2012年3月28日水曜日

天国は御父の住みたもう所(上)

やっと日本も暖かくなりました!

 先週の火曜日、一人の方をお見舞いした。拙い私の福音の伝達に、酸素マスク越しに「ありがとうございます」とはっきり言われた。その方が昨日午後召されたことを独り娘であるお嬢さんから知らされた。92年の御生涯であった。この機会に再び天国についてのE.M.バウンズの著書から標題についての文章を以下二日間に分けて引用させていただく。

 天国は御父の住みたもう所であり、その場所それ自体、御父の栄えに輝いている所である。父の御名とその住みかは、共に聖く、あがめられるものである。だから、天国は神のホームであるだけではなく、この世が見習うべきひな型であるということができる。

 この世は天国にその範を取る。その調和もその美も、その喜びも、すべて神のみこころへの全き服従の中からもたらされる。そして、どうすれば天国のようになるかを学ぶのである。

 ところがこの世は、今の姿に満足して、より高く、より聖くと、われわれが見習うべきところを、完全に忘れ去ろうとしている。

 そこをイエスは、今われわれのために準備しておられる。そして、その場所、その様子、規則、その美しさなどを、われわれに示し、御父の家にはどんなにすばらしいものがたくさんあるかを語られ、「あなたは神に似る者となりなさい」と言われるのである。神はあなたの父である。子は父のごとくあれ。天国は父の家である。あなたの家を父の家のごとくせよ。

 「この世は安全でない」とイエスは言われた。ここには泥棒がいる。大事にしておいても盗まれる。布を食い荒らす虫がいる。最上の絹も高価な衣服も虫で食い荒らされる。またさびが生じる。最高の宝石も純金も、貴金属も風化していく、そしてさびる。

 天国は一つの場所である。この世が一つの場所であるのと同じく、現実の場所である。しかも絶対に安全な場所である。

 そこには泥棒はいない。そこかしこの広野や町々には盗人は出没しない。衣服を食い荒らす虫はいない。その虫に衣服を食い荒らされることもなく、しみを作られることもない。宝石や貴金属もさびで腐食することもない。すべてが聖く美しいまま、光沢を保ち、いつまでも安全なのである。安全であれ! 従順であれ! この命令のなんと力強く、絶対のものとして響くことか。

自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。(新約聖書 マタイ6:20〜23)

 神の人の力強い「天国」の使信! イエスは、われわれの心が常に天国にあるようにと促される。もし一度でも天国を得た経験があるなら、そこにいつまでもおるようにしなさい。心とは魂である。生命であり人間である。安全は天国にある。あなたの価値観をそこにだけ置きなさい。あなたの心を天国に置きなさい。そこにはあなたの心を浸す涙はない。

 以上は『天国(原題Heaven-A Place, A City, A Home)』いのちのことば社訳32〜33頁の引用である。昨日の記事中のウオッチマンの父は64歳で召された。Ni Weng-hsiu had died a true child of God. とAngus Kinnearは書き留めた。お父様もこの天の御国に憩うておられることを確信する 。

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