2023年1月22日日曜日

一枚のハガキを貫く真実

絵葉書を 矯(た)めつ眇(すが)めつ 眺め居り
 先日一枚のハガキを受け取った。近来にないよろこびを感じた。たった一枚のハガキと言う勿れ。そのハガキとは言うまでもなく上段のものなのだが、文面に表されている書き主の思いをあれやこれやと推しはかっては、ハガキを見続けている。なぜか何度見ても見飽きなくされている。

 特に絵柄の素敵さである。青い色が薄く着色されており、それが二匹のかわいいウサギのシルエットになっているだけでなく、上方に夜空であろうか、星々がきらきら輝いている様がうかがえて、書き手のセンスの良さを思わずにはおれなかった。

 そのうちに、この生徒さんが高校3年生になり、初めて担任になった時、私が教会に通っているのを知り、彼女も当時教会に通い始めており、「先生とは『兄弟』なんですね」とうれしそうに言ったことを端なくも思い出した。ほぼ40年前のことだ。

 それからその生徒さんの卒業時に、思いがけないことが起こったが、今考えてみるとまさにそれは先生と生徒という関係だけでなく、それを越えた、「兄弟」として生きるようにという主のみが支配権を持っておられるチャレンジングな出来事であった。そのことがその一年前の彼女の私に対する先のことばをとおしてすでに示されていたのだ。私にとって四十年目にして初めて悟らされた真実であった。

 それはどういうことかと言うと、担任でない別のクラスの生徒が、前途を悲観して卒業間近に死を選ぶ事故を起こした。その時、一人の先生が私に「あなたの出番だ」と言い切り、その現場に急行するように、強く要請されたのであった。

 私はとるものもとりあえず、救急車でその生徒が担ぎ込まれた東京の日本医科大学の病院へと電車を乗り継いで駆けつけた。応急手術を待つばかりになっているその生徒と対面した私は、しきりに親権者である祖父に「ごめんなさい」とベッドの上で言い続ける彼女を覚えながら、御祖父の承諾を得て、手術の無事を声に出して祈らせていただいた。同時にその生徒に聖書の言葉を贈った。「この希望は失望に終わることがありません」ということばだった。(のちに彼女が語ったところによると、彼女は手術の中で大きく宙に「希望」と大書してその苦痛に耐えることができたということだった。)

 その後、その生徒は手術が成功し、生涯負うことになるハンデは残しながらも奇蹟的に立ち直り、自らの自損行為を悔い改め、イエス様を信じるに至った。その上、ご主人と主にある結婚生活を送り二児の母親となり、今ではご子息が立派に成人するまでになった。(参照2013年10月2日「なんだベア」https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/10/blog-post.html 2016年8月25日「キリストが第一 他の人が第二 私は最後」http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/08/blog-post_25.html )

 その彼女からも毎年年賀状をいただくが、今年の年賀状には四人でなく、五人プラス愛犬の姿が印刷されていた。さらに「みたまによってみちびかれるなら、あなたがたはりっぽうのしたにはいません」と見覚えのある彼女の字で年初の挨拶が記されてあった。

 四十年前、自ら死を選ぼうとした彼女は、この四十年間生かされて日々御霊なるイエス様に導かれている、そのいのちの幸いを、上記の短い聖書の言葉で端的に証しているのではないだろうか。こうして四十年前、奇しくも同じ学び舎で時を過ごした私たち三人は、一人は教師であり、二人は生徒であったが、今や兄弟姉妹としてともに歩まされているのだと思わずにはおれない。

 矯めつ眇めつ眺めていた一枚のハガキにこんな大切な真実が隠されていたとは本当に不思議な思いがする。そして、このハガキをくださった方が、40年前「先生とは『兄弟』なんですね」と言ったことばは、決して死んでおらず、今日まで生き続けているたいせつなことばであることに改めて感謝する。

隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。(旧約聖書 申命記29章29節)

あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。(新約聖書 マタイの福音書23章8節)

私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。(新約聖書 ヤコブの手紙3章1節)

※文中の青字で表示した二つのみことばはそれぞれ、新約聖書のことばで、最初がローマ人への手紙5章5節、次がガラテヤ書5章18節のみことばである。

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