2019年1月31日木曜日

あけぼのの翼をかりて(承)

私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。(詩篇139・7)

 第二段は7節から12節までで神の全存在を歌っています。

    我いづこにゆきてなんぢの聖霊(みたま)をはなれんや
    われいづこに往きてなんぢの御前をのがれんや
    われ天にのぼるとも
    汝かしこに在(いま)し
    われわがとこを陰府にまうくるとも
    視よなんぢ彼処にいます
    我あけぼのの翼(1)をかりて海(2)のはてに住むとも
    かしこにて尚なんぢの御手われをみちびき
    汝の右の御手われをたもち給はん(7〜10)
 
 神はエルサレムの宮にだけい給うのではありません。イスラエルの国だけにい給うのでもありません。また、この地上の世界にのみい給うのでもありません。われらの知ると否とにかかわらず、想像し得ると否とにかかわらず、到るところに存在し給うのであります。天にも地の底にも、東の端にも西の端にも、何処にでもいてわれらを守り導いて下さるのであります。

    暗きはかならず我をおほひ
    我を囲める光は夜とならんと我いふとも
    汝の御前には
    暗きものを隠すことなく
    夜も昼の如くに輝けり
    なんぢには暗きも光もことなることなし(11〜12)

 何処に往っても、如何なる時も、神は常に変わり給わないのですが、変わるのは私共であります。ヨナの如く、神を逃れようとすることも度々あります。その結果「海の中心(もなか)に投げいれたまひて」と、暗黒の中に希望を失って叫ぶこともあります。されど神の前には暗黒はありません。イスラエル民族が出エジプトをした時、雲の柱が夜は火の柱となって輝いたように、われらを囲んでいた暗雲は、神の栄光に照らされると光となって輝くのであります。神がわからなくなるのは、神がわれらから離れ給うたからでなく、われらが神が離れたからであります。神にさえあれば、われらの逆境も苦難も病気も貧窮も、凡て栄光に輝くのであります。

註1 「あけぼのの翼」は太陽が翼をもって東の端から上り、西の端に翔(かけ)りゆくとの古代伝説から言う。
註2 「海」はここでは地中海を指す。当時イスラエル人は地中海を西の端と考えていた。

(『藤本正高著作集第3巻』279〜280頁より引用)

2019年1月30日水曜日

あけぼのの翼をかりて(起)

主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。(詩篇139・1)

      小林儀八郎君がロンドンに発つ前夜、我が家の集会にて語りしもの※

 この詩は、その言葉において、信仰において、詩篇の中でも最も麗しいものの一つであります。全篇が6節ずつ四段にわかれています。第一段は1節から6節までで、神の全知を歌っています。先ず、

   エホバよなんぢは我をさぐり
   我をしりたまへり(1)

と心から歌います。この「さぐり」は深く掘ることを意味します。鉱夫が土を深く掘って埋蔵されている鉱石をさぐり出すように、神はわれらの心の中のどんな部分にまでも目を向け、これを見抜いて知って下さるのであります。これはある人々には恐ろしいことですが、多くの誤解と迫害の中にありながら神に対する真心をもつものにとっては、何よりも感謝です。世界中の誰が誤解しても神のみは決して誤解しません。

   なんじはわが坐るをも立つをも知り
   又遠くよりわが念(おも)ひをわきまへ給ふ
   なんじはわが歩むをもわが臥すをも探り出し
   わがもろもろの途をことごとく知り給へり(2、3)

 神はわれらの心のみでなく、起居進退すべての行為を知り給います。正義を行なって誰が誤解しても恐れる必要はありません。

   そは舌に一言(ひとこと)ありとも
   視よエホバよ
   なんぢことごとく知り給ふ
   なんぢは前より後よりわれを囲み
   わが上にその御手をおき給へり(4、5)

 またわれらの言葉ほどよく誤解されるものはありません。いい加減なお世辞は誤解されませんが、深い愛から出た真実な言葉ほど誤解されやすいものです。けれども神はたとい一言でもよく知っていて下さいます。そしてかく深く知って下さるのみでなく、高位の人々を警官が前後左右より囲んで護衛するように、われらを守って下さるのであります。

   かかる知識はいと奇しくて我にすぐ
   また高くして及ぶこと能わず(6)

 実にこれは神のみにできることです。人の決して及ぶことではありません。神にかかる知識をもって知られまた守られていることは何と幸いでしょうか。

(※藤本さんがその集会で語られたと言うこと、それは今からちょうど80年前の東京阿佐ヶ谷で行われた集会でのことだ。『藤本正高著作集第3巻277〜279頁より引用)

2019年1月27日日曜日

神の徳の充満


天にも地にも、わたしは満ちているではないか。(エレミヤ23・24)
 
 いつも同じような話で恐縮してしまうが、事実だから、今日も書いてみたい。昨日私たちは午後2時の浦和の家庭集会に出席するため、そしてたまたま二人してその場で話をするように要請されていたので、ともに雁首そろえて、そこで話をすることをまとめていた。しかし、時間がどんどん経ち、12時半近くになった。家内は完成したが、私はまだ未完成であった。でも私は残りは電車内で考えることにした、ギリギリの出発である。

 ところが、家の玄関を出て早々、家内が慌てている。「自転車がない!」。あちらこちら探してみたが、「ない!」と。悪い癖で家内は施錠しない日が多いのだ。その日も施錠していなかった。完全な盗難である。家内になぜ施錠しなかったのかと怒鳴ってみたが、今更どうにもならない。二人して自転車はままならぬことと相成った。特に家内は歩くことを嫌う。それで、私が歩き、家内に自転車を使わせた。最寄りの駅も春日部から、一ノ割に変えた。歩く距離が春日部よりは短いからだ。もちろん浦和に向かうには逆に遠回りで時間もかかる。

 一ノ割から春日部まで来て、そこからアーバンパークラインに乗り換え、大宮に向かうことにした。電車の中ではまだ未完成のところを考えるつもりでいた。その時、ふとベンチに中年の男性が座っているのが見えた。彼とはかれこれ2、30年ほど会っていないが、昔の面影は残っていて声をかけたら案の定、彼だった。家内ももちろん彼を知っている。お互いほぼ30年前に教会で一緒だったからである。

 私たちが教会を出る頃、彼は教会に来始めて二、三年というところであったろうか。なかなかイエス様の存在が信じられず、様々な哲学論理を展開されるので困った覚えがある。でもその彼もその後、イエス様を信じられたようである。電車内で三人一緒に話し込んだ。彼は懐かしさもあってだろう、次から次に話しかけてきた。こちらももはやまとまっていない話の推敲は諦め、彼の話に耳を傾け、私の方からも様々なことを聞いたり話したりした。互いに積もる話は尽きなかった。

 ところが、彼は「実は昨日あなたのことを例に挙げ、ある人と話をし、家に帰ってからも家内とどうしていらっしゃるのだろうね」と話ししていたのだと言った。驚いた。もちろん、彼自身が何よりも驚いてそう言ったのだった。しかもその話の内容たるや、実に私が今現在知るのに必要なことばかりであった。委細は省略せざるを得ないが。そして、私は2時から話の中で皆さんにお見せしようと密かにカバンの中に入れていた本があった。このブログでも何度かご紹介したことのある『国籍を天に置いて(父の手紙)』(発行者小早川順子)※である。私は思い切ってその本を彼に進呈することにした。彼が歩もうとしている道(掌中に『ヘーゲルとその時代』を忍ばせていた彼の道)と違うし、彼に通じないかもしれないが、私はこの本に秘められているキリストのいのちを何としても伝えたかったからである。

 昨日の彼との出会いは、もし自転車が盗まれていなかったら、時間が違い、出会うことは叶わなかったであろう。別れ際、「今度話しに行っていいですか?」とまで言われた。それほどの間柄なら、ここ2、30年の互いの音信不通は何だったのかという思いもしないではない。しかし、昨日の30分足らずの小さな一コマの時間ではあったが、天にも地にも満ちていらっしゃる主なる神様は愛をもってご計画なさった出来事だと思い知った。

 さて、私たちそれぞれの出会いの引き金となった自転車を、今日、木枯らし気味の風を背に、二人して、探したが見つからなかった。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/02/blog-post_26.html から10回シリーズで書いています。興味のある方はお読みください。なお、今日の題名「神の徳の充満」はスポルジョンの今朝の「朝ごと」から取ってつけました。私のこの小さな経験(実際には浦和家庭集会に行って、そこで経験したもう一つの出来事があるのですが・・)も神の徳の一つのあらわれと信じることができるからです。

2019年1月24日木曜日

キリストの中に隠れて(下)

美濃ミッション聖書学校授業風景

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。(2テモテ4・8)

 この使徒は、死を越えて天国を待ち望むことができるのです。そこでは、義の冠を彼はいただきます。さばきの座にある神のみ前に立つパウロは、まったくイエス・キリストの義によって、公平な神から冠を授けられます。罪は除かれたのですから、何者も彼を神から分かつこともなく、天国を拒むこともありません。

 この冠はたまものです。ゴルゴタの丘に主イエス・キリストが聖なる血潮を流されたことによって与えられた義の冠です。それは「神からの賜物です。(決して)行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです(エペソ2・8〜9)」とパウロはこのことについて述べています。

 イエス・キリストにおおい隠された生活は、なんと喜びに満ちているのでしょう。病床にあってからだも弱り、苦しみや問題や困難が多いこの人生は、けわしく感じられますけれども、わたしたちが信仰に堅ければ、心に平安を与えられ、良心と希望と永遠の命の確かさをしっかりと持つことができます。このような信仰があれば、どんなことに出あっても希望を失わず、忍耐し、喜びを持ってしのぶことができます。

祈り

 慈悲深い主よ、この世の問題と疑いと恐れ、罪と誘惑にわたしが戦いをいどんでいます時、どうぞ信仰を強めてください。わたしの魂の敵を征服できるあなたのみことばと約束に、わたしがしっかりとささえられることができる恵みをお与えください。わたしは疲れはて、試みと不安におののいて、あなたのみ座にまいりました。わたしは幾度も失望し、心をうち砕かれました。人生の旅は果てしなく思われます。サタンは、あなたが、もはやわたしの願いも求めもお聞きにならないと耳うちします。どうぞ、わたしが心まどわされることなく、あなたのみことばと約束を堅く信じることができますよう、信仰を強めてください。あなたが常にわたしとともにおられ、わたしの力であり助けであられるという確かな約束を、不信と疑いによって奪われることのないようお守りください。

 いつくしみの父よ、わたしのあやまちを、どうぞおゆるしください。そして、イエス・キリストの尊い血によってわたしを清めてくださいますように。わたしは心の底からたえずあなたを愛しませんでしたことを告白いたします。また、わたしは日々の生活であなたを最もたいせつなかたといたしませんでした。おお主よ、おゆるしください。罪と誘惑を征服することができる力の源なるあなたのみことばを、この家族のひとりびとりが求めますように心を開いてください。いずこにありましてもわたしたちを祝福し、お守りください。あなたの教会(集会)がサタンと罪に対する戦いを続け、たゆむことなくあなたの救いの信仰をのべ伝えることができますように。主イエス・キリストにより、平安と愛をわたしのうちに満たしてください。 アーメン

(『いこいのみぎわ』A・ドーフラー著松尾紀子訳141〜143頁より引用。今日は写真として山中為三氏の若き日の写真を掲載した。興味ある方はhttps://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2018/12/blog-post_12.htmlの記事を参照されたし。)

2019年1月23日水曜日

キリストの中に隠れて(上)

暮れなずむ 裸木美わし 冬景色

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。(2テモテ4・7)


 三人のイタリア登山家たちがアルプス山脈を登りましたが、その冒険的な登山の途中ですべってしまいました。そして五時間も断崖絶壁にロープにささえられて下がっていました。そのロープがぷっつりと切れたが最後、死の谷深く落ちて行くことを知っていた彼らは、その五時間に、いったい何を考えたでしょう。

 しかし、わたしたちはこの人たちと少しも変わらず、毎日を死と直面しながら生きているのです。考えてみればわたしたちのうち、だれも次の二十四時間を生きているかどうか知りません。このような考えにふと気がついたならば、わたしたちはどうするでしょうか。パウロは彼のキリスト者としての生活を通して、イエス・キリストの中に隠されているかぎり、少しも恐れることはないと信じていました。静かに過去をふりかえり、また、将来を見つめながら、「私は勇敢に戦い、信仰を守り通しました」と言っています。

 パウロはよく戦いました。彼は自分という者と戦いに戦いました。幾度も幾度も自分の中にある古いアダムを十字架にはりつけました。そして、彼は自分の信じてやまない主イエス・キリストから与えられた力によって、勝利を与えられたのです。

 パウロは、不信と、どん欲と、利己主義の世界と激しく戦いました。ダマスコへの道で回心した時以来、パウロはキリストのためにこの罪と不信との戦いを戦いとおしました。そして、神の恵みによって彼はどの戦いにも勝利を与えられました。

 ことに、パウロは信仰を守りとおしたと、はっきり言いはなっています。ただ一つの信仰を信じたというだけではなく、信仰を守りとおしたと強調しています。神のみことばにもとづく、確固とした信仰をさして言っています。わたしたちの主、イエス・キリストについての事実の記録と、真理のもとを信じたのです。すなわち、イエスがこの世におくだりになったこと、律法を全うされ、十字架上におなくなりになり、死からよみがえられた主イエスを信じました。ある人々は、熱心に信じるのであれば何を信じてもかまわないといいます。しかし、パウロはけっしてそうは言っていません。神と神のことばから、パウロは次のようにガラテヤ人への手紙で言っています。「私たちであろうと、天の御使であろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです」。人はイエスの福音を信じることによってのみ救われます。神の聖なるみことばのうちに神によって示された真理を堅く守らなければなりません。ローマの土の獄の中にすわっていても、神の恵みによって、「私は信仰を守り通しました」とパウロは言い、彼に示された真理に忠実であったと言うことができたのです。

 「私は走るべき道のりを走り終え」と言ったパウロは、彼の人生を神の栄光を表わすために用いました。彼の一生は忙しい一生でした。使徒行伝を読んだ人はだれでも、この使徒が成就した仕事を知って驚くでしょう。人間の目から見ると、パウロの一生はきびしい一生でした。コリント人にあてた手紙の中でパウロは「ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました」と語っています。それにもかかわらず、パウロの内的平安と満足から見るならば、パウロの一生はまことの満足にみちていました。心の底からしあわせであったこの人には、不満はありませんでした。彼は神の栄光のために生き抜いたのです。そして、その仕事を全うしました。彼はキリストについてのべ伝え、たゆむことなく、イエスの救いの福音を説きつづけました。

(『いこいのみぎわ』A・ドーフラー著松尾紀子訳138〜141頁より引用)

2019年1月20日日曜日

あなたのお父っあん

大寒に シラコバト二羽 円舞する

 主なる神様はかつて福音伝道のためにスケールの大きい日本人を私たちに与えてくださった。さしづめ、今日のブログで御紹介する木村清松(きむら せいまつ1874〜1958)氏もその一人ではないか。彼のエピソードは余りにも有名だから、今更、話題にするのも気が引けるが、書くことにする。

 それは一本の渋柿の持ち主のありかを思った時、最初登場したのは現所有者である同窓生であった。そして、こちらの勝手な想像で、その田んぼはかつては隣家の小作地ではなかったかと考えてみた。ところがそんなけち臭いことを考える間もなく、それは主なる神様のものだと思い至っていた。それはすぐ木村清松氏の故事を思い出したからである。

 そのこともあって、かつて買い求めたが書架に眠ったままになっていた『基督に虜われし清松』(岩村清四郎著)を引っ張り出した。この本は清松氏の弟である岩村氏が清松氏の生涯を1934年(昭和9年)に212頁にまとめて書き、出版された本である。その中には清松氏32歳、時に1906年(明治39年)伝道のために世界一周を敢行された時のことも書いてあった。以下、その本の165頁からの引用である。

 ナイヤガラは二度目だから清松には何も珍しいことはないけれども、いつもながらその雄大なのに驚いた。上から見、裏から見、船で下から見上げて驚くばかりである。一緒に見ていた一人の米人が、
 「どうです。このような大きな滝は日本にはありますまい」
 と、肘で清松の腕をつきながらどこにでもあるお国自慢を始めたが、この時、清松は、
 「君はクリスチャンでなければこの滝を誇ることはできませんよ。この滝をもっているのは我々の父、否、私の父です。この滝くらいのものは、私のお父さんにしてみれば小指の先の仕事です。どうです。私のお父さんの滝は。由来父のものは子のものである。故にナイヤガラの滝は我輩のものである」
 と逆襲したのであった。その帰り途、電車の乗り換え場で百人ほどの人が待っていたから、その時間を利用してーー天の父を誇り、神を知らざれば滝を誇るべからずーーとやったので、このことがデトロイト市の新聞記者の耳に入り、写真入りで「彼の父はナイヤガラの持ち主である」と誇大に書いたものである。

   KIMURA   FROM   JAPAN
   His   Father   Owns         Niagara   Falls
                  HEAR  THIS  JAP!
   EVERY  NIGHT  THIS  WEEK
                Marine's  Church
            Woodward below Jefferson
         August  2  to  7, Inclusive    FREE

なにはともあれ、偉い奴が日本から来たというので、その顔なり見たいという所から一週間の大伝道集会は満員の大入りであった。

 以上が清松氏の弟の清四郎氏が述べた「ナイヤガラの滝と清松氏」である。なおこの文章の出典となる記事は木村清松氏自身の手になる『世界一周伝道旅行』の62〜64頁にある。この本はすでに国会図書館にデジタル化されているので、以下のサイトで自由に閲覧できる。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761273

 この清松氏は新潟県の五泉の出身で、ヤソになれば、村におれなくなる、もちろん家族からも勘当されるという環境から、ただ一筋に福音のために出奔した人である。その彼が福音が何たるかもわからず、我が息子の行く末を心配した母とのやりとりがある。最後にそれを転記してみる。『基督に虜われし清松』(岩村清四郎著)47頁より。

 次の日、お互いに幾分興奮から醒めた時、母は清松を呼んで聞くのであった。
 「それでお前は、後々、どうして『おまんま』を食べるつもりだい?」
 真心こめて、話題を転じて聞いてきた。
 「ナーニ、お箸とお茶碗さえあれば立派に食べてお目にかけます」
 「つまらんことをいうんじゃない。人が真面目な話をしているのに、お前はどうして 
 めしを食うつもりかといっているのだ」
 その、前庭の雪の上に、三、四羽の雀が群れて来ていた。
 「お母さん、あれをご覧なさい」
 「何さ、雀でないか」
 「そうです。この大雪の中に雀を養っておいでになるものは誰です。昔から雀は、種も
  蒔かねば刈りもせず、倉に蓄えも致しません。
  しかるに一羽の雀が飢え死にしたことがありますか。
  ーー清松は語気を改めたーーお母さん、清松は雀よりも大きいのです。
  雀を養い給う神は、清松を決してお忘れにはなりません

2019年1月19日土曜日

隣の家

窓越しに 叱責の声 耳朶を打つ 老婆のありし 日を偲ぶなり

 日の経つのは早い。一週間前は小中の同窓生と旧交を暖め合っていたのだ。その折り、一枚の写真を撮り、さらにそれにちなむ話をブログに書いた。渋柿の木の持ち主が同窓生であり、ちょっとした驚きであったからである。しかし、よくよく考えてみると、ひょっとしてそのたんぼは戦前は我が隣家の所有の小作地でなかったかと、その後思い至ったのである。

 今は最も寒い季節だが、三月の声を聞くと少しずつ暖かくなる。そんな時、中学生の頃よく我が家の屋根に上って日向ぼっこをしながら本を読んだり勉強したりしたものだ。その折り、決まっていつも屋根越しに見える隣家の幾層も並ぶ蔵を眺めていた。一体幾つあったのであろうか。二つ三つであったようには思われない。隣家は大地主で、その所有になる田畑を踏まないと隣の町へは行けないと言われていた多額納税者議員であった。

 一家は私が物心ついた時は、東京が本宅になったようで、いなかは小作人の中の大番頭の方にまかされていたが、屋敷には当主の妹さんがおられるのみで女中さんたちにかしずかれての生活だった。時々、その方が女中さんを叱責する声が狭い路地を隔てて、窓越しに我が台所の間にまで聴こえてくることもあった。その方が倒れられたのは私の小学校の5、6年の時でなかったかと思うが、母は知らせを受けて一番先にかけつけたように記憶している。隣家とは本家・分家の間柄にあったからだ。そのお礼でもあったのか、隣家から「万年筆」をいただいて、嬉しさのあまり、その「万年筆」を日記に模写し、同時にそれを使って感謝の思いを書きなぐった記憶がある。

 同じように多額納税者議員の一族であった太宰治が確かどこかで「われは津軽の農民なり」と自虐的に書いていたように記憶するが、隣家がいつの間にか、いなかを捨て、それぞれ東京やフランスに出てしまったその精神と重ね合わせて、見ていた。

 今ではその隣家は全部こわされ、昔を知る縁者は私のみで、かつその屋敷跡には何軒かの家が現代建築よろしく、建てられて、もはや昔の面影は見るよしも無い。しかし我が脳裏にはしかと刻印されている。幸い、写真こそないが、福山聖子さんが描かれた画がある。冒頭の絵はそれを拝借させていただいた。旧町役場に展示されているものを写真で撮影したものである。

 先週見た一本の渋柿は、こうして私をいつの間にか、過去を振り返らせる機縁となった。しかし、実はもう一つご紹介したいことがある。それは明日に持ち越すことにしよう。

財産は激しい怒りの日には役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。(箴言11・4)

2019年1月14日月曜日

この時のためである

友どちの 渋柿たわわ 冬空に

 新年早々、昨年の5月に引き続き、先週の土曜日に、故郷の小中の同窓生との集いに出席した。恩師をふくめ、男性19名、女性6名、合計で25名の出席であった。日曜日、近江八幡で聖書からのメッセージの御用を控えているので、最初は気乗りがしなかったのだが、今回も妻の強い勧めがあって出席した。

 この日は曇り空でうそ寒い一日であったが、その前日は晴天であり、普段あまり意識しない鈴鹿方面の山並みに冠雪があるのを望見でき、心は清涼感に満たされた。何とか、その山並みを撮影できないものかと自転車で出かけたが、どこまで行っても、電線や建物が妨害して望み通りの写真が撮れなかった。ほぼあきらめかけたころ、道路から少し入ったところに色鮮やかな柿の木が見えた。妨害物はないが、山は遠くiPhone のカメラではうまくとらえきれないので、どうかと思ったが、路肩に自転車を止め、冒頭の写真となった。

 さて、同窓生の集いはそこから約7、8キロある琵琶湖畔の「かんぽの宿」が会場であった。その日は皆んなで11時半に集まりマイクロバスで出発することになっていた。集合場所である、かつて町役場のあったその地までは、私の家から歩いて5分程度のところであった。私は髙をくくって、ギリギリに出かけた。集合場所に近づくと目的のかんぽ差向けのバスが見えた。間に合ったと思った途端に、バスは発車した。慌てて手を振って止めてもらった。息急き切って乗る間も無く、幹事からお小言を頂戴する羽目に陥った。

 遠方からの参加者は私一人で約束の時間に来ないので、何度も私の関東の自宅に電話したのだが誰も出ず、連絡が取れないまま、欠席なのだと判断し、出発したということだった。その上、同窓会出席の返事も私だけが、期限をとっくに過ぎてからの返事だったと言われた。ひたすら恐縮するばかりだった。

 会は三時間程度の会食であったが、くじ引きで両隣に座ることになった人はやはり私にとって必要な人であった。右隣は女性で高校も一緒だったが、それ以来ほとんど会って話をしたことがなかった。でも、私は忘れてしまっていたのだが、以前に私の証の本(『光よあれ7集』)を受け取っていた方だった。左隣の男性は小学校の低学年までは毎日のようにともに互いの家を行き来した幼友達であった。昨年の5月にも会っていた。その上、明日出かける近江八幡に住んでいる。私がそのことを話すと自分も行ってもいいかとまで言う。こうして話込むのも幼き時以来の気がする。小学校入学以前に家の庭で二人で撮った写真がある。彼は持っていないと言う。スキャンして送る手はずを今日整えた。

 そうこうするうちに、その彼の向こう隣にいるもう一人の友人の存在に気づいた。それこそ60年ぶりだった。家も近く、仲も良かった。彼は農業一筋に生きていることは知っていた。あまりにも住む世界が違ってしまった感じでふるさとに帰っても訪ねることさえしなかった。懐かしさのあまり、近況を聞くと相変わらず、たくさんのたんぼを耕作していることがわかった。ところでたんぼはどのあたりにあるのと聞くと、ある場所を教えてくれた。

 話を聞いているうちに、「それって、ひょっとすると、柿の木があるあたり?」って聞くと、「そうだ」と言う。論より証拠、私はiPhoneの写真を見せた。すると「これはうちの渋柿、そしてこれがうちのたんぼだ」と言う。私は一通り、なぜこの写真を撮ったか話をしたが、そんなことはどうでもよく、二人でこの不思議な出来事を喜んだ。60年の懸隔は物の見事に吹っ飛んだ。

 今、振り返ると昨日の近江八幡の聖書の御用は「エステル記」をテキストにした。そこにはもっと大規模な世界史的な神様の摂理の連続が息もつがせぬ迫力で迫ってくる一場面一場面を追うのに精一杯であった。だから、今回の私一個の小さな出来事である帰省もすべては、その背後にご計画をお持ちになる主なる神様があっての帰省だと主に心から感謝している。

モルデカイはエステルに返事を送って言った。「・・・あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」(エステル4・14)

2019年1月5日土曜日

主を愛する家族

2019年 賀状秀作
新年早々、悔いることがある。それは折角、家族が揃ったのに、その際お座なりの祈りをしてしまったことである。残念ながらこれが私の本質である。主を恐れずして、人を恐れる罪である。一組の子ども家族が信仰から遠ざかっているとは言え、私の子どもたち、孫たちであるのに、家長としてどうして彼らを恐れる必要があろうぞ。自戒を込めて、以下のみことばとそれに関連する文章を写してみる。

あなたがたは、私が、きょう、あなたに命じるすべての命令を守りなさい。そうすれば、あなたがたは、強くなり、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地を所有することができ、また、主があなたがたの先祖たちに誓って、彼らとその子孫に与えると言われた地、乳と蜜の流れる国で、長生きすることができる。(略)あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。(申命記11・8〜9、18〜20)

 われらクリスチャンは、このようなことばを実行しているだろうか? 神のみことばはわれらの心の中に、われらの家のうちに、またわれらの習慣のうちに、そのような地位を得ているだろうか? われらの家にはいる者や、日常の生活でわれらと接触する者は、神のみことばがわれらにとって最高のものであることを認めるだろうか? われらと働きをともにしている者は、われらが聖書の教えによって支配されていると見るだろうか? われらのしもべや子どもらは、われらが聖言の雰囲気のうちに生活し、われらの全性格が聖書によって形成され、われらの行動がそれによって支配されていると見るであろうか?

 愛するクリスチャンの読者よ、これは、われらの心をさぐる質問である。聖言をわれらの心から離してはならない。われらが神のみことばをいかに取り扱うかということほど、われらの道徳的、また霊的状態を正しく示すものは他にないとわれらは確信する。もし神のみことばを愛さないならばーー神のみことばを学ぶことを喜ばないならばーー神のみことばをかわき慕わないならばーーそれを喜ばないならばーー聖なる書き物にかじりつき、その尊い教えを飲みこむことができる静かな時間を望まないならばーーひとり一室にあって、また家族とともにいて、また街頭において、神のことばを深く思わないならば、すなわち、聖書の聖なる雰囲気を呼吸しないならばーー「われらはいつも聖書を読んでいることはできない」などと発言することができる心情ならば、その時こそ、われらは自分の霊的状態をよくみきわめる必要がある。というのは、われらは、悲しくも病的であるからである。神によって生まれた新しい性質は、神のことばを愛するーーペテロの第一の手紙第二章に、「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい」(二節)とあるとおり、それを熱心に求める。

 これは真実な考えである。もし神のみことばである混じりけのない霊の乳を求めず、勤勉に用いず、それを熱心に飲んでそれに養われないならば、われらの魂は低い、不健康な、危険な状態にあるにちがいない。われらの行為には、外観上なんの誤りもないかもしれないが、また、われらの歩みにおいても主を公然と汚すこともないであろうが、しかし、われらは神のみことばをひどく無視することによってーーすなわちそれは主を無視するもう一つの方法であるがーー愛の満ちた主の心を悲しませているのである。もしわれらが神のみことばを愛することなく、またこれによって養われていないならば、キリストを愛する、と語ることは、愚の骨頂である。神のみことばが私室においても、家庭においても習慣的に無視されているところに、新しい生命が健康的で、良好な状態にあり得ると空想することは、妄想である。

 読者よ、諸君は一家の頭(かしら)であるか? もしそうならば、この問題についてあなたがたの考えはどうであるか? あなたがたの行動はどうであろうか? あなたがたは家庭において、毎日家族とともに聖書を読み、家族とともに祈りをしているであろうか? もしそうでないならば(わたしたちの質問を忍耐して聞いてください)、どうしてしないのか? この問題の本当の原因を捜し出して見よ。あなたがたの心は、神と神の道から離れてしまったのであろうか? あなたがたは密室で神のみことばを読み、祈っているだろうか? あなたがたは神のみことばと祈りとを愛し、それらの中に喜びを見いだしているであろうか? もしそうしているならば、あなたがたが家庭におけるみことばを読むことと、祈りを無視していることはどうしたわけか? おそらくあなたがたは、自身が神経質でおくびょうであるからと、言い訳をしようとするであろう。

 もしそうならば、あなたがたが自分の弱さに勝つことができるようになるために、主を仰ぎ見よ。あなたがた自身を神の誤りなき恵みに任せ、そして毎日定まった時刻に家族を集めて、聖書を数行でも読み、二言三言でも祈りをしなさい。もしあなたがたがこれをも最初なすことができないならば、家族とともに神の御座の前に、二、三分でも黙ってひざまずきなさい。一口に言えば、家庭での神への感謝、家庭でのあかしなら少しでもなすべきである。あなたがたの家庭の中での不信仰な不注意と祈りのない生活は、なんでも御免である。愛する友よ、この事についての勧めのことばを受けいれなさい。神は、信じてたよる心を決して失望せしめないから、今からすぐに、神に助けを求めることを始めることをお勧めする。家庭内で神と聖言とを無視することを、これ以上続けてはならない。それは真に恐るべきことである。

(『申命記講義』C.H.マッキントシ著大竹進訳87〜90頁引用)

2019年1月4日金曜日

二組の大どんぶりと大皿

浅間山を遠望する 2019.1.1

 お正月、三人の子どもたちが集まってくれた。そのうち、一番下の娘はお婿さんを連れての初正月となった。それにもかかわらず、今年は残念ながら、あと二人の子どもはそれぞれ、海外と離島に住んでいて、集えなかった。もし全員揃えば、孫もふくめて20人という大所帯になるが、全部で10人と例年の半分程度の集まりとなった。

 振り返ってみれば、一人っ子として育った私は、正月が一番寂しかった。誰も遊び友達が来ないし、それぞれ各家で畏まって新年を迎えていて、隣の家にはそう簡単には近寄れないような雰囲気があった。百人一首、トランプ、かるた取り、果てはマージャンと盛りだくさんの遊びが控えているのだが、一人では面白くないからである。まだテレビも茶の間を席巻しない頃の幼き頃の思い出である。

 長じて、結婚して所帯を持ってからは、キリスト者としてスタートし、お正月と言っても、年末年始にかけ、みことばに親しむのが中心で、かつては教会で、今は長野県の御代田にまで出かけ、信徒同士で聖書のみことばを互いに分かち合うのが習慣になっている。家に帰って家族だけで持つイベントで特段何かをするわけではない。会食し、互いに語り合い、いつの頃からかはその席を利用し、孫にお年玉をプレゼントするのが唯一の楽しみとなった。

 たとえどんなに仏頂面をしていても、「お年玉」と言えば皆、集まってくるし、顔は自然とほころぶのが常であり、それを見るのが私たち夫婦の喜びであった。ところが今年は一番上の孫が高校進学を目前とするまで成長する年頃となった。

 そして、ふと一つのブログの記事を思い出した。6年前のその孫たちとの交流を描いた記事(https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2012/06/blog-post.html)をプリントアウトし、他にも別の書き物をプリントアウトして、お年玉に添えて渡した。成長を感謝すると同時に、何とか孫家族にもイエス様のご存在を知って、まことの平安をいただいて欲しい思いがあったからであった。

 ところが、何と、その孫の家族は何を思ったのか、二組の大どんぶりと大皿を新年早々、家族の初顔合わせに際し、我が家に持ち込んできたのだ。そのどんぶりと皿こそまさに私が6年前にそのエッセーで話題にしている「うどんや」さんからいただいたものであるという。「うどんや」さんは長年開いておられたお店を昨年静かに閉じられて、その孫家族が気に入られ、様々なものを譲ってくださったそうである。それを私たちにもおすそ分けに持ってきてくれたのだ。こうして期せずして、それぞれ別々に思い描いていた試みが、物の見事に一致したのだ。

 孫の高校進学に関して言えば、私にはさらに遡ること、今から27年前のほろ苦い思い出がある。孫の父である我が息子の高校進学に際しての様々な思いである。孫はすっかり成長し、その両親も27年前の私たち夫婦とくらべると落ち着いてその進学に備えているように見えた。でも内実では、外見ではうかがい知れない心配事・苦労があると思う。願わくば、孫の希望と、進学希望先の高校との思いが、それこそかのどんぶりと皿が何の前触れもなしに我が家に持ち込まれた時のように双方の思いがピタリと一致するように望む。昨年のお正月に、この孫にお年玉に添えて贈ったみことばを再度記しておく。

人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまには倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。(詩篇37・23〜24)