兄弟たちよ。私は次のことを言いたいのです。時は縮まっています。(1コリント7:29)
そういうわけですから、・・・賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。(エペソ5:15〜16)
私たちは広い範囲を扱う時、きわめてあいまいになりがちです。また一般的なことにねらいを定めていると実際的なことがらに到達することはありません。原理に対する忠実さは細部にあらわれる忠実さによって証明されるだけであることを忘れます。このあいまいさは、私たちの時間は神にささげれれるべきなのに、そうできないという弱い願いが、絶えざる無力さとなってあらわれることにつながらなかったでしょうか。
霊的な事柄においてはより大切なことは必ずしもより小さいものをふくんでいるのでなく、逆説的だがより小さいものがしばしばより大切なものをふくんでいるのです。この場合において、時間は私たちの主のために用いられるように託されているのです。しかし私たちはそのことを総じて把握できません。私たちは時間を何かの目的のために使うことができる前に、本能的に時間を無駄にしてしまうのです。
そのように新年がめぐってくる時、私たちは主に対して特別な熱心さをもって時間に専念します。けれどもそうする時、私たちは一年でさえ私たちが取り組むには余りにも多過ぎると言う感覚を意識しないでしょうか。そしてこの感覚、すなわち私たちが把握できるよりももっと大きなことを取り扱うという感覚は、現実感を損わないでしょうか。
このようにして私たちにはより多くの御しやすい基準が与えられるのです。日曜の朝や月曜の朝がめぐってくるように、私たちは主に対して最初の週を感謝をもっておまかせし、助けを得、憩いを得る感覚が新たにされ、強くされるのです。しかし6、7日でさえ私たちの手許で十分完結してはいないのです。明日でさえ私たちのちっぽけな掌握を越えています。それゆえに明日の恵みさえ私たちには与えられていないのです。
そこで私たちは私たちの生活を毎日の問題として熟慮する必要性を知ります。さらに私たちの時間を一般的にいかにもっとゆだね、ささげようとも、この場合には真実に当てはまらないことを知っています。ここにおいて私たちは大変な励ましと助けを十分知ったのです。そしてもし結果が完全に満足しないものであったら、少なくとも私たちがこの細分化した点に到達する以前よりももっと多くなるでしょう。
しかし、もし私たちが一つの方向にある程度進むことによって助けと祝福を見出したのなら、私たちが同じ場合にもっと進むなら私たちはもっと多くのものを見つけるということはあり得ないのでしょうか。だから、もし私たちが主に日々をおゆだねすることができるなら、なぜ時間や瞬間瞬間をおゆだねしないのでしょうか。私たちはそのようにおゆだねして、新たなる特別な祝福を期待しないのでしょうか。
あなたの器官に
すべての時間を
あなたの祝福された奉仕に合わせて
整えてください
熱心な舌
力ある腕
技倆に富む手
そして
急ぐ足
つねに果たせる用意があります
すべてのあなたのおことばに
すべてのあなたの御意志に
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/june-30-the-less-includes-the-greater/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97346です。今日はハヴァガルの霊想一年の折り返し点であり、昨日一昨日とテーマがはっきりしていて、今日の分を期待したが、丸っきり歯が立たず、訳出に難航をきわめた。一層のこと白紙で載せようかとも思ったが、そのまま悪文・誤訳を載せている。読者諸兄のご助言を切にお願いする。
マライア・ハヴァガル自伝 幼年時代(4)
コーレーを散策している時、ヴィカレージの父を覚えている老人に出会った。彼は父が貧しい副牧師だったが、気前が良かったと話してくれた。「お嬢さん、あんたはお父さんを思い出させるよ。そう彼は良く与え、良く生きる男だった。そうだ、おまえさんが生まれた時のことを覚えているよ。旦那は看護婦さんを呼ばせに確か9マイルか10マイルか夜遅くおれを使いにやったんだ。旦那さんは言ったね。ジェームズ、君の代金はいくらだい。いいや、いくらでも。じゃあ6シリングだ。まったく気前が良く、チャンとお代はいただいたよ。
当時は教会に人々が一杯だった。日曜日ときた日にゃ、この道は馬車でごったがえしたよ。お父さんはキリストについてわかりやすく話してくれ、人はどうしたら栄光に達することができるかも話してくださった。その上、お父さんは音楽家で確かに素晴らしい声の持ち主だったよ。そうだ、お父さんは本の花飾りの頁には曲を書いていたし、新しい賛美歌集も作ったんだね。」)
マライア・ハヴァガル自伝 幼年時代(4)
コーレーを散策している時、ヴィカレージの父を覚えている老人に出会った。彼は父が貧しい副牧師だったが、気前が良かったと話してくれた。「お嬢さん、あんたはお父さんを思い出させるよ。そう彼は良く与え、良く生きる男だった。そうだ、おまえさんが生まれた時のことを覚えているよ。旦那は看護婦さんを呼ばせに確か9マイルか10マイルか夜遅くおれを使いにやったんだ。旦那さんは言ったね。ジェームズ、君の代金はいくらだい。いいや、いくらでも。じゃあ6シリングだ。まったく気前が良く、チャンとお代はいただいたよ。
当時は教会に人々が一杯だった。日曜日ときた日にゃ、この道は馬車でごったがえしたよ。お父さんはキリストについてわかりやすく話してくれ、人はどうしたら栄光に達することができるかも話してくださった。その上、お父さんは音楽家で確かに素晴らしい声の持ち主だったよ。そうだ、お父さんは本の花飾りの頁には曲を書いていたし、新しい賛美歌集も作ったんだね。」)