我が歩み 恥多くして 誇りなし |
ところで新婚旅行に出かける際にはカメラを忘れたので写真は一枚もない。とすると、これは結婚式以来の二枚目の写真である。いわゆる「二枚目」の写真ではなく、正真正銘の二番目の写真である。結婚式当日の写真は、写真屋さんが「これはまずい」と思ったのか、無精髭の部分だけをものの見事に修正して白くなって変な仕上がりになっている。その上、オールバックの我輩がいる。こういうのを噴飯ものと言うのだろう。
後にも先にもオールバック姿の自分はいない。新婦はどんな気持ちだったのだろう。結婚式前日に現れた婚約者のその姿を見て・・・。その上、リハーサル中、エンゲージリングの交換の段になったら、新婦は持っているのに、新郎である自分の携えたエンゲージリングは無い。その時はじめてリングを入れていたボストンバックもないことに気づく。乗って来た汽車の網棚に置いたままで降りる時、すっかり忘れてしまっていたのだ。
リハーサルは午後八時ごろだっただろうか。リハーサルどころか、中断してエンゲージリングの所在探しに今度は大童、京都駅に電話する。大阪駅で遺失物としてあることがわかる。リハーサルは北大路にあった教会だったので、京都駅までは北の端から南の端へと心は急く。急いても仕方がない。所在が分かっただけで大助かり。大阪駅で引き取って、彦根市の高宮の家に帰るのは真夜中になってしまった。
翌朝とるものもとりあえず、再び京都北大路の教会に駆けつける。無精髭はそのあらわれであった。その上、この結婚は双方の両親がしぶしぶ認めたもので、特に私の継母は断じて反対だった。親族が苦虫を潰している中で、喜んでいるのは当人たちだけ。これまた当時の写真がすべてを物語っている。
さて、掲載の写真に話を戻す。いったい自分はその時、何を考えていたか覚えていないし、今見てもその表情からその気持ちを推し量ることができない。ただ53年経って、この写真を見ると、結婚できて、それまでの一人暮らしと違い、どことなく家庭を与えられた豊かさを感じ取る。
それにくらべ、バックとも言うべき、本棚の姿には、その日のすべてが記録されているようにも思える。当時、結婚はしたが、住まいは当てがなかった。取り敢えず、当時下宿させていただいた洋館に入れてもらった。10畳ほどのその洋館に、滋賀県の彦根から延々と足利まで運ばれて来たタンスをはじめとする嫁入り道具一式を納め、畳二枚をお借りしての生活であった。そのうちに県営住宅に入れることが決まり、その準備を始めての時の写真だと思う。
本棚には、自分にとってそれぞれ見覚えのある書物が並んでいる。左上段にはドストエフスキー全集やロシア・ソビエト文学全集があるし、右上段には宮本常一の『私の日本地図』シリーズやチェーホフ全集がある。最下段には芥川龍之介全集が見える。問題は中段に本が無い。おそらく、引っ越しの準備のために中段の本はすでに段ボールに収納されていたのではないか。今となってはわからない。
主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。
(旧約聖書 詩篇127篇1節)
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