吉本隆明氏が亡くなった。たまたま昼間病院に行っていて、そこで訃報に接した。テレビでは何人かの方がインタビューを受けていたが、梅原猛氏は「彼の思想の営みは孤立したものだった」という意味のことを語ったようにテロップで見た。私もご多分に漏れず吉本シンパであった時期がある。相当長く吉本氏の作品は所持していたので何冊かは残っているものと家に帰って早速探してみたが一冊も手許になかった。
大学時代、学園祭に吉本氏を招待した時は、私たち一部の学生は興奮した。その時、どんな話をされたか思い出すことができない。ただ質疑応答があり、何人かの者が質問したが、その時、
私もその内の一人だったが、極めて場違いの質問をした。それは今でも覚えているが「あなたはそのように思想を売文として生きられるが、私たちはそのように生きられない。思想を問題にするより、生きることに精一杯であろう。あなたはそれに対してどう思われますか」という質問だった。
他のものは思想の先鋭性を問題にしてもっと高尚な質問であったが、私のは極めて幼稚であった。果たせるかな、吉本氏は、私に、真っ直ぐ答えてくれた。「いやー私だって不安ですよ。何らあなたと変わらないですよ」と答えてくれたように思う。私にとってこの彼の答えは十分であった。それ以後、吉本氏の作品は私にとって身近な存在になった。作品のなかに肉声をつかみとれるようになったからである。「丸山眞男論」は良くぞ言ってくれたりという思いがしたのを覚えている。今の私の立場から言うと「マチウ書試論」が思考の対象になりそうなのだが、これは聖書の入門書にはならない彼の構築した「彼」の世界にすぎないと思う。
まだ夕刊の評伝を見ていないので私個人の思いを書き連ねたが、このような一介の場末の人間にも影響を与えたという点では「よしもとりゅうめい」は忘れられない人物の一人かもしれない。テレビは意識してか意識せずしてかどちらかわからないが、今日発売されたipadに若者たちを中心として人々が熱狂しているニュースに移った。ひょっとしてあの遅れてやってきた私の青春時代に朝から晩まで「りゅうめい」さんの書き物に引き寄せられていたのも、あの時代の流れだったのかと思わされた。私たちの時代の「りゅうめい」さんはその後、様々に変質して行って私にはつまらなくなってしまったのは事実だが、彼が真面目に私の問いに答えてくれたあの誠実さは忘れることができない。
貧しくても、誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさる。銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。(旧約 箴言19:1、17:3)
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