2016年10月14日金曜日

計画され目論まれる救い

「family」 吉岡賢一画 二紀展開催中

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。(ヨハネ1:13)
 
 私たちの中には、他の人の救いはある程度私たちの努力によるかのような考えを持つ人はいなかったでしょうか。もちろん、私たちはそんなに多言を要する必要はありませんでした。しかし、もし私たちがたましいを獲得するのに懸命に努力するなら成功するが、もしそうでなかったら失敗するだろうという感覚が何かなかったでしょうか。そしてこのことが私たちの奉仕を不安にし、重荷としました。

 しかし、キリストは何とおっしゃいますか。「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます(ヨハネ6:37)。」彼らは来るのです。なぜなら、父なる神が彼らを引き寄せ、イエス様は招かれ、聖霊なる神様は導いてくださるからです。

 そして計画は約束に先行します。約束が召しに先行し、召しが来臨に先行するにもかかわらずです。かくして神は最初に洪水からノアの救いのための箱舟を計画し目論まれました。次に主はおっしゃいました。「あなたは箱舟にはいりなさい(創世記6:18)」そのずっとあとで万端整った時、主はおっしゃいました。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい(創世記7:1)。それでノアは入りました。それから「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた(創世記7:16)のです。

 さあ、私たちの働きにおいて、私たちの主を、その目的、約束、召しに関して、その通り信頼しましょう。「事を行なえば、だれがそれをとどめることができよう(イザヤ43:13)。」ということに全く満足して、すなわち、主はうっかり誰をも落とすことは決してありません、また父なる神様がイエス様にお渡しになったすべてのものをいかなるものも失くされることはありませんということです。なぜならこれが、父なる神様のご意思なのです。

主はいたるところの人々からの罪を御自身のものとして告白されます
父なる神様の栄光ある御座の前で ホストである御使いの前で
あなたを 新しい創造により 計画により 恵みにより
あなたの顔の前に欠陥のない 完全な贖いの宝庫の力により  

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-14-a-planned-and-purposed-salvation/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97452です。

※Godhold Beck(53)
 今日の絵は畏友の画作。妹は母親に、姉は父親に似ている。左のカンバスにはこれから描かれる? いや目に見えないだけで、familyは今日のハヴァガルの黙想が示すように、ノアの家族として、神の御手ですでに描かれているのだろう。

 さて、昨日の話の続き。このメールの後、その方は翌日新たに三本のテープをわざわざ届けてくださった。一本は初めてベックさんが彦根地方に入られた時の講演のテープであった。市内の短期大学がベック兄に講演を依頼されたのだ。私もその場にいたのだが、内容はよく覚えていなかった。1991年の9月であった。その大学は家内の高校・短大の同級生の父上が要職についておられるという僥倖もあった。

 テープからは二十五年前のベック兄の元気な声が流れて来る。題名は「主に愛されているドイツ人と日本人」にしたいと、たくさんの学生、また学外から集まって来た私たち少数の者をも前にして言われる。話は佳境に入るが、その展開は次のように三部に分かれている。

 (1)ドイツ人と日本人の共通性、(2)相違点、(3)民族を越えて及ぼされる主の変わらぬ愛。(1)は時代区分ごとにその共通性が明らかにされる。すなわち、第二次世界大戦前、戦争中、戦後の各時代ごとに、無邪気な喜び、狂信的な観念論、人を惑わす物質主義とその時代精神を言い当てておられる。中々の文明論である。以前に明治後期から大正時代にかけて活躍したパゼット・ウィルクス宣教師が欧米と日本・朝鮮のちがいを端的に説明した文章を読んで感銘を受けたことがあるが、それと匹敵する鋭い文明批評である。

 (2)の相違点は、マス・メディアの氾濫による「無関心」、自己中心の生き方がもたらす「順応」、苦しみを避けたいがための「妥協」 これらに日本人は翻弄されているのではないか、「仕事中毒」の日本人に対する大いなる警告がなされている。ここにはドイツ人のおごりから言うのでなく、日本人を愛するがゆえに言うのだと断っておられる。

 しかし、もちろんこれらはベック兄にとっては序論に過ぎない。言いたいことは福音である。ちょうどこの前日かに吉祥寺集会で数学者で東大名誉教授及川廣太郎氏の葬儀があったのだろうか、その葬儀の様子と、及川氏が病床でイエス様の前に頭を下げられ「救われることは簡単なのですね」と言われたことばが紹介され、「永遠のいのち」が明らかにされる。また、最後の方で同じ年頃の女子学生にもわかるように、ご自身のお嬢様リンデが20歳で召された時に、聖書中に挟んでいた祈りのことばが紹介されている。

 これらの圧倒的な福音論証はそれを聞いた一人一人にどのように残ったのだろうか。ましてやうら若き女子学生がその聴衆の大勢を占めていたのだが。当の私が25年後にそのテープを聞いて、ベック兄の類稀な話に今更驚いている次第だ。しかし、ハヴァガルが言うように、父なる神様は招こうとする者をご自身で招かれるのだ。

 ところで、この講演の帰り道を利用してベック兄は家内の実家、私の実家を相次いで訪問されたと言うことだ。〈私はすっかり忘れていたが、家内は鮮やかにそのことを覚えていた。例のビスマルク云々の話(48)はそのおりのことである。〉 )

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