大水もその愛を消すことができません。(雅歌8:7)
主は、あなたや私に対する主の愛は死のように強く、すべての神の大波が主を越えて行っても、それらの大水はその愛を消すことができないことを明らかにされました。主の愛のうちに、そして主のあわれみのうちに、主は私たちを贖われました。同じ愛をもって主は忍耐し、日長一日私たちを背負って運んでくださいます。
主は「どんなときにも愛して(箴言17:17)」くださいます。それはこの今の瞬間もふくまれているのです。あなたの目がこの頁に注がれている今も主の愛のまなざしはあなたに注がれており、巻き上げられた愛の旗があなたを影としておおっています。主に対するかすかな愛のときめきがほんの少しでもありますか。主は「わたしを愛する者を、わたしは愛する(箴言8:17)。」ということばで答えてくださいます。「わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします(ヨハネ14:21)。」
だから花嫁が「あなたの愛はぶどう酒よりも快い(雅歌1:2)」と確かに言うように、まさしく天におられる花婿であられるお方は理解しがたい謙遜さをもって確実に応答してくださるのです。「私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、なんと麗しいことよ。あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさる(雅歌4:10)」願わくは、このキリストの愛により、私たちが、「私を愛し私のためにご自身をお捨てになった(ガラテヤ2:20)」お方にあって生きることを生涯得させてくださいますように。
主は「どんなときにも愛して(箴言17:17)」くださいます。それはこの今の瞬間もふくまれているのです。あなたの目がこの頁に注がれている今も主の愛のまなざしはあなたに注がれており、巻き上げられた愛の旗があなたを影としておおっています。主に対するかすかな愛のときめきがほんの少しでもありますか。主は「わたしを愛する者を、わたしは愛する(箴言8:17)。」ということばで答えてくださいます。「わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします(ヨハネ14:21)。」
だから花嫁が「あなたの愛はぶどう酒よりも快い(雅歌1:2)」と確かに言うように、まさしく天におられる花婿であられるお方は理解しがたい謙遜さをもって確実に応答してくださるのです。「私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、なんと麗しいことよ。あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさる(雅歌4:10)」願わくは、このキリストの愛により、私たちが、「私を愛し私のためにご自身をお捨てになった(ガラテヤ2:20)」お方にあって生きることを生涯得させてくださいますように。
主の影のもとに腰を下ろしなさい
そして大きな喜びをもって休みなさい
今主を見る信仰は近い将来の約束です
私たちの主の愛を覚えなさい
並外れた偉大さと自由を持つその愛を
喜びのうちに元気を出しなさい
主はあなたを覚えておられますから
そして大きな喜びをもって休みなさい
今主を見る信仰は近い将来の約束です
私たちの主の愛を覚えなさい
並外れた偉大さと自由を持つその愛を
喜びのうちに元気を出しなさい
主はあなたを覚えておられますから
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-27-unquenchable-love/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97465です。
※Godhold Beck(66)
写真は前回彦根に戻ったおり、中堀に臨む彦根城を撮影したものだが、昨日久しぶりに持たれた家庭集会の老夫妻のお証にふさわしいと思い、お載せした。
メッセージははるばる東京から来てくださった、かつて鬱の病で苦しまれ、そこから主イエス様に出会われ、喜びの人生に移られた方がしてくださった。「本物の喜びの源」と題して詩篇4:7が引用聖句であった。ほんものの喜びは、恵みを体得する者が持つ感情で、この両者は不即不離の関係にあるが、恵みそのものは自分が罪人でしかないと思う者すべてに与えられる神様のプレゼントであることがわかりやすく語られた。
そのあとは一人の日光市からお見えになったご婦人のお証であった。それは夫が癲癇発作を起こし救急救命センターにかつぎ込まれたとき、主にある友と祈る恵みが与えられて、必死に「いのちを助けてください、(今まで)悪い妻でした、ほんとうにイエス様にあって、一つになって暮らして行きたいから、お願いします 」と祈ったが、その祈りが主に聞き届けられたという喜びの証しであった。
10分そこそこのお証であったが、誰も否定できない証しであった。なぜなら、その奥様の隣に、ニコニコ顔のご主人がおられたからである。新約聖書の使徒の働きの4章13、14節のみことばそのままであった。「彼らは・・・ふたりが・・・、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。」
その彼女がその証しの中でベック兄の逝去を知って、「とても悲しくて心に穴があいたようでしたが、ベックさんが天国に行かれて喜ばれて痛みも苦しみもない」ところにいらっしゃることを思い、早く私たちも天国に行きたいと思い、ご主人とともに葬儀にも出席なさったことも話された。ご主人は6月から今日に至るまで毎日曜日喜んで主イエス様を幼子のようになって礼拝しておられる様子も伺うことができた。
まさしくメッセンジャーが冒頭言われた、証しする者の喜びがそこにはあった。「イエス様を信じていながら、暗い顔をして私は信じて良かったと言っても全然証しにはなりませんよね(笑)」と言われたが、まさに逆の良い生きた見本であった。)
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