2016年10月21日金曜日

不信仰が暗闇への道を開く

駅舎に 人工灯 夕空に 満月 闇 照らすなり(高宮駅)
 彼らは、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか。」と言って、主を試みた(出エジプト17:7)

 不信仰と忘恩は私たちと主の臨在とを隔てることができる唯一の影です。たとえ、一旦引き離され、それ以外のあらゆる他のものが入る余地があったとしても。さもなければ、地の影がまわりに全部落ちても、何一つとして私たちと主との間に割り込むことはできないでしょう。それらの非常な暗さは、私たちが住んでいる仮の住まいの輝き、すなわち主の臨在の秘密を増大させるだけでしょう。

 それらは人が「the unutterable joy of shadow less communion(交わりとまではいかないがその影の言いようもない喜び)」と呼んで来たものに触れることもできなかったでしょう。私たちは今晩、私たちの主に何と言いますか。主はおっしゃいます。「わたしは、いつも、あなたがたとともにいます(マタイ28:20)。」

 私たちは、不完全で二重に拘束されている経験を引用するという、あらゆるあら探しの矛盾を捨てて、主に向かって愛を込め、信頼し、感謝して「あなたはいつも私といっしょにいてくださいます」と言わないでしょうか。

 
主はあなたとともにおられる
いつもあなたとともに
昼も夜も一日中
決してしくじられない
決して顔をしかめられない 
主の親愛でもって
冠をかぶり
あなたの全生活を
賛美にあわせてくださる

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-21-unbelief-opens-the-way-to-darkness/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97459です。今日の文章も私には難解であった。一部、英文も併記した。「通りがかり」の方も必要なご助言を賜わりたい。

※Godhold Beck(60)
 さて昨日の文章の続きである。

 伝道活動の一大ハイライトは、御代田に福音センターが建設されたことである。そこでは数々の喜びの集い、結婚式、葬儀、納骨記念会などが行なわれ、唯一の救い主イエス・キリストを紹介する場として用いられている。ベック兄が始められたこれらのことは、現在、日本の多くの兄弟姉妹たちに受け継がれている。ベック兄がドイツに送り続けた祈りのメールの最終号には、ベック兄にとって伝道活動に最も大切なことは何か、が改めて次のように明記されていた。

 「『主よ、お語りください。しもべは聞いております。』これが日々、我々の願いであるべきであって、主の導きと祝福がなければすべては空虚なものとなる。」と。

 歳を重ねるに連れて、白血病、皮膚がん、糖尿病などの病が与えられたが、定年退職がないということがベック兄にとって喜びであった。

 2016年8月23日、ゴッドホルド・ベック兄は永遠へと召され、今は主イエス様にお会いし、みもとで安らかに憩うことが許されている。兄弟が待ち望んでいたことがついに叶えられたのだ。
 
 彼の徹底した献身振りは、多くのキリスト者、とりわけ日本のキリスト者の模範となっている。ご遺族は妻のミンヘン姉妹、三人の既婚の娘さんたち、9人の孫、4人のひ孫たちである。我々に残されたベック兄の遺言は「我々がキリストに完全に捕えられて、妥協なき献身をもって主に仕えること、それだけが人生に意味をもたらすものなのだ」ということである。

 これがプレッチ兄が書かれたその全文である。 文章中にメールのことが書かれているが、ある時、家内が父の救いのためにせっせと描いた「みことば入りの花のはがき絵」の作品を丹念に見ながら、「ぼくにも欠かさずやっていることがあるんだよ。毎週一回、ドイツの兄弟姉妹にメールを送っているんだよ。」と言われたそうだ。その最終号が上述のものであること、また彦根での家庭集会での最初の頃の長いメッセージが「主の祝福がなければだめだ、何をやっても。」と言われていたことを思い出し、召されるまでの首尾一貫したその生き方に改めて感銘を覚えさせられる。)

2 件のコメント:

  1. しかし この暗闇の蔭の介入で 一旦引き離されてしまうと 私達と 主との間には あらゆるものが 入り込んできます。  一方 この暗闇のかげさえなければ たとえこの世のあらゆる影に覆われたとしても 何一つとして 私達と主に間に 入り込む余地はありません。 更にこのようなこの世の闇は私達の住む 主の御隣在の仮庵の 輝きを 一層鮮明に照らし出すのみです。  この世の闇は”陰りなき交わりの 言い尽くせざる悦び”には 触れることさえできないのです。
     今宵 私達は 主になんと 申し上げましょう。 主は 言われます。 ”我は 常に 汝とともにあり”
    と。
       不完全 束縛の積み重なるこの世の体験に 捉われ 主のお言葉に 反発、言いがかりを 捨て 主に 心のうちを 申し上げましょう。 愛と 信頼と感謝のうちに。
    ”主は 我と 共にあり。”と。

    主は 汝と共に
    常にいます
    夜も 昼も 絶え間なく
    欠かすことなく
    怒ることなく
    慈愛の冠もて
    汝のすべてを
    賛美へと導かれる

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  2. このY姉の訳が小生の訳より適切だと思います。読者諸氏この訳と小生の訳を組み合わせてハヴァガルの心を読みとって下されば感謝です。

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