道示し 木鐸(ぼくたく)なるか 新聞誌 |
東京新聞に相次いで私に関連する記事が載った。私は彦根市の出身で、遠く関東の地に来て、初めて赴任した高校が足利商業高校だった。写真左はその足利商業の後身であり校名も新たにされた足利清風高校の記事だ。しかも「まちかどの民主主義」のテーマの例として高校生自身の意見を踏まえての校則づくりのレポートであった。
1967年(昭和42年)に赴任した同校では校長も新任だった。それもあってかとんでもない専制体制(7時間授業、5分間休み、全校生徒放課後必修クラブ加入)が敷かれた。青二歳であった私はじめ血気盛んな者が中心になりながら職場民主化のために奔走した。その結果、校長はわずか一年で転出せざるを得なかった。もちろん専制体制はなくなり、普通の高校に戻った。忘れられない思い出である。今ではこのことを知っている者も私をふくめ3、4名の教員だけだろう。
その高校のレポートだけに興味深く拝見することができた。第一、まちかどの民主主義というとらえかたが東京新聞らしいと思う。
一方、写真右の記事は言わずと知れた桐生選手に関する記事である。アスリートとしての孤独な戦い(精神・身体ふくめて)がわかった。もちろん私はとてもじゃないが運動競技で競うということを知らず、どの程度理解できているかはわからないが、大変なことだと思わされる。ところで桐生選手は彦根市立南中学出身とある。これまた1958年(昭和33年)、私の出身中である高宮中が町村合併(※)のあおりをくらい、廃校になり、彼桐生選手の出身中南中学に吸収されている。
そして今や「ひこにゃん」はいつの間にかこの手のキャラクターの横綱のようだ。私はその彦根から『資本論』を一生の書と考え、足利に来、その職場民主化運動はまさにその読書会の方々とともに手を携えて参加するという面もあった。それから二年して私はキリスト者になった・・・https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/03/1969312.html
※この町村合併に反対する町の議会で乱闘騒ぎがあり、新聞にデカデカ載り、恥ずかしい思いをして修学旅行のため東京に出かけたことを思い出す。「乱闘」ということが民主主義に反すると中学生の自分は考えていた。まさに戦後民主主義の申し子である。それだけでなく、実はこの昭和の大合併の事実こそ地方自治を骨抜きにした元凶ではないかと私は個人的に思っている。なぜなら、その時点で、「高宮」町は「彦根」市に吸収されて、町としての誇りを失ったように思うからだ。まさに「まちかどの民主主義」の昭和版であった。
主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。
(旧約聖書 詩篇25篇12節)
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