2010年7月30日金曜日

一冊の聖書


 今から40年以上前に、一冊の聖書をプレゼントされました。裏表紙に贈り主の字で、次のように書かれていました。

 聖書は私を罪から遠ざけ、罪は私を聖書から遠ざける。

 全66巻もある聖書よりも、私にとってこの文章は強烈な文章でありました。自分は決して良い人間だとは思っていなかったが、さりとて、「罪」とは穏やかならざることを言うなりと、この文章で感じたからです。しかし、贈り主が、そのような思いで聖書を手にしていることだけは、はっきりわかりました。

 新改訳は1970年が出版された年であり、したがって私の最初に手にした聖書は口語訳でありました。私にとって記念になる聖書でしたが、いつごろか、どなたかに譲り渡してしまいました。今でもはっきりしたことは思い出せません。聖書は今でも手に入りますが、贈り主の書いた筆墨も鮮やかな字が二度と見られないのは、ちょっぴり残念な気もします。

 ところで、これに似た話を昨日知りました。実はウオッチマン・ニーが31歳の時だと思いますが、結婚記念に妻に聖書をプレゼントするのです。長年恋焦がれていた彼女は有能でチャーミングな人でしたが、主イエス様を知ろうとしないので、結婚を諦めていました。ところが、その彼女がのちに救われるのです。とうとう二人は結婚へと導かれたのです。その集大成が聖書のプレゼントだと言ってもいいのかもしれません。

 ところがその大切な聖書は後に行方が分からなくなります。日本と中国が全面戦争に入るあおりを食った形です。1937年、昭和12年の7月ウオッチマン・ニーは招待されて、妻と別れ、マラヤで宣教の働きをしていました。そのちょうどその時、すなわち8月14日日本軍が上海に侵攻します(※)。防戦する中国軍も空から攻撃を加えます。大混乱です。妻は上海にいました。当然戦火に見舞われました。

 ウオッチマン・ニーは折りも折、マラヤからシンガポールへと次の宣教地へ行こうとしていたときでありました。彼は急遽、妻を捜しに上海へ帰ることにします。幸い妻は姉妹と一緒で無事でした。しかし彼らの新婚家庭は避難地域に指定されていて、すべての持ち物は没収の運命に会いました。聖書はその中の一つであったはずです。

 ところが、実はそのあとに忘れられない話があるのです。それは恐らくそれから4年のちの1941年、昭和16年のころだと思いますが、あるお茶の会にニー一家が招かれ、妻はホスト主から包み物をいただきます。何だろうと開けてみると、それは4年前彼女の手から離れていった一冊の聖書でした。驚く彼らに真相が明らかにされます。

 アイルランドでのことだそうです。ある中国人宣教師が集会に呼ばれて、聖書について語っているうちに、「手元に中国語の聖書があったら、ここの箇所はもっと生き生きと話ができるんですがね」と思わずうめきともつかぬ言葉をつぶやいてしまったそうです。ところが聞いていた会衆の中からここにありますよと見せられたということです。更に詳しく聞いてみると、その人の息子さんがイギリス軍に所属し、上海で戦利品を探しに一軒の空家の中に入ったら、一冊の本を手にしたそうです。ところが中国語で書いてあるから、何の本か分かりません。ただ、本の見返しの部分に、英文で一箇所、次のように書いてありました。

Reading this book will keep you from sin; sin will keep you from reading this book.

 彼は「this book」とは紛れもない聖書だと思い、この本、聖書を持ち帰ったということです。中国人宣教師がその聖書を手にとって見ると、中国語で献呈の辞が次のように書いてあるではありませんか(ここでは英語で表しますが)

Charity from Watchman

 Charityとはウオッチマン・ニーの奥さんの名前です。彼は早速そのアイルランド人に頼み、譲り受けて中国に持ち帰って、それがこの幸せなお茶会への招待となったというわけでした。(これらの項目の話は、すべて、最近親しい信仰の先輩からお借りしている『Against The Tide』Angus I. Kinnearの109頁、122頁から引用者が独断で意訳した話ですので細かい点でミスがあるかもしれません、その点ご了解ください。なお、Angus I. Kinnear氏は『キリスト者の標準』の日本語版に序文を寄せているが、もともとこの人がウオッチマン・ニーの本の英訳をしました。)

 私はウオッチマン・ニー夫妻にそんな話があるとはつゆ思いませんでした。40年以上前に私に聖書をプレゼントしてくれ、今は家内となっている彼女に一体このことばは誰が言い始めたのかと聞いたところ、スポルジョンかもしれない、と彼女の答えも要領を得ないものでした。もしウオッチマン・ニーの書いた言葉がいつの間にか日本のキリスト者の巷間に伝えられていたとすると、すごい日中交歓史になりますが、そうではなさそうですね。

イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」(新約聖書 ヨハネ9:39~41)

(写真は同書所載の写真をスキャンさせていただいた。※日本史年表によると8月14日でなく、8月13日である。)

2010年7月29日木曜日

向日葵の「君」、忘れじ


 また、一人、大切な人を天に送った。Yさんだ。63歳であった。彼女は東京・赤坂見附の病院に7月1日に入院されたが、25日間の入院生活の末、この日曜日、すなわち25日の朝、天国へと旅立たれたからである。入院された時は、すでに、病患は深く、すい臓から肝臓に癌が広がり、手のつけられない状態にあった。それゆえ、ご家族もご本人も皆それぞれ覚悟の上での入院生活であった。

 三日目には「私はここから天国へ旅立ちます!」と言われたそうだが、Yさんも人の子、自らが誰よりも先に行かねばならない不条理さに涙された時もあったろう。一週間ほどし、思い立ってみことばを中心とするエミー・カーマイケルやオズワルド・チェンバーズの書いている小文をメールで送った。すぐに返事が来た。

「ありがとうございます。もしよろしかったら続いて送っていただけますか? 涙が出ます。励まされます。」とあった。彼女の気持ちがストレートに伝わってきた。そして私自身、大いに励まされた。彼女がみことばを食べて強められていることを知ったからである。

 しかし、今振り返ると、圧倒的な主イエス様の愛に生かされていた彼女は私たち一人一人の救いを求めながらも、大急ぎで天国への階段をあっという間に駆け上って行った感がする。一度10数名の方とお見舞いに行ったときなど、「この道はみんなも通る道よ、私だけが先に行ってしまってごめんね。順番に来てね。最後でいいから。」と明るくユーモラスに病床で語り、みんなに「ありがとう」「ありがとう」と繰り返し・繰り返し語られたことばが、今も私の耳朶を離れず心地よく残っている。

 以前にも書いたように、私たち夫婦にとっては、彼女が昏睡状態に入る二日前、(それはちょうど召される一週間前になったが)語ってくれた、証は忘れることができない。秋田の田舎から上京し、若い時に、ご主人と出会われたが、その時は神様を知られなかった。結婚され、お子さんを育てられる中で、求めて主イエス様の救いに預かられたのだろう。その当初から私たちとは同じ信仰を分かち合う間柄であった。今から30数年前のことである。

 その時、自らが神を知らない時に、神の戒めを無視して生きていた生活を具体的に話してくださった。そして、罪の悔い改めとイエス様の身代わりの死を感謝して受けとめることが、どんなに家族が祝福される源になることかを涙をもって証してくださった。もとより彼女は完全な人間でない、むしろ様々な失敗を経験したであろう(と、思う)。しかし、その都度、彼女は悔い改め、主の祝福を抱かれてきたことがよく理解できたのだ。聞かされる私たちはただひたすら主イエス様を恐れるのみで畏れさえ抱いた。

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。(新約聖書 ヘブル12:14)

 人間は自らが聖くなれるわけでは決してない。ただひたすら聖くしてくださる、イエス様の十字架上で流された血潮を信ずる信仰を通してのみ可能である。そのことを自分で十分体験していた人であった。

 昨日の葬儀には200人近い方が遠く秋田や四国、それに栃木や千葉・東京からもというように関東各地から集まってこられた。それは「病気のお見舞いよりも私の葬儀に来て欲しい」と言う、彼女のたっての願いの実現であった。目立たない彼女であったが、彼女を通して福音を聞かされていた人が一人や二人でなく、たくさんおられたことを後で教えられる。

 聖書に基づく葬儀はYさんのためにあるのではない、ましてやYさんの徳を讃えるものでもない。彼女は私たちより一足先に天の御国に召されたのだから、そのことに何の心配も要らない、むしろ羨ましいくらいだからである。だから葬儀は残された私たちもまたどのようであれば、天の御国に凱旋できるかということを一人一人が聖書を通して悟らされるためにある。

 葬儀の式次第の中の賛美(日々の歌「180番」、「136番」)や、聖書箇所は10日前に病床の彼女があらかじめ決めていたものであり、メッセージはベック兄に、特別賛美は藤井奈生子姉にと依頼されており、その通りに実現した。葬儀の終わりには長女の方、喪主であるご主人からそれぞれご挨拶があったが、真摯なものであり、心洗われる清々しいものであった。お二人の素朴な清い信仰は会葬者の胸を打ったにちがいない。以下に掲げる聖書のことばは彼女の指定したものである。

主よ。あなたの恵みは天にあり、
あなたの真実は雲にまで及びます。
あなたの義は高くそびえる山のようで、
あなたのさばきは深い海のようです。
あなたは人や獣を栄えさせてくださいます。主よ。
神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。
人の子らは御翼の陰に身を避けます。
彼らはあなたの家の豊かさを
心ゆくまで飲むでしょう。
あなたの楽しみの流れを、
あなたは彼らに飲ませなさいます。
いのちの泉はあなたにあり、                 
私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(詩篇三六・五~九)

 「ああ、いい人は皆、先に天に行ってしまうのね。」 家内がいつになく淋しく独語した。同感である。

(写真は葬儀で飾られた八基の花のうちの一つ。彼女は「ひまわり」「ゆり」「ラン」「ラベンダー」が好きだということだった。実は今から10日程前に高校の卒業生の同窓会で二十年振りに教え子のE君に出会い、同君が花屋さんであることを思い出した。これはちょうどいいと思い、早速お願いすることにした。交渉してみると、さすがに「ラベンダー」は無理だということであった。その彼がこちらの注文に応じて、様々な工夫を凝らして良心的に提供してくれた作品である。彼の腕が用いられたことを主に感謝する。「向日葵の 仰ぎし光 君もまた イエス様見て 駆け上りしや」 「教え子の 背に見る自信 我もまた 晴れ晴れしきか 向日葵まぶし」 )

2010年7月25日日曜日

戒めを守り、愛のうちにいなさい 


「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである」(ヨハネの福音書15:10)

 キリストの愛を深く洞察し、愛とはキリストが人の魂を守られることであると固く信じることによって、平安で、しかも力強い生活に入った人のあることを前に述べた。このような生活の変化と、これを受け入れる信仰に関連して、しばしば聖別ということばが用いられる。完全な服従の生活に入らない限り、このすばらしい愛を受け続けることはできないことを魂は知っている。同時に、キリストが私たちを罪から遠ざけることを信じる信仰が、私たちを服従させる力を持っていることを、立証しなければならないことを魂は知っている。そのことによって、今までの信仰の妨げをしていたものを全く捨て去り、神のみこころにかなう生涯に入ることが約束されるのである。

 今ここで救い主は、そのみ教えの中で、主の愛につながる人生の条件として、主の戒めを守ることを求めておられる。この条件は、今開かれたばかりのキリストの愛につながる住み家の門を閉じるものではけっしてない。また、ある人々が喜んで受け入れようとしているこの条件が、手の届かないような遠い所にあるというものでもない。その条件とは、「わたしの愛のうちにいなさい」という約束そのものである。開かれた門への道しるべは、私たちが到達できないような単なる理想ではないのだ。祝福された住み家へ私たちを招待するために差し伸べられた愛の手は、私たちに戒めを守ることを可能にさせる。だから主のみ力により、父のみもとに昇られた主のみ力により、主に従い、戒めを守ることを恐れなく誓おうではないか。私たちにはキリストのみこころをとおして、キリストの愛への道が貫通しているのだ。

 ただキリストのみこころとは何を意味するかをよく理解することが大切である。それは神のみこころであると私たちが考えていることの一切を、私たちが実行することを指している。しかし私たちによくわからないことも多くあるはず。無知による罪も罪の一種である。肉から生じる抑制することのできない罪もあるだろう。これらの罪については神は時が来るならば必ず処理されるに違いない。そしてもし素直で信仰が深くあるならば、私たちが期待する以上の大きな罪の赦しを与えてくださるのだ。しかしそれは真に従順な心に対してだけである。従順とは、主の戒めを積極的に守り、すべてのことにおいて主のみこころを実行することである。ぶどうの木であるキリストを信じることは、キリストの何事をも可能にし、聖化する力によって、私たちをこの信仰上の服従に導き、私たちのキリストの愛につながる生涯を保証するものである。

 「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである」というみことばは、天のぶどうの木であるキリストが説き明かし、また与えるところの人生の奥義である。キリストはその愛の中に完全にとどまる秘訣をお教えになる。キリストのみこころを行なうために、何事についてもキリストに心から従う者に対して、キリストの愛につながる人生に近づくことが許されるのである。

祈り

「『いましめを守り、愛のうちにいなさい』とあなたは言われました。あわれみ深い主よ。ただあなたのみこころを知ることをとおしてのみ、あなたの愛を知ることができ、またあなたのみこころを行なうことをとおしてのみ、あなたの愛にとどまることができるというこの戒めを私にお教えください。主よ。もし私があなたの愛にとどまりたいと願うならば、私が自分だけの力を頼むことがどんなにむなしいことであり、あなたのみ力を信じることがどんなに大切で、また絶対に欠かすことのできないことであるかを私にお教えください。アーメン」。

(『まことのぶどうの木』安部赳夫訳94~97頁より引用)

2010年7月22日木曜日

『この世は一度きり』(岡野薫子著 草思社)


 先日、知人のお母さんの葬儀に出席した。そのお母さんは79歳だったが、一人娘である知人とは別居しておられ、東京の自宅で亡くなっていたのだ。「孤独死」だった。その葬儀の帰りの席で、葬儀に出席していた親しい方から、「女学校の同級生が書いた本だけれど、読んでくださらない?」と差し出されたのがこの本だった。題名を見て、生意気にも「今更、何を言わんや」とさえ思ったが、出版社が出版社だけに興味をそそられた。

 実は、私はその葬儀では「みことば」を語らせていただいたのだが、心の中で大いなる葛藤があった。人の死は厳粛である。亡くなられたお方は私の知らない方ではない。それどころか、何年か前には交流があり、子どもがお世話にもなった方でもある。「孤独死」であったので、どのような思いで亡くなられたのかは知る由もなく、主なる神様のみこころを求めて葛藤した。その詳細は省くが、余りにもタイムリーな本なので、帰って早速岡野さんのこの本を読んだ。

 そして著者の人となりに大変興味を抱かされた。私とも共通する点をいくつか見い出せたからである。私という読者はまことに勝手なものだ。そういう読み方しか出来ないからだ。通読して、この方がカール・ヒルティーや坪田譲治さんらを援用しながら、自身の死生観を存分に語っておられるところが目についた。この方をもっと知りたいので、ほかの本はないかと図書館で調べたら、実に104冊の本が蔵書としてあった。もちろんこの中には同じ本も納められているのだが。大変高名な作家であることをはじめて知った。

 その葬儀が終わって今日で一週間になるが、昨日、もう一度岡野さんの本を再読した。そして、この本が岡野さんの警世の書としての『この世は一度きり』であることを実感した。そこにはご自身の黒姫山荘での生活や都内でのマンション生活を通しての創作活動を基軸として、文明社会に慣らされていつの間にか神様から与えられた人間としての生きる力をなくしてしまっている現代日本人への警告が込められているように思ったからである。岡野さんは幼くしてお父様を亡くされ、「仕事」のためにやむなく「独身」を選ばれた。様々な作品を世に送られ社会に貢献なさっているが、翻って自己を省みられれば、80歳の坂を越え、「孤独死」も決して他人事ではないのだ。

 そのような中で、もともと科学映画のシナリオ・ライターからスタートされただけあって、動物をはじめとして、自然界への観察が細やかであり、説得的であり、この本に魅力を与えている。猫も何匹かこれまで飼ってこられた。その生態を通して、対照的な人の死が描かれる。それはともかく、カラスまでが岡野さんの友になる件なんて読まされると、何とこの方は素敵な方だろうと思ってしまう。

 しかし、全部で12章にわたる叙述は最後に始皇帝という権力者が「不老不死」を悲願に生き死にした有様が、描かれている。庶民の視点をもって正しい死生観を提唱されようとしている割には、凡庸な結論で終わっているような思いがしないでもない。もとより、誰しもこの結論に異を唱える人はいない。むしろ良心的に『この世は一度きり』という人間が避けて通りたがる事実を真正面に扱われているこの本は、やはり多くの人に読んでいただきたい本だ。「家族制度の崩壊」に端を発する「ひきこもり」「孤独死」「結婚しない人々」「絆を絶たれた家族のあり方」「虐待」などとこんなに多くの病根をかかえながら一体日本人はどこに向かおうとしているのか、戦中戦後と生き延びて来られた著者から問われる思いがするからである。

 著者の周辺にはキリスト者がおられると言う。しかしその有様に疑問を感ずるとして、次のように述べられている。

信仰をもつ人だけが、神に祈れば何事も許されて、自分の罪は許される――というのが、いかにも身勝手で理不尽に思われて、子ども心に納得がいかなかったのである。成長するにしたがい、私の心は“自然への回帰”というところに落ちついた。その結果、晩年につづく「死」も、恐ろしい感じはまったくなくて、むしろ救いであるように思えてくる。ただ、そこへ辿り着くまでの最後の道程が実に大変なことを、今の私は身にしみて感じている。これを、新たな旅立ちへの試練というふうに考えられないのは、信仰をもたない者の弱さだろう。(同書240~241頁)

カール・ヒルティーはみことばに頼ったキリスト者であろう。また坪田譲治氏には75歳のときに書かれた『子ども聖書』もあり、そのあとがきにはご自身が若きときに洗礼を受けられたことが書かれている。この方に私淑されたから今も多くの影響を受けておられるのであろう。けれどもキリスト信仰の要である、キリストの十字架の死、復活、再臨をどのように受けとめておられるかはわからない。

 科学映画を制作されたお方として、鼻からそれは信仰をもつ人にだけ妥当することだと一笑にふしておられるのかもしれない。折角、始皇帝の死生観の空しさにまで踏み込まれながら、人間の責任と悔い改めが要求される今も生きて働いておられる神様に対して私たちがどうあるべきかが述べられていないことが私には唯一残念であった。もっとも、もしそこまで踏み込んで書けば、宗教書となって、草思社からは出版できなくなるのかもしれないが・・・。

 著者の書かれた本の表紙絵は内容を端的に伝えるすばらしい絵だと思った。それで、今日はそれを写真として載せさせていただいた。中央左は砂時計である。右下の猫と同じ色模様で配置が素晴らしい。著者は砂時計を好まれる、と言う。私も同感であった。一回り下の年齢の私だが、砂時計の残りの部分はご多分にもれず少なくなっている。自戒して「一度きり」の人生を歩ませていただきたい。

 最後に、葛藤の末語らせていただいた葬儀で導かれたみことばを載せさせていただく。

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。(新約聖書 ヘブル9:27~28)

2010年7月20日火曜日

名票の素晴らしさ


 過日、招待されて、二十年振りに集まった高校の学年の同期会に教師として出席した。いわゆる熱血教師でもなく、淡白に生徒諸君と接してきた教員生活であるので、出席しようかどうか迷ったが、教え子が担任が来ないと肩身が狭いだろうと思い、出席することにした。

 11クラスの大世帯であった。初めて教壇に立った時、4クラスであったし、その後も6クラス、多くても8クラスを経験していたのに、この高校の11クラスとは振り返るだけで大変な数の時代の生徒たちであったのだ。主催者によると、教師8人をふくめて115人の出席だったということであった。もちろん少数の有志が企画して実現にこぎつけたのだと思う。100名以上の同級生とは連絡が取れなかったと言う。その労が偲ばれる。

 当日、会場に入ると多くの顔なじみの卒業生諸君がいた。先生方が奥に座っておられ、お互いにちらっと歳を取ったことを確認しながらも、私の視線は懐かしさで一杯になり、いつの間にか卒業生諸君の在りし日の姿を追うことに懸命になった。顔は分かるけれど名前が思い出せない。確か、この子はあの子に違いないと思っても、さすが20年の年輪が彼らの顔に刻まれていたりして、戸惑うことが多かった。

 その場で学年主任の先生が気を効かして、最後の学年便りと、「名票」をコピーして持参してきてくださった。よくぞ保管しておられたものと感心した。ただ残念ながら当方最年長でもあり、老眼で読めない。折角の労を感謝しながらも、すぐポケットに押し込まざるを得なかった。

 数人の生徒と立食形式の会場の騒音の中で交わった。騒音というが、やむを得ない。あっちこっちで生徒教師入り乱れての旧交を暖める場であったからである。しかし、そのうちの何人かが、外交辞令もあるのだろうが、私のキリスト信仰を覚えていて、子沢山な先生の生き様が今も心の支えになっているという意味のことを言った。私は該当学年の時、ちょうど既存の教会を出ようとしていたときでもあり、、ある意味で個人的には大変な嵐を経験していたのに、生徒諸君の目には、私のその葛藤よりもキリスト信仰がストレートに伝達されていたことに感謝した。

 他の7人の先生は私と違い、生徒とより深く接しておられたので、もっともっと深い交わりがあったことと思う。会はそれぞれのクラスの生徒が担任に花束を渡し、受け取った教師がお礼を兼ねて、所感を述べる形でお開きになった。もちろん、この後、何人かの者たちは更に二次会へとなだれ込んでいった。後ろ髪を惹かれる思いもしたが、私は自転車で会場を後にした。考えてみると、学校へも自転車で通った。正真正銘の「自転車稼業教師」である。

 あいにく、家内は出かけていて、同期会の印象を話すわけにも行かず、会場で学年主任に渡された学年便りを眺めるともなく眺めていたら、自分の旧稿も載っていた。下手な字で

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:5)

と書き、戯言(ざれごと)を書き連ねている。そんなことを書いていたとは、二十年振りにあの時代を思い出さざるを得なかった。組織された教会生活の偽善性に挫折し、方途を尋ね、やっと、現在の主イエス・キリストの臨在を体験しようと心がけている豊かな集会に辿りつこうとしているときであった。その喜びも束の間、自らが牧師のような役割を果たさねばならないのかと、また勘違いの信仰に陥りそうになっていたときに、先輩の信仰者が私に耳にたこが出来るほど繰り返し語ってくださったみことばだ。

 しかし、当時も目にしたはずだが、ショックを持って読ませていただいた別の先生の記事があった。その文章は「この3年間ずいぶん泣き虫になってしまいました。」という出だしで始まり、ご自身の愛児の出産の時の喜び、その後の2ヶ月での召天についてのご自身の感慨を敢えて書かれたものであった。この同僚の先生がこのような悲しみの中にあった時に、自らは何と愛が冷やかであったかを思い知らされたからである。その他にもお一人お一人が心を込めて卒業生に語りかけておられる。素晴らしいと思った。

 そして改めて11クラスの「名票」を手にした。家に帰ったものだから、老眼鏡はある。各クラスの名票を眺めているうちにその名票の底から、生徒諸君の二十年前の姿が立ち上がってきたのである。これには驚かされた。二十年後の生身の諸君と会ってきたばかりで、その時は思い出せなかったのに、色鮮やかに名前と顔が私の脳裏にしっかり刻まれているのだ。(もちろん、全員ではない。でも会場では言い当てられなかった生徒諸君の姿がかなりの程度再現できたのだ)

 アルバムを見、名票を見て、しばし二十年前の授業も振り返らされた。そして一つの珍しいエピソードを思い出した。地理の授業で、最初の時間、私は悪戯(いたずら)たっぷりに、一年間の授業を受けて、私の国籍がわかったら、申し出て来い、当たったら景品を上げると言った。国籍はれっきとした学習テーマだ。ところが、私には良くあることだが、当の本人は言ったことを忘れているのだ。果たせるかな学年末の最後の時間にK君が挙手して「先生、先生はベトナム人でしょう。さあ、景品をちょうだい。」と詰め寄ってきた。私はK君が一年間も私の顔をしげしげ観察していてくれたのかと、感激しながらも、「ちがう!私の国籍は上だよ。天の御国だよ。天国だよ。」と言いのけた。彼は「先生、また冗談を言って、先生はベトナム人だよ。」と言い張るのであった。結局彼に景品を後で渡したかどうかは忘れた。残念ながらそのK君は来ていなかった。

 久しぶりに現役に戻された一時であった。

しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都(天の都)にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。(新約聖書 黙示録21:27)

(昨日、一昨日に引き続いて冬の琵琶湖である。暑さの中、お体に気をつけてください。)

2010年7月19日月曜日

貝殻 エミー・カーマイケル

 砂浜に ひとつの貝殻
 その向こうには 果てしない海
 おお 救い主よ
 あのうつろな貝殻はわたしで
 大海は あなたです
 寄せる波が 岸辺を洗い流すと
 うずまき貝のくぼみの すみずみまで
 きらめく水が入りこみ それを満たし
 あふれ出ます
 貝殻には なんのほまれもありません
 すべての栄光は 輝かしい海に
 あなたがわたしを あふれさせてくださるとき
 栄光は わたしのものではありません
 低く横たわるわたしを――あなたの貝殻を
 洗い清めてください
 あなたのみこころに この身をゆだねます
 おお力強い波よ 押し流し 清め
 あなたの豊かさで満たしてください
 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎みあう者でした。
 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現れたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
 それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。(新約聖書 テトス3:3~7)
(引用の詩は内田みずえ訳で、『ドノヴァーの碧い空』1994年刊行の雑誌所収のものである。引用聖句は引用者が選んだもの。写真は昨冬の守山なぎさ公園、琵琶湖畔の砂浜。)

2010年7月18日日曜日

霊に燃え、主に仕え クララ


「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」(黙示録14:12)
「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい」(ローマ12:11、12)

 開かれた天の御座の前に、白布をまとい手に勝利のしゅろの葉をかざすこれらは誰か、どこから来たのかと長老たちのひとりが、幻を見る者に問い、また解説して聞かせました。「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くした」(黙示7:14)栄光の子たち、勝利者の群れですと。

 光り輝く栄光の灯は、苦難の油をもってともされるもので、これは信仰の奥義であります。

 ヘブル人への手紙にも記されてありますように、神はその愛するものたちを訓戒し、苦難をもって磨かれます。主はみもとに来る者に救いをたまい、救われた者を聖められ、さらに輝く者となるために、彼らを救いの恵みのうちに安座させてはおきたまいません。なぜなら真に生きた信仰とは、死に至るまでも忠信な、白熱的なものでなければ、終わりを完了することは出来ませんから。信仰の生涯には必ず白熱的決断を要する機会が来るもので、昔から偉大な勇者たちは必ずここを通過しました。

 たとえば神に愛せられたダニエルは、死を覚悟した決断をもって進まねばならぬ試練にかち、か弱い一婦人エステルが、異邦の宮廷にあって「わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」との決断によって民族の救いはなし遂げられました。信仰の父アブラハムは独り子イサクをささげた全き服従の決断によって祝福の基となりました。真の信仰はなまぬるさの内には光を放ちません。

 ラオデキヤとは当時繁栄した商人の町で、そこに住む人々は、自分たちは富んで豊かでなんの不自由もないと言って安易な生活をしていました。かかる環境の内にある時、信仰はこの世の俗化に同化されやすいのです。神は貧しいものを信仰に富ませたまいますが、安易な生活に流れます時、忠実な精神を失い快楽を求め、救霊の労苦よりも組織による団結がものを言うデモクラシーの道をとります。信仰から救霊の熱情が消える時、戦わない安易さに風びされます。その時霊はみじめな憐れむべき貧しさに陥り、自らが盲目であることにさえ気づきません。安易な快楽主義は忠実と手を結ぶ事は出来ません。キリストを着るべき信者が裸の姿を恥とも思わなくなってしまいます。組織や制度でまとめても、信仰の基本的立場がゆるぎますと、安易な周囲の事情や環境にたやすく同化して灯は光を失い、時代思潮の濁流に押し流されていきます。

 やがて来たります主イエスを迎えるため、そなえはいかに? 安易な心でまつのではなく、賢い配慮と忠実な思慮深い準備をもって、熱心にうむことなく、その日に備えましょう。

「小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意をしたからである」!!(黙示録19:7)

(『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著・7月19日の項から引用。教会人小原鈴子氏の指摘は鋭い。教会組織と制度に安住するなかれとは、34年前の著述にしては余りにも慧眼の書と言えよう。昨日のYさんは死に至る病を通して、今死に至るまで忠実な僕として戦っている。彼女にささげるにふさわしい書と言えよう。我もまた彼女の信仰を継ぎたし。彼女たちと昨年眺めた冬の琵琶湖を載せる。左側は沖ノ島で、右側は近江八幡の山々であろう。琵琶湖畔守山なぎさ公園からの眺望。「ひたひたと 押し寄せる波 汚れ取る」。)

2010年7月17日土曜日

澄んだ瞳


 昨日は東京・赤坂の病院に入院中のYさんを家内と一緒にお見舞いした。火曜日にもお見舞いしたが、そのおり、また「(お見舞いに)来てね!」と言われていた。重篤だと聞き、気になったので時間も遅かったが思い切って訪ねた。Yさんは7月1日に入院されたばかりだから半月余り経ったところだ。ところが当初から治療は難しく、痛みを抑えるペインクリニックを専ら受けているということだった。また病気の進行が早く予断を許さない状況にある、とも言う。

 彼女は昨年12月に近江八幡の「喜びの集い(聖書を中心とした交わり)」に出席し、私の滋賀の家にも泊まっていき、短期間ではあるが私たち夫婦とお互いに親しい交わりを与えられた。もともとは3、40年来のつきあいではある。また、互いに教会活動・集会生活を通して辛酸を分け合ってきた間柄でもある。けれども、彼女と私が親しさを覚えるようになったのはそんなに古いことではない。何年か前に、私の「みことば」のメッセージを聞いて、彼女が近づいてきて「やっと、○○さんがわかった。教会のときの○○さんは私たちとは別の人だったと思っていたが、今日のは良かったよ」と笑顔で声をかけられた。以来、互いに心が通い合うようになったのを覚えている。

 昨日のYさんは、鼻に酸素を送られ、黄疸症状が続く、体力的に厳しい状態にあった。私の送る「みことば」のメールももはや今は読めず、お嬢さんに代読してもらっていると言われた。しかし彼女は多弁であった。「自分の肝臓はお医者さんによると雲が取り巻いているそうよ、今朝与えられたみ言葉の通りじゃない?」と嬉々として話すのだった。

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。(新約聖書 ヘブル12:1)

 そして今は一児に恵まれ家庭を持っている娘さん夫妻に話したことを私たちにも分かち与えようとされるのだった。「あなたがた(娘さん夫妻)は、いろいろあったけれど、きよい神様の前に正直に出て、自分のわがまま罪・咎をはっきり言い表して神様との平和をいただき、罪から離れて生きるのよ、またもし他の人にイエス様のことを証する機会があったら、自分たちの罪・咎も正直に話し、イエス様の罪の赦しを話したほうが良いよ」と勧めたのだということだった。それだけでなく「主人が・・・してくれたのよ」とやさしい主にある兄弟であるご主人の態度をさりげなく伝えられるのだった。三年ほど前の娘さんご夫妻の結婚を初め三人のお子さん方の養育のためにともに骨をおられたご主人の労をねぎらうかのように。

 今彼女の眼中にあるのは、ただ主イエス様の救いの恵みに対する感謝だけだった。家族がより真実に生きて行って欲しい、家族だけでなく親族・友人も主イエス様に頼るものとなってほしいという願いが私たちに切々と伝わってくる。お証を聞きながら私たちもともに感謝の思いで泣いた。彼女の澄んだ瞳は罪よりの贖い主であるイエス様を一人でも多くの人に体験してほしいと、自分の体の苦痛は二の次であることを語っていた。

 それでも、昨日のその時間はたまたま姪御さんが付き添っておられたが、「今日初めて笑顔を見せてくれたんですよ、今日は一日笑顔がなかった。」と言われた。辛い闘病生活であることが察せられたが、私たちとの交わりがそんなに彼女を喜ばせたのかと知ってうれしかった。その彼女の笑顔を撮るべく、何度もシャッターを切った。

 彼女は病院にお見舞いにくるすべての人に、私は今イエス様のカプセルの中にいて(死の恐怖から守られている)、何の心配も要らない、私だけが先に天国に行ってごめんね、という証を続けている。祈りをともにして地上で交わりを続けている彼女が忠実な主の証人であることを主イエス様に感謝したい。

だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。(新約聖書 黙示7:15)

(のうぜんかつらも様々な色があるようだ。家人に我が家ののうぜんかつらの存在を教えられ、青空を背景に撮影した。「青空に のうぜんかつら ピンクにて 咲き染め友の 優しき瞳」)

2010年7月15日木曜日

夢もまた真実なり


 何日か前のことである。夢を見た。長女が4人目の赤ちゃんがお腹の中にいる、ということを知らされ、びっくりしている場面だ。早速、家内に告げた。それから数日して長女から、電話がかかってきて、まさかの懐妊の知らせを受けた。家内は電話口で「やっぱり、そうなの」と驚いていた。夢を見た私はその夢を一場の夢と忘れていたが、家内は片時も忘れなかったと言う。母心からその大変さが分かるから、悩みは一入であった、と言う。

 30数年前、私たちに4人目が与えられたとき、それぞれの両親の困惑振りを思い出す。歳の違わない子どもたちを養い育てられるのか私たちも不安だったが、双方の両親も心配してくれたからである。しかし今やその四人目の男の子にはすでに二人の子供が与えられている。それだけでなく5人目も生まれた。職場では他の方々を尻目に誕生祝を何度か独占していただいた。「案ずるより産むが安し」とはよく言ったものだ。長女家族が守られて赤ちゃん誕生を迎えられるようにと祈っている。

 その前後であったろうか、もう一つの夢の話を今度は別の人から聞いた。それは今82歳の方の見られた夢であった。その方の夢は、今まで見たことのない、それは、きよい、きよい水、この世のものと思われない水を自分が上から見ていたという。そしていつの間にか自分がその水に胸の辺りまでつかってしまっていて、そこで目が覚め、何とも知れぬ晴れ晴れしい気分にさせられた、ということであった。

 この方はその数日前同居しているお嬢さんからジュニア聖書を与えられ、読み始めたそうである。そしてイエス様の足取りを聖書を通して順を追って読み進めて行くうちに十字架の場面に差し掛かり、泣けて泣けてしようがなかったそうである。何の罪もないイエス様がののしられて死んで行く、その場面を通してはっきり自分もそれまで無関心でむしろ否定していたイエス様を娘のように信じたいと思われたということであった。

 お聞きすると、私は10年前、この方のご子息が病院で食道癌で召される前にお見舞いしたということであった。その折、このご子息はすでにベックさんのお見舞いを受け福音を聞きはっきり救われ、喜んでおられた。その方とのお交わりは私にも強い印象(死を前にしたお方とは思えない平安)があったことを思い出した。10年後にそのお母さんがイエス・キリストの福音を信じられたのだ。誰に言われるまでもなく聖書を通して救われたのだった。

 夢を明かされたお嬢さんは、「お母さん、それはイエス様の洗礼に、お母さんもあずかったのよ」と言い二人で喜び合ったということであった。主なる神様にとって不可能なことはない。82年の生涯に様々なご苦労があったと聞いている、そして今脳梗塞で体がご不自由である。しかし主イエス様はお母様の声にならない叫びをこのように聞いてくださり、お嬢さんの祈りに答えて救ってくださったことを知る。魂の打ち砕かれる者のそばにいつも主はおられる。

 初めの話題に戻せば、長女が懐妊する前に私が夢を見たものだから、その話を伝え聞いた婿殿のお父さんから「あなたは預言者ですね」と祝福が返ってきた。「預言者」の責任、大である。また、夢あだや疎かにせず、だ。

わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。(旧約聖書 エゼキエル書36:25~26)

(写真は先週週末に訪れた桐生のKさんの門扉にあったのうぜんかつら。Kさんはご高齢の中、お一人で家屋敷を守っておられた。「媼語る 辛酸越えて 神の愛」)

2010年7月2日金曜日

われもまた囚人なり


 何日か前、ベックさんが茨城の地のある刑務所で刑に服している一人の中国人を尋ねられて豊かな交わりを持たれたと聞いた。その内容がどんなものであったのかは知らないが、以下のスポルジョンの話を読んで、新たな感慨を抱かされた。

 あなたが心の中を見る時、自分を責めるもの以外に何も見ないならば、またあなたが生活を見る時、そこにあるいっさいが神の怒りに値することを見るならば、あなたは希望への途上にあるのです。囚人服を着た囚人として、首にロープを巻いたまま、神の御前に来なさい。その時にこそ、あなたは救われるのです。罪のほか自分自身のものは何も持っていないことを告白する時、自分が死に値し、永遠に捨てられるに値していることを認める時、無限のあわれみに富みたもう神は、キリスト・イエスにある信仰を通して、あなたを生かされるのです。

 ずっと前のこと、ある王子がスペインのガレー船をたずねました。そのガレー船には、たくさんの囚人が閉じ込められて、鎖でオールに縛りつけられていました。ほとんど終身刑であったと思います。王子がりっぱな人でしたので、スペインの王は、王子にこう告げました。「あなたがガレー船をたずねたなら、そこの囚人の中から、任意に選び出した囚人を自由の身にしてよろしい。」

 王子は、囚人を選び出すためにガレー船の中に入って行きました。ひとりの囚人に「どうしてここへ来たのか」とたずねました。彼は、ある人が自分の品性について偽証をたてたためだと答えました。「おお、そうか」と言って、王子は通り過ぎて行きました。

 次に、別の囚人に同じ質問をしました。彼は、「私は確かに悪いことをしました。でも、この船に閉じ込められるようなひどいことはしていません」と答えました。「おお、そうか」と王子は言って、また通り過ぎて行きました。王子は同じ質問を続けましたが、囚人たちは皆良い者ばかりであることがわかりました。皆、まちがって刑に処せられたというのです。

 最後に王子はひとりの囚人に聞きました。その囚人は答えました。「なぜ私がここへ来たかとお尋ねになるんですか。お恥ずかしいことですが、私は十分にそれに値する者です。私は有罪です。夢にも、無罪だなどとは言えません。このように、オールに縛りつけられたまま死んでも、十分その罰を受ける価値があるんです。実際私は、自分の生命がこうして保たれているのは恵みだと思います。」王子は立ち止まって言いました。「あなたのような悪者が罪のない多くの人たちの中に置かれているのはかわいそうだ。自由の身にしてあげよう。」

 あなたはこの物語を聞いて、ほほえましく思われるでしょう。しかし、なお喜んでいただきたいのです。主イエス・キリストは、だれかを自由にするために、今、ここに来ておられるのです。彼は今、だれかの罪を赦すために、ここに来ておられるのです。あなたが罪を持っていないなら、あなたは赦しを受けることはないでしょう。あなたがた善良な人々は、自分の罪のうちに死ぬでしょう。しかし、おお、罪人であるあなたが、神の御手の下にへりくだっているあなたが、自分を義とする人たちの中に混じっているのを、主はあわれみたもうのです。ですから、今、ただちに来なさい。そして、あなたを救い主にゆだね、その尊い御血によって、永遠にいのちを得てください。栄光がとこしえにキリスト・イエスにあらんことを。アーメン。

イエスは(これを聞いて)言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(新約聖書 マタイ9:12~13)

(スポルジョンの文章は『主につく者はだれか』松代幸太郎訳36~38頁より引用した。写真は先週中野駅前をぶらついたときに見た、植え込みにあったアジサイの花。各地でさまざまなアジサイが目につく。)