かような文書は、神様の偉大な恩顧により、すぐれて偉大で大切な約束や、偉大で大切どころかそれ以上の命令や、使徒がすぐれた栄光と天からの声だと感じた証しよりも「はるかにたしかな」預言のことば(もちろん、それはちょっと見方を変えた約束のことばに過ぎないのですが)に満ちあふれた、私たちの天の故郷の栄光、私たちの心の宝物をあらわす書き物です。それは王の名前で書かれているのです。
イエス様は、父なる神様を明らかにし、宣言し、栄光をあらわすために来られたのですが、そのお方の生けるみことばは、御霊によって書かれたのと同じ証しのもとにご自身のお名前を刻まれました。それは私たちに「神のみことば」として与えられたものです。それは王の指環で印が捺されています。証印は普通でない方法で行使された聖霊の特別なお働きです。
主はこの偉大な書き物を王の指環でどれほど明確に証印を捺されたことでしょうか。それはご自身の似姿とお名前、まことにご自身からのものだと納得させる印がが刻まれており、変わらざる権威と力のうちに発行されたのです。
それは内からも外からもなされた二重の証印であります。第一には書き物が「聖霊による」という外観においてはっきりと目に見える形で確かめられる宣言であります。次にすべてのものを納得させる証拠は、私たち自身の心のうちに私たちが知り得る力をもって効果的に働く全能以上のものがあり、それゆえに神的なものであります
おお これは詩よりも 最高度の歌よりも まさるものです
たとえ隠されており 完全で強力であっても 私たちの霊にある証言です
聖徒や聖人に与えられた新しい啓示ではなく
聖なる書物に神からの光が きらきら輝き広がるのです
聖徒や聖人に与えられた新しい啓示ではなく
聖なる書物に神からの光が きらきら輝き広がるのです
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-15-doubly-sealed/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97453です。
※Godhold Beck(54)
昨日は40年来の親交のあった方の葬儀があった。ご主人と一人娘を残しての召天であった。葬儀のあとのご遺族挨拶でお嬢さんは親族の内で天国に移された人々の名前を次々上げられ、それぞれの方を短く紹介された。そのお一人お一人はイエス様の福音を何らかの形で受け入れた方たちであった。さわやかな印象を与える幕切れとなった。
そのあと、友人と一緒に老健施設に入所している方を見舞った。友人は「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」という聖句の自署した筆墨の書を進呈された。そうだ、私たちの国籍は天にありますだよと、入所中の方に私たちは伝えた。その方は「(そんなことを言われても)ピンと来ない」と言われて破顔一笑された。「私たちもピンと来ない、でも信ずることだよ」と話し、友人に祈っていただいた。果たせるかな、その方は大きな声で「アーメン」と私たち二人とともに唱和された。ここにもさわやかさだけがあった。
さて、天国とはいかなるものか、昨日も彦根の大学でのベック兄の講演会の内容を少し紹介したが、そこでベック兄が紹介されたのは以下のお嬢さんが残された文章であった。20歳で召されたお嬢さんの聖書の中に差し挟まれていたメモ書きとのことであった。お読みいただきたい。
主イエスさま。たとえ肉眼であなたを見ていないにしても、
私は心からあなたを愛しています。
そして、たとえ個人的にあなたを見ていないとしても、
私はあなたに全き信頼をおきます。
この目であなたを見ることが許される時、なんとすばらしい、
言葉にならない喜びで、歓呼の声をあげるでしょう。
その時、私は永遠に安全な場所におかれます。
あなたはよみがえりであり、いのちです。
あなたを信じる者は死んでも生きるのです。
そして、生きているあなたを信じるものは、だれでも永遠に死ぬことはありません。
神のたまものは、私たちの主イエス・キリストとの交わりにおける永遠のいのちです。
私はまだ、この肉の体にとどまる限り、本当のふるさとに到達していません。
私はまだ、主から離れている旅人のような状態におかれています。
私は主と顔と顔とを合わせていませんが、信仰によって歩み続けています。
しかし、私は安らかです。
願わくば、この肉の体を去って私の天のふるさとへ行き、主のみもとに行きたいと思います。
ですから私は、主が来られるまで、主に喜ばれるように、
すべてのことを一生懸命にやりたいと思います。
私のふるさとと、私の目標は、天にあります。
『実を結ぶ命』34〜35頁より引用。リンデの写真も同書より。
ここまで書いて、ハヴァガルの今日書いている「文書」には、ひょっとして「天の国籍簿」もふくまれているのでないかと思い至り、言い知れぬ感動を覚える。)
※Godhold Beck(54)
昨日は40年来の親交のあった方の葬儀があった。ご主人と一人娘を残しての召天であった。葬儀のあとのご遺族挨拶でお嬢さんは親族の内で天国に移された人々の名前を次々上げられ、それぞれの方を短く紹介された。そのお一人お一人はイエス様の福音を何らかの形で受け入れた方たちであった。さわやかな印象を与える幕切れとなった。
そのあと、友人と一緒に老健施設に入所している方を見舞った。友人は「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」という聖句の自署した筆墨の書を進呈された。そうだ、私たちの国籍は天にありますだよと、入所中の方に私たちは伝えた。その方は「(そんなことを言われても)ピンと来ない」と言われて破顔一笑された。「私たちもピンと来ない、でも信ずることだよ」と話し、友人に祈っていただいた。果たせるかな、その方は大きな声で「アーメン」と私たち二人とともに唱和された。ここにもさわやかさだけがあった。
さて、天国とはいかなるものか、昨日も彦根の大学でのベック兄の講演会の内容を少し紹介したが、そこでベック兄が紹介されたのは以下のお嬢さんが残された文章であった。20歳で召されたお嬢さんの聖書の中に差し挟まれていたメモ書きとのことであった。お読みいただきたい。
主イエスさま。たとえ肉眼であなたを見ていないにしても、
私は心からあなたを愛しています。
そして、たとえ個人的にあなたを見ていないとしても、
私はあなたに全き信頼をおきます。
この目であなたを見ることが許される時、なんとすばらしい、
言葉にならない喜びで、歓呼の声をあげるでしょう。
その時、私は永遠に安全な場所におかれます。
あなたはよみがえりであり、いのちです。
あなたを信じる者は死んでも生きるのです。
そして、生きているあなたを信じるものは、だれでも永遠に死ぬことはありません。
神のたまものは、私たちの主イエス・キリストとの交わりにおける永遠のいのちです。
私はまだ、この肉の体にとどまる限り、本当のふるさとに到達していません。
私はまだ、主から離れている旅人のような状態におかれています。
私は主と顔と顔とを合わせていませんが、信仰によって歩み続けています。
しかし、私は安らかです。
願わくば、この肉の体を去って私の天のふるさとへ行き、主のみもとに行きたいと思います。
ですから私は、主が来られるまで、主に喜ばれるように、
すべてのことを一生懸命にやりたいと思います。
私のふるさとと、私の目標は、天にあります。
『実を結ぶ命』34〜35頁より引用。リンデの写真も同書より。
ここまで書いて、ハヴァガルの今日書いている「文書」には、ひょっとして「天の国籍簿」もふくまれているのでないかと思い至り、言い知れぬ感動を覚える。)
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