2014年11月5日水曜日

あなたのみことばは真理です(下)

100年目の近江鉄道高宮駅(手前から奥へ、一番二番三番ホームと続く)

 主のことばは主ご自身を啓示するのです。みことばを食べることはいのちを得ることを意味します。生けるみことばがわれわれのうちに入るなら、その必然的な結果としていのちがやって来ます。理解力をもってしては決していのちは訪れて参りません。もし、聖書が私たちにとって単なる掟であり、単なる真理であるならば、それはわれわれにとって重荷であり、不自由なものです。けれども、いのちならば自由と喜びをもたらすのです。

 もう一回言いましょうか。聖書は学問のために書かれたものではない、新しい真理を打ち立てるために書かれたものでもありません。聖書は主の呼吸、すなわち主なる神の息です。すなわち主なる神は、ご自身をこのみことばによって、みことばで包んで、みことばにご自身をふくんで、あらわされているのですから、私たちはそのみことばを、イエス様を、いのちのパンとして受け入れ、食べなければなりません。古い聖書の読み方を捨てなければなりません。何かある先入観をもって聖書に接することをやめ、イエス様ご自身を、すなわちいのちのパンを食べるように、心がけなければいけない。食べるなら味がするはずです。

 何年か前に、私たちはとってもすばらしい支那料理を食べたことがあります。今まで食べたことのない料理が次から次へとたくさん出てきましたが、私はどんな味がするのかと隣の人に聞くようにしませんでした。すぐそれをちょうだいしました。あれやこれを理解したり、他の人に訊ねてみたり、聖書の註解書を見たりする必要はない。ただ、いのちのパンを食べ、満腹することはたいせつです。心の目がいったん開かれるなら、真理を理解することなど問題ではなくなります。ただ、自分が主のみこころに叶っているかどうか、また、いかにしてみことばによって満腹するかどうかだけが問題になります。満腹させないものは役に立たない。そのようなものはすべて(捨て)、満腹させるいのちのパンとイエス様ご自身を食べましょう。食べたら消化して、その結果、力があたえられるのです。食べるなら、それは体の一部分となり、そうすることによって、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられて参ります。

一日の静慮の時をこのいのちのことばを食べるために用いましょうか。

 前に誰が書いたのかわからないけれど、「ある聖書の日記 」と言う本題なのです。聖書は話します。

1月15日 静かな一週間を過ごした。新年の数日間の晩、私の持ち主は私を規則正しく読んだ。しかし、今は私を忘れているらしい。
2月2日 今日整頓されて、ほかのものと一緒にほこりを払われた。そして元の場所に戻された。
2月8日 持ち主が朝飯を終わってから少しの間用いられた。持ち主は二三ヵ所読んだ。持ち主と一緒に教会へ行った。(今度)
3月7日 整頓され、ほこり払われ、もとの場所へ置かれた。教会に行ってから玄関に置きっ放しになっていたから、(今度)
4月2日 今日、私は忙しかった。持ち主は司会をやったので、私を読まなければならなかったのである。ちゃんとその場所になるのに、その聖句を長い間持ち主は見つけることができなかった。(今度)
5月5日 午後一杯、おばあちゃんのひざの上にいた。おばあちゃんは僕を訪ねたのだ。コロサイ書2章5節から7節を読んでおばあちゃんは涙を流した。
5月9日 今、毎日午後おばあちゃんのひざの上にいる。私はそこを居心地の良く感ずる。おばあちゃんはしばしば読み、私に語りかける。
5月10日 おばあちゃんは出かけた。私はもとの場所に戻された。お別れの時に接吻してもらった。
6月3日 今日誰かが私の頁の間にクローバーの葉を二三枚挿んだ。
7月1日 着物や他のものと一緒にトランクに詰められた。休みにどこかへ出かけるらしい。
7月7日 まだトランクの中にいる。
7月10日 ほかのものはほとんど皆取り出されたのに、私はまだトランクの中にいる。
7月14日 再び家に帰ってもとの場所にいる。かなり長い旅行だった。しかし私は読まれなかったなのに、なぜ一緒に行かなければならなかったのか、理解に苦しむ。
8月1日 ひどく息苦しく暑い。二冊の雑誌と小説が一冊、それに古い帽子が私の上に乗っかっている。取り除かれば、うれしいのだがなあー
9月5日 整頓され、ほこりを払われキチンと納めた。
9月10日 今日、花子が私を少しの間使った。花子はお兄さんを亡くした友だちに手紙を書いた。それで適当な聖句を用いたのだ。
9月30日 またほこりが払われた。

 まあ、霊的いのちにも食べ物が必要です。この霊的な食べ物を私たちはいったいどこで見つけるのでしょうか。聖書、すなわち主なる神のみことばの中に見つけるのです。聖書はイエス様の啓示そのものであります。そして、イエス様こそがわれわれの渇ける魂にとっていのちの糧です。みことばを読んで深く考えて心にとどめましょう。イエス様を知る者として経験する難しい問題の99パーセントは聖書を読まないからです。聖書を読まない怠慢と言う罪を主に告白しましょう。もし私たちが飢え渇きをもって聖書に接しなければ、またみことばを深く味わわなければ、霊的に一歩も前進しないからと言って不思議ではありません。みことばを読まない罪を言い表わすなら、主はわれわれにみことばに対する飢え渇きを新しく与えてくださり、また主が新しい御声をもって語りかけてくださるのです。申命記の17章の19節を見ると、次のように書かれています。旧約聖書の306頁になります。

自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。

もう少し後になります。338頁です。ヨシュア記の1章8節です。

この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。

最後にもう一ヵ所読みます。今度は詩篇の119篇です。全部じゃないよ、72節。

あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。

97節。

どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。

140節

あなたのみことばは、よく練られていて、あなたのしもべは、それを愛しています。

われわれもダビデのような態度を取ることができれば祝福されます。

(何年か前、この話をしておられるベック兄と一緒にスイスの山並みを前にした時のことを思い出す。私ともう一人は一生懸命になって、説明ガイドに首っ引きになって、アルプスの山と説明ガイドを交互に見ることに熱中し、いつの間にか周囲の皆さんの歓声をよそに血眼になってガイドを二人して覗き込んでいた。その様子をそばで見ておられたのであろう、ベック兄は笑いながら私たちに「(目の前に)アルプスがあるのに 」と言われた。その一瞬私たちも自らの愚かさにハッと気づきベック兄とともに大笑いしたことだった。ユーモアを常に絶やさないベック兄だが、何となく支那料理云々の話と共通するので、あえて書いてみた。)

2014年11月4日火曜日

あなたのみことばは真理です(中)

喜びの集い会場にかかげられた三枚のみことばの一つ

 主のみことばを聞き、それに従う者はロマ書10章の17節のみことばを体験できます。

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

とあります。聖書に書かれていることがらを絶対的な権威を持った神のみことばとして受け入れ、それに耳を傾けない者は、決して生き生きとした信仰を持ち得ないのです。聖書は確かに世界のいわゆるベストセラーですけれど、聖書を読むことによって、教養を身につけ、足りないところを補っていこうとするのでしょうか。それとも、別にはっきりとした目標を持たずに、気の向くままにあっちを読んだりこっちを読んだりすれば良いのでしょうか。決してそうではありません。みことばを読む場合、ほんとうの目的はイエス様を体験的に知り、イエス様に出会い、そしてイエス様を受け入れること、また主イエス様をより良く知ることであるべきです。

 イエス様は言いました、告白として。わたしはいのちのパンです。それだけじゃなくて、わたしを食べる者は永遠に生きる、と言われたのです。ヨハネ伝6章51節、54節です。

パンは見て驚くために博物館の中に飾られているものではありませんし、またそうしても良いものではありません。食べなければ何の価値もないものです。イエス様を信ずる兄弟姉妹の霊的ないのちは、このいのちのパンを食べる量りにしたがって、程度にしたがって成長して参ります。いのちのパンであるイエス様ご自身がわれわれの食べ物とならなければいけませんし、またイエス様ご自身はそうなりたいと思っておられ、願っておられます。

 エレミヤという男は悩んだ男でした。誤解されてしまったし、刑務所に入ってしまったこともあるし、けれども彼は悩みながら元気になった。どうして?エレミヤ記15章16節を見ると次のように書かれています。ほんとうに素晴らしい証です。1166頁ですね。

私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。

エレミヤは何と言いたかったか、と言いますと、「喜ぼうと思えばみことばを食べなさい」みことばは人間にとって最大の宝物です。ダビデもみことばのたいせつさ、すばらしさが分かったから、一番長い詩篇ですけれど、119篇(を書きました)。全部読みません。心配しないで。詩篇119篇の105節だけ。皆さん、暗記している言葉ですけれど。

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

162節

私は、大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます。

 私たちが何かを表現しようとするなら、ことばをもってしなければいけない。もし私(たち)が何も話さないでいるなら、皆さんは私の心の奥底を知ることができないでしょう。いったいどうしたらイエス様をもっと知ることができ、理解することができるのでしょうか。みことばによってです。

 聖書は主なる神のことばです。みことばは主ご自身の啓示そのものです。すなわち、単なる教理 、単なる学説ではなく、主のあらわれ、主の啓示そのものです。だから、聖書を読むことはたいせつですけれど、聖書を研究し、また、いわゆるキリスト教の教えを知るためではなくて、聖書を読むことにより、イエス様を知ること、より親しい交わりを得るために読むべきです。

 誤った聖書の読み方もあるでしょう。ある人は聖書の中の主の愛について書かれたところだけを好きでいつもその箇所だけを見ます。そして、主の愛だけを口にします。また少し謙遜な人は主なる神は柔和であるとの箇所を好んで読み、主の柔和だけを云々します。これに対し、少し激しい気質の人は主の裁きだけを口にするようになります。これは皆自分の考えを入れた聖書を読む結果です。それは、あたかもいろいろな色のセロファン紙を聖書の上に置いて読むようなものです。そのようなことをすれば、聖書がいろいろな色に見えるのは当たり前なことです。その色のセロファン紙を取り除き、すべての考えを除くなら、イエス様はご自分を啓示なさることができます。また理解力を持って聖書を理解しようと思えば、もちろんうまく行きません。パリサイ人たちは、よーく聖書を読んだ学者たちは、結局その読み方をしました。イエス様は彼らに厳しく言われました。ヨハネ伝5章39節。

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。

 聖書の単なる教理が問題ではありません。イエス様ご自身が問題です。なぜなら、イエス様は聖書がわたしについて証言していると言われたがゆえに、たいせつです。わたしのことばは永遠に残るとイエス様は約束してくださいました。聖書を読むことといのちを得ることは一つのことがらであり、決して二つのものではありません。旧約聖書の申命記になりますけれども、次のように書かれています。333頁です。覚えやすい、333です。申命記32章の47節

これは、あなたがたにとって、むなしいことばではなく、あなたがたのいのちである(からだ。)

内容としてパウロの愛弟子テモテにも同じことを書いたのです。今度は新約聖書の382頁、テモテ第二の手紙3章の16節。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です

とあります。聖書全体は主なる神の息が吹き込まれることによって書かれたものです。主なる神の感動により、主の息吹により、霊感によって書かれた書物です。だから聖書は主なる神の教えではなくして、主なる神の啓示と言わなければなりません。主のみことばをもって自身をお現わしになりました。主のみことばはわれわれにとっていのちのパンとならなければなりません。なぜなら、聖書は教理や真理の原則を語っているのでなく、いのちのパンそのものであるからです。イエス様は言われました。マタイ伝4章の4節です。

『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と

イエス様はご自身、わたしがそれによって生きる、自分がいのちのパンとなりたく思っておられる。私たちはイエス様によって生きているなのでしょうか。私たちは主のみことばによって生きているなのでしょうか。ヨハネ伝6章63節を見ると、イエス様はまた次のように言われました。171頁ですね。

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

(書は畏友の書である。それぞれ筆も半紙もちがうそうである。明治の三筆の一人と言われる彦根藩士日下部鳴鶴の書を理想とされるようである)

2014年11月3日月曜日

あなたのみことばは真理です(上)

生憎の琵琶湖湖岸風景 2014.11.2朝

 このヨハネ伝17章はすばらしい祈りです(※)。毎日読んでもいいじゃないかなあーと思います。結局「あなたのみことばは真理です」。これはイエス様の確信であり、喜びの源でした。(※註 引用聖句はヨハネ17・1〜17)

 私の悩みの一つは何でしょうかね。まあ、悩んでいない人はいない。信仰があってもなくても人間は悩む者です。私の悩みの一つは、イエス様にとって、からだなる教会はいかに大切なものであるかと分かっていない人は多いということです。

 イエス様の教会とは仲良し会ではない。イエス様は、「わたしはわたしの教会を建てる」と約束してくださいました。どうせ人間はできないからです。けれどもイエス様はその約束を必ず守って下さいます。だからこそ、すべてをめちゃくちゃにする悪魔は、信ずる者がこのからだなる教会の大切さを知らないように昼夜攻撃し、めくらにしようと思っています。そして、ある程度まで成功したように見えますけれども、この勝利はもちろん本物ではない。偽物です。イエス様はご自分の教会を、自分のからだなる教会を建てる。このからだなる教会とは言うまでもなく、かしらはイエス様です。主のからだなる教会はイエス様にとってすべてです。

 コリント第一の手紙の中で次のような大切な箇所が書かれています。307頁です。コリント第一の手紙12章の27節です。

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

と。そうなってもらいたいのでなく、そうなんです。事実(が)述べられています。上からの光に照らされて、すなわち、上からの啓示によって、この真理を心の目で見ていることのできる人は幸いです。それによって、すべての疑問、また疑いが飛んで行ってしまいます。今も歌いましたように、「いつまでも、いつまでも、主と生きる」(※)喜び。何があっても、もうちょっと、イエス様は近いうちに来られます。いろいろな問題がある。どうしたらいいかわかりません。けれども、確実なのはイエス様は近いうちに来る、それによって問題はいっぺんに解決されます。(※註 多分、日々の歌182番「よみがえりの朝に」をともに賛美したように記憶する)

 人間の祈りはたいせつです。もっとたいせつなのはイエス様の祈りでしょうね。イエス様は祈りの中で、今の読んでもらいました箇所を読むとわかります。ヨハネ伝17章の17節

(真理によって彼らを聖め別ってください。)あなたのみことばは真理です。

 聖書を学ぶ場合に一番たいせつなことは、次のようなことではないでしょうか。すなわち、聖書自身が自らを明らかにするということです。したがって、みことばを学ぼうとする時には、聖書全体が何を言っているかを正しく理解しなければなりません。たとえば新約聖書の中の福音書、あるいは手紙を学ぼうとする時には、絶えず新約聖書と旧約聖書の関係の中でそのところを読まなければなりません。それですから、聖書の中の一部分を読む場合などには、それが聖書全体の中でどのように位置づけられているかに注意し、そのところだけでなく、ある場合には前の方に遡り、ある場合には後の方を見なければなりません。

 また、みことばを読む目的はたいせつです。単なる知識を得るためではなく、心から真剣に真理を求めて行くという飢え渇きを持つことがたいせつです。聖書は神のみことばですから私たちはみことばを主なる神のみことばとして学び、主のみことばとして素直に受け入れることがたいせつです。

 私は聖書を読んでいる人の絵を四枚持っています。一枚目の絵を見ると、大きな人が小ちゃな聖書を読んでいます。二枚目の絵になると、その大きな人は前よりも少し小ちゃくなり、その代わりに聖書は前よりも少し大きくなりました。三枚目の絵を見ると、その人は前よりもさらに小さくなり、聖書はその人と同じくらいに大きくなっているのです。そして四枚目の絵を見ると、その人は非常に小さくなり、それとは反対に聖書は比較にならない程、大きなものとなりました。

 これからわかることは、始めは自分の考えによって聖書を解釈していた人は、聖書を読むうちに聖書が絶対的な権威を持つに至ったということです。つまりその人は聖書を主なる神のみことばとして真剣に読み、このみことばに耳を傾け注意してきましたからみことばがその人の血となり、肉となり、自分の思いが消えて行ってしまったのです。その結果、みことばがすべてとなり、主イエス様がますます大きくなったということです。

 今日、多くの人はみこころを軽く考えて、自分の考えで勝手に解釈したり、 みことばに対して耳を傾けることをしなくなってしまいました。けれども、正しくみことばを学ぶ時、聖書のみことばこそ絶対的な権威を持たなければなりません。聖書というものは決して研究のためのものではない、それをとおして主なる神ご自身がわれわれに語りかけてくださるみことばです。ですから私たちは注意深く聞かなければなりません。

(日曜日、ラフォーレ琵琶湖で開かれた喜びの集いでベック兄が語られたメッセージの聞き書きである。私は先週の月曜日、電車の中で一人の教会に集っておられる方と初対面だったが一緒になり、私が牧師のいない集会に出席していると言ったら、そのような集会では聖書がそれぞれ思い思いに解釈され、危険ではないかと言われた。私はもちろんその恐れはあるが、御霊なる神様のみことばは不動だから大丈夫だとその方にお話した。それから一週間もせずにこのメッセージに接するとは! 実にタイムリーな主の導きだと思う。主は確かに生きておられる!)

2014年10月24日金曜日

三人寄れば・・・

日立駅のウインドーから見た太平洋 2014.10.19

 女三人寄れば姦しい。三人寄れば文殊の知恵とか、結構三人にちなんだことわざがある。昨日私が経験したことはその流儀で行くと一体どれに当たるのだろうか。そのことに触れる前に若干いきさつを説明しておく。

 私は今、男二人と女一人になる三人一緒で、縁あって女性の御父様が戦病死なさる前に奥様や友に宛てられた戦時中の数十通の書簡を一冊の本にまとめようとしている。互に利害打算を離れて主イエス様のご栄光があらわされればと考えての作業である。もちろん戦争の悲惨さを思い、二度とこうあってはならないという互いの共通の思いがある。だから、皆それぞれ自由に関わってきた。過去5、6年間、いつか本にしようと思いながらも、互いの事情が交錯して中々話は具体化せず、時ばかりが経過して行った。

 ところが、今年になって、三人のうちで一番年配の男性の方から、そろそろまとめましょう、そうしないと年々しんどくなりますよ、と女性を通して打診があった。そうか、何とかせにゃなるまいと当方もやっと本気になった。これまで二度打ち合わせをした。二度目は今週の火曜日にすませた。和気あいあいで、時事問題も話に加えながら、時あたかも二人の女性大臣が辞任すると言うお粗末な話を聞かされたばかりで、もともと安部内閣の危なっかしさを問題にこそすれ、評価しない私たちではあるが、下世話な言い方で恐縮するが「あれは、誰かにはめられたんだ」という結論になった。

 ところがどっこい、書簡集に誰がどのような解説を加えるかを検討する段になって、それに似たことが私たちの間で起きた。と言うのは、言い出しっぺの私自身が、調子に乗って、予定していなかった箇所の解説の頁までも快く引き受けることにしたからである。何のことはない、私自身がはめられたことになる。気づくのは遅かったが、そのことを口に出し皆で大笑いした。

 けれども、いよいよ、昨日解説を加えなければならない手紙の一つを読んでいて、私は首をひねるばかりでどうしていいかわからなくなったのだ。それはその御父様が1939年10月18日ロンドンから書かれた手紙の末尾に次のことばが書かれてあったからだ。

目下決算で一ヵ月程夜業しております。勉強できないのが残念ですが、健康でおりますから御安心ください。ドイツからチョイチョイ空襲に来る様ですが、私どもは平穏におります。日本同様物価が上がって参りました。お宅の皆さんによろしくお願いいたします。

 私はこの記事が気になった。日付が一年あとではないのかと思ったのである(手紙の日付は末尾に記されているから確かなのだが、何年のものかは消印のある封筒表で判断できるが、何しろ70数年経ちそれも紛失している場合が多いからである)。確かに1939年には第二次大戦は始まっているが、それはドイツ軍のポーランド侵攻であり、まだイギリス・ロンドンに対するドイツ軍の空爆は翌年1940年8月にならないと始まらないと物の本で知っていたからである。だから悩んだ。その女性の方にその旨電話で話したら、「あら、それはおかしいですね。でも『チョイチョイ空襲に来るです』と書いてあるのだから、そう思ったんじゃないですか」と軽くあしらわれた。なるほど、私のような第三者は教えられた史実を重んじるのに対し、この人は娘だから父の言葉を素直に信じて、そういうように読み取るんだ、と史実と違うとわめいていた自分が愚かしく思えたが、心の底ではまだ納得できなかった。

 それからしばらくしてその女性から明るい声で電話があった。もう一人の年配の男性に早速電話したら「それは偵察飛行に来たんじゃない、そうなのだよ。だから矛盾しないよ。」と答えがあったと言う。「なるほど、そうか、偵察飛行ね」と、さすが年配者はちがうという思いで電話のこちらの私と向こうの彼女と二人で大いに笑った。当然電話口にはいないその年配の男性も、私たちの語らいを聞いておられたら、またしても笑われたことであろう。私は今、この手紙が書かれた時の戦況説明をどのように書いたものか首をひねって思案中である。でも峠は越した。

 これからも主イエス様にあって自由闊達な三人でありたい。

まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ18・19〜20)

2014年10月23日木曜日

「静寂」 藤本正高

ドイツ・フィリンゲンの教会の門扉(2010.10)
おお主よ、
願わくは私自身にも貴紳にも
見知らぬ人と私をなし給う勿れ、
私の最高の愛を等閑(なおざり)にする、
幾多の思想の中に私はあれば。

肉と感覚の世界より私を呼び出し給え、
いと高き御言葉は私をそれらの世界より引き離し得、
私は聖なる御声に従いて、
凡ての劣れるものより逃れん。

地を凡ての感覚と共に退かしめよ、
喧噪と虚構を去らしめよ、
心の秘かなる静寂の中にある、
私の天国、
私はそこに神を見出す。

 上は二百余年前、カール・ハインリッヒ・ポカッキーの歌える言葉であるが、又現代の我らの祈りでもある。騒然たる世にありて、我らはこの静寂を求めて已まない。
 真の静寂は深山の奥にない。幽谷の中にない。神を信ずる者の心の中にある。
 キリストは、漁夫達さえも恐れ戦く嵐の中で、静かに眠り給うた。父なる神に対する全き信頼の故に。
 全世界は嘗てなき嵐の中にある。地は揺ぎ 、天空は暗い。嵐に吹き廻されて右往左往する人々の絶望的な叫びは四方より聞こえる。救いは何処より来るや。光明は何処にありや。
 救いは天地を創造し給える神より来る。光明は神を信ずる者の静寂なる心に臨む。不安なる世に平安を有(も)ち、嵐の中に静寂を保持し得る者は幸いである。

(上掲は昭和15(1940)年 9月の『聖約』雑誌30号に載せられた主幹藤本正高氏の文章である。当時三井物産ロンドン支店から上海支店に転勤していた小林儀八郎さんはこの冊子をふくむ三号(29号から31号)を日本にいる婚約者に頼んで日本の職場でかつて一緒だった同僚に送ってもらおうとした。ロンドン支店におられた時、第二次世界大戦はすでに始まり、その喧噪と不安に満ちた世界の現出を前に書かれた彼のロンドン便りはいずれかの冊子に掲載された(と思う)。それを読んでもらおうとされたのだ。残念ながら今では散逸してしまっていてその文章を読むことができない。しかしその雑誌の香りを知るにふさわしい一文が藤本正高著作集第5巻の272頁に掲載されていたので転載させていただいた。儀八郎さんはこのようにして仕事の激務の合間にも福音を友に伝えようとしておられたのだ。イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。マタイ8・23〜24

2014年10月16日木曜日

家庭集会前夜の「夢」

昨日の引用聖句 2コリント13・11(文語訳)
夢の話とはもともとたわいない話にちがいない。そんな話につき合っていただくのは誠に申しわけないが、教会とはどんなところかを考えるのにはいい材料になるのではないかと思い、敢えて書いてみることにする。

家庭集会当日(10/15)の朝であるが、明け方、変な夢を見た。何か教会の会議らしいが、私は副議長のような形で参加している。だのに私が発言する。隣には牧師がいるようだ。恐らく彼が議長なのではないだろうか。しかし私の発言は教会を批判する内容だったように思う。それをにこやかに聞いているというのも不思議なのだが、その牧師が私の発言を怒っていなかったのは確かだ。

ところが、その私の発言に勢いを得たのか、会場にいる二人の男性の方がやはり教会を批判する発言をする。会場内にも同調の様子がうかがえる。その瞬間、私は自分は教会員でないのに、厚かましくもその場に連なって発言していることの矛盾に気づき、隠れるようにこそこそ、その場から姿を消す。ところが、私によくぞ言ってくれたとばかり二人の女性が後をついて来た。私はその女性たちに、「実は自分があの場を退席したのは、教会員でないのに発言していたことに気づいたからである」と言った。女性たちは驚くと同時に、それでは私たちとは関係ないと言わんばかりに、私から離れ去って行った。私は一人ぼっちになった。そこで目が覚めた。

余りにも突拍子もない夢に違いないが、牧師は当然のこと二人の男性も二人の女性も私がはっきり名指しできるいずれも、20数年前で一緒に集っていた教会員の方々だった。しかもその内の男性のお一人の方は昨年か一昨年か先に天に召された方である。目ざめた私は床の中で、今しがた見た夢を考えるともなく考えた。教会には信仰12か条というのがあったっけ、その8条、9条にそれぞれ真の教会と地方教会の説明があったなあー。目に見えない教会が真の教会で、目に見える教会が地方教会であるというのがその眼目であったぞ、と。

以下はその夢から目ざめて引き出した私の「教会」に関する結論である。聖書にはイエス様を信ずる者はキリストのからだである教会の一人一人であり、その教会には人間がこしらえた会員制度が入る余地はない。それをいつの間にか牧師制度(すなわち一種の階層制度)が成立してこのような会員制度を土台として教会理論が形成されたのである。私が夢の中で自分は教会員でないからと自覚してその場を離れた行為は、そもそも主イエス様の導かれる教会とは何らの関係ない行動だった。神の前に行動するとはそのような人間の思惑を越えたものであるはずだからである。とすると、制度教会が、主の囲い場である信徒の群れに勝手に縄を張ってイエス様ならぬ、人が支配するために編み出されたのがあの教会理論であったのではなかったのかと合点したのである。

久しぶりに多くの人が来られる、冬瓜も!
でも、そもそもこんな複雑な夢を見たのは何故なのかわからなかった。しかし、その内ハッと思い当たることがあった。実はお世話になったかつての職場の先輩の奥様が77歳で亡くなられた。日曜日その方から受けた電話で知った。先輩とは40年ぶりにお電話で話すことになったが、その話が奥様の逝去であっただけに余計驚かされた。奥様は私に初めて分厚い聖書を貸して下さり、教会に連れて行って下さった方であった。カトリックの信仰を持っておられたが、その当時先輩は信仰を持っておられなかった。ところが何年か前、先輩もとうとう奥様と同じ信仰を持たれたと風の便りに聞いていた。(http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2011/10/blog-post_20.html)

遠いが、お世話になった方なので、思い切って月曜日台風19号接近の悪天候のなか、お通夜に出かけた。会葬者は大変多く、立ったままの参列になった。オルガンの前奏があり何曲か賛美歌が演奏された。その中で故人の略歴が紹介され、スライドを通して奥様の生前の様々なボランテア活動が次々と紹介されて、ご主人である先輩のご挨拶があった。妻の一生は「上を見ては天に恥じず、下を見ては地に恥じず」であり、いつでも家庭は憩いの場であったと言われた。私も独身時代にご自宅への招待を受け、食事をともにさせていただいた思い出がたくさんあり、ご主人の言われる通りに、まことに謙虚な方であり、人に仕える方だと思い、ああこれがキリスト者なのかと思ったことがある。ご挨拶のあと、ご家族親族を先頭に会葬者により延々と焼香があった。お坊さんはいず、もちろん読経もなかった。かといって、カトリックの葬儀でもなかった。

お通夜の後、その方に弔問の意をあらわしながら、その辺の事情を聞くともなく聞いてみたら、「カトリックは階層があるから、脱会したのだ」と言われ、階層があると判断した理由として「司祭、助祭、神父やそれぞれに応じて祈りの言葉があってちがうのだ、(けしからん)」という意味のことを言われ、私を意識してか、プロテスタントの方がいいと言われた。私は「いや、私はカトリックでもありません、プロテスタントでもありません、無宗教です」と申し上げたところ、その方も「俺も無宗教だ(だから、坊さんにも頼まなかった、神父にも頼まなかった )」と言われた(ただ、そう言いながら焼香の場は残された、皆さんの弔意を受けるスタイルに気を遣われたのであろう、私自身は理由を言って焼香は遠慮させていただいたが・・・)。随分お世話になった方でこの方の方に足を向けては寝られない間柄だったが、いつの間にか40数年の年月を経て言葉上の一致を見た。

私が見た夢はひょっとするとこのような経験が深層心理にしまいこまれていて、一気に家庭集会を前に奔出したものではないかと思う。夢とはまか不思議なものである。それはともかく、今後一人になられた先輩に主イエス様を信ずる者はそれだけで無条件にキリストのからだとしての教会に加えられているのだという聖書の示す真理をともに味わい、心ゆくまで語り合いたいと、今思わされている。

あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。(エペソ2・20〜22)

2014年10月10日金曜日

比類なき導き手である主(下)

夕空に 父母夫 想う人 三井文庫を 我と歩めり  2014.10.7
シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。そしてわたしはそれに反対しません。

これはまことに厳しく、辛いことですけれど、あなたが破産してほんとうに自分自身に絶望するためには、どうしても必要なことです。ここで注意していただきたいことは、いろいろな人格の順番、あるいは順序ですね。ここの聖句によると、「悪魔」、わたし・すなわち「イエス様」、そしてあなた・すなわち「シモン・ペテロ」およびあなたの兄弟たち。こういう順番となっています。

主は、ペテロに、ペテロを通して、彼の兄弟たちを強めようと思われました。結局、ペテロを用いられる器として用いたかったのです。けれども、そのためにはペテロは砕かれることがどうしても必要でした。そのために、悪魔がペテロを攻撃することになるのですが、けれどもその時でも主は絶えずペテロのために祈って下さいました。したがって、サタンは自分がしたいことを何でもするということはできません。私たちは完全に主の御手の中にいるのであり、それは永遠の安全を意味しています。それですから、主は悪魔とペテロの間にお立ちになられたのです。

ペテロはほんとうにすべて失敗してしまいました。彼は最後の土壇場に立たされていました。そこにはもはや一条の希望の光も射し込まず、すべての望みが消え失せた、全く絶望的な状態が支配しました。しかし、この訓練は「偶然」ではなかった。どうしても必要でした。ペテロはもはや自分の力に依り頼むことができなくなりました。そこから初めて主はペテロをお用いになることが出来るようになりました。その良い例が、もちろんみなさんご存知です。五旬節です。その時、ペテロは、ペテロを通して、三千人以上の人々が福音を聞いただけでなく、導かれ救われたのです。

もう一つの実例はパウロなのではないでしょうか。パウロもペテロと同じように深みを通って行きました。すなわち、三日間暗闇の中に生きたのです。そのことをあとになって、パウロは次のように証したのです。ちょっと見てみましょうか。コリント第二の手紙の3章になります。318頁です。コリント第二の手紙3章5節、6節。

何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。(と、パウロは正直に告白したのです。)神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。(と、書いたのですね)

私たちはみな実を結ぶ秘訣を知っています。すなわち、自分自身を否定し、自分に対して死ぬことです。有名なヨハネ伝12章の24節、みなさん暗記していることばだと思いますけれど、引用します。ヨハネ伝12章の24節。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

どこにも多くの重荷に喘いでいる人、いかなる逃れ道をも見出せず、絶望的な状態になっている人がいます。 どうして私はこんなにたくさんの困難や問題を経験しなければならないなのか、どうして私は失敗してしまうなのでしょうか。恐らく、それはまだ救いの確信を持たず、イエス様こそ私のもの、かけがえの無いものと言うことができないからではないでしょうか。もしかすると、それはあなたの救い主があなたをご自分に似た者に造り変えようとしておられるからではないでしょうか。

たいせつなのは救われることだけではなく、主をよりよく知ることです、きよめられることです。あるいは、それはあなたが今まで主を利用しようとしていたかもしれない。けれども、今や主があなたを主の御手の中で御自身の器として用いたいと思っておられるので(はないで)しょうか。

もう一ヵ所、旧約聖書から読みます。申命記、旧約聖書の292頁になります。292頁です。申命記の8章15節です。

燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ(る、主とあります)

道を塞ぐ岩、すなわち障碍物から、あるいは理解できない困難や、私たちが甘受しなければならない心痛、すなわち心の痛み、これらのものから主は水を湧かせようとしておられます。このような経験を通して私たちは主の身許に行くのであり、このような経験を通して私たちは祝福され得るために祝されまたいのちを与えられるものです。生ける水は川となって我らより出ずるべし、と書いています。

旧約時代に主はご自分の民に向かって次のように言わなければならなかったのです。今度はエレミヤ記の二章、1137頁になりますが、2章の13節

わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。

もう一ヵ所、同じくエレミヤ記の17章13節を見ると次のように書いてあります。

イスラエルの望みである主よ。あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。「わたしから離れ去る者は、地にその名がしるされる。いのちの水の泉、主を捨てたからだ。」

わが民!わが民は二つの罪を犯す。一つは湧き水の泉であるわたしを捨てたこと。第二は水をためることの出来ないこわれた水溜を自分たちのために掘ったと。このように主は悔い改めて立ち帰ることを呼ばわれました。

イエス様を知らない人々は悔い改めて主の身許に立ち帰らなければなりません。救われるためです。イエス様を知るようになった人々は、主のうちにとどまるため、また用いられる道具となるために悔い改めて立ち帰らなければなりません。イエス様のうちにとどまる者だけが、主と結びついているのであり、このいのちの泉の通り良き管となることによってイエス様は御自身をあらわすことがお出来になるのです。

今のこの時の試練はまさに死後の世界に至るための準備期間のものに他ならない。主は何物も御手から失いません。主はとこしえにすべてを支配なさるお方です。暗やみの夜にも困難な涙の時にも、主の御手は私たちを守って下さいます。失望落胆した心も慰められ、喜ぶことができます。なぜならば、主はとこしえに主であられるからです。そして、主は決して過ちを犯しません。私たちが理解できないことがたくさんあるとしても、主は我々にとって最も益となることを考えていて下さるのです。

最後にもう二ヵ所ほど読んで終わります。ロマ書8章の18節です。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

すばらしいパウロの告白ですね。もう一ヵ所、今度はコリント第二の手紙4章、319頁になります。コリント第二の手紙4章の8節から10節までお読みいたします。319頁。

私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

16節
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

もう一ヵ所、ハバクク書3章。多くの人々の大好きなことばの一つになっています。1411頁です。3章の17節から19節までお読みいたします。

そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。(結局、こんなことが全部私の身にふりかかってくるのだ、もう大変だよ、ハバククはそう思わなかったネ。18節。)しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。

毎日の戦いの中でこの断固たる態度をとることができれば、「主は生きておられる、主の御臨在はもう十分です」という態度を取ることができるようになります。

2014年10月9日木曜日

比類なき導き手である主(中)

台風18号接近前夜の広島三渓園  2014.10.4
多くの場合、人生の途上には恐ろしくたくさんの困難が横たわっています。けれども、主はつねに一つの目的を持っておられます。すなわち我々人間をゼロの点にまで低くすること、あるいは破産させること、これが主の取られる方法であり、その限りにおいて、すべての者は自分自身の助けになるものを失い、心から悔い改めることにより、また、主を信ずることにより、主なる神のみもとに行くことが可能となるのです。

なぜか、どうしてか、何のためか、と考えると、今見てきたように、支配したもう主は罪人が救われるために、それらの多くの出来事を起こるがままにさせておかれるということです。主が人間に正しい理解と悔い改めを得させるために、確かに多くの事柄を失敗するがままにさせておかれることを聖書を通して知ることができます。

なぜか、何のためかについて考えると、今話したように支配したもう主は罪人が救われるために、それらの多くの出来事を起こるがままにさせておられる。二番目の答えは支配したもう主は信ずる者が、もうすでに救われた人々が、変えられるために、それらの多くの出来事を起こるがままにさせているのです。

しかし、未信者だけでなく、信ずる者もまたいわゆる運命のなすわざを経験するのです。信ずる者もまた同じように失望落胆し、なぜこんなことが起こるのか、どうしても理解することができない場合に遭遇いたします。なぜ主は信ずる者が厳しい試練に会うことを許されるのでしょうか。それは彼らの教育のためです。彼らのきよめのためです。また彼らは主の御姿に変えられるためです。

それを証明するために聖書からちょっと二ヵ所ばかり見てみましょうか。ロマ書8章、前に読みました箇所、8章28節、29節。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべて(大部分じゃない)のことを働かせて益として(損ではない)くださることを、私たちは知っています。

パウロ、当時のローマに住んでいる兄弟姉妹はこの動かされない確信を持っていたのです。「私たちは確信する。」

なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

我々の人生の途上に横たわっているものすべて、また我々の人生の中に入り込んで来るものすべては主によって用いられており、したがって無価値なもの、無目的なものはひとつもない。たいせつなことは私たちが新しく造り変えられること、主イエス様に似た者となることなのではないでしょうか。我々の人生の中に「偶然」というものはひとつもない。すべての背後に主が立っておられます。もちろん目的を持って導いて下さるのです。「すべてが益となる」。このことを私たちはつねに新たに毎日覚えるべきなのではないでしょうか。

善きことや、最も善きことは、私たちが造り変えられることです。「造り変えられること」、主の御手によって練られることは確かに痛みを伴うでしょう。すなわちそれは自らが砕かれることなしにはあり得ないことだからです。人はその時失望落胆し、力を失い、自暴自棄に陥りがちです。しかし、このようなことは自分の思い通りにならない時、目先のことしか考えない時に、起こる事柄です。29節ね。

なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

主は御子の姿に似た者となるようにあらかじめ定めておられるのです。主が目指しておられるご目的は何とすばらしいものでありましょうか。この目的からつねに目を離さないことは非常にたいせつなのではないでしょうか。

主はご自分に属しておられるものを限りなく愛してくださるから、まさにそのために私たちを懲らしめ教育なさるのです。主の教育は私たちが主のきよさにあずかるように、御自身の身許に引き寄せたく思っておられることです。我々の主は完全であり、主の導きもまた完全です。恐らく私たちはすべてを理解することはできない、挫折してしまう危険に直面し、また自分自身を同情してしまうというような場合もあるなのではないでしょうか。

どうして私はこんなことを経験しなければならないのでしょうか。どうして、次から次へとこんなことが私に起こるのでしょうか。どうして私はこんなにたくさんの困難や理解できないことを経験しなければならないのでしょうか。

すべての懲らしめはその時は喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になるとこれによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

「後になるとわかる。」ここでたいせつなことはその時は一時的に悲しく思われるものですけれど、後になるとそれが結果的に幸いになる、ということです。

次に私たちは次の事柄を覚えましょう。すなわち私たちは決して主のために実験用モルモットのようなものではない。主がつねに最善のみを考えておられる最愛の子であるということです。たとえ実際にすべてのことが失敗したとしても、私たちは主によって愛されているということを知ることができます。まさに主の試練やこらしめこそ、主の愛の証拠です。私たちは今そのことを理解することができなくても、しかし後になるとそのことを主に感謝し礼拝するようになるに違いない。一番長い詩篇の中から一ヵ所読みます。詩篇119篇、945頁、ダビデの告白です。119篇の67節です。

苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。

結局ダビデは、苦しんだのは良かった、必要だった、最善だった、と思うようになりました。

なぜか、あるいは何のためかという問いについて今考えて参りました。前に言いましたように答えは三つです。第一番目、支配したもう主はまず罪人が救われるためにそれらの多くの出来事を起こるがままにさせておられるのです。二番目、支配したもう主は信ずる者が変えられるためにそれらの多くの出来事を起こるがままにさせておられます。三番目の答えは支配したもう主は救われた者がほんとうに主に仕える者として、用いられるためにそれらの多くの出来事を起こるがままにさせておられます。

多くの信者は実を結ばない木のようなものです。主は彼らを用いることがおできになりません。その原因はいったい何なのでしょうか。彼らは主なしでも何とかやれると考えているからです。もちろん、これは知らず知らずやれると考えているのですけれど、彼らは自分自身の力と自分自身の知恵に依り頼んでいます。そうすると祝福がないはずです。確かに多くの信ずる者は主のために何かをやりたい、主のために一生懸命に何かをやりたいと思い、またこのことやあのことをしたいと主に願ったりするのですけれど、結局彼らはこのことやあのことを自分がしたいため主を利用しようとしてしまうのです。

けれども、実際は主が、主ご自身が人間をお用いになりたいと思っておられます。ご自分の器として信ずる者を用いたく思っておられるのです。永遠に残る実を結ぶ奉仕は主のために我々の努力じゃなくて、私たちを通して主ご自身がなさる御業でなければなりません。これこそ多くのものが我々に逆らっているように思われたり、主が我々を厳しく取り扱われなければならなかったり、私たちが砕かれなければならないことの原因です。

二つの例を考えてみましょうか。第一番目、ペテロ。自信と独立心が、このペテロの特徴でした。彼は自分自身の能力に間違った自信を持っていました。ちょっと見てみましょうか。ルカ伝22章、149頁になります。ルカ伝22章31節。

シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

2014年10月8日水曜日

比類なき導き手である主(上)

オペ終わり 友のはらから 安堵して 眼下見下ろす 台風一過   2014.10.6
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。(ローマ8・28〜29)

人間は確かに誰でも色々な問題、悩みや、苦しみに出会うものです。そして多くの場合そのような問題に直面したとき、私たちはいかなる答えをも見出すことができません。何と多くの人々は山のような問題の前になす術を知らないで悩んでいるのではないでしょうか。けれども、主を知る者はほんとうに幸せです。心配しなくても良い、思い煩わなくても良い。何でも出来るお方にすべてをゆだねることができるからです。確かに、しばしば色々な状況の前になすべき術をまったく知らない。どうしたらいいかわからない。

これは昔のヤコブの経験でした。一ヵ所読みます。創世記42章の36節をお読みいたします。(旧約聖書の)72頁です。

父ヤコブは彼らに言った。「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして今、ベニヤミンをも取ろうとしている。こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ。」

心の痛みの叫びでした。彼のそれまでの生涯においては自分自身の意志や自分自身の力にたよって行なったことが確かにたくさんありました。彼は長い間、ずるがしこさ、また卑劣さをもって、ただ自分、自分の利益ばかりを考えた男でした。けれども、そのような人を欺く者が欺かれました。主なる神は罪を見過ごしにされない方です。これはヤコブが学ばなければならなかった、確かに厳しい教訓でした。

「こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ。」すなわち、言い換えれば、すべてのものが私に反対している、もうがっかり。ヤコブの場合のようにすべてが失敗に終わりそのように思えるとき、いったい何がなすべきでありましょうか。いかなる態度が取られるべきなのでしょうか。

先ず最初に私たちが注意すべきことは、すべてのことが失敗に終わるということは、ただそのように見えるにちがいないということ。ヤコブの場合もそうでした。なぜならば、ヨセフは確かに今はいないけれど、いつか必ず会える。シメオンもまた確かに今いない。けれど必ずいつかまた会うようになる。

我々は人間的な見方をする場合、多くのものを正しく見ることができません。次のように言うでしょう。すべてのものが私に反対している。すべてのものが失敗に終わるでしょう。けれどもほんとうはその反対が真実です。すなわちこれらの事柄は我々に反対しているのじゃなくて、我々のためにある、ということです。けれども、そのことは私たちは今はそのようなものとして認識することができないような性質のものですから、隠された祝福であるとでも言えます。

なぜ私はこんなことを経験しなければならないのでしょうか。なぜこんなことが私にふりかかかってくるのでしょう。このように苦しみながら、悩みながら、いくら自問(自答)していても、何の解決も見出せないような事柄が実際には数え切れないほどたくさんあります。

そこで次になぜか、あるいは何のためか、という質問について、ちょっと一緒に考えてみたいと思います。答えは三つです。第一番目、支配したもう主は罪人が救われるために、それらの多くの出来事を起こるがままにさせておかれる、ということです。主のせいです。二番目、支配したもう主は信ずる者が、もうすでに救われた人々が変えられるために、結局主をよりよく知るためにそれらの多くの事柄が起こるがままにさせておられるということです。そして三番目、支配したもう主は、救われた者がほんとうに主に仕える者として用いられるために、主の御手の中で用いられる器となるために、それらの多くの出来事を起こるがままにほっておかれる。

なぜか、どうしてか、何のためかと考えると、今話したように、言えることは支配したもう主は救われていない人々は救われるために、確かに多くの出来事を起こるがままにさせておられる、ということです。大切なことは人間が真理の認識にいたること、すなわちイエス様に出会うこと、こそです。イエス様に出会わなければすべてはもう意味のないことなのではないでしょうか。

ですから、次のように言えます。人間は救われ得る前にひとたび失われた状態にならなければなりません。すなわち人間は主なる神が、人間を救って下さる前にまず、自分の失われた状態を認めなければならないのです。物質的なものが満ちあふれ、目に見えるものにがんじがらめとなってしまっているため、永遠のものや生ける主について深く考える時間がない。このことが現代の特徴なのではないでしょうか。

多くの人は救い主を持つ必要性についてめくらですけれど、例えばそのことを認めざるを得なくなったとしても依然として逃げようとするのです。その方々は静かになって人生の意義を考えたり、死後の世界を深く考えたりすることをしたがらないのです。このことこそ主は多くの不愉快なこと、困難なことを理解することができないことを、我々の上に来らせることの理由です。このような主の導きの目的は御自身のもとに引き寄せること、また赦しと人生の内容を与えて下さることに他なりません。

聖書の中からちょっと一つの実例を見てみましょうか。すなわち、放蕩息子。という人は、自信に満ちて親の家を去りました。もちろん意識して彼は自分が選んだ道へ行ったのです。彼は何ものからも束縛されず、自由に自分の人生を楽しもうと思いました。自分自身の道を行きたいと思う者に対しては主は好きなようにさせます。決して強制なさいません。たとえ最初は自分のことが望み通りうまく行くように見えたとしてもやがてすべてのことが失敗に向かう時がやって参ります。

そして、その結果、突然すべてのものが自分に反対しているように思われるのです。お金はまもなく使い果たして、それまでいわゆる友だちと思われた人々からは捨て去られることになってしまいました。すべてのものが失敗してしまったようです。ちょっと見てみましょうか。ルカ伝15章14節からちょっとお読みいたします。(新約聖書の)136頁になります。

何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。どうして大飢饉が起こったかと言いますと主のせいなのです。)それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。(ユダヤ人にとって一番考えられないものです。豚の肉は食べてはいかん。そして豚の世話をするのは面白くなかった。)彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。(ルカ15・14〜16)

けれどこの導きによって、すなわちこの深みへと導かれたことによって、彼はただ単に自分自身に立ち帰っただけじゃなく、そのことによって父の住まいへ戻ることになり、ほんとうに満ち足りた幸いな人生へ入ることができました。

(過日天城山荘で開かれた集いにおいて、日曜日の福音集会でベック兄が語られたメッセージの聞き書きである。)

2014年9月29日月曜日

天城山荘

「いらっしゃいませ」 玄関口にある飾り 東京Kさん宅
土曜日、日曜日と静岡県天城山に出かけた。一泊二日の聖書を土台にした「喜びの集い」に出席するためであった。言い出しっぺは家内であった。結婚する前、私がイエス様を信じていない時に、何とか信仰を持ってもらいたい一心で、天城山荘で持たれたある教派の教会主催の集会に彼女が私を誘って参加するためであった。結婚前、彼女は関西、私は関東にいた。だからどこかで待ち合わせて天城山荘まで出かけたことと思う。

その集いの時に、私はもっぱら彼女のあとをついて行くばかりで、他の人とはしゃべろうとはせず、ましてや信仰を持っていない人々のための集まり(「初心者クラス」と教会用語で言ったが、そのようなクラス)には絶対参加しないと言い張るし、信仰は持っていないのに、彼女と同じ信者の集まりに参加すると言うので大弱りであったと追憶談よろしく聞かされた。そう言われてみると、そういう時もあったっけ、とこちらはすまし顔を決め込むしかなかった。

ところが、面白いことにそんなに事柄を鮮明に覚えている彼女もどのようにして落ち合って、どこから天城山荘へ向かったか記憶がないようだった。せめて今回のコース、三島駅からバスで天城山に入った道路や風景に遭遇すればきっと思い出せると期待して出かけた。ところが途中どころか、会場に着いても二人とも確と思い出せないのだ。そんな一世一代の思いで出かけたのに、こんなに簡単に忘れるものかとしばし暗然とせざるを得なかった。

ところが、ところが、である。大チャペルと称する会堂に入った途端、私に鮮明にその時のことがよみがえってきた。真ん中の高い演壇に一人の牧師が立ち、そのまわりに三、四人のこれまた牧師が立ち、会場に入る私たちに向かって語り出した(それは私と同年代と思われる若い20代の牧師が紹介され、それぞれの牧師がその抱負を語ったものだった)その時の「熱気」のようなものを思い出したのだ。1968年か、1969年のことだと思うから、今から45、6年前のことだ。念のため彼女に確かめると、彼女もそうだと言う。それ以外のことは二人とも思い出せなかった。

その会堂を使って、土曜日の午後から日曜日の朝まで都合三回の集いがあった。集いの特徴は45、6年前の、「人間的な熱情」に浮かされた雰囲気とまるでちがうことに気づかされた。それは極めて「静かな」集いであった。参加者は200名程度であったろうか。そこに人間的熱情に燃えた持ち主がいなかったわけではない。けれどもそれは大勢とはならなかった。私はそのことの不思議さに圧倒される思いであった。

それは極言した言い方になるかもしれないが、45、6年前の集いには、人間的なカオスの感情がキリストを利用して渦巻いていた教会の集いでなかったのかという思いがするからである(私はその時信仰を持っていなかったが、その次の年には信仰が与えられた。そしてその若い牧師とともに教会の成長のために懸命に働いた。しかし今や残念なことにそれらの牧師は皆バラバラになっている、当の私は「キリスト教会」を出て、キリストのからだとしての教会を大切にする「集会」に導かれた)。

それにくらべて、今回私が敢えて「静かな」集いというのは、参加者一人一人が主イエス様に自己のあり方を問うて互いに行動し、お互いの自由を尊重する集いだと受けとめられたからである。だから集会後、楽しく団欒する人もいれば、疲れて眠る人もいる。お風呂に入る人もいる。人々の活動が人間の思いで一色に染められることがなく、信仰を持つ者も持たない者も各自が自己の責任において行動するいう自由さ、闊達さに満ちていたのでないか。

その主たる原因は日曜日に語られたメッセージにあるのではないかと私は思う。そこには人間(的熱情)に焦点が当てられているのでなく、あくまでも人間の罪をあがなわれた主イエス様が中心とされているからである。次回から、何回かに分けて、そのメッセージの聞き書きを載せたい。その前に、「静けさ」にちなんだ聖句を掲げておく。

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。(イザヤ書30・15)

2014年9月17日水曜日

板につかない我らが信仰、されど我らが日々

今日は家庭集会であった。敬愛する主イエス様を信ずるお二人の方がメッセージ・証をしてくださった。それぞれ遠方からお出で願った。もちろん、やはり遠くから聖書のみことばを求めて人々は集まってくださる。会の終了後、一人の友をお見舞いした。日曜日胆管炎のため急遽入院されたからである。この方も本来なら、今日の家庭集会に来られる予定であったからである。

病院は真っ暗な闇の中にひっそりと沈んでいるようだった。病室内に滑り込むようにして入った。哀れであった。友人はベッドに眠り込んでいるようであった。起こすのも悪いのでしばらくじっとしていた。そのうち、看護師さんに様子をお聞きして、「夕食が終わったばかりです、起こして大丈夫ですよ」と言われたので、声をかけた。

半睡の状態だった。睡眠薬の投与を受けておられる感じもしたが、半目を開けた彼に、以前いただいていた北海道の風景(?)を大写しにしたものを下地にしたみことばの絵を見せた。友人は半目を開けた状態で顔をくしゃくしゃにするかのように泣いた。このところ何回かその友人は私との交わりで泣かれることがあるので、そんなにはびっくりはしなかったが、友人は何を思って泣いておられるのか想像できなかった。きっとその風景を見て何かを思い出されたのだろう。問い質すことも慮(おもんぱか)られた。

思わず、祈りましょうと言って、友人の手を取った。友人は目をつむったまま、私のあとにオーム返しに祈られた。「愛するイエス様、病院に入院してしまいました。少しでもよくしてください、どうぞよろしくお願いします。主イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン」

祈り終え、後ろ髪を引かれるように、病室をそっと出て、暗闇の中を自転車でひた走りに走った。再びその友人を想うて、あわれであわれで仕方なかったからである。それにしても私の祈りって何なのだ、もっとましな祈り方があったのでないかと自問自答しながら家に帰った。

早速、友人の様子とその祈りについて家内に話した。家内もその祈りの貧弱さに同感であった。昼間、メッセンジャーはみことばをもって主イエス様とともに味わう幸い、「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を負って来るでしょう」(詩篇23・6)と語ってくださり、証者は証者でその真摯なひたむきな求道の思いが主に受け入れらている幸いを感謝されていたと言うのに・・・。いざ、目の前に瀕死の思いでいるこの友人にその程度の祈りしか出来なかった己が信仰の腑甲斐なさを思い知らされた。

それだけでない。今日の恒例の看板聖句は上掲のものであった。このみことばそのものは今整理中の一連の小林儀八郎さんの1944年8月10日の手紙に記されていた、マニラ行きを目前に、新妻に今後の一切を託して書いた文章の中にあったことばである。

「今度は何時帰れるか判らず、しかも一人で一切やって貰わなくてはならぬ。宅渡金は精一杯らしいから此の内で、不時の費用も一切やって行くつもりでいて下さい。考えるとなかなか大変ではあるが、クヨクヨ考えても「思い煩いて身の丈一尺を加え得んや」です。

そのみことばがどうしても頭から離れず、いつもは新改訳で清書する看板聖句も今日は文語訳で書かせていただいた。それなのに、私の祈りったら、何だと思った。さらに20有余年前のことを思い出させられた。私は宇都宮に癌末期の若い病友を訪ねた。その時、その病友にこのみことばを読んで差し上げた。ところがそれまでがっくり来ていたその病友はやおら布団をはねのけ正座し、彼は私に祈るかのように言ったのだ。

「ああ、私は何と罪深いものでしょう。何でも出来る神様に信頼しないなんて。ごめんなさい。あなたにすべてをお任せします。愛するイエス様。」

それから数日してその友は召された。友は再び苦しんだと聞くが、葬儀は主にある聖書にもとづく葬儀となった。今もその病室の光景が脳裏に焼きついて離れないである。私は今自分を責めると同時に、全能の御手に完全に病友をゆだね、赤子のように信頼して、友のために祈り続けたいと新たに思わされている。

2014年9月11日木曜日

昭和天皇実録

花魁草 (御代田Sさんの別荘 2014.8.9)
『昭和天皇実録』が9月9日付けで公表された。私は東京新聞の購読者で、その見出しは「開戦回避できず苦悩」と連日の東京新聞の姿勢〈集団的自衛権に異議を唱える〉を裏打ちするものであった。一面に明治学院の原武史さんのコメントが載っていたが、その内容を見て、「あれっ、そんなこともあるんだ」と思い、本当なのかと考えざるを得なかった。それはコメントの最後の部分であった。同氏は次のように言ったと東京新聞は書いている。

A級戦犯が処刑された48(昭和23)年ごろには昭和天皇の精神的危機が最も高まったが、この時期、数多くのキリスト教徒と接近し、定期的に聖書の講義も受けていることが確認できる。良心の呵責(かしゃく)にさいなまれる一方、退位して責任を取ることもできず、救いを求めて改宗を考えていたとも解釈できる。

私にとって「定期的に聖書の講義も受けていることが確認できる」と言われていることが全く初耳で、自分の耳を疑った。それで図書館に行って他紙の報道を確かめることになった。確かめている過程で、中々どうして各社とも今日の記事は横並びでなく、それぞれが社の命運をかけて報道しているように見えて頼もしかった。そして朝日が三人の鼎談記事という中で天皇と「キリスト教との関係」という形で触れていることもわかった。

三笠宮が聖書にくわしいのは知っていたが、天皇に聖書の講義がなされていたと正面切って言われて見て、はじめて戦後のその皇室や政権中枢部をめぐる部署にキリスト者が今とは想像できないほど深く関わっていたことを思い出すことができて、最初の違和感はなくなり、今後そう言う視点でも、昭和天皇の事跡を見て行きたいと思わされた。

ただ問題は実録と典拠のちがいだ。再び原氏のコメントをお借りする。

実録と典拠を比べると、ニュアンスが違うケースがある。例えば原典には、退位をめぐる昭和天皇の思いが描かれているのに、実録では中立的な書き方になっている。天皇の戦争責任を感じさせないようにしたのだろう。

どうして、このようになるのだろう。天皇がお気の毒になる。ありのままの天皇の思いが「象徴天皇制」の名の下でその人間性が吐露されにくいシステムになっているからである。私は象徴天皇制より強化された天皇制に賛成ではないが、これが日本政治をある意味で曖昧にすることの元凶かもしれないと思わされた。

聖書の民は一貫して、王であろうと市井の者であろうと罪は罪と認めて、まことの神に謝罪、悔い改めの道が用意されていることを知っている。

ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。・・・ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。(2サムエル12・7〜9、13)

2014年9月5日金曜日

いちじくの味わい

「姉さんは、幸せ者だ」と私の母は私に良く言っていた。それは母の義兄がいつも姉のことを褒めていたからである。母の言外には、私もそんな家庭を持ちたかった、それにくらべてお父さんは私のことを大切にしてくれないと言わんばかりであった。北海道で米屋さんを営む家に嫁ぎ、そこでは男衆がいて、何不自由もない生活を送っていたようだ。ところが、その最愛の夫を戦争で失くし、それまで留守宅であった内地の婚家先に帰り、古い家を壊して家を新築した。昭和15年(1940年)のことである。そして婚家先の家系が途絶えないようにと養子を迎えた。その間に生まれたのが私である。母は再婚であったが、父は職業軍人で初婚であった。二人は中々の恋愛結婚だったと聞いている。

その母が冒頭のようなぼやきを息子の私に漏らすのだった。それは、誰しもが苦労した戦後のタケノコ生活であったが、母は母で慣れない先祖伝来の田圃の耕作に勤しまざるを得ず、良くやるねと周囲の人から言われたが体を酷使した。そのためか神経痛を患い、片足はびっこで、びっこを引きながら、戦後職業転換をしなければならなかった夫の安月給と家計をにらみ母は懸命の農作業を続けた。その上、小地主であったが小作人との関係がうまく行かず、人知れず悩んだ。勢い夫に対する不満が内訌し、時にはそれがきっかけで夫婦喧嘩が始まることがあった。ひとり息子の私はオロオロするばかりであった。

そんな両親を前にして、自分は絶対円満な家庭を持ちたいと思っていた。両親はそれぞれ懸命に生きていたから、今となっては申し分のない教育を私に施してくれたことがわかるし、夫婦としても特段悪い夫婦関係とは思えぬが、若気の至りと言うか、当時両親は私にとって家庭建設の反面教師になった感があった。

そのような私にとって母の死は大きかった。それだけでなく、父の再婚は私が勧めたものだったが、それはそれでまた新たなやっかいな問題を招いてしまった。運命を呪う気持ちだった。もちろん合理論者としてそれを乗り越えようとした。そのような時に一人の女性を通してイエス・キリストの十字架による罪の赦しを知った。その彼女と結婚した。今の家内である。この家内は何をおいても私を立ててくれる。

昨日、食卓に小さな小ぶりのいちじくがのっかっていた。ほとんど皮は厚くなく、はがすのも面倒だった。そのいちじくを家内が皮を丁寧に剥がし、私に食べてみろと勧める。一口、口に食む。とろけるような甘さと触覚だった。とてもひとりで食べるにはもったいない。半分っこにしようと家内に差し出した。家内はいい(いらない)と言う。どうして?食べればいいのに、と言ったら、「私は今まで十分食べて来たからいい、あなたに最高のものをあげたいのよ」とサラリと言った。

これが彼女の結婚以来の生き方だと思った。どんな出来の悪い亭主でも立てることを心得ている。唯一例外はイエス・キリストに私が従わないときは、私を立てることはしない。前日の夜の家庭集会でベック兄は家庭を第一にする者は、主イエス様を第一にはしない、しかし、主イエス様を第一にする者は家庭をもっとも大切にすると言われた。家庭円満の秘訣は主イエスを家族の中心に迎えることである。運命だと呪った私に素晴らしい主の祝福ある家庭が与えられている。

40年前(1974年)の今日、家内と早朝、団地の芝生の上を急ぎ足で産院へと急いだ。出勤前にはもう生まれていたのではないか。私たちにとっての初めての女の子であった。ためらわず、私は「結実子」と命名した。「結実子」は入学以来、教室で自分の名前が正しく読んでもらえないので悩んだようだが、今ではすっかり自分の名前が気に入っているのではないか(※)。1980年に『実を結ぶいのち』という一冊の本が出版された。まさしく「結実子」の本であった。

神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。(コロサイ1・13)

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15・5) 

(※と、書いたら当の本人から、そんなこと〈悩んだ〉はない、むしろ誇りこそ覚えたくらいで、自分の名前が最初から好きで今も大好きだ、ありがとうと言う旨のメールがあった。「ハハー、ノンキだね」とは幾つになっても抜けていてお目出度い当方のことにちがいない。)

2014年8月28日木曜日

『ディア・グロリア』の描く世界の一考察

ベッケー(?)というドイツの花
縁あって、『ディア・グロリア(戦争で投函されなかった250通の手紙)』という木村太郎氏の著作を今夏読むことができた。尊敬する知人が、私がこのブログでも度々紹介している小林儀八郎さんの戦時中の手紙をまとめていることを知って、参考にしてみればと言って、貸してくださった。出版後すでに三年は経っている本で、いささか時期遅れに読むことになってしまって面映いのであるが、読了、様々なことを教えられ、今日に至っている。今日はそのことを少し書いてみたい。

本の中味は太郎氏の姉君にあたる利根子さんが、英文で記したアメリカの友への手紙を主軸に、利根子さんの生涯を跡づけた構成になっている。日本人である利根子さんがなぜ英語で自己を語らざるを得なかったのかその事情や、ほとんど昭和時代そのものと重なる利根子さんの生き様は、昭和日本が甘受せざるを得なかった戦争に、個人がどのように立ち向かって行ったかの貴重な記録の様相を呈している。

そして、平成の御代に長寿国日本が経験する高齢化社会をそのまま反映するかのように突然の利根子さんの脳梗塞でその友人への手紙の仮想スタイルを取った自己吟味の記録は誰にも知られず、そのまま葬り去られる性質のものであった。しかし幸い、近親者である太郎氏によりその記録が見つけられた。高名なジャーナリストである同氏の手により、英文の手紙はものの見事に復刻された。しかも日本語で。

利根子さんは、父君の勤務の関係で1934年(昭和9年)、六歳かそこらで渡米することになる。それから1941年(昭和16年)の太平洋戦争の直前、日米関係の悪化を懸念する空気の中で、第二の母国アメリカを引き揚げざるを得なくなる。まったく学制の異なる帰国後の日本での学生生活、そこにはまた様々な難題が待ち構えていたはずである。思春期にある彼女にとってそれは大きな苦しみ悩みであったに違いない。しかしそんな個人の思惑も何のその、彼女はそれから、その英語力を買われて戦時中はラジオ放送をとおして敵国アメリカへの宣伝放送に動員され、敗戦後は敗戦後で今度はB・C級戦犯の通訳として用いられることになる。

利根子さんはアメリカで育ったゆえに英語を使わざるを得なかった。最初は大変な苦労であったが、7年余りの滞米期間は彼女にとって、自己を表現する方法はもはや日本語よりも英語の方がふさわしいというほどまでにすっかりその英語は定着していた。ところが、事もあろうにそのアメリカと日本が戦うことになったのである。これほど身を裂かざるを得ない苦悩はなかったのでないか。

私が一人の勝手気侭なる読者として一番考えさせられたのは、東京大空襲に会い、利根子さんが高熱に悩まされ、やっと回復する中で記している1945年の3月のディア グロリア宛の手紙の文面であった。彼女はそこで天国について、また神さまについて大いに語るのである。しかし、そこには彼女が滞米生活で一片の福音にも触れていなかったとしか言いようがない、何とも言えない不可思議さと同時に、私にとっては悲しみとしか言えない記事があった。

ある意味で、この有能な利根子さんが東京大空襲という自己の生存を二重に脅かしたであろう、その断末魔のできごとの中で一生懸命に思索しておられるのに、この結論は何なのかと思わされ、ショックを受けたのだ。でもその後何度もその文章を読むうちに、違う感想を持つように変えられて来た。その文面を紹介しよう。

私は日本人だけど、ただの紙切れが家を火事から護ってくれるなんて信じられないわ。でも人間がだんだん賢くなってそういうことが信じられなくなったとき、今度は見えないものを神様にしたのね。なにしろ目に見えないのだから、神様の力は想像するしかないのよ。神様が水の上を歩いたり、世界中に洪水をおこしたりなんて想像するの。それが神様なのね。(中略)私が神様をほんとうに信じたら、私はとんでもない臆病者だと思うわ。何かに、しかも目に見えない何かに頼るなんて! ピアってとても現実的な女の子が、こう言ったことがあるの。「神様って、あなたの心のことよ」。そのことをずーっと考えていたの。彼女が言ったのは、人の中で何が正しいか、間違っているか判断するものよね。言い換えると良心ね。それは神様かもしれない。そんな神様なら他にもたくさんあるわ。だからその中から私たちの道徳にとっていちばん大事なものを神様と呼ぶこともあるわ。でもそんなのは多くはないわ。ほとんどはいんちきで吐き気のするような目に見えない神様なのよ! ほんものはもっと力があるわ。そのうちに私の神様について書くわね。(同書159〜160頁より引用)

私は目に見えない神様を信じている。水の上を歩かれたイエス様を信じている。そういう論法で行くと私と利根子さんとは全く違うとしか言わざるを得ない。しかし利根子さんが「ほんものはもっと力があるわ。」と語っていることである。にせものでないほんものの神様に利根子さんは出会いたがっていることがよくわかった。違う感想を持つようになったと言ったのはそのことである。「そのうちに私の神様について書くわね。」とは何たる彼女の心の希求であろうか。

二千年前、パウロは次のように語った。

私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。どうか、私たちの父なる神に御栄えがとこしえにありますように。アーメン。(ピリピ4・19〜20)

神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。(2コリント2・14〜16)

ああ、願わくは我をして、主よ、未だあなたを知ることなく切に主を求める人々に適切に福音を語り伝えさしめよ 。

2014年8月26日火曜日

創造のはじめ

つばめさんご夫婦は 高いところで なんの ご相談でしょうね 東御市 8/12
今日、久しぶりに学び会に出席し、そのあと四人ばかりで親しい交わりを持たせていただいたが、その時、父がイエス様を信じてはいるんですが、根が科学畑なので一々理屈を言われて困るんですよと言って一つの質問が出された。それはアダムの誕生の年代と、科学的考察に基づく地球上の歴史のちがいをどう説明したらいいんでしょうかという問いであった。すぐその場で答えられなかったが、一冊の本の記述を思い出した。以下に転記しながら考えてみた。

(しかしまた)サタンの堕罪は彼の支配した領域の崩壊とも関係があったに相違ない。霊と自然との有機的な結びつき、それから後に規模はより小さいがそれに似ている「人間の堕罪」が、それを証明する(そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
創世記3・8)。世界と地との破局はこの宇宙的な革命に対抗する神の正義の反撃の働きとして起こった。そして造られた物は虚無に服せしめられてしまった(それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。ロマ書8・20、21)。

詳細なことは一切、われわれの認識から隠されている。ただ人類が現われる以前、考えも及ばないほど永い期間、地上において植物界及び動物界に死と絶滅とが荒れ狂っていたことだけは、たしかである。このことは地質学的な地層と歴史以前の動物界の発達段階とが、極めて明確に立証している。われわれの足の下に横たわっている地層は、まさに「石の畑にとり囲まれている巨大な墓地」にほかならない。全く、歴史以前の時代の多くの猛獣は、実に貪欲で狂暴な破壊力を有する怖るべき怪物であった(1)。

1 チュービンゲン大学の古生物学者フライヘル・フォン・ヒューネもアダム以前の創造世界における死を、神から委命された「この世の君」であるサタンの堕罪と結びつけている。
 
旧約聖書の証言も、よくこれに相応している。なぜなら、旧約聖書に記録されている人間に委託されたことは、楽園を耕すばかりでなく管理することであり、さらに人間が神に逆らう敵対勢力の誘惑に試みられたという事実は、悪は最初に人間のなかに生じたのではなくて、人間以前にほかの被造物のなかに存在していたのであり、従って人間の現われる以前、人が堕罪する以前、人の堕罪と関連して地が詛われた以前、すでに創造のなかに破れ目と不調和とがあったのであることを、すでに旧約聖書において示している。


この点に関して次のような推測を発表している神によって啓発された人々が古代にも近世にもいる。それは、創世記第一章の六日間の御業はもともと再建の事業であって、最初の地球創造ではなかったのであり、人間は元来、主のしもべとし、また造られた物の支配者として、サタンと道徳的に対立しつつ、外形的に再建された地を、この地上に自己の種族をひろめて地を支配することによって、神の御手に取り戻すべき使命をもっていたのである、という推測である。

それで、例えば、ベッテックス教授は、人間はもともと「神の副王として全地をだんだん奪還する」べきであった、と言っている。またヒューネ教授も回復説を支持しているが、「全被造物を神に取り戻すという大事業の手始めは人間であったのである。人間において物質と霊、神の霊とが出逢う。神の子であり、人であるイエス・キリストはサタンとの決戦に勝ちたもうた。そしてこの勝利の結果はあらゆる方面に影響せざるを得ない。それゆえに、十字架が宇宙歴史の中心に立つのである」と言っている。

『世界の救いの黎明』エーリヒ・ザウアー著長谷川真訳1955年聖書図書刊行会発行同書50頁より引用。)
 

総頁336頁のほんの一部分の引用ではあるが、冒頭の疑問に答える一つの資料ではないかと考える。

「理屈でなく幼子のように…と、わかっているようですが、自分の思いから解放されない自我によって自分を苦しめています」とその方の便りにもあったが、主がどんなに永遠な方か、人間にはわからない。質問は「時間」・歴史の問題であったが、ザウアーは「空間」の問題で宇宙がどんなに限りないものか、天文学的数字を示しながら「創造の偉大さ」(同書33頁)を述べ、それにもかかわらず極めて微小な私たち人間を愛される神の愛に私たちの注意を向けさせている。

主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。(詩篇103・19)

そしてコペルニクスの1618年のことばを引用している(同書44頁)
「われわれの主は大、その力は大なり、
その智慧には限りなし。
日と月と星と、主を讃えよ、
讃えの歌がいかなる言葉にて響かんとも。
天の諧調よ、主を讃えよ、
御身ら、主の啓示せる真理の証人また容認者も、
また汝、わがたましいよ、汝も、生くる日の限り主の栄誉を歌えよ!
                  アーメン。」

なお、この本の訳者こそかつて紹介した方(http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2014/03/blog-post_5779.html)の戦後の姿であることを知る不思議さよ。

2014年7月29日火曜日

点と線(下)

お母さんはヒマワリが好きでした。
年々気候の変動ははげしく、今年の夏の暑さは一段と厳しい。知人によると英語ではsweltering, scorching heat と表現するそうだ。体力のない人々にとって受難の季節にちがいない。Sさんのお母さんも6月の下旬には肺炎のため一時危篤状態に陥られた。その後、不思議と持ち直され、ここ数日はリハビリが視野に入るほど元気になられたが、先週の金曜日急に召されたのだ。その日のわずか二三時間前には姪御さんのお見舞いを受け、親しく話されていたというのに・・・。

日曜日のお別れ会を前に実施された火葬の待ち時間にこの方とSさんの妹さんとたまたま席が同じになったのでお話しできた。姪御さんには、召された方の三、四歳年上のお姉さんにあたるお母さんが今なお札幌にご健在である。母方のいとこであるSさん、妹さんとは北海道時代の幼いときから緊密な交りがあり、特に叔母さまが長男であるSさん家族のもとに身を寄せられてからは、ご自身も近くに住んでおられたので、「おばさん、おばさん」と慕っておられたようだ。それだけにその想い出が尽きず、楽しかった過去の想い出が一挙にわき上がるかのようだった。傍に座っておられた妹さんは母親の死の悲しみの中に佇んでおられたが、その方のひとつひとつの話に相づちを打たれていた。

葬儀を通して私はこうしたご遺族の方の悲しみの真近に接する機会が多く、いつも様々なことを学ばせていただく。それは一人の方、召される方の存在の大きさと言うことに尽きる。そして突然の「死」というものを通してたぐりよせられることになる、肉親同士が互いに日頃から愛し合うことのありがたさを改めて実感する素晴らしさである。

それだけに葬儀がどうあるかは大切な問題である。昨日も書いたように喪主であるSさんは無宗教の葬儀には大賛成であった。自分の時もそうして欲しいと言われたぐらいだ。問題はその中味である。お別れ会の司会は葬儀社でなく、私たちにゆだねられた。金曜日の深夜ではあったが、私はYさんに早速この旨お話し、メッセージのために祈っていただきたいとお願いした。仕事の関係で今は東京暮らしが多くなってしまったが、YさんはもともとSさんご一家とは家も近く、Sさんのことをいつも覚えて祈っておられ、お互いに勝手知ったる間柄で、メッセンジャーとしてもっともふさわしいのではないかと思ったからである。

Yさんご夫妻は前回の危篤のおり、お母さんを見舞われたが、私も同行させていただいていた。その折り、Sさんにお会いして万一葬儀が生じた場合のことをあらかじめお話したいと思われたが、たまたま小康状態に入られたため中座されたSさんとは病室でお会いできなかったが、病院を出た車の中で、向こうから病院に帰って来られたSさんの車と遭遇された。そのまま引きかえす方法もあったが、私たちはそうはしなかった。そして突然訪れたお母様の死を目前にして葬儀をどうするかSさんご夫妻が下された決断は、まず火葬をし、そのあとキリスト集会でお別れ会をしていただきたいという要請であった。

決して聖書そのものを否定されているわけではないが、ご自身確信をもっておられないので、無宗教と言っても聖書の中心であるイエス様はやはり宗教の対象ではないかというのが恐らくSさんの素朴な疑問ではなかったのではないか。お別れ会の席上、Sさんを初めとして聖書に馴染んでおられない方々に口ずから神のことばを紹介する恵みにあずかられたYさんはおよそ次のような趣旨の話をしてくださった。

罪人に過ぎない私たちを神さまはどれほど愛してくださっているか、その証拠は御子イエス様の十字架の血に代えて愛してくださった尊さにある。そのイエス様がもっとも憎まれ、悲しまれたのは己を義とする宗教家であった。イエス様は無宗教である。そのイエス様を信ずる者にご自身のよみがえりのいのち、永遠のいのちを与えてくださる。その御子を信じて就眠されたお母様は天の御国で私たちを待っていてくださる。今別れることは悲しいが、私たちには必ず再会できると言う慰めが与えられているので悲しむ必要はないと言う内容だった。

メッセージの前後で皆さんとともに「心を主イエスに注ぎ出すとき」「恵みはやさしく降り注いで」を賛美し、バッハの「ただ愛する神のみにゆだねる者は」というオルガンの独奏あり、また「生きることの悩みも」「水晶よりも光る、いのちの水の」という二曲の独唱があり、最後Sさんがお礼の挨拶を述べられ、キリスト集会に参加される方の祈りで閉じた一時間弱のお別れ会になった。

この日は日曜日とあって、礼拝・福音集会を終えての更なる午後の集いになり、場所も異なったが、ご遺族以外に大勢の主にある友が集まられ、お別れ会を内側から支えてくださった。会場は小ホールを借りられ、50名が定員と言うことであったが、お別れ会が始まるころは椅子が足りず、葬儀社の方々はあわてて椅子を持ち込んでくださったほどになった。

今振り返る時に、私にはお母さんの「死」とその「お別れ会」にいたる経過は、多くの点が神さまのあわれみにより結び合わされ、一本の線になったように、一つ一つの行程を主が用意してくださったとしか思えてならない。それは私の独りよがりの思いに過ぎないのだろうか。 私は今下記のみことばに目を留めている。

あなたの通られた跡にはあぶらがしたたっています。(詩篇65・11)

2014年7月28日月曜日

点と線(上)

年々体力は衰えて行く。今年はなぜかその思いが深い。昨年の今頃はほとんど週に二回ほど電車を乗り継いでは、遠く次男のお嫁さんのお見舞いに出かけていたのに、そのことが今となっては嘘のようだ。

そんな昨年の某日、そのお見舞いの帰りの武蔵野線の混雑する車中でSさんと乗り合わせた。Sさんとはかれこれ20数年間お互いに旧知の間柄であったが、お会いした時にご挨拶を交わす程度であった。ところがこの時はずっと西国分寺から南越谷までご一緒できた。どんな話をしたかはっきりとは覚えていないが、Sさんの人となりを受けとめることができ、確かなお互いの人格的触れ合いがあったように思う。

今年の6月ころからか、私自身の体の具合がよくなく、何度か地元の病院に通うことになった。徐々にあきらかになってきたことは「心房細動」が生じているということだった。様々な事情のもと、今は別の病院にかかり始めたが、その最初の病院の何回かの通院の際に、たまたま入院中のKさんを序でにお見舞いしようと赴いたおり、病室の談話室で話し込んでおられる方々の傍を通りかかった。

その場にSさんがおられた。そんなに親しく間近にSさんとお出会いしたのは武蔵野線以来のような気がするが、その場でSさんからご一緒におられる姪御さんご夫妻を紹介していただいた。その時、すごくSさんは姪御さんご夫妻のお見舞いを喜んでおられるご様子で、その上、私にも「母を見舞ってやってください」と快活におっしゃった。全く自然な流れのそのことばにSさんがいかにお母さんを大事にまた誇りにされているかを私は直感した。

これはいよいよお見舞いに行かねばと思った。お母さんが入院されていることを家内から知らされており、知人の方々が何回もお見舞いに行っておられることを聞いていたのに、自分からは行こうとはしていなかったからである。それから折りを見て三回ほどお見舞いした。

そのお母さんが先週の金曜日夕刻に89歳で召された。急の連絡を受けたのは食事中であったが、取るものも取りあえず、すぐ家内と二人で自転車で病室に赴いた。私は内心驚いていた。普段は病気をかこっており、我が身を愛(いと)しんでばかりいた自分がそこにいなかったからである。もはやそんなことにかまっておられない自分がいた。

急行した病室にはSさんの奥様がにわかなお義母様の急変を前にして、ご主人の病院への到着を今か今かと待っておられた。医師は息子さんであるSさんの到着を待って死亡診断をなさりたいようであった。待つこと30分ほどしてSさんが着かれ正式な診断がなされた。

当然の如くSさんご夫妻は次に葬儀をどうするかの問題に直面された。私たちはその場にいてご夫妻のご判断を傍でうかがうだけであった。私たちはお母さんのお見舞いを通して、みことばを読んで差し上げ、お祈りしてお母様がお喜びになったのを知っているので、天国に凱旋なさったことを確信していた。でもSさんにはその確信はなかった。奥様をとおしてイエス様のご存在を知ってはおられるが、日頃から科学の世界に生きておられるSさんにとっては今一つ確信がなかった。無宗教の葬儀には大賛成であったが、具体的にどうするかは中々決まらなかった。そうこうするうちに葬儀社の方が来られ、お母様の死を悼む余地なくことは進めれて行きそうであった。

かれこれする内に急を聞いて駆けつけたお孫さんがあらわれた。偶然だが、お孫さんは私が今度行くことになった病院の看護師さんでもあった。それだけではない。20数年前は私が幼い彼女に教会学校で聖書を読んだり賛美したり遊んであげたお子さんであった。見違えるばかりに成人した彼女のテキパキとしたアドバイスに、葬儀の次第で頭を痛ませていたSさんご夫妻も私たちもどれだけ力づけられたかわからない。

いよいよ病院から葬儀社の車にご遺体が搬送されるのを見送って、私たちは葬儀のことを主におゆだねして家に帰って来た。その後一時間ほどして夜中、奥様から日曜日に火葬し、四時から一時間程度のお別れ会をするようにしましたとの連絡を受けた。お母様が召されて、5、6時間のうちにすべては決定された。

「点と線」と思わず銘打たせていただいたが、主イエス様のご愛は網の目のように、私たちの思いを越えていつも張り巡らされている。明日はそのお別れ会の様子を描写したい。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)

2014年6月12日木曜日

聖霊降臨(下)

こんもりと 入道雲 天高し 2014.6.8
もう一つの大切な点についてちょっと考えたいと思います。すなわち、天の宝を引き出すこととは、引き出す鍵とは何でしょうか。言うまでもなく「信仰」です。信頼することです。罪の赦しをいただくにも、聖霊を受けるにも必要なのは「信仰」です。イエス様がわれわれの身代わりとなって亡くなってくださったことを知り、信じ、感謝したとき、われわれの罪が赦され、私たちは神の御前に義とされたのです。

イエス様の召天された日のことを考えてください。イエス様は、地上における33年の間、罪と汚れのこの世に住み続けられ、十字架の上で救いを成し遂げられ、よみがえり、召天され、天に昇られたとき、天では口では言い表わすことのできないほどの喜びがあったことにちがいない。イエス様は、すべてのものにまさる名を与えられ、高く引き上げられました。イエス様は、今天の父なる神様の御座におられます。そこから聖い御霊をわれわれに注いでくださったのです。ですから、私たちは御霊の注ぎのために祈る必要はない。二千年前に、一部の人々ではなく、全教会に降り注いでくださり、今すでにわれわれのうちにおられる御霊を心からお受けし、感謝すれば十分です。

われわれのところに、まだ御救いにあずかっていない方がいて救いを求めるとき、私たちは、その人の身代わりにすでに救いを成し終えたイエス様を示し、ともに祈ります。そのとき、その求める人が、「イエス様、あなたは私の罪をお赦しになるでしょう。私を赦したいのでしょう。」と祈るなら、私たちは、その人が御救いにあずかったとはもちろん信じられません。けど、その人が「イエス様、あなたは私の身代わりに死に、私の罪を赦してくださいました、感謝いたします。」と祈るなら、その方の救いの確かさを私たちは認めるのではないでしょうか。

御霊様についても同じです。われわれが「御霊を下さい」と何十年間祈っても同じです。けど、「イエス様、高く引き上げられ御霊をお下しくださいましたことを感謝いたします。」と言って御霊を心にお迎えするなら、私たちはその力を自らのものとすることができます。イエス様は、あとになってから、主となられるのでしょうか。そうではなく、イエス様は今すでに主の主としておられます。ですから、御霊を待ち望む必要はなく、われわれはすでに聖い神の霊を信ずる者としていただいています。心の目で主なる神の事実を見て、そこから湧き出る「信仰」が大切です。すでにイエス様が高められ、われわれの上に御霊をお注ぎくださったことを心の目で見るなら、私たちはこのすばらしい賜物を感謝しないではいられません。御霊を受けるために必要な条件が使徒行伝の2章38節に書いてありますね。2章38節。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

二つの条件と、それにともない二つの賜物について書かれています。二つの条件とは「悔い改め」と「洗礼」すなわち信仰の証(です)。二つの賜物は「赦し」と「聖霊」です。

「悔い改め」とはどういうことかと言いますと、一口で言いますと、趣味が変わる、全く変わるということです。以前には罪を愛していたけれど、今はそれを嫌うようになった。以前にはこの世は自分にとって魅力だった、しかし今はこの世の快楽は自分の費(ひ)ではない。以前にはイエス様のものとなるということが恐れであった。けど今はイエス様のものであるということが無上の喜びです。以前はあれこれを努力して自分のものとしようとしたが、今は追い求めるのはイエス様だけです。以前には恥としまた軽べつしていたものが一番尊いものとなったのです。このように全く趣味の変化を経験した者が、はじめてまことの悔い改めをした者と言うことができるのです。

二番目の条件とはこの箇所を見ると「洗礼」です。洗礼は心の信仰のあらわれであり、一つの告白です。一つの証です。イエス様とともに十字架につけられ、ともによみがえらされたことを信ずる者は洗礼を受けることを求めます。この箇所を見ると、罪の赦しと聖霊の賜物を受ける条件が、これまで述べた悔い改めと洗礼であることをはっきり言っています。私たちは悔い改めてほかの人に信仰告白したことがあるのでしょうか。もしそうなら、罪の赦しと御霊の賜物をいただいているのです。罪の赦しは受けているが、二番目の賜物である御霊は受けていないと言うかもしれないけれど、聖書は、「悔い改め」と「洗礼」すなわち信仰の告白という二つの条件を満たすと、それにともなって、必ず二つの賜物が与えられるとはっきり言っています。

もしかすると今日まで罪の赦しというひとつの賜物だけを考えて感謝したかも知れません。けれどそれだけでは結局十分ではない。

イエス様は高く引き上げられた方です。父の右に座しておられるお方です。コリント第一の手紙3章の16節、293頁になりますが、3章16節。

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

このコリントの信者たちは御霊の現われを重んじて異言や奇跡を追い求めていましたが、主のものとしての実際生活は実に乱れていました。御霊の力が彼らの上に働いていたが、彼らの内に全く働きをなすことができませんでした。これがコリントの信者の実情でした。彼らはもちろん聖霊を受けたが成長していなかったのです。主のものとなった兄弟姉妹は神の宮であり、御霊が内に宿っているという知識は今日の主のものにもどうしても必要なことです。御霊によって、主なる神はご自身われわれの内に住むようになったのです。もしも御霊が確かにわれわれの心に宿っておられるなら、父ならびに御子イエス様は私たちの内に宿っておられます。これは単なる理論ではなく確かな事実です。想像できないけれどほんとうなんです。

もう一つ言えます。われわれの持っている宝はわれわれの歩みを定めるのではないでしょうか。一つの問題があります。いったいどうして聖霊の力を体験することができないのでしょうか。それは内に住んでおられる内住の御霊を恐れ畏(かしこ)んでいないからです。いったいどうして多くの人々の間にはそんなに差があるのでしょうか。ある兄弟姉妹は勝利の生活を送り、ある兄弟姉妹はいつも打ちのめされています。主の御臨在の多い少ないがその結果をもたらすのでしょうか。決してそうではありません。すべての主のものとなった兄弟姉妹の内に御霊を宿しています。内住の主を心の目で見ると生活の内容が全く変わっています。ある兄弟姉妹は御霊の支配に自分をゆだね、ある兄弟姉妹は自分が自分の主となっている。これは大変な問題です。

われわれが、私たち自身は主のものですという事実を認め、主にあって喜ぶことができれば、ほんとうに幸せなのではないでしょうか。

2014年6月11日水曜日

聖霊降臨(中)

琵琶湖東岸から湖西比良山系を望む(2014.6.7)※
エペソ書1章3節を見ると、御霊の賜物はもうすでに今ここにある、ということがわかります。

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

と、あります。 主の賜物はキリストにある。私たちにはもうすでにわれわれのものとなっている。

しかし、その賜物は個人的に自分のものとして受け取る段階に来なければなりません。多くの人々は、それでは聖霊という賜物を個人的に受け取る前提条件はいったい何でしょうか(と、問われるでしょう)。これに答えるために二つの点についてちょっと分けて考えましょうか。第一番目、注がれた御霊。二番目、内住の御霊です。

注がれた御霊について、もう一回使徒行伝2章に戻りますと、次のように書かれています。使徒行伝2章の33節。

ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。 

36節。

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」 

このみことばの中には、3つのことがふくまれています。それは第一番目、イエス様が救いをなし終えて高く引き上げられたこと。二番目、イエス様は約束の御霊をお受けしたこと。三番目、(イエス様は)この約束の御霊を信ずる者に降り注がられたこと。この3つのことがふくまれています。なぜ御霊の注ぎがあったか。このみことばを見るとはっきりわかります。弟子たちが祈ったからではない。イエス様が高く引き上げられ、御霊をお受けになったからです。われわれの場合もこの事実が当てはまるのではないでしょうか。

もし私たちがほんとうに救われているなら、すでに御霊はわれわれの上に注がれているのであり、あれをやり、これをやるから御霊を受けるのではありません。主イエスが高く引き上げられたことにより御霊が注がれたのです。

われわれの罪がいったいどうして赦されたのでしょうか。私たちが熱心だったからでしょうか。私たちが自分の罪を告白したからでしょうか。決してそうではありません。主イエスがわれわれの罪を引き受けて、われわれの刑罰の身代わりに十字架の上で亡くなってくださったからです。

私たちはなぜ新しいいのちを受けることができたのでしょうか。 集会に集まったからでしょうか。聖書を読んだからでしょうか。決してそうではありません。イエス様がよみがえってくださったからです。

なぜイエス様を信ずる者全部がキリストにあって御霊様を受けているのでしょうか。あのこと、このことをやったからでしょうか。または、あのことこのことをやめたからでしょうか。イエ、そうではありません。私たちのイエス様が高く引き上げられたからです。御霊が降り注がれたことは、イエス様が高く引き上げられた証拠です。

五旬節はイエス様が、主の主、王の王として、諸々の天よりも高く引き上げられた証拠です。あのナザレのイエスはただ単に自らの考えで殉教したのか、それとも全人類の救い主として十字架におかかりになったのか、どうしたら知ることができるのでしょうか。われわれの上に注がれた御霊によってそれがわかります。

イエス様が高く引き上げられたがゆえに、私たちはイエス様を受け入れることによって、聖霊を受けました。イエス様を受け入れた者はみな御霊を受けています。私たちはどのようにして罪の赦しをいただいたのでしょうか。集会に集まり、聖書を読み、熱心に祈ったために救いが与えられたのではありません。イエス様が血潮を流してくださったから、罪が赦され、救われたのです。ヘブル人への手紙9章22節。旧約聖書の引用されている箇所です。血を流すことなしには罪の赦しはあり得ない。

血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。

救いにいたるただ一つの道は、結局、イエス様の流された血です。イエス様の血はわれわれの罪のために流されたのだ、ということを知り、認め、それを心から感謝したとき救われたのです。

御霊も同じ方法で受け入れたのです。私たちはイエス様が高く引き上げられたことを信じました。そのとき、私たちは御霊をお受けしたのです。もし私たちがまことの救われた者であり、イエス様の血が流されていて、なお罪が赦されていないということはあり得ません。同じようにイエス様がすでに高められておられるにもかかわらず、私たちが救われた者として、聖霊を受けていないということもあり得ないことです。

そう言っても私は何も御霊について経験していないので、立場としてはすべてが与えられているとしても、実際には御霊を持っているとは言えないと言うかもしれません。もちろん私たちはそれらを個人的にわがものとして受け取らなければならない。この素晴らしい賜物を個人的に自分のものとして受け取るには、主なる神の永遠の事実に私たちの心の目が開か(れ)なければなりません。私たちは、イエス様がもうすでにすべてを成し遂げられたことを感謝したとき、救いをいただきました。もし、私たちがイエス様の高められたことを見、それを感謝するなら、御霊の力を経験するはずです。

イエス様はわれわれのためにご自分のいのちをささげ尽くされたのです。この事実を心の目で見るとき、救いのためにもがくことをやめるはずです。そして、主の救いに自分の身をゆだね、豊かな赦しをいただくことができます。イエス様は高められ、御霊を教会の上に降り注がれました。もし、私たちがこの事実を心の目で見るなら、「御霊を下さい」と叫び求める努力をやめるでしょう。もし、私たちが聖書に記されている主なる神の永遠の事実を上からの光によって、啓示によって知らされると、主はわれわれに信仰を与えてくださいます。そして、この信仰により神の事実はわれわれのものとなります。

ある若いキリスト者があるとき、「主よ、御霊を私に下さい」と祈り始めましたが、すぐそれは誤りであると気がつき、「主よ、もうすでに私のうちに御霊を与えてくださったことを感謝します」と祈ったところ、御霊の力を内に経験し、その者の生活が完全に変わって来たということです。

(※気候変動激しい日々である。「雲間から 光溢れて 湖上に 御霊もまた かくの如きか」)

2014年6月10日火曜日

聖霊降臨(上)

今日※は聖霊降臨祭、ペンテコステです。確かに日本のカレンダーには書いていないかもしれないが、外国のカレンダーでは必ず書いています。もちろん今日だけでなく、明日も必ずどこでも休みです。アイドリンゲンでも今日は8000人以上の若い人々が集まるようになりましたし、前に入っていた団体リーベンゼラー・ミッションでも恐らく8000人くらい集まるようになるのではないでしょうか、と思います。

御霊が来られた、約束どうりに。イエス様は「わたしがあなたがたから離れたのは、あなたがたにとってしあわせです、御霊を送るからです」(と言われました)

けれども、「御霊」とはいったいどのようなお方なのでしょうか。

今より百数十年前の地図を見ると、アジア・アフリカ・オーストラリアの一部分は白いままで残されており、地図の傍注にはまだこの地方は調べ尽くされていないと、書かれており、河川も実線で示されておらず、点線で示されていました。また地図によっては都市の所在地もまちまちという有様でした。イエス様を信ずる兄弟姉妹の経験におきましても、その地図のように白いままで残されている未知の世界があるのではないでしょうか。とりわけ御霊についての知識に乏しい人が多いのではないでしょうか。

今読んでくださった箇所を見るとわかります。エペソの信者たちがやはりそうだった。もう一回読みましょうか。使徒行伝19章1節から

アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。その人々は、みなで十二人ほどであった。

とあります。パウロが彼らに、「信者になったとき、あなたがたは御霊を受けたのか」と聞いたとき、彼らは御霊なるものがあることさえ聞いたことがなかった、とあります。御霊の世界はエペソの信ずる者たちにとって、結局、未知の世界でした。父なる神のことはよく知っていて、主なる神は全宇宙の創造者であり、われわれの父であり、全能にして愛に満ちておられるお方であると、心から言うことができました。またイエス様のことも身近に覚えて、イエス様はわれわれの救い主であり、私たちの持てるただ一つの富です、と言うことができたんですけど、御霊は尋ねられますと、御霊についての知識は持っていても、実際には不確かなぼんやりしたものにしか感じていないようです。

御霊と私たちの間の関係はわれわれの霊的生活、霊的信仰に欠くことのできない関係です。 新約聖書によると初代教会の兄弟姉妹にとっては御霊はほんとうに現実的なお方だったことがわかります。初代教会の兄弟姉妹は「御霊」に教えられ、「御霊」に満たされ、「御霊」に導かれたのです。彼らが御霊に語りかけられたということは使徒行伝に書かれています。たとえば、8章29節

御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。

御霊が言われた。10章19節。

ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」

結局、御霊が言われた、とあります。13章の2節

彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。

結局、聖霊は話された、命令した、とあります。それだけではなく、初代教会の兄弟姉妹が、御霊に満たされたということは、やっぱり使徒行伝をとおして知ることができます。2章の4節

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

4章31節。

彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

13章52節

弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。 

と、あります。初代教会の兄弟姉妹が、聖霊によって導かれたということも使徒行伝をとおして知ることができます。15章の28節。

聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。

云々とあります。もう一ヵ所。16章の6節。

それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。

と、あります。

各集会に親しく臨在なさる御霊は、まだ主を信じない者にとっては非常な恐れを抱かせ、すでに救いにあずかっている人々には勝利と喜びを無限に与えたのでした。

旧約聖書においては、御霊を内に宿していた人々はちょっと少なかったようです。限られていました。すなわち、主に特別に選び取られた祭司たち、王たち、士師、預言者たちだけだったんです。新約聖書の今では、聖霊の賜物はすべての救われた人々が持つことのできる特権です。神の友であるモーセ、神のみこころにかなったダビデ、力に満ちた預言者エリヤに臨んだと同じ御霊が今日信ずる一人一人に内住しておられます。御霊の賜物により、現代のすべてのほんとうのキリスト者は、旧約聖書において、主に特別に選び別たれた主の器と同じ水準に、立場に置かれています。ローマ書5章の5節。よく知っているすばらしい箇所です。5章5節。

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた(過去形ね)聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

8章、同じくローマ書8章9節。

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

われわれに与えられるすべての賜物は、キリストにあって私たちに与えられます。
(※6月8日、この日曜日に吉祥寺集会で語られたベック兄のメッセージの聞き書きである。)

2014年5月31日土曜日

われもまた天国の門前で哀哭歯切することなかりしか

昨夕、一人の方を訪ね、共に語らった。その方は私に「自分はあなたのように入信することはむつかしい」と言われた。「入信」と言われて、その真意をはかりかねたので、内村の『宗教座談』の中の天国談を思い出し、その話の大要を紹介させていただいた。まわらぬ舌はどの程度その話を正確にその方に伝え得たか心もとない。しかし、その方は大いにこの話に関心を示された。再度確認するためにその文章を写させていただく。内村はその宗教座談の最後で天国について二回に分けて語るが、それを閉じるにあたって次のように言うのだ。

しかし、この談話を終わります前に、天国についてなお一つ述べ置きたいことがございます。それは私どもが天国に行きました時に、その市民の中に思いがけない人の必ず多いことについてであります。多分かような人は決して天国にはいるまいと思う人がたくさんにおりましょうし、この人は必ずいるであろうと思うていた人がおりますまいと思います。

そしてそのような例として自信満々の宣教師、さては慈善家、牧師などがイエス様ご自身に頼ることなしに、この世でその地位・名誉をいただきながら天国の前で、門前払いされることに抗議するさまを描写しさらに次のように語る。

そうして彼らは一同に声を上げて天国の門衛に迫って申しましょう。「彼の人(天国の市民の一人を指して)は世にあってはかつて安息日に彼の職業に従事して神の聖日を汚した者であります。彼が天国にある理由はありません。」と。

また彼らは他の天国の民を指して申しましょう。「この婦人は在世の間はろくろく教会に出席したこともなく、かつその行状には我々どものゆるしがたきこともたくさんありました。彼女は実は洗礼もいまだ受けざるくらいの者でありまして、彼女が天国にあらんなどとはもってのほかのことであります。」と。

その他天国在住者に対しては彼らの批評が区々でありまして「彼はかつて姦淫を犯したことがある」といい、「この者は酒と煙草とを用いし者である」といい、「彼は洗礼の必要を否みしことがあり」といい、「これはかつて外国宣教師に無礼を加えしことがある」などと申します。

そうして彼らが失望落胆のうちに逡巡しておりますときに、門内より大喝一声して彼らに告ぐる者があります。

働きによるにあらず、その署名せし教義のいかんによるにあらず、その属せし教会のいかんまたは有無によるにあらず、また必ずしもその行状の完全無欠なるによるにあらず、すべて神を信じ、キリストにおいて現われたる神の救済を信じ、その罪を悔い神により頼みし者はすべてここにあり。しからざる者はその神学博士たると、牧師たると、宣教師たると、キリスト教文学者たるとを問わず、彼らは皆この国に入るの一つの資格をも有せざる者なれば彼らは速やかにここを立ち去るべし

と、時に私どもは彼ら一同の人々が哀哭歯切(かなしみはがみ)するのを見ることでございましょう。(内村鑑三全集第8巻197〜199頁より引用)

以上、内村のおよそ今から114年前、すなわち1900年(明治33年)の文章を紹介させていただいたが、もちろんこのような「天国」に対する洞察は内村独自のものではない。イエス様のおことばそのものが源流であり、救いの原点であるからである。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2・8〜9)

わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7・21〜23)

信仰から出ていないことは、みな罪です。(ローマ14・23)

2014年5月30日金曜日

深い苦しみ

神のことばに従った結果は単に喜びを得られるだけでなく、「深い苦しみ」を与えられることにもなります。次にこのことを考えてみたいと思います。

主のみことばは聞く者には「喜びと恵みの言葉」ですが、他方では「悔い改め」と「さばき」を求める言葉にもなります。この意味で、主のみことばは喜びばかりでなく、「苦しみの言葉」でもあります。私たちが宣べ伝えるみことばを私たち自身が受け入れなければなりませんが、その受け入れたみことばは私たちをさばくことにもなるのです。

主のみことばは霊と魂とを切り離します。自分の感情や考え、意志などは投げ捨てられなければなりません。自己が否定されなければならないのです。

私たちが主のみことばを伝えるときには、この主のみことばが私たちを自己否定の苦しみへと導くのです。

エレミヤやパウロも誤解を受け苦しめられたことがありました。みことばを伝える者はこの世では「アウトサイダー」であり、「平和を乱す者」で、「異分子」とみなされます。悔い改めのない世界にみことばが宣べ伝えられるということは、つねに苦しみを意味します。

私たちは大勢の人々が救われることを望んでいます。しかし多くの人々からそれを拒まれます。これは私たちにとって苦しみとなります。

イエス様ご自身もみことばのこのような二つの面を経験されました。イエス様は大いに喜ばれたと聖書は一方で述べています。

ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。(ルカ10・21)

イエス様は「聖霊によって喜びにあふれた」とありました。しかし一方では、イエス様はさばきのことを思ってエルサレムのために「泣かれた」と書かれています。

エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。(ルカ19・41〜42)

エルサレムは悔い改めることがありませんでした。イエス様が泣かれたのは、人々がイエス様に逆らったからではなく、彼らがさばきにむかっていることをご覧になられたからです。

この苦しみが「とりなし」と「証し」との源となります。福音が、つまりイエス様が拒まれるときには、イエス様のみことばはさばきのみことばになります。イエス様なしにはどんな希望もなく、ただ「滅びる」だけです。私たちがこの事実をほんとうに知ったときには、もはや無関心ではいられないのです。私たちはネヘミヤやエズラ、ダニエルと同じように、滅びに向かっている人々のために自ら悔い改め、とりなしをしないではいられなくなるでしょう。これらの「神の使い」たちは、自分自身が罪を犯したかのように、その同国人のために悔い改めました。

そのとき、彼らは私に言った。「あなたは、もう一度、もろもろの民族、国民、国語、王たちについて預言しなければならない。」(黙示10・11)

真理が宣べ伝えられるときには、拒絶と敵意が生ずるものです。悔い改めとさばきが宣べ伝えられるところには、迫害が起こるものです。しかしヨハネは人々が彼に逆らい、刃向かってこようとも、預言を続けなければなりませんでした。

私たちはみことばによって自分自身を養っているでしょうか。みことばを食べて、みことばと一つにされているでしょうか。みことばがこの世のすべての甘いものよりも、私たちにとって甘いものとなっているでしょうか。

どんな苦難の中にあっても私たちがみことばから離れられなくなっており、すべての苦しみを喜んで受け入れるようになるなら、私たちは主に祝福され、主に用いられるようになります。 

(『すぐに起こるはずのこと』第3巻ゴットホルド・ベック著123〜126頁および同録音テープより引用構成。昨日、今日と引用した文章はいずれも黙示録10章11節に関連するベック兄の聖書講解のことばを中心に再構成したものである。昨日も冒頭で内村鑑三の著作をほんの少し引用したが、内村が獲得している読者数にくらべ、ゴットホルド・ベック氏の著作の読者数はきわめて少ないと思う。その原因は知名度のちがいと私たちの内に存在する不確かな自己像にあるのではないかと思う。すなわち、搦め手からみことばを明らかにしようとする内村氏は私たちが受け入れやすく、直接みことばに肉薄して己を捨てることを迫るベック氏を私たちが敬遠するところにあるのではないかと思う。私はこのゴットホルド・ベック氏の著作『すぐに起こるはずのこと』全4巻はもっともっと多くの人に読まれて熟読玩味されるべき本ではないかと思う。)

2014年5月29日木曜日

大きな喜び

みことばを食べるということについて内村鑑三の解説とベック兄のメッセージを紹介したい。先ずは内村氏の『宗教座談』からの引用である。

私どもの肉体を養うに 魚 肉 野菜 穀類などの食料がございます。また私どもの智能を養うに宇宙万象に現われたる天然の理がございます。しかし食物も天然も私どもの霊魂を養うには足りません。私どもの霊魂を養うに足るものは人類に下し給いました霊の糧なるキリストでございます、聖書にこう書いてあります。

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6・35、51)

キリストの血を飲みその肉を食うといえば何やら食人人種のなすことのように聞こえますが、実際我々が霊魂の苦悶と飢餓とを感ずるときにはこれを癒し、これを充たすものは彼の血と肉とより他はありません。その化学上の説明のごときは神聖に過ぎてここにこれを述べることはできません。もし貴下方が聖アウガスチンや、詩人ミルトンや、偉人クロムウエルや、バンヤンや、グラッドストンが神を需(もと)めしような熱誠を貴下方の心に持ってご覧なさい、私がここに述べましたことが決して夢でもなければ幻でもなく、実の実、真の真であることがお解りになりましょう。要はまず霊魂の存在を確かむることでありまして、これを確かめて後にキリストを信ずるに至るのは自然の順序でございます。
( 『宗教座談』内村鑑三全集第8巻164頁より)

次にベック兄が主のみことばを受け入れる態度について述べた文章からの抜粋引用である。

主のみことばは、ただ聞いて理解するだけではなく、食べて、自分自身の一部としなければなりません。ここで二つの問題についてさらにくわしく考えて見ましょう。一つは「正しい聞き方」とはどういうものかです。

正しく聞くということは、主の前に黙って主が語ってくださるのを待つことと、主が語ってくださったみことばを受け入れる、「食べる」ということです。

主がすべてのことについて語ってくださることができるように、私たちも備えをしようではありませんか。聖書のみことばの中で自分の好きなところだけを探して読むのはまちがっています。イエス様は私たちの生活をよりよくするために忠告を与えようとなさっているのではなく、私たちの生活全体をご自身の御手の内で用いたいと望んでおられるのです。

私たちが主のみことばを受け入れるときにのみ、主のみことばは私たちのものとなります。食物は 「食べられる」ことによって私たちのものとなり、身体の成長を助けます。同じように主のみことばは、私たちが「食べる」ときにはじめて実をもたらすのです。そして主のみことばに服従することです。

次に何が「正しい聞き方の結果」か考えてみたいと思います。二つのことが言えるのです。第一番目は「大きな喜び 」、第二番目は「深い苦しみ」であります。

まず、(みことばの)正しい聞き方の結果は「大きな喜び」です。

食物の中の食物として、神のことばはどんな食物よりも人の心を満足させるものです。

主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。(詩篇19・8)

あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。(詩篇119・103)

私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。(エレミヤ15・16)

主のみことばを通して、私たちはキリストの苦しみと死を知るのです。またキリストの流された血潮と、値なしに与えられている救いを知ることができるのです。「正しく聞く」というのは自分が黙して主に語っていただくことです。自分の意見や考えはむなしくして、神に従うということです。そうするときに絶えることのない喜びと平安が保たれます。

喜びの土台は罪の赦しを与えられているということと、主との間に平和をもっているということ、そして義とされているということにあります。この確信を私たちは主の偽りのないみことばを通して与えられます。

私たちはどれほどの豊かさを主のみことばを通して与えられているでしょうか。もし喜びに満たされていないとしたら、その人は主のみことばによって生きていないのです。今日世界には多くの飢饉があります。しかし、なんと多くの主を信ずる人々が、みことばの飢饉の下で苦しんでいることでしょうか。主のみことばを正しく聞くことをしない人は、飢え渇きに悩むのです。

私たちが宣べ伝えるべき福音は「喜びの福音」です。私たちの意見ではなく、主のみことばを宣べ伝えなければなりません。「預言する」ということは主の権威によって主のみことばを宣べ伝えることです。

主のみことばは、ことを起こすものです。私たちが罪の赦しのみことばを宣べ伝えるときに、罪の赦しが起こるのです。罪が赦されるであろうことを私たちが自分勝手に望んでいるというのでは決してなく、主のみことばによって実際に罪の赦しが起こるのです。人間的にみると、「神の使い」、つまりみことばを宣べ伝える「神のしもべ」たちは無力で、その人自身は何も誇れるものは持っていないように見えます。しかし主のみことばが彼らの宝なのです。このような「神の使い」については聖書の中に数多くの実例があるのです。

たとえばヨセフはエジプトで囚われの身となり、何の希望もありませんでした。しかし彼は主のみことばを通して力を得ました。またモーセは平凡な羊飼いでしたが、主のみことばと権威によってイスラエルの民を囚われの身から解放しました。そしてダニエルはバビロンに囚われていましたが、主のみことばによって力を得ることができたのです。

(『すぐに起こるはずのこと』ゴットホルド・ベック著第三巻118〜123頁より引用構成。)

2014年5月22日木曜日

Immel wenn der Tag beginnt

ドイツ映画『朝な夕なに』を半世紀ぶりに観た。 もっとも全編を観たわけでない。YouTubeで4つのシーンを断片的に観たに過ぎないが、往年映画の印象として心の奥にしまっていた清らかな想いと実際の映画とは随分異なることに気づいた。

筋はギムナジウムの教師と生徒との交流が描かれるのだが、その中に男子生徒が女性教師に思いを寄せるということがあったように思うが、一つ一つのシーンは観ていた自分の中で時の経過とともに自然と思いが浄化されて行っていたのであろう。けれども当時は気づかなかったが、自らの青春の蹉跌がそのままそこに描かれているのは間違いなかった。

この映画は高校の映画鑑賞会の一環として映画館に出かけて観させられたものであるが、それが一年の時か、二年の時かはっきりしない。1958年9月が日本での初公開であったようだが、私の高校は地方都市にあったから、それよりは後であろう。当時教師陣はどのような思いでこの映画を選ばれたのだろうか。ましてその後、自らがその教師の端くれとなることなど思いも寄らなかった。

映画の中の葬送のシーンで悲しくも切なく流れるトランペットの演奏「真夜中のブルース 」はベルト・ケンプフェルトのヒット曲になった。ソニーのテープレコーダーを使いオープンリールで録音もし、私にとっては忘れがたい曲であった。

高校卒業後二ヵ月ほどして亡くなった母の追悼に、その夜一室にこもって繰り返し流したのもその曲であった。そうでもしなければ私の悲しみは癒されなかった。

往時、喜びもし悲しみもした事柄は、半世紀後の今の自分にとって別世界のように思える。それは生けるまことの神を知らなかったゆえの喜び悲しみであったからである。

人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる。(箴言14・12〜13)

このドイツ映画も神不在の映画であろう。確かに葬送の場所はドイツの教会である。しかし、そこには悲しみしか描かれていなかったからである。葬送の場面を観ながら、このシーンはどこかで観たことがあると思った。それは同じドイツ人であるゴットホルド・ベック氏がお嬢さんのリンデを20歳で亡くされた時の葬送を写されたビデオを思い出したからである。

場面は同じようにドイツの墓地であるが、そこには悲しみだけでなく、喜びが満ちあふれていたからである。53年前、母の死を悲しむ術を知らなかった私だったが、母の死をとおしてまことの神様イエス様を知るように導かれ、半世紀後の今も主の愛のうちに生きている。もし主イエス様を知らなかったら、『朝な夕なに』の映画は依然として私のノスタルジーである記念の作品であり続けたかもしれない。しかし、それはカタルシスであって、死への勝利を約束するものでない。

『実を結ぶいのち』という本の中で「死は勝利にのまれた」と題してゴットホルド・ベック氏は次のように書いている。「世界は、今しばらくの間、神の許しによって、悪魔の支配にゆだねられています。その結果、大勢の人々が惑わされ、真理に対して盲目にされています。人々は、この地上で心の満足と真の幸せを手に入れることができると思い込もうとしています。しかし、それは幻想です。神の御子、主イエスだけが、私たち人間の心に真実の満足を与えてくださるということを、愛するリンデとともに、読者の皆さまにお伝えしたいと願っています。」(※)

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6・23)

愛する母は53年前の今日召された。主を知ることはなかった。しかし臨終にあって一人息子を置いたまま死んで行かなければならないことを思い、両目から真珠のような涙を流した母の想いを主は受けとめてくださったと知る。

(※『実を結ぶいのち』ゴットホルド・ベック著4頁より引用)

2014年5月19日月曜日

歳月人を待たず

2013.5.18 小諸城趾から見下ろす千曲川※
昨日知人より一通のメールが舞い込んで来た。パリの個展の案内であった。パリ在住の次男夫妻に知らせて欲しいという文面であった。読んでいるうちに最初何となく恨めしい思いがした。一年前の昨日、次男の妻は日本帰国中に倒れた。そして日本で治療に専念している。次男も休職し妻の治療に協力している。ちょうどその一年が経過した日であった。

でも、その次に襲って来た感情は、人にはまる一年間互いに消息を知らないで過ごしてしまう間柄もあるんだということだった。

それにしてもこちらの態度がそもそも問題なのだと悟るのには随分あとになった。不思議なことだがその二三日前、私にもその知人の存在を覚えた時があった。知人がいつも行くところを私は知っている。それにもかかわらず私は出向いて彼に声かけることをこの一年間していなかったのである。

むしろ彼の方こそ、私を覚えてわざわざメールを寄越してくださったのだ。決して「舞い込んで来た」ものでなく、彼の愛のあらわれであると知った。私の方こそ、この一年全く彼に失礼を重ね続けてしまったのである。

彼に一年前に次男夫妻を襲った出来事と、その後一年の歩みを淡々と綴って返事した。彼から「何も知らずにおりまして申し訳ありません。ただ”火のような試練”という聖句がとっさに浮かんできました。ただ祈らせていただきます。」とあった。ありがたいことだ。

愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。(1ペテロ4・12〜13)

このような試練の中、主イエス様はいのちの危うかった彼女を立ち上がらせ、回復への道を与え続けてくださっている。次男夫妻はそのことが起こる前に聖書を通して次のみことばが与えられていたと言う。

「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」(ホセア6・1〜3)

このような不変的なみことばに頼って、信仰にもとづく恵みのうちに第二年目も歩めるよう祈っている。
 
(※昨年私は大学の先輩後輩と4人で信州を旅していた。最終日は小諸であった。その時の写真である。そのほぼ同時刻に椿事が東京で発生していた。)

2014年5月17日土曜日

「補聴器」と祈り会

古利根川堤
補聴器を使い始めて何週間か経つ。耳の聞こえが悪くなって、もうかれこれ5、6年経つであろうか。玄関を押すベルなどが二階にいると聞こえなくなったり、やはりご飯の用意ができて呼ばれても知らなかったり、前者は宅配業者やお客さん、後者は家人との関係でそれぞれに不快な思いをさせていた。郵便局などポストに不在通知が入ると、「家にいたのに、なぜそんなことをするのか」と自分自身が実は難聴になっているとは知らず、文句を言っていた。この場合、先方はお客さんのことばだから、内心不満があってもそのまま引き下がられる。ところが後者などはそうはいかない。「なぜ降りて来ないのか、夕食が干上がってしまうじゃないの」と言われ、当方は当方で「聞こえないのだから、しょうがないじゃないか」と互いに言い募る始末であった。この辺から何となく耳が悪いのだなあーと自覚が出てきた。それでもそのまま放っておいた。

恋する鳩の男女
ところが今年になって、私の耳が聞こえないことで、娘や妻とたびたび喧嘩になった。疲れて帰ってくる娘が話をしていても何を言っているのか聞きとれない。もっと大きな声で話せと私は声を荒立てた。でも夜遅く帰宅し疲れている者に向かって「大きな声で話せ」とは土台無理だと少しずつ気づいて行った。また妻と話していても何回となく聞き返すから、また喧嘩になる。その上、妻は私の難聴と認知症の関係を気にし始めて、妻と娘は私に補聴器購入を勧め、病院に行けと言う。何度も渋っていたが、とうとう意を決して耳鼻咽喉科を訪れた。週に一回集まる祈り会で他の方の話や祈りが聞きとれないことに悩まされるようになってもいたからである。

ほぼ一月ほど試聴期間であったが、いよいよ昨日から本格的に自前の補聴器になった。補聴器は病院側で斡旋していただいたが、購入には二の足を踏んだ。高額であり、業者が信用できるかの不安があったからである。私につきあってくれた方は青年で、感じのいい誠実な人だった。一生懸命にこちらの不安にも答えてくれ、うちの店でなくっても他の業者さんでもいいですよ、と鷹揚な態度も披瀝してくれた。そのお店は隣の町なので不便なのだが、結局彼を信頼してそのお店で購入することにした。別れ際、一人の方の御好意で刷り上がった名刺をお渡しし、ついでにブログ(名刺にはブログのアドレスが記入してある)を読んでくださいねと、言い添えた。

赤つめ草・白つめ草
昨日、お店に出向いて彼に会った。開口一番、「ブログ読みましたよ、本格的なんですね」と言われた。「あれはご自分の文章ですか」とも言われた。具体的な最後の商品の説明のおり、「祈りはどんなことばですか」と言われた。私が祈り会で祈りが聞きとれないということは医師にも申し上げていたし、その方にも話したのだろう、そのことを指して言われたのである。ああ、そうなんだと思った。主イエス様をお知りでない方にとって、私たちがささげる祈りがどんなものであるかご存知ないのはやむを得ない。私は「フォーマルなものではありません、フリーです。どんなことばでもいいのです」と申し上げた。どの程度その方に意味が通じたかはわからないが、私が聞こえないと申し上げた理由とその後補聴器使用でそれが可能になったのか知りたいと思っての質問であったようである。

祈りは主イエス様に向かってささげるもので、各人がそれぞれ自由にささげる。声の大きさはまちまちであるが、普段話す話よりは大体が小さい声になる。だから祈っていても自分と反対側の人ほどその声が聞きとれないので、不自由していた。もちろん聞こえなくってもそれはそれで良いのだが、七人で祈っても三人の方の祈っている言葉は断片的でよくわからないということばかりだったのだ。果たせるかな、昨日その祈り会で(出席者は7名であったが)補聴器を使用して聞いてみたが、今まで聞きとれなかった方々の声が聞こえた。やはり自分の耳が悪くなっていたことを認めざるを得なかった。

補聴器使用の二日目、このブログを書いている間も、玄関のチャイムが二回ほど鳴った。いつもより敏速に階下に降りて行くことができた。今朝の空は青空である。何か気持ちが快活になりそうである。補聴器を使用するように勧めた家族の者、また現実に補聴器の世話をしてくださったお店の方に感謝したい。昨日帰り際、今一度ブログの話題をした。彼は「文章が難しいですね、パソコン上では読み取ることが難しいですね、プリントアウトして読まないと」と言われた。率直な感想をいただいて嬉しかった。読んでいる方々のご苦労をはじめて知った思いがしたからである。彼が今後も誠実に仕事をされるように祈りたい。

また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイ6・5〜8)

2014年5月16日金曜日

とかげは天敵か?

この前、思わず、とかげは家人にとって天敵と書いたが、決して天敵でない。友人とは言いたくないが、敵ではないと言う。何しろとかげは草花に寄って来る様々な虫を獲物に地上から草花を伝いながら這い回っており、ガーデナーにとって得難い味方であるからである。今朝、久しぶりに見るともなく、庭を見ていたら、風もないのに草花が揺れている。そのありかを見てみれば、二三日前に格闘した同類のとかげ君であった。しかも一匹ではない。二匹それぞれちがう草花に足繁く動いていた。庭に降り立ち、とかげ君を探したが、もういなかった。代わりに、草花の様々な芳香がそれぞれ心地よく漂って来た。これは何という魂の「温浴」であろうか。草花をめぐって多くの生き物が群がって来るのもうべなるかなと思いながら室内に戻った。

室内に戻り家人に「とかげは天敵でないね」と念を押したら、案の定「そうだ」と言った。むしろとかげのたまごは小さい時から馴染んでおり畑や庭で始終見たし触ったと言う。問題はそのとかげが室内にいるのが嫌なのだと言う。確かにそれは誰しも気持ちのいいものではない。そこへ行くと、蜂の巣はもはや女王蜂と切り離した存在なので、それを気持ち悪がる心理はわからない。今でも私の小さな書斎に記念として「蜂の巣」を置いているが、家人は決して足を踏み入れない。今や、「蜂の巣」は、我が城に家人の出入りを容易に許さないとんだ「魔除け」になった感じだ。

安倍首相が、集団的自衛権を解釈改憲で押し通すつもりだ。とかげが天敵であるかどうかは場合場合があり、細かな議論が必要だろう。感情論で物申すのでなく、冷静な思索が必要である。首相会見にパネルを持ち出し、説明されるのは結構なことだが、もし起こり得る事態を自己の都合のいいように図示し論理をすりかえてしまうための道具だったら問題だ。とかげが室内に入らないようにしたい。それにもかかわらず、入って来たらどうするか。瞬間湯沸かし器のように当方は恐怖心にあおられて、「自衛」と称して流さずにすんだ血を流してしまった。あとで悔いが残った。一国を預かる首相に今や誰も鈴をつける人がいない。民主主義は選挙至上主義だ。一人一人が覚悟をもって政治社会の構築に向かうべしである。

今朝の朝刊各紙の見出しを参考までに列挙する。

朝日 集団的自衛権行使へ検討
読売 集団的自衛権限定容認へ協議
埼玉 首相「確固たる信念」
JAPANTIMES Panel lists steps for bypassing Article 9
日経 首相「憲法解釈の変更検討」
産経 首相 行使容認へ強い決意
毎日 集団的自衛権 容認を指示
東京 「戦地に国民」への道


新聞は社会の木鐸だと言って育った私にとり、今の新聞は果たして木鐸の役割をしているのか疑問なしとはしない。ちなみに私は東京新聞を講読している。 

その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」サムエルは、この民の言うことすべてを聞いて、それを主の耳に入れた。主はサムエルに仰せられた。「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」(1サムエル8・18〜22)