2016年8月25日木曜日

キリストが第一 他の人が第二 私は最後

ある日の写真※

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。(ヨハネ13:15)

 あなたはほんとうに主イエス様の跡に続きたいと願っていますか。あなたは神様にもっと主のようになれるようにしてくださいと求めたことがありますか。今日、始めてみる用意がありますか。それなら、ここに今日のためのモットーがあります。「キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです(ローマ15:3)。」

 あなたはこのことばを取り上げて主に倣ってみようと思いませんか。あなたはそのみことばに基づいて行動し、他の人々に対してだけでなく、救い主ご自身に対して、確かに、あなたが口で言い、あなたが祈ることが明らかになる多くの機会があるのです。
 
 ただ、あなたは真剣に試してみるまでは、あなたが自分自身にして欲しいことをイエス様のために他の人々にきっぱりあきらめたとき、あなたがどんなに幸せに感ずるかを話すことはできません。また、あなた自身の自由な意志や神様の恵みによって、あなたの良心が、自分を喜ばせようとしないで、主イエス様を喜ばせようと告げることを選び取った時、どんなに幸せであり得るかを話すこともできません。

 もし、あなたがいまだにそのことを試していないのなら、今日始めてみなさい。そうすれば、あなたは全く新しい幸せを見出すことでしょう。もし、キリストが、私たちを救うために、地上に降りて来られないで、ご自身を喜ばせるために、栄光ある天の家にとどまっておられたら、いったい何が私たちのものとなったでしょうか。

 あなたが主を喜ばす代わりに自分自身を喜ばせたいと誘惑を受けるその時、そのことを考えなさい。そうすれば、主ご自身でさえ主をお喜ばせにならなかった、それは主がそれほどまであなたを愛されたせいであるという思いは、あなたをしてそのことを試し主をお喜ばせし、主のために他の人々を喜ばせたいという思いにさせることでしょう。

もしイエス様の血潮で洗われたら
主の似姿も身につけなさい
そして前進するにつけ
「イエス様はどうなさりたいのだろうか」と
問いなさい

完全に真実な手を差し出しなさい 
神様はあなたに何でもただでお与えくださるから
そしてめいめいのわがままな態度を 
「イエス様はどうなさりたいのだろうか」 
と言うことばで吟味しなさい 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/august-25-christ-first-others-second-me-last/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97402です。

※Godhold Beck (3)
 昨年、知人の家を訪問した。知人夫妻は中々楽しい家作りをしていた。その廊下にこの写真が飾ってあった。ほとんど家宝のごとき写真であった。撮影年月日を見ると今から23年前であることがわかる。この写真は私どもの家にベック兄が来られ家庭集会の中で幼児祝福式をしていただいた後、撮られたものであることは間違いない。

 屈託ないベック兄の表情が良い。まるで自分の孫のように抱かれている。私は今日のハヴァガルの霊想をそのままベック兄に見出した幸せ者である。ベック兄は26年前一軒のあばら屋同然の我家に来られた。朝早く来られ、深夜帰られた。それが毎週のように続いたのだ。一日おられても次から次へ主イエス様の福音を求める人が来られたのだ。さすがにお疲れだと思い、途中休んでいただくために、二階の部屋に蒲団を敷いたこともあるが、どのようにしてあの大きな体を丈短い蒲団の内に忍び込ませておられたのであろうか。障子は隙間だらけ、冬の風は直接ベック兄の頬を直撃したこともあったであろう。

 まさしく「キリストが第一 他の人が第二 私は最後」がベック兄の生き方であった) 

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