2013年10月11日金曜日

「家庭集会」って何なのだろう

始まりがあれば、終わりがある。私の家で「家庭集会」が始まったのは1990年の5月23日が最初である。それ以来、今日まで続いている。いや、続かさせていただいている。しかし、段々こちらも歳を重ね、いつかは閉じる時期が来るんだろうなとは思う。

一昨日水曜日は東京からメッセンジャーと証しする方が来てくださった。メッセージは「霊の健康診断」というテーマで1コリント3・16、6・19が引用聖句であった。開口一番、その方は「昨日朝、私は都内某所で普段飲み慣れないものを、それも朝から飲んでいました」と言われた。一瞬お酒かと思いきや、「胃カメラ」であった。肉体の健康診断が必要なように、キリストの御霊をいただいている者は、霊の健康診断が欠かせないのです、とすかさず畳み込まれる。そしてその不健康はたとえば心の平安の無さという症状になってあらわれるのでないか。けれども、心配する必要はない。よみがえりの主イエスは、平安あれと二回三回と語られ、その間にご自身の十字架上での御傷を弟子たちに見せられたので、弟子たちは不安から喜びへと導かれた(ヨハネ19・20〜21、26)。そのように私たちも同じ体験をすることができると簡潔に話された。

次に一人の方から証をいただいた。いつも親しくさせていただいているが、証をお聞きしたのは初めてであった。そこには求めずして得られた救いの恵みが大胆に語られていた。その後、結婚に導かれ、五人のお子さんをかかえてのご苦労の中で特に手狭になった住まいをいかにして解決するかという具体的な問題をめぐる夫君との葛藤を語ってくださった。しかし、夫君から「もしあなたが霊的であるなら家が与えられるように百年だって待つことができるでしょう」と言われる(ローマ8・13)。そして自らのうちにある思いは「むさぼり」から発していて、それが子どもにも伝染していることにハッとされ悔い改めさせられたという内容であった。夫君が開かれたみことばは箴言30・15であった、と言う。

蛭にはふたりの娘がいて、「くれろ、くれろ。」と言う。飽くことを知らないものが、三つある。いや、四つあって、「もう十分だ。」と言わない。

わずか4、50分の間にこのようなお話をお聞きして、そのあと集った方々は、三々五々互いの交わりを楽しまれる。さらに、ここから互いの霊の交わりは進むと言っても過言ではない。とことんお交わりを進める中でお互いに不思議な鉱脈を突き当てるものだ。この日も三時四時をまわっていただろうか、今までお互いに家庭集会に出席して顔を見知っている間柄だけでそれ以上は知らなかった方同士が、最後ふっとした話の緒からお二人が同郷で中学の七年違いではあるが先輩後輩の間柄であったことが判明したのだ。

考えてみれば、証者は10代後半に遠い青森から横浜に出て来て会うはずもない中学の同級生から福音を紹介され、それが主の導きだったと語られていた。それにくらべ、先のお二人はすでに60代、70代の功成り名を遂げた方々である。そのお二人が今日までそのような関係にあるとは知らずに家庭集会に出席しておられたのだ。また新来者の紹介のおりには、台湾出身の方が話されたが、一方には台湾留学6年の方がおられ北京語で会話を交わされたと言う。このような不思議な出会い・交わりが展開するのも家庭集会の不思議なところである。

もちろん大半はお互いに問題を解決できず、同じところをぐるぐるまわりながら尽きない話を繰り返している場合が多い。けれども互いが互いの苦しみを負い合い、喜びを知る場として欠かせないのが家庭集会ではないかと思う。最後にルデヤについて記された記事を紹介する。「ルデヤの心」こそ家庭集会である、と思うからである。

テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた(使徒16・14〜15)

次回の家庭集会は10月30日午後二時からです。 

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