちの間には少なからざる今風の婦人や少女がお洒落な髪型や化粧をし、短い袖を出 し、絹織物の大胆なスリット入りの支那服に身をやつした人もいる。子どもたちが走り回り、犬がうろつき、行商人が路地に入って来、外では車が道路でガンガン音を立てる。拡声装置は危なっかなしい状態だった。

 けれども日曜毎に十字架のことばが忠実に宣べ伝えられる。罪と救い、キリストにある新しいいのち、そして神の永遠の目的、奉仕、霊的な戦いーすべてが解き明かされ、何も隠されるものはない。人々はもっとも強力な食べ物ともっとも真っ直ぐな挑戦を与えられている。

 ウオッチマンが説教に(帰国して)復帰すると熱心な多くの人たちが彼のすべての話に夢中になった。彼が、濃紺の綿製のガウンに身を堅めて講壇に立つと、人々は彼の落ち着いた物腰、簡潔ではあるが、完全な推論や適切な比喩に引きつけられた。誰も彼がいかなるノートを用いているのを見たことがなかった。と言うのも、彼は読んだことはどんなことでも覚えており、もう一度再現できたからである。要点を視覚的に説明するために、彼はよく空中に素早く空想上のスケッチを描いたりしたものだ(のちに一人の若い同労者がポスターに再現したように)。そしてもし何かの要点を啓発するために個人的な逸話を語る場合はほとんどつねに自分自身に不利な話であった。彼の鋭いユーモアの感覚はしばしばホール全体に笑いをさざ波のように起こした。それで「集会中は眠れるどころでなかった」しかし最初から終りまで彼は決して主題からそれなかった。「肝心なことは」これが彼の口癖だったが「明らかにされることばの有効性である」とし、終りには間違いなく、聴衆の心に明確で深い印象を残したのであった。

(『Against the tide』by Angus Kinnear 159~161頁より。この記事を読むと、以前読んだムーディーの伝道集会の光景が彷彿として来た。一方昨日の家庭集会もほぼこの状態であることを思わされた。やはり足の踏み場もない、座れるところに座り、とにかくみことばに耳を傾けると言うものであったからである。昼はルカ1:5〜25、1:57〜80、夜はコロサイ2:9〜10の引用聖句であった。)

数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。(新約聖書 マルコ2:1〜3)

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