一隅に センリョウの実 鮮やかに |
東京新聞はわが愛読誌である。そんな新聞投書欄に迫田妙子さんの「フォト俳句 」という記事が正月三日に掲載された。早速ホームページを拝見した。365日いろんな風景があることだろう。そんな中で一片を切り取っては俳句を読む。中々常人にはできないことだ。今朝もすでに白鳥が載せてあった。
さて、当方のブログだが、昨年2022年の投稿数は367、一方一昨年2021年は1だった。信じられない数字の違いだった。あまりにも極端だからだ。昨年の367はともかく、2021年の1というあまりの少なさに驚かされた。2021年何もしなかったわけではない。2022年に劣らず自分としては走り回っていたし、それなりに充実していた。
だとするとブログ作成は自己満足に過ぎないのだろうか。この問いは永遠に続く。昨日もちょっとしたことで不機嫌になり、憂鬱になってそのまま寝てしまった。正月早々買い求めた日記帳もちょうど三が日はきちんと埋めたが、四日目は物の見事に「白紙」。三日坊主を地で行った。
人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行ないの結ぶ実によって報いる。
(旧約聖書 エレミヤ書17章9節〜10節)
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