2016年10月12日水曜日

私たちに主の御心は留められる

アルプスへ 夫唱婦随 主の愛※
人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。また、朝ごとにこれを訪れ、そのつどこれをためされるとは。(ヨブ7:17〜18)
 
 もしもそのすばらしい驚きの表現「人とは何者なのでしょう。あなたがこれに御心を留められるとは」のうちに父なる神様の愛とやさしさが啓示されていなかったとしたら、主がことごとく試みられているという考えほどひどく厳粛で恐ろしいものはないのではないでしょうか。

 まるで私たちが不注意で忘れっぽい子どもであったかのように主は、私たちの上に絶え間なく、み心を留められていることを考えなさい。

 次に、それにもかかわらず一つのことばの綾として与えられている、これら以外の他のみことばについても、文字どおり真実だと考えなさい。すなわち「わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぐ(イザヤ27:3)」とあるのです。

このことに直面しなさい 
苦悩と闘争のあらゆる混乱をとおして 
これに対して あなたのいのちの真の成熟
あなたが来られる幸いな時 
あなたが将来見そなわしてくださるものは 
どれほど高い贈り物でしょうか
そしてそのような奉仕のために 
あなたの神は あなたを準備なさる 
たとえ今日 あなたが あらゆる隠された理由を
たどることができなくても
試みの時をとおして 主の不思議なお取り扱いのために

だから 信頼して従いなさい

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-12-his-heart-set-on-us/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97450です。

※Godhold Beck(51)
 9月24日、本来ならベック兄が司式なさる結婚式でベック兄が召されたため、私は急遽、代役を務めさせていただいた。その折り、アメリカで戦後ベストセラーになった『ピーターという男』の数節を最後に紹介させていただいた。「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。」箴言31:10以下の現代版だと思ったからである。

 ところが、先頃『主は生きておられる』10号〈2005年刊行〉にベック夫妻結婚50年に寄せてベック兄が話された記事を見つけて、そんなに遠くを探さなくても、ここにその現代版があるではないかと、遅まきながら気づいたので、そのところを以下紹介してみる。〈同書60頁より引用。2005年8月7日、国際福音センターでの収録から〉

 このみことばは、良い妻が得がたいことを示しています。私は、主がミンヘンを生涯の伴侶としてくださったことを心から感謝しています。そして、きょう、皆さんの前でミンヘンに感謝したいと思うのです。ちょっと恥ずかしいけれど、きょう、初めて、彼女をちょっとほめたい。

 私は、主に対して不従順な者でした。詩篇103篇の2節に、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」とあります。主の良くしてくださったことを忘れることは感謝しないことであり、罪です。

 私はもう何十年間、主がくださった結婚、ミンヘンへの感謝を忘れがちで、すべてのことを当たり前のように思ってきました。「悪く言わないのは、つまりほめているんだよ」と自分一人で思っているだけで、感謝を口にせず、いつもミンヘンを悲しませてきました。

 ミンヘンは聖書に書かれているように、私にとって「真珠よりもはるかに尊い」。ミンヘンは生きながらえている間、私に良いことをし、悪いことをしなかった。一度も。彼女は喜んで自分の手で働く者であり、勤勉そのものです。私はいろいろな人に親しくしてもらっていますが、それもみなミンヘンのおかげです。ミンヘンはほほえみながら後の日を待つ。主を見ているから。彼女は思慮深くみことばを語る。彼女は正直で、透き通っている。娘のハイデもビッキーもスーシーも立ち上がって彼女を幸いな者と言う・・・

 変な証しになったかもしれませんが、60年間ミンヘンを知り、そして50年間、心を一つにすることができたのは、本当に主の恵みそのものです。金婚式の年にあたり、主がミンヘンを妻としてくださったことを、心から感謝しています。そして愛するミンヘン、50年間、ありがとう!)

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