2012年12月10日月曜日

孤児となさらない主イエスさま

彦根城佐和口と多聞櫓 2012.12.6
また久しぶりに一週間余一人の生活を送った。今年は都合何週間か一人の生活が続いた。人間生活は食べること、着ること、住まうことを抜きにしては成り立たない。ところが長い結婚生活でこれらすべてを細君に依存する生活がすっかり身についてしまっている。かく言う私も十代後半のころ、母を亡くし、父と二人の生活を送ったことがある。ご飯ごしらえは私の分担だった。その時分、テレビは土井さんという料理番組のエキスパートがいた。その番組は結構参考になった記憶がある。

今回、毎日のようにお惣菜を求めて近くのスーパーに出かけた。千円札どまりだが、あっと言う間に財布は軽くなる主婦の思いをする。けれども昨日だけは何としてもお金を使いたくなかった。冷蔵庫にある「もやし」「キャベツ」「ベーコン」「スパゲッティ」を使い切ってしまう必要があったからである。それにその前の晩こしらえた豆腐となめこの味噌汁も少々残っている。ご飯は炊くとしても、おかずはどうするかであった。肉を久しく食べていないのでそちらにも食指が動いたが、この際、そんな贅沢は言ってられない。

ややあって、近来手つかずになっているツナの缶詰をこの際使うべし、と思い至った(でも、この時この缶詰がのちにちょっとしたアクシデントになるとはわからなかった)。ただ結果的に先の材料とツナの混ぜ合わせの炒めは、結構美味しい汁が出て風合いが良く、これはこれで自分にとっては正解であった。ただ問題だったのは「量」の多さであった。その点一人の生活ほど不経済な生活はない。今回も痛感させられた。でも、何とか夕食と今朝の朝食へと振り分けることができた。残飯もなく、台所まわりも綺麗に処理できてこれなら妻も喜ぶだろうと思った。ところが好事魔多しとはこのことか、最後に缶詰を洗い流そうとして、不注意ゆえに指先を切ってしまった。見る見る血が出てくる。慌てた。幸い、バンドエイドがすぐ見つかって事なきを得た。

今回は掃除機も洗濯機も二回使った。お風呂場は寒く湯船にお湯を溜めても一人ではもったいない。シャワーも寒いので、迷った。でも、どうしても我慢できずこれも二度ほど焚くことができた。当方としてはまあまあである。

昨晩のテレビニュースによれば明日は当地方は雪とのことであった。二時半ごろ用を足すため廊下づたいに庭を見たところ、雪の様子は見られないのでニュースは何だったのかと思った。ところが時前に起きて戸外を見やるといつの間にか外は銀世界に変わっていた。してみると、気温は日の出前に向かってさらに低下していったと見える。思わぬ雪のプレゼントに庭もうっすら化粧をして取り澄ましているかのようだった。

それにしてもあの「血」はイエス様の流された血を一瞬とは言え、私に想起させた。

血したたり 主を想いし 手傷なり

ただひとり 食べるみじめさ 訴えし 友の悲しさ 主は知りたり

私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。・・・・もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(新約聖書 1ヨハネ1・3、7)

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