主の聖徒たちの足を守る比喩が、走ってもつまずかないという約束をもって守られていることは、もっとも美しい有益な主題です。しかし、それは私たちのそのままの足がイエス様のために文字どおり守られることとは全くちがいます。
そのことを大変明らかにするのに助けとなる素朴な考えがあります。こういう私たちの足はまさしくキリストの奉仕のために十字架上で引き裂かれ刺し通された主ご自身の足から流れ落ちた大切な血のしずくによって贖われるものです。足は主の使い走りであるべきです。私たちは世や肉や悪魔に、そのような犠牲をもって買い取られた足をいったいどのようにして使わせることができるというのでしょうか。
この世が足に使用権を持っているのでしょうか。 足は私たちを世が最高権力者であるところ、そして、主のお名前に言及することは明らかに場違いなので、お名前を出すことさえなされないところへと私たちを連れて行くのでしょうか。 私はこのつながりの中でただちに起こる主題は明らかに困難だと知っております。しかし、「すべてはイエス様のために」というモットーを持つ、私たちの輝かしい旗が誠実にも巻き上げらず、明らかにされている時、それらの困難はすべてなくなります。
この世が足に使用権を持っているのでしょうか。 足は私たちを世が最高権力者であるところ、そして、主のお名前に言及することは明らかに場違いなので、お名前を出すことさえなされないところへと私たちを連れて行くのでしょうか。 私はこのつながりの中でただちに起こる主題は明らかに困難だと知っております。しかし、「すべてはイエス様のために」というモットーを持つ、私たちの輝かしい旗が誠実にも巻き上げらず、明らかにされている時、それらの困難はすべてなくなります。
あなたは正直にあなたの足そのものが「イエス様のために守られる」ことを望んでいますか。こういう簡潔な言葉「イエス様のために守られる」を、今度踊ることが難しかったり、同種類の何か他の難しさが生ずる時、鳴り響かせましょう。私はその結果がどうなるかを知っています。
「肉」が足の使用権を持っているのでしょうか。足は私たちが単に行きたいから、また単にこの歩みを取るか、それともこの訪問に使うのが喜びだからという理由だけであちらこちらに私たちを連れて行くでしょうか。その挙げ句は何という失敗が待ち構えていることでしょうか。
あなたの小屋はあなたのうしろに
厳粛なことばを残しました
厳粛だが困難なうちに祝福をもって
私たちは学ぶことでしょう
私たちがあなたの臨在をどのようにして獲得し
そこであなたを見出すことができるかを
あなたはおっしゃいます
「わたしについてきなさい」
これこそ私たちの大きな関心です
おお かくして
私たちの救い主の足跡を
それぞれの時間にしるし
その足跡を私たちが
歩いているかを知るとは
どれほど祝福あることでしょう
その時 希望の花々がより美しく
それぞれの喜びがさらに輝いて光ります
おお私はいつも主のあとにだけ従いました
私は主のものであると知っています
なぜなら私は救い主の王座の前で
平安な信仰をもって額づきましたから
そして 喜んで主に 私の人生
私のすべてを ささげました
すると 主は私を赦し
咎のそれぞれの汚れを洗い聖め
すぐに立ち上がるように
毎日毎分主のあとに従うよう
命令されました
そして 主は 私の目の前で
いのちと喜びの冠を飾られました
私は主のものであると知っています
なぜなら私は救い主の王座の前で
平安な信仰をもって額づきましたから
そして 喜んで主に 私の人生
私のすべてを ささげました
すると 主は私を赦し
咎のそれぞれの汚れを洗い聖め
すぐに立ち上がるように
毎日毎分主のあとに従うよう
命令されました
そして 主は 私の目の前で
いのちと喜びの冠を飾られました
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-23-our-feet-for-him/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97461です。今日の訳文も歯が立たない英文の連続で、いささか自信がない。読者諸氏のご寛容をお願いしたい。
※Godhold Beck(62)
1994年10月に、第一陣、第二陣とあわせると総勢四百人余りがルフトハンザ飛行機に乗せられドイツ入りしたことは(20)で触れた通りである。普通はお国に帰ってホッとするのが普通であろう。でもベック兄の故郷はドイツでなかったようだ。
旅の滞在期間中、ドイツ人には日本人のメッセージ・証しをドイツ語で通訳、日本人にはドイツ人のメッセージ・証しを日本語で通訳された。これでは休む暇がない。しまいには冗談のつもりでもあっただろうが、自らが話される時にはドイツ人に向かって思わず日本語で話されたこともあった。その上、ベック兄は中々のユーモアの持ち主で、およそそのような心のない私には今瞬時に思い出すことができないのだが、とにかく屈託がなかった。
この写真はやはりアンドレアス・プレッチ兄〈前々回に既出した〉が挨拶なさった時の通訳の一こまであろうと思う。日本への帰国を前にして、宿舎のアイドリンゲンで旅路を振り返って、いつもこのような恒例のあいさつがドイツ人の方から日本人になされた。そういう時も私たちの頼りはベック兄である。その上、旅そのものはできるだけ費用がかからないように注意が払われていた。最初の時などは返金があった。しかもその返金を辞する人が多かったので、その返金をそっくり記念誌、と言っても福音を満載した冊子〈ドイツマガジン〉の作成に使われた。こうして最後の血の一滴までも福音のために使おうとされた。
まさしく買い取られた足をベック兄もこのハヴァガルの黙想のごとく使い切られた!)
※Godhold Beck(62)
1994年10月に、第一陣、第二陣とあわせると総勢四百人余りがルフトハンザ飛行機に乗せられドイツ入りしたことは(20)で触れた通りである。普通はお国に帰ってホッとするのが普通であろう。でもベック兄の故郷はドイツでなかったようだ。
旅の滞在期間中、ドイツ人には日本人のメッセージ・証しをドイツ語で通訳、日本人にはドイツ人のメッセージ・証しを日本語で通訳された。これでは休む暇がない。しまいには冗談のつもりでもあっただろうが、自らが話される時にはドイツ人に向かって思わず日本語で話されたこともあった。その上、ベック兄は中々のユーモアの持ち主で、およそそのような心のない私には今瞬時に思い出すことができないのだが、とにかく屈託がなかった。
この写真はやはりアンドレアス・プレッチ兄〈前々回に既出した〉が挨拶なさった時の通訳の一こまであろうと思う。日本への帰国を前にして、宿舎のアイドリンゲンで旅路を振り返って、いつもこのような恒例のあいさつがドイツ人の方から日本人になされた。そういう時も私たちの頼りはベック兄である。その上、旅そのものはできるだけ費用がかからないように注意が払われていた。最初の時などは返金があった。しかもその返金を辞する人が多かったので、その返金をそっくり記念誌、と言っても福音を満載した冊子〈ドイツマガジン〉の作成に使われた。こうして最後の血の一滴までも福音のために使おうとされた。
まさしく買い取られた足をベック兄もこのハヴァガルの黙想のごとく使い切られた!)
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