見つけたり よみがえり待つ 冬の墓碑 |
昨晩は本当に寒かった。それでも湖国の冬は常時こんな寒さだったと、いつの間にかひ弱になっている我が肉体をうらめしくも思った。ところがどうだろう、今朝は昨日と一転して、日差しが部屋に充満し、東南の角地の我が家はすっかり温室模様になった。
その日だまりで『わがすべてなるキリスト』というハーバート・クラックの著作<コロサイ人への手紙研究>という副題を持つ本を読んでいた。一方、家内は何週間か前に知人から贈られて来た「水彩色鉛筆」を前にして、「たけし君のお墓はどうなっているかな」とつぶやいた。
私はすかさず「霊園に行こう」と言った。二人ともその霊園のおおよその場所は知っているが、細かいことは知らない。早速自転車で出かけることにした。そして近くにある病院に自転車を止め、徒歩で霊園まで出かけ、さらにお墓を一つ一つ訪ねた。結局一時間近く探したが見つからなかった。その代わり、写真掲載のどなたかの墓を見つけた。
その後も一生懸命に探したが見つからず、一旦帰ろうとしたが、念のため、管理事務所を訪ねた。簡単に墓所がわかった。家内は草むしりを、始め、きれいにした。たけし君は小学校3、4年生だったろうか、階段から落ちて、それが原因で幼くして亡くなった。当時、団地住まいであったが部屋を解放して行なわせていただいていた「武里こどもかい」という日曜学校に喜んで集っていた。ご両親にとって忘れられない惨事であったが、いつまでも忘れることのないのはたけし君の存在である。
召されて、50年経つ。つい二、三年前にはお父さんが亡くなった。今お母さんは横浜にご健在であるが80代後半である。件(くだん)の美しい「水彩色鉛筆」は、そのお母さんが家内が使うようにと送って来てくださったのである。
わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。(新約聖書 ヨハネの福音書11章15節〜16節)
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