2013年10月14日月曜日

三題噺(主の恵みは尽きない)

Bさんおめでとう! 2013.10.12
Aさんは1930年生まれだから、もうとっくに後期高齢者の域に達しておられる。ところが若い私たちの誰よりもその働きぶりは群を抜いている。先週土曜日の朝も某所でこの方のその日のスケジュールを思うて、ある方が、私に語るともなくおっしゃった。ある時、Aさんに、そのお体を気づかって「そんなに働いて大丈夫ですか」と問うたら、即座に「生きている証拠だよ」と答えが返って来たそうだ。間髪を入れずにその場で当意即妙に返って来た日本語の巧みさとその心の非凡さに舌を巻いたということであった。

ところが昨日日曜日、某所を離れ別の地に出かけた私は、遠くAさんのことを思って、私の見聞した土曜日の働きぶりや日曜日の働きを予想して別の方にそのことを話したら、今度はその方が「(とっくに)Aさんは死んでますよ」と言われた。私はその方には珍しい余りにも過激な言い方にびっくりしたが、簡潔なその表現ぶりに痛く感動し、「死んでますね、(確かに)Aさんは!」と相づちを打った。その方は笑いながら「そうですよ、Aさんは死んでますよ」と再び繰り返された。二人がすっかり意気投合して話す話を傍で聞いていた方が、「いったいAさんは病気持ちだと言うが、本当はどうなのですか」と問われる。「(自分に)死んでますよ」と先程言われた方は「三つの病気を持っておられるが治っていないでしょうね」と付け足された。

イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。(ヨシュア14・10〜11)

Bさんは1978年生まれの女性だが、土曜日結婚された。中々の才女の方であった。その方が就職先の採用主と結婚された。その方の採用の面接を新郎となった雇い主の方がなさったのが機縁であった。ところが、その面接時に雇い主である新郎は採用するのに迷ったと言うより、採用する意志はなかった。それほどその女性の面接時の答えぶりはなっていなかった。何を聞いても不安気であり、自信に満ちた答えが帰って来なかったったことによる。しかし、新郎の方が言われるのにはペーパーテストの出来が抜群であり、応募者の誰よりも優れていたので採用せざるを得なかったと言うことだった。こんな彼女であったが交際して6年だったか、結婚のプロポーズを受けた。しかし彼女はキリスト者でことごとく主の恵みを体験して来た。ところが相手の男性はキリスト者でなかった。

迷いはあったが、祖母の召天に身近に接し、「折角、この方と結婚しても天国でこの方と一緒になれないなら何にもならない」と思い、それからこの方がイエス様を信じ救われるまで結婚を待とうという思いが明確に与えられ、必死になったと言うことだった。そして三ヵ月ほど前、新郎になる方がイエス様を受け入れ、この日のスピード結婚式となったと言うことであった。新郎は結婚式の日取りは10秒で決まったと言われた。しかし結婚の証の話の時、新郎は自らの人生を振り返り、随所随所にイエス様の導きがあったと繰り返された。ご両人が結婚にあたって選ばれたみことばは以下のものであった。

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3・5〜6)

ご両人の証のことばに嘘偽りはなかった。昔、異邦人の女ルツは雇い主ボアズのもとに身を寄せた。ボアズとルツは結婚した。ご両人もまたこの古の人々の信仰の跡を歩まれるのだ。土曜日、日曜日とそれぞれちがったところではあったが、主は必要な恵みを私に与えてくださった。

そう言えば、日曜の夕方遅くなったが、延々と電車を乗り継いで都下の病院に入院しているCさんを見舞うことができた(Cさんは次男の妻であり、今日月曜日でちょうど入院生活も150日を数える)。結婚4年目にして訪れた最大の試練である。前途に希望と不安の交錯する病室で、私たちは詩篇119・73〜76を開き、ともに祈ることができた。主のあわれみ・恵みは尽きない。

どうか、あなたのしもべへのみことばのとおりに、あなたの恵みが私の慰めとなりますように。(詩篇119・76)

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