2013年10月24日木曜日

我は汝により、我が事業を為すを得べし

国王の宝
金銀珠玉に等しき、
多くのもの我が手に満ち
これらを貴しとして我は握りぬ。
主は来まして我が手に触れ、
(主の聖手には傷ありき)
我が財宝(たから)を聖足(みあし)もて
一つ一つに踏み砕き給えり。
「我れ空虚(むなし)き手を要す」と主は宣(のたま)いぬ、
「其を以て汝(なれ)により、我が事業を為す」と。

『我が手は労役に汚れ
泥土(でいど)に塗(まみ)れたり
しかも我が労作(はたらき)は往々穢(けが)れて
何らの価値もあらざりき。
主は来ませり、我が手に触れ給いぬ
(主の御手は紅に染みたりき)
しかも我が手を見れば驚きぬ、
見よ、汚れはことごとく我が手を去れり。
「我れ潔き手を要す」と主は宣いぬ、
「其を以て汝(なれ)により、我が事業を為す」と。

我が手は熱病のごとくなりまさり
多端のことに煩わされたり!
繁忙と噪急とに打ちわななきつつも
祈祷に支えられるること無かりき。
Trembling with haste and eagerness, Nor folded oft in prayer. 
主は来ませり、我が手に触れ給いぬ、
(その聖手に医治の力をもて)
かくて我が手はその聖旨をなすよう
穏やかにまた静まり—その熱は去れり。
「我れ柔和なる手を要す」と主は宣いぬ、
「其を以て汝(なれ)により、我が事業を為す」と。

我が手は空想を以て力あり、
しかも神のことには弱かりき。
神のためならず、己れのため
事業をするに甚だ大胆なりき。
主は来ませり、我が手に触れ給いぬ
(主の聖手には能力〈ちから〉ありき!)
かくて我が手は衰えたり、
ただ主の聖手はその手に置かる。
「かくのごとくしてのみ」と主は宣いぬ、
「我れは汝(なれ)により、我が事業を為すを得べし」と。
 I can work My works through thee.

(いささか古風だが、ほぼ100年前に日高善一氏をとおして訳された、S.D.Gordonの名著QUIET TALKS ON POWER〈邦訳著作名「能力に充つる生活」〉https://archive.org/stream/quiettalksonpowegsd00gord#page/n5/mode/2up中に載せられている詩である。なお、日高善一氏は「フランダースの犬」の本邦初訳を試みた人であると言う。)

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