昨年より開花の遅れている山茶花、でも一輪、二輪と・・・ |
母親は子どもに手紙を書いて、「おとうさんに早くお便りしなさい。そうすれば許してくださるでしょう」とさとし始めました。しかし少年は「おとうさんが帰ってくれと頼むまで決して家に帰りません」と言いました。そこで母親は、父親にとりなしましたが、父親はすげなく答えました。「いや決して頼まない」。ついに母親は悲しみのあまり病に倒れてしまいました。病気が重くなって医者に見離されて死のうとしている時、夫は彼女の最後の願いをかなえてやりたいと思い、何かしてもらいたいことがあるか尋ねました。妻は夫をちょっと見つめました。彼にはそれがどういう意味かすぐにわかりました。
「あなたにしていただくひとつのことがあります。わたしの子どもを呼んでください。それがこの世であなたがかなえてくださることのできるただひとつのことです。わたしが死んでしまった時、あなたがあの子をあわれんでかわいがってくださらないなら、だれがしてくださるでしょう」
「うん、おまえが会いたがっていると書いてやろう」
「いいえ、わたしにあの子が会うには、あなたが呼んでくださらなければだめです」
ついに父親は事務所に行き、自分の名前で速達を書き、少年に家に帰って来るように頼みました。父親からの招きを受けるとすぐに少年は出発し、死にかけている母親に会いに来ました。少年がはいろうとしてドアを開いた時、母親は今死の直前でした。父親はその時ベッドのそばにいましたが、ドアの開く音を聞いて、少年を避けるようにし、へやの反対側に行ってしまいました。少年に話しかけるのをこばんだのです。母親はむすこの手をとりました—彼女はどんなにその手をにぎりしめようと待っていたことでしょう!
「さあ、わたしのむすこ、おとうさんとお話しなさい。はやくお話ししなさい。それでみんなすんでしまうんですよ」
しかし少年は言いました。
「いいえ、おかあさん、おとうさんが話すまで、ぼくは話せません」
母親は、夫の手を一方の手にとり、もうひとつの手にむすこの手をとって、死の直前、ふたりを和解させようとしました。その時、彼女はちょうど息をひきとろうとしていましたので、ものも言えず、この片意地なむすこの手を父親の手の中に入れて死んでいきました。むすこはその母親を見つめました。夫はその妻を見つめました。そしてついに父親の心は破れて、両腕をひらいてむすこを胸に抱きしめました。こうして死のからだを前にして彼らは和解したのです。
罪人よ、これはただぼんやりとした型であり、貧しい例話にすぎません。なぜなら、神は、この父親のように怒ってはいないからです。わたしはあなたをキリストの死体のそばに連れて行き、彼のみ手とみ足の傷、そしてわき腹の傷を見ていただきたいと思います。そしてお尋ねします。
「あなたは和解されていますか」
キリストは天を離れ、かいばおけの中に下りて来られました。それは、最もいやしい罪人をとらえ、片意地な放とう者の手を、御父の手の中に入れるためでした。そして、あなたやわたしが和解を受け入れるために死なれたのです。もし、あなたがわたしの忠告を受け入れるなら、今夜和解を受けるまで眠らないでしょう。「和解を受けなさい」
おお、この和解の福音!みなさん、これこそ喜びの福音ではないでしょうか。
そしてそれは自由の福音なのです。
(同書12〜14頁より引用。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。エペソ2・14〜15、16)
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