2023年1月27日金曜日

雀の子心配せず歩め歩め

雀の子 冬空仰ぐ 止まり木
 昨日、霊園の帰り道、10数羽の雀が電線に行儀良くきれいに並んでいた。それに目ざとく気づいたのは家内だった。私はと言えば、そのことばであわててiphoneを構えるが、もうその時は、彼らは飛び散ってしまった。またしても家内は言う。「みんなそれぞれわからないように散って行くのよ(かしこいね)」と言う。確かに先ほどまで目の前にいた(と思った)雀たちはあっと言う間に、それこそ蜘蛛の子を散らすように低木の茂みへと姿を消した。「万事休す」である。

 止せば良いのに、家内は今度は低木に近づき木々を揺らしている。その間もなく、雀の子はまた別の低木や近くの木々にへと飛び移って行った。その様子をキャッチすべく再び私はiphoneを向ける。辛うじて撮影したのが冒頭の写真である。右の枝上方に雀の子が一羽散見できる。

 じっと写真を見つめていたら、雀の目は青空に向かっているのが、わかった。そうしたら、裸の木の枝枝も同じように上を仰いでいるように思えた。もちろん当方も上を、青空を感じて豊かな思いにさせられた。

 ここまで書いて来て、エミー・カーマイケルのすばらしい短文を思い出した。『雪の中に立つ裸の木』である。機会があったらまた紹介したい。

二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。(新約聖書 マタイの福音書10章29節)

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