彦根城外堀 2015.5.27(※) |
主は大いなる方・・・すべての神々にまさっておられる。
・・・主は地の果てから、雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、
その倉から風を出される。
あなたは雪の倉にはいったことがあるか。
・・・[それは]わたしが押さえているのだ。
(旧約聖書 詩篇135・5、7、ヨブ記38・22、23)
かつてあなたは、豊かな葉におおわれた茂み・・・小さな鳥たちが大勢やってきて、そこをしばしの宿りとしました。特別偉大な存在、重要なものというわけではないけれど、しかし、あなたはあの小さいものたちを助けることができました。
そしてそうすることが、あなたの生きる喜びでした。
それが今はもう、何もすることができません。
言いがたい寂寥、病、貧困、あるいは口で説明できない何かが、だれも理解してくれない悩みがあなたに襲いかかり、緑の葉はみなむしり取られてしまいました。
ですから、どんなに小さな鳥にも、今は宿を貸すことはできません。裸の小枝しかない、この「茂み」に、わたしは似ている。・・・だれの役にも立たない・・・。
あなたは、そのように、ご自分のことを思っていらっしゃる。
けれどもこの裸の枝を、もう一度よくごらんください。雪の上に投げかけられる、あの微妙な網目模様を、見てください。茂みの後ろには太陽が輝いていて、それで、小枝の一つひとつが、互いに助け合い、美しい模様をつくっています。おそらくは、あなたの目には見えないもう一つの目が、視線を注いでおられるのです。太陽と、雪と、そしてかわいそうな裸の小枝を、さて、どうしたものかと、思案にくれながら・・・。
そして、そう、春が、まちがいなく、やってきます。冬のあとはいつだって、春になるのですから。
その春は、いつ来るのでしょう。緑の葉は、いつ、茂みに戻るのでしょう。あなたの愛する小鳥たちは、いつあなたのところに帰ってくるのでしょう。わかりません。でもこれだけはわかります。太陽と雪の共同作業はきっとうまくいく、そして、だれの役にも立てないという無力感や、虚しい思いや、貧しさ・寂しさの記憶が、一夜の夢のように消え去ってしまう日が、かならずやってくるということは。失われてしまったかのように思われたすべては、取り戻されます。
心を重くするたくさんの悲しみに、あなたは今囲まれているかもしれません。けれども、次のことばをあなたの心に染み込ませてください。・・・陽の光が軽やかに触れるときのように、早春の雨がしたたるときのように、あなたのたましいは生き返ることでしょう。
太陽とそして雪を支配しておられる神が、あなたを失望させることは決してありません。
わが父よ。たとえ凍りつく日、雪におおわれるときであっても、あなたがなおすべてを支配していらっしゃることを、わたしは忘れてしまいます。お赦しください。
そして父よ、わたしの中の荒涼とした地を、あなたはご存じです。すべてをよみがえらせる柔らかい雨に触れてもらわねばならないわたしの中の荒れ地を、あなたは知っておられます。
(『御翼の陰に隠されて』エミー・カーマイケル著柳瀬訳157頁より引用)
※石垣の向こうに高校の校舎は位置する。そして石垣の上で私たちの頃は「立ち弁(当)」がはやったものだ。そのあたりも今頃は雪が舞っているのだろうか。それにくらべ関東は打って変わって今朝も快晴である。所変われば品変わるだ。その市内にある彦根総合高校が甲子園に出場と聞いて、びっくりしている。
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