2012年2月29日水曜日

みことばのプレゼント

日本は雪。しかし、この二羽のひよどり、果敢にも我が庭に姿を見せる。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」昔、よく聞かされた「君の名は」の名台詞である。恐らく振り返りたくない戦時の思い出を封殺したいという国民感情とマッチしてこの台詞は巷に流れ出て行ったのではないかと思う。過去あっての現在だから、忘れ去ろうにも忘れられない。忘れるふりをするだけであると言う悲しさか。

 生きんがために、忘れてしまっていることがたくさんある。しかし人様から受けた恩を忘れる忘恩の罪は犯したくないものである。ふと今朝思い出したのは一人の宣教師から受けた40年以上前の恩義である。当時、私はむち打ち症の後遺症に悩まされていた。牧師夫人の紹介でその知り合いの方からカイロプラクティックの治療を行なっているというカナダの老婦人を紹介された。東京の保谷市にお住まいであった。今となってはその方のお宅にどのようにして出かけて行ったかも記憶が定かではない。ただそのお方のお部屋だけは良く覚えている。

 弟さんとか言う方と一緒に住んでおられ、私が治療に伺ったときは音楽(多分賛美歌だったのだろう)を流しながら弟さんがハミングされる。合間合間に、その婦人と弟さんの間で会話がなされる。こちらは首を初めとしてボキボキ乱暴とも言える治療に息をこらして台の上にただ静かに身を横たえ、委ねるしかなかった。(お二人とも英語しか話されなかった)それまでの安静治療が功を奏しないので、選択した治療だが全く逆療法であった。三四回通ったのだろうか。私は当時足利に住んでいたのでかなりの距離だった。

 そんなある時、台の上に寝かせられながら私は思い切って日頃抱えている問題を彼女にぶっつけ、信仰を持つのにはどうすれば良いのかを聞こうとしたが、もとよりうまく話せない、結局あなたが私に勧めたい聖書のことばは何ですか、と尋ねた。ところが彼女はこの哀れな私に向かって「Nehemiah chapter8 verse10」と甲高い声で宣った。恐らくその節を英語で話してくれたのだが、すぐわからなかった。当時、ネヘミヤ記という書が聖書にあることも知らなかった。恐る恐る日本語の聖書を調べて見ると「主を喜ぶことがあなたがたの力である」とあった。

 その時、それまで主はどういう方か、ほんとうに神は存在するのであろうかとただひたすら論証を求めていたのに、この聖書のことばは有無を言わせず私を神様の前にポンと押し出すみことばとなった。瞬時に了解した。無い物ねだりをしていた自分に気づかされたからである。そうだ、主を喜ぶことが大切なのだ。わかろうと一所懸命お前はしているが、今の知り方で十分だよ、それよりは、お前はわたしを愛することだよ、と主から語られているように感じたからである。優柔不断であった自分が一歩神様の前に自分を差し出すことを始めた記念すべきみことばとなった。

 忘れていることがある。自分は神様の前でごう慢極まりなかった。その私の救いのために多くの方が祈ってくださった。今改めてお一人お一人に感謝したい気持ちである。その後どうされたかも知る由もない、その老婦人はベイカーさんと言う方だった。恐らく今頃は天国に行っておられることであろう。天国に行ったらその方にお礼を言いたい。昨日も保谷市とは同じ界隈の吉祥寺に出かけた。40年以上前に出会ったベイ カーさん宅の前に立ってみたいと思いはするのだがどのあたりかもわからない。けれども彼女が私にプレゼントしてくれたみことばは永遠に輝いている。

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(旧約聖書 詩篇119:105)

2012年2月28日火曜日

勝利ある生活

 当時、私はアジアに出かけるばかりになっている真剣な若い宣教師の新参者だった。二人の他の友達と一緒にウォッチマンと宣教団財政から黙示録にいたるまでのすべてのことについての長時間にわたる貴重な会話を楽しんだ。彼はいかなる時も確立された宣教事業から離れるべきだとか参加するべきでないとかはほのめかしさえしなかった(Never at any time did he so much as hint that I should leave, or not join, an established missionary enterprise.)。彼が外国文化に入る主の仕え人としての私にしてくれた最上の助言は、たとえて言うなら、宣教地の最初の10年間はイギリス人の仮免許者のL字プレートの一つを身につけるということだった。(実は最初使用中のL字プレートを見た時それらは大層彼を喜ばせたのだった)やがてキリスト者にとって彼が示唆した10年間はいつまでも伝えられるべきことだと感じるようになった。
 
 ちょうどそのころはヨーロッパではミュンヘン危機を経験している頃だった。イギリスの外国人賓客としてウオッチマンは私たちがシェルターを掘り進めたり、ガスマスクを分配することに躍起になっている様をよく見ていた。当時はネヴイル・チェンバレンの「宥和政策」に対する感情的な信頼が高潮している時だった。彼は直接には巻き込まれていないので、 彼に言わせると、正しい種類の分離、別の面ではキリスト者がまさしくこの世では異邦人や寄留者のように感ずるようなことを経験していた。
 
  しかし私的なことでは彼には悲しみがあった。ほぼこの頃、香港から子どもの出産が今かと待ち望んでいたチャリティーが流産したという知らせが彼の所に届いた。妻からの手紙が来た時、手紙にはしっかりしたものがあった。けれども彼は妻が地球の反対側にいる自分にどんなに深い打撃を与えているかを感じたに違いないと知った。彼は彼女を励ますためにあらん限りの最善を尽くして手紙を書いた。実際、彼女が旅行しても良い条件が整うや否や、彼の母は彼女を連れて、ハノイを経由して昆明(クンミン)に至り、雲南省の避難している信者を訪問する大旅行を敢行した。チャリティーは実のところ二度と子どもをみごもることがなかった。したがってニー夫妻には子どもがいなかった。
 
 10月にはコペンハーゲンのフジョード・クリステンセン牧師の招待でウオッチマンはヘルシンゲン(『ハムレット』の舞台であるエルシノア)の国際学校での集会のためにデンマークに行った。そこで彼は『キリスト者の標準』と銘打ってローマ人への手紙5章から8章までの一連の10の説教をした。これらはのちに同じテーマで他のものを補足してその名前の本となった。ウオッチマンにとっては『勝利ある生活』は敗北している人によって本当のキリスト者の生き方を求める余りにもよく使い慣れた希望を意味する用語だった。「勝利※」している人々は、彼が論じたように、神の目から見る標準的なキリスト者であり、それ以外は標準以下である。オーデンスに移動するや、ウオッチマンはエペソ人への手紙の「座す、歩む、立つ」の鍵になることばで注目する話をした。彼がデンマーク人の間でかなりたくさんの人が持っているように、大変な霊の解放を発見したことは明白なようである。(It seems clear that he found, as have so many, much release of his spirit while among the Danes.)

(『Against the tide』by Angus Kinnear151〜152頁より。英文を併記したところは特に誤訳の恐れのあるところ。)

なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。(新約聖書 1ヨハネ5:4)

2012年2月27日月曜日

Honor Oakでの交わり(1937年)

 ウオッチマンは次にロンドンとオナー・オウク・ロードのキリスト者交流センターへ出かけた。そこでは以前彼が一人で訪ねた時、開かれた交わりにつき論争を激しく引き起こしたところだった。すぐに彼はオースティン・スパークス氏や教会のほかの責任ある人たちと打ち解けることができた。彼はここを 一時的な本部にした。現著者がいくつかの忘れられない週を彼と過ごしたのもここだった。

 オナー・オウクの教会は主の民に広く開放されており、明確な宣教ビジョンを備えていたが、キリスト者生活における十字架の主観的な働きを強調するところもあった※⑴。そのような働きは、福音伝道の時節にあっては幾分消極的とみなされ、活動的なクリスチャンの証を余りにも「より高いことがら」をもつ受け身的な働きに転換しがちなものとして受けとめられていた。 それに加えて、オナー・オウクはニー自身のように、生活や証がより原初的な、あるいは「霊的」な模範を追求していて、歴史的な宣教からは逸脱する宣教師の吹きだまりになっていると非難されていた。このようにしてウオッチマンは再度、福音伝道の主流からはわずかにはずれた流れに身を投ずる道を選んだ。

 結果として短い間、彼との交わりを独り占めしてそれを楽しんだ私たちのそれぞれは、聖職者たちとともに、彼の体験を知り非常に豊かな思いにさせられた。彼は大層気楽に話し かけ、その東洋的な文化の背景によって私たちのキリストにある共通の遺産について大変刺激的な議論を引き起こすのだった。彼が公の席上で話す時、朝の祈り会であろうとも教会の集会の説教であろうとも、彼の英語力の素晴らしさは彼の仕草の魅力ぶりと相まって耳を傾ける者を喜ばせた。しかし私たちを勝ち得たのは彼の説教の中身そのものであった。彼は多言を要せずして、私たちにキリスト者の生活の幾つかの問題点を直裁に伝えた。それは長い間私たちを悩ませていたり、あるいは私たちが避けていた神様がいくつか要求されていることに改めて直面させるものだった。というのは、私たちキリスト者は余りにも多くの問題点に優っているからだ。まさしく彼が魅力的に「dotching the itchue」※⑵と指摘したとおりであった。また彼は中国の思想家の偉大な関心事を彼の選んだ用語で示し、しばしば私たちの陳腐化した福音的な言い回しに新しい意味をもたらすのであった。

 さらに彼は私たちの本質を洞察することができた、もちろん、洞察は信仰深いものであった。これは彼の目的はつねに彼が愛したキリストをほめあげることにあったからである。私たちの所に来て一ヶ月も経たないうちに、巧みではあるが明らかな関心を示して、私たちの危険な点、すなわち霊的な高慢を正しくも言い当てたのだ。神様は彼にすでに体験から示されていたことだった。彼は私たちに、やさしく語りかけ、「さばいてはいけません。さばかれないためです」は「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます」※⑶と同じ確かな神の原則であると語った。30年経っても、彼が私たちに話した記録は、ぼろぼろになったノートから躍り出て来て新鮮で驚くべき妥当性を示すように思われる。


(『Against the tide by Angus Kinner』の第12章Rethinking再考〈150〜151頁〉より訳す。※⑴については作品の欄外に下記に示す、みことばが示されていた。※⑵は恐らくウオッチマンの中国なまりの英語をそのまま現わしたものであろう。仮に「ditching the itches」とするなら「うずうずしている心を捨てる」とも訳せるようにも思えるが、わからない。※⑶はマタイ7:1、ルカ6:38である。いきなりWatchmanの伝記についての作品を一昨日から紹介することになったが、できるだけ紹介し続けたい。)

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(新約聖書 2コリント4:7)

2012年2月26日日曜日

ああ、何たる主の恵み!

「ヨナ、大魚の腹から吐き出される」 ギュスターヴ・ドレ絵
救いは主にある。(旧約聖書 ヨナ2:9)

 救いは神のみわざである。「罪過と罪とによって死んでいた」魂を生かし、その霊のいのちを守られるのは彼のみである。彼は「アルファであり、オメガ」であられる。「救いは主にある。」

 もし私が祈り深いなら、それは神が私を祈り深くされたのである。もし私に徳があるなら、それは神の賜物である。もし私が調和ある生活をしているなら、それは神がその御手で私を支えておられるからである。神が私を守るために先手を打たれるのであって、私はなんの努力もしたのでもない。私が持っているものはすべて、私の善いものはすべて、主からきたものである。私の犯す罪は私のものであるが、私のなす正しい行ないはことごとく主から来たものである。もし私が霊の敵を撃退したなら、主が私の腕を力づけられたからである。私が人々の前で聖い生活をいとなんだとすれば、それは私ではなく、私のうちに住まれるキリストである。

 私はきよめられているか。私をきよめたのは私自身ではなく、神の御霊が私をきよめられたのである。私は世的なものから離れているか。私は私のためにおもんぱかられる神のこらしめによって世から離されている。私は知識において成長したか。それは大教師が私を教えられたからである。

 私の宝石はすべての天の技術によってみがかれたものである。私に欠けているものは、すべて神の中にある。しかし私の中にあるものは罪とわざわいだけである。「彼こそはわが岩、わが救い」である。

 私は神の御言葉を食べて成長しているか。御言葉を私の魂の食物とし、私がそれを食べることができるようにしてくださるのは神である。私は天から降るマナによって生きているか。そのマナは受肉されたイエス・キリストであって、私はそのからだを食べ、その血を飲んでいるではないか。

 私は不断に新しい力を受けているか。その力はどこから来るか。私の助けは天の丘より来るのであり、イエスなしに私は何もすることができない。枝が幹につらなっていなければ実を結ぶことができないように、私も主につながっていなければ何もできないのである。

 ヨナが海底で学んだことを、今朝は私の密室において学びたい。それは「救いは主にある」ということである。

(『朝ごとに夕ごとに』スポルジョン著2月26日より引用)

2012年2月25日土曜日

主を愛しなさい

久しぶりに鳥の写真を撮影。雨中今日庭木にやって来たひよどり。

 戦火を逃れてニーの両親と過ごすために(妻である)チャリティーを香港にまで連れて来てのち、夫妻はアンカーラインの船客となった。7月※イギリスに着くとすぐニーはオースティン・スパークス氏に会いにキルクレガンにまで行った。今まで二人は文通によって知り合っていた間柄に過ぎなかったが、ウオッチマンはオースティンの霊想誌「主の証人と証言」の熱心な読者であった。二人はお互いがすぐに同じ立場にあることを了解した。

 彼らはカンバーランドのケズイックで行なわれている「霊的生活の深化」の年会に参加するために一緒に出かけた。そこにはC.I.M(中国奥地 伝道団)の婦人たちも参加していた。ウオッチマンはC.I.Mの総括責任者であるW.H.アルディス師が主宰する大宣教会議に出席した。そのとき彼は演壇で日本から来た講演者と一緒に座るはめになったので、誰の心にも中国の戦時の争乱がよみがえっていた。

 彼の順番が回って来た時、彼は会合をリードし極東のための仲裁をはかった、言うならば30年代に戻ることが啓示であるということだった。そしてそこに出席した者で今もって忘れられない彼の祈りがなされた。

「主は支配者であられます。私たちはそのことをはっきり認める者です。私たちの主イエス・キリストが統治者であらせられます。主はすべての者の主であらせられます。何ものも主の権威に手を触れることができません。中国と日本に対する主の関心を破壊する霊的な諸力があります。だから私たちは中国のために祈りません。また日本のためにも祈りません。しかし、私たちは中国と日本に対する御子の愛のために祈ります。私たちは誰をも咎めだてしません。なぜならそれらの人々はあなたの敵の道具に過ぎないからです。私たちはあなたのご意志に堅く立つ者です。ああ、主よ、暗黒の力を踏み砕いてください。あなたの教会の迫害は今あなたご自身を傷つけていることなのですから。アーメン」

 ケズイックにいる間、彼は宣教師志願者に向かって「宣教師の必要条件」とかローマ人の書簡から「救いのための主の働き;私たちのいのちにとっての主ご自身」という題で話した。もっとも意義深いことは週末に修養会の広範囲の人を結びつける聖餐式に「すべてはキリスト・イエスにあって一つ」という標語のもとで参加したことである。このようにしてウオッチマン・ニーと彼の中国の同労者は三年早くすでに公にその立場を鮮明にしていた。

(昨日の引用箇所の訳を試みた。Against the tide by Angus Kinder 149頁。誤訳があるかも知れません。祈りについては昨日のものに英語本文がありますからご確認ください。※1937年7月。)

バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(新約聖書 ガラテヤ3:27〜28)

2012年2月24日金曜日

主の愛はすべての罪を覆い、すべてを愛する

わたしがこの手紙を書いたのは、わたしたちがどんなに上海の兄弟姉妹たちのことを祈っているかをあなたがたに知らせるためです! あなたがたのことは、ずっとわたしの心と思いの中にあります! わたしはまだあなたがたに手紙を書いていませんが、あなたがたのことを忘れたことはありません。いつもあなたがたのことを思っています。

 この手紙によってわたしの愛と祈りがあなたがたに届きますように。主はあなたがたの命であり、彼はご自身の翼の陰にあなたがたを守り、あらゆることであなたがたを勝利させてくださいます。詩篇九一篇は、まことにあなたがたのために書かれたものです! そうではないでしょうか? 

 わたしは今、スコットランドで行なわれている同労者の集会に出席しています。出席者の多くは、各国から来た主のしもべたちです。聖霊はスパークス氏を通して深いメッセージを多く解き放ってくださいました。あなたがたもそれらを聞くことができることを、わたしは願っています! わたしたちは、ニー氏が九月の初めまでにここに着くことを願っています。彼にロンドンでお会いして、わたしの家に泊まっていただけたらと思っています。

 この手紙で聖徒たち一人一人の名を挙げてあいさつすることはできませんが、あなたがた一人一人みな、主にあって最も大切な存在です。わたしたちみなが愛している主の御名の中で、あなたがたにあいさつを送ります。わたしたちはみな、彼の中で同じ命にあずかっています! この手紙は、キリストのからだの中にある一をあなたがたに示すものです。あなたがたは中国におり、わたしは英国にいますが、わたしたちの霊の命は、キリストの中でわたしたちを一つにします。

 どうか主があなたがたを祝福し、守ってくださいますように。また、主がご自身の光をあなたがたの上に今も、またいつまでも輝かせてくださいますように! 愛する李姉妹、また彼女と一緒に滞在している姉妹たちに、特によろしくお伝えください。主にある兄弟たちによろしくお伝えください!

            主にあるあなたがたの姉妹  頼恩喜

(ウオッチマン・ニー全集の『開かれた門』の79頁に納められていた一人の中国人女性が英国から上海の姉妹に宛てた手紙である。1938年の1月に掲載されているので前年のことだと思うがスパークス氏とウオッチマン・ニー氏が出会った時のようだ。その時のスパークス氏のメッセージを知りたいが、現在のところ私にはわからない。ほぼ同時期の頃のことを記しているAgainst the tide by Angus Kinnerを調べて見ると、このときケズイックに参加もしたようだ。その中にニー氏の祈りが書いてある。英文だが感銘深いのでこの機会に写しておく。" The Lord reigns: we affirm it boldly. Our Lord Jesus Christ is reigning, and He is Lord of all; nothing can touch His authority. It is spiritual forces that are out to destroy His interests in China and Japan. Therefore we do not pray for China, we do not pray for Japan, but we pray for the interests of Thy Son in China and Japan. We do not blame any men, for they are only tools in the hand of Thine enemy. We stand for Thy will. Shatter, O Lord, the kingdom of darkness, for the persecutions of Thy Church are wounding Thee. Amen." Against the tide149頁から引用)

あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。(新約聖書 1ペテロ1:22)

2012年2月23日木曜日

黄昏時の生き方

 知人に乞われるまま、昨日は同行者三人の方と一緒に三人の方を特別養護老人ホームにお訪ねした。いずれも初対面の方ばかりであったが、皆さんに聖書のことばを読んで差し上げたり、賛美したりして自由で豊かな語らいの時を持たせていただいた。

 Aさんは大正四年生まれで97歳の方であったが、ベッドに半身を起こして丁寧にお話してくださった。過去のことだけでなく、今のこと、家族のこと、孫の名前をあげて一人一人の現在の状態を掌握されており、母親としての心配りは現役そのままであった。聖書を読んでお祈りしましょうと申し上げると、私の右半分にはお釈迦様が、左半分にはイエス様がおられるので何不自由もありませんという意味のことを言われる。少し面食らったが、祈り心をもって詩篇やヨハネの福音書から数カ所読んで差し上げた。お祈りするとき、もっと大きな声で、とおっしゃるので、すると今まで私がお話ししたことも余り聞こえていなかったのだと初めて知る。けれどもそのころはお互いに心と心は通い合い、私が祈り終わったらアーメンと大きな声で言ってくださった。そして「あなたは(祈りの中で)私に二人の息子が与えられたと言われたのですが、もう一人、娘がいるのですけどね」と優しく諭してくださった。お聞きしていて女性として最高の教育を受けられ、情操豊かに人生を送られ、今なお生への意欲が満々と体中にみなぎっているお方のようにお見受けした。

 次にBさんにお会いした。 この方は遠く青森出身の方のようで、たまたま同行した人の中に青森出身の方がおられ、お互いに話が弾んだ。この方にもイエス様をお伝えしようとしたら、この方は「私は心が汚れているから、駄目だ」と言われる。話を聞いてみると、自分は(新興)宗教があってそれを捨てられないのだ、という意味のことを言われる。 その方にお贈りした色紙にはマタイ11:28の有名なおことばが絵にあわせて書かれていたので、その意味をお話ししたがウンウンと頷かれて聞いて下さった。

 最後にお訪ねしたCさんは昭和2年生まれだが、半身がご不自由のようで片側からしかお話しできなく壁際に身を滑り込ませてのお交わりになった。お話をお聞きすると、私が最後に奉職させていただいた高校の戦前の卒業生の方だった。その高校には一年しかいないし、講師の身であったのでとても大いばりでその関わりを云々出来ないが、それでも不思議な出会いでその方も大変喜んでくださった。その方はどういう具合か、女学校時代のことだろ うか、福音に触れられていたようだ。賛美をして差し上げようとしたら、ご自分でリクエストを出された。それは聖歌472番の「人生の海のあらしに」※であった。ほとんど諳んじておられ、この方の人生に主は深く関わって来られたことを感じ取れた。そんなこの方も戦後のある時期から「生長の家」に入ってキリスト教からは離れた旨話された。お聞きするうちに、小児まひのお体で苦労してお母さんに育てられ、そのお母さんから、いつもこんな体で生んで悪かったと言われるのがつらかった、お母さんのせいではないのにねーと言われる。主なる神様は決して無意味に病気を与えられるのではないことをお話しし、詩篇139:1〜 18までを読み、一緒にお祈りした。そして祈りのさなかに何度も頷かれるかのようにアーメン(主よ、そのとおりです)と言われる。三人のうちでは一番体はご不自由のようであったが、「霊」は一挙に主とともに駆け上がった様子であった。

 こうして一日経ち、昨日の三人の方との出会いを思うとき、黄昏時の人生の過ごし方、孤独な老後の姿を思わされる。昨年12月18日にも滋賀県の能登川の方と姫路の方とそれぞれ同じ一日のうちに主のみことばを伝え、主イエスを信ずる者は永遠のいのちを与えられることをお話し、お祈りしたことがあった。ところがここ数日それぞれの方がお亡くなりになったことをお聞きした。私自身もいずれひとりで召される時が来る。その時に一体何をもって主イエス様にお会いできるのだろうか。黄昏時のお一人お一人の生き様は私にあなたはどうなのですかと問われた思いがする。

※聖歌472番の歌詞
人生の海の嵐にもまれきしこの身も、
不思議なる神の手によりいのちびろいしぬ。
いと静けき港に着き、我は今、休(やす)ろう。
救い主イエスの手にある身はいとも安し。

あなたはあなたの神に会う備えをせよ。(旧約聖書 アモス4:12)

2012年2月22日水曜日

主のみこころは永遠の神から来る

以下に示すのは、1938年(昭和13年)ごろ生きていた中国人キリスト者の手紙の末尾の挨拶とそのころ語られたメッセージが文章化され出版されようとしていた書物の序文の抜粋である。

 1、 広東省スワトウの陳則信氏の手紙

 今、多くの地域が、わたしたちに来て働くよう招待しています。機会には事欠きませんが、わたしたちはその機会をつかみ取るだけの霊的な内容と力を持っていません。戦況が変わらなければ、もっと多くの地域に行きたいと心から願っています。わたしはまた、主が潮州と梅県の一帯でご自身の証を立ててくださることを望んでいます。陳文光兄弟はのどに病があり、休暇を取って静養するために家に戻りました。人間的な見方をすれば、この地域は責任を負うことのできる兄弟を一時的に失ったかのようです。しかし、主にはいつも良きみこころがあります。エリヤは、自分はイスラエルの預言者の中でただ一人生き残った者であると思いましたが、神にはまだ七千人が残されており、そのうちの一人がエリシャでした。ですから、エリヤがいつ携え上げられるのかとわたしたちが心配する必要はありません。わたしたちが恐れる唯一のことは、エリシャが興されないことです。ここの兄弟姉妹たちはみな無事です。あらゆることは平常どおりであり、それゆえ慰められています。平安がありますように!   あなたの兄弟 則信
1月7日

 2、ウオッチマン・ニー氏の書物の序文

 神は、人の想像や人の思いには何も任せておられません。人は思慮の浅いしもべを使うことを恐れますが、神は、過度に思慮の深いしもべを使うことを求められません。神が人に要求されるすべては、単純な服従です。パウロは、「だれが彼(主)の参謀になったのでしょうか?」と問いました(ローマ11:34)。人は地位に着くことを喜びますが、神は参謀を必要とされません。神聖な働きがどのようになされるかについて、自分が思うことを提案することは、わたしたちの立場にありません。しかし、わたしたちはすべてのことにおいて、「主のみこころは何でしょうか?」と尋ねるのです。

 パリサイ人は、皿の外側は清めましたが、内側は汚れで満ちたままでした。わたしたちの主は、パリサイ人が外側の事柄を非常に重んじたのに、内側の事柄を軽んじたことをしっ責されました。ですから、神の民の多くは主のしっ責から、わたしたちが霊的真理の内側の面を強調しさえすればそれで良いと結論づけます。しかし、神は、内側と外側の両方の清さを要求されます。内側のものなしに外側のものを持つことは、霊的な死です。しかし、外側のものなしに内側のものを持つことは、霊的にされた命にすぎません。

 そして霊的にされることは、霊性ではありません。わたしたちの主は言われました、「これこそ行なうべきことである。もちろん、ささげ物もなおざりにすべきではない」(マタイ23:23)神聖な命令がどれほど無意味に思われようとも、それは神のみこころの表現です。ですから、わたしたちは決してそれを軽々しく取り扱ったりしません。わたしたちは、彼の最も小さい命令を軽んじてそれで良しとすることはできません。彼の要求の重要性は異なるかもしれませんが、神から出て来たすべてのものには、永遠の目的と永遠の価値があります。もちろん、礼拝の外面的な形式を単に順守することには、何の霊的価値もありません。

 霊的な真理のすべては、内側の命に関することであれ外側の命に関することであれ、正しく認められるべきです。すべて神から出て来たことは、外面のことであれ内面のことであれ、それが霊の中にあるなら命です。それが文字の中にあるなら死です。ですから、問題は、それが外面のことであるか内面のことであるかではなく、それが霊の中にあるか文字の中にあるかです。「文字は人を殺しますが、その霊は人に命を与える」(2コリント3:6)。

 わたしたちの願いは、神のすべての御言葉を受け入れ、それを言い表すことです。わたしたちは、パウロとともに次のように言えることを切望します、「わたしは、あなたがたすべてに神のみこころを、しりごみすることなく言い表したからです」(使徒20:27)わたしたちは、神の霊の導きに従うことを求めます。しかし、それと同時に、神の御言葉の中で示されている模範に注意を払うことも求めます。

 その霊の導きは尊いものです。しかし、もし御言葉の模範がなければ、容易にわたしたちの誤りやすい思いと根拠のない感覚がその霊の導きに置き換わってしまい、そして誤りへと陥り、しかもそれに気づかないのです。もし人があらゆる面において神のみこころに服従するよう備えられていないなら、容易に神の御言葉に反する事柄を行なってしまい、それでも自分は神の霊から導きを受けていると思ってしまうのです。わたしたちは、その霊の導きと御言葉の模範の両方に従う必要があることを強調します。なぜなら、わたしたちの方法を書かれた御言葉と比較することによって、わたしたちは自分の導きの源を見いだすことができるからです。その霊の導きは、常に聖書と一致します。

 神は使徒行伝においてある方法で人を導き、今日は別な方法で人を導くということはあり得ません。外面的な事柄においては、導きは多岐にわたるかもしれません。しかし、原則においては、それは常に同じです。なぜなら、神の御心は永遠であり、それゆえ変わることがないからです。神は永遠の神です。神は時間を認められません。そして、神のみこころと方法はすべて、永遠のしるしを帯びています。こうであるので、神は、ある時はある方法で行動し、後になって別の方法で行動するということは、決してあり得ません。状況や実情は異なるかもしれませんが、原則においては、神のみこころと方法は、使徒行伝の時代と今日も全く同じなのです。

(手紙は『開かれた門』101〜102頁『正常なキリスト者の召会生活』17〜19頁からそれぞれ抜粋引用)

神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。(新約聖書 2コリント1:20)

2012年2月21日火曜日

賢い娘と愚かな娘

 私は主イエス様を信じている。これほど単純な信仰はないのではないだろうか。もちろん最初からそうであったわけではない。人並みに一通りの疑問を持ったし、反撥もあった。しかし、今は己がうちにこのイエス様を信ずることが一点の曇りなき状態であるかどうかを吟味するように変えられつつある。今日の吉祥寺での火曜のベックさんの聖書の学びにおいて、さらにその思いを強くされた。

 今から75年前、1937年、日本軍の侵攻を受けていた中国人キリスト者が、戦争をも主イエス様から受けていて、平安のうちに主だけに喜ばれる生き方をしながら、主イエス様を宣べ伝える生活を続けたその一端を知ることの出来る手紙に接した。先ずはその手紙を写してみたい。(福建省の女性が別の女性に宛てた 手紙の一文の断片ではあるが・・・)

 (節敦が先にやって来て、集会を導きました。)わたしは婦人の出席者たちを、少しばかり助けました。××以外は、すべての人が歓迎してくれました。彼らがどれほど真理を慕い、わたしたちのような人を敬っているかを、わたしは見ました。しかし、わたしは主に、自分が何もできないことを告げました。わたしにできることはただ、わたし自身を主の御手にささげ、主に自分自身を砕いていただくことです。それは、他の人が供給を得るためです。主に感謝します。この働きは主の働きであることを、主はわたしに見せてくださいました。成果がある時にも興奮すべきではなく、成果がない時にも意気消沈すべきではありません。人はただ主の命令にしたがって、一歩一歩進んで行くべきです。主に感謝します。主はわたしを導いてくださり、この寄留者の生活を過ごさせてくださいます。どうか主が真にわたしを、彼と共にこの世を旅する者にしてくださいますように。※

 一読、爽やかな印象を抱いた。ここには主だけが満たしてくださる、天の御国を目指す信仰者の姿が彷彿としているからである。ここには戦火の匂いさえ感ぜられない。実際は戦火はもうその衣服に燃え移っているかもしれないというのに。

 この一文は今日のベックさんの学びを聞く前に読んでいたものである。しかし、ベックさんの聖書からの勧め、『用意ができているの』(引用聖句マタイ 25:1〜13)で言わんとされていることは結局同じことではないかとさえ思ったのだ。学びの後、一人の方が証をしてくださった。その方が最後の方で引用してくださった聖書のことばに次のものがあった。

しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。(旧約聖書 詩篇73:28)

 その方にとって、自らの意に反して病を得、それがために福音を伝えることがままならぬものとなった時に悩みが生じたが、そのことも自分でどうすることもできるものではない。それよりも、生かされているところで主を今まで以上に近よることのできた幸いを感謝したいという意味のことを言われた。

 聖書中の賢い娘はいつも主を間近に体験していた人であった。それにくらべ愚かな娘は信仰とは言うものの、形だけのうわべだけのものであった。主の日にはそれが明らかにされるとベックさんは言われた。手紙に示されている、つねに主にあって行動している中国の婦人キリスト者はまさしく賢い娘である。

 そう言えば、集会の後、お交わりをいただいた一人の若き女性もまた悩みの中から素直に主イエス様を求めたいという思いに交わりを通して変えられていくことが伝わって来た。主はこの日も必要な訓練と祝福を用意してくださっていた。
(※ウオッチマン・ニー全集第二期第32巻「開かれた門」34頁より引用)

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。(新約聖書 マタ イ25:1〜4)

2012年2月20日月曜日

依怙地になるな

春近し 雀さえずる 桜の木 烏一羽の 孤塁守りて(今日の古利根川)
イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。(新約聖書 マタイ26:23)

 それぞれにパンをつかんだ二本の手が、両方から伸びて来て、それをスープの鉢に同時に浸しました。それはイエスの手と、イスカリオテ・ユダの手です。この事件は、主の死の前夜の食卓で起こりました。

 ふたつの手が出会います。その瞬間、恐るべきことが起こりました。ユダの中で、長いひとつの歴史が終わったのです。イエスとの交わりを絶ち、主への裏切りを最後的に決定しました。そうしてイエスはこの瞬間、ユダを滅びるにまかせたまいました。

 この点をはっきりさせることは重要です。ユダについて問題とされることは、ひとりの神なき人間ではありません。逆です。ユダはクリスチャンだったのです。何年もの間、彼は、彼はイエスと旅をしました。恵まれた輝いた時を、幾たびも経験しました。どこから見ても、彼はまさしくクリスチャンでした。

 その彼を、イエスは滅びるにまかされました。主はついに彼をあきらめました。痛みに満ちて主は仰せになります。「そういう人は生まれなかったほうがよかった」と。ユダには、長い間、罪と戯れる日々があったのでしょう。そしておそらく、イエスはこのたましいのために心を用いられたことでしょう。なぜなら、我らの主、救い主がそんなに簡単に人を見捨てたもうはずがないからです。しかし、ユダの場合には、ついにそのようになってしまいました。救い主をまじめに受け入れようとしないクリスチャンがいるなら、このことをよく心に留めるべきです。

 ここでひとりの人に起こったことが、エルサレムの人々の間で大規模に起こりました。何年もの間、イエスは叫び続け、彼らを得ようとしてこられました。聞こうと思えば、聞くことはできました。避けることも、抵抗することも、もちろんできました。彼らの心には、多くの戦い、ためらいがありました。が、突然、決断の時が訪れました。そうして、イエスを拒んだのです——「十字架につけよ」と叫んで。

 主よ! あなたのみもとに帰らせてください。 
                    アーメン

(『365日の主』ヴィルヘルム・ブッシュ著岸本綋訳1976年刊行2月20日より引用)

2012年2月19日日曜日

『聖戦』第3章 霊王と王子との活動

[革命の報せが霊王の宮廷に届けられた—霊王の謀反に対する大きな怒り—人霊を回復せんとする恩寵ある企て—これをほのめかすいくつかのものが公告される—魔王の人霊を抑圧するための苦慮—魔王の市(まち)を保持し霊王の手に戻さないための策略]

 この報告者はひそかにこれを告げたのではない。霊王と王子、諸候将軍貴族の列席せる大広間で物語ったのだ。満座その物語をすっかり聴いて愕然色を失った。 有名なる人霊の占領を痛み悔い恨むのであった。ただ霊王と王子とは久しき以前からこれを先見していられた。誰にも言ったことはないが、ひそかに人霊回復の 準備がしてあった。霊王と王子はもちろん人霊を失ったことを非常に嘆かれた。霊王は心から悲しいと明らかに言われた。王子も同様に悲しまれた。そのいかに 有名な人霊市を愛しこれを憐れんでいられたかは満座の認むるところとなった。

 霊王と王子はその居間に戻られてから、かつて計画しておいたことを再び相談された。それは人霊が一度失われても、確かにまた回復されるというのだ。その回復によって霊王と王子は永遠の名声と栄光とを獲られるのである。この相談で王子は父と手打ちして、父の決心に同意し、自ら人霊回復の任にあたって悔いざることを約束した。(王子は快活な優美な人柄であって、悩みある者に大いなる愛情を持っていた。魔王に対しては心からこれを憎んでおられたが、それは魔王がその冠と権威とを獲ようと企てたからである)。相談の結果はこうすることになった。すなわちある時を定めて、王子が宇宙のその国に旅行して、正義と公平の途によって、愚かなる人霊を矯正する。そして魔王の圧制から人霊を完く救済する土台を置くというにあった。

 加うるに王子イムマヌエルは好い時を見計らって巨人魔王が人霊市を占領している間にこれと一戦せんことを決心された。そして立派に兵力によって魔王の城砦からまたその巣窟からこれを追い出して人霊をおのが求むる住居にしようとされた。※1

 かような決心をされたので、秘書官長に命令を発して決議の条々を立派に記して、これを宇宙の王国の隅々までも公にさせられた。その文意は次のようである。※2

「衆人をして知らしめよ。大いなる王子はその父と盟約して人霊の回復をなすべきことを。人霊はその無双の愛の力によって、魔王に占領されし前よりも遥かに善き幸福なる状態に置かるべきことを」

 この公告は諸方に発せられたので、暴君たる魔王は少なからず頭を悩ました。彼は心に想った。
「困ったことである。我が住居はいつか奪われるであろう。」

 英文サイトには上述の※1の欄外にはBy the Holy Ghost(聖霊による)、※2の欄外にはThe Holy Scriptures(聖書)と記入してある。いずれもバンヤンの意図するところが明瞭である。それだけでなく聖書がどういうものか、聖霊がどんなお方で あるかバンヤンは筆を尽して風刺のうちにわかりやすく表現しているのに驚かされる。

 彼のこのような作品の背景に彼が主に出会うまでのたましいの遍歴があることを思う。ひとりひとりの人生はたとえ端から見てどんなに汚れて堕落しているように見えても、上なる神様の御覚えのうちにあることを今日の箇所を通して覚えたい。

今、主は仰せられる。――主はヤコブをご自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、私が母の胎内にいる時、私をご自分のしもべとして造られた。私は主に尊ばれ、私の神は私の力となられた。――( 旧約聖書 イザヤ49:5)

2012年2月18日土曜日

遠くの国々から・・・ アレキサンダー

「 刈り入れ時は過ぎ、夏も終わった。それなのに、私たちは救われない。」(旧約聖書 エレミヤ8:20)
 
 恵みの時は、終わりに近づいている。広い世界に今や静かに終わりの日が近づいている。遠い裁きの底から、不安の叫びが聞こえてくる。私たちの真っ暗な夜には、決して光が差し込まない。私たちを照らす神の恵みなくしては、私たちは苦しみと闇の中、暗い道を行かねばならない。永遠に。永遠に。
 
 あなたたちは歌い、喜びに満ちている。自分は神の子であるという。私たちは、死のいけにえであり、恐怖に満ち、ひどい苦しみに満ちている。あなたがたは、なぜ立ち止まっていて、夜の始まる今、私たちを救おうとしないのか。あなたがたは、なぜ神様がそのひとり子を遣わして、自分たちを愛していることを教えないのか。
 
 あなたがたのおかげで、自分たちはそれを知らずに、希望なく滅び行くのだ。自分たちは、死ぬために生まれたのであり、死は永遠から永遠に至る我々の運命なのだろうか。私たちには、星が輝かない。約束の光も照らされない。遠くの方に裁きの雷が聞こえる。


 なぜ、なぜ、あなたがたは急がないのか。神は、行って全世界に十字架の勝利者を宣べ伝えよと言っているのに。あなたがたは、私たちのあわれな心のために喜ばしき知らせを持っている。傷を癒す薬、苦痛を永遠に癒す薬を持っているのに。なぜそんなに長く、沈黙しているのですか。

 あなたたちの信仰の岩に至る道を示すことばを、私たちに聞かせてください。私たちの涙をぬぐってください。私たちが、死につくのもあなたがたのせいです。私たちの罪は悩ませ、夜は近づいています。私たちは、私たちの魂をサタンの力に与えなければならない。 永遠に。永遠に。
 
 遠くの国々から、幾百万という人々が、収穫の主よ、聞きたまえと呼んでいる。

 私たち信者に、新しい恵みを与えてください。私たちの罪を赦してください。待ち焦がれている魂の所へ、十字架のことばを運ぶ者と成さしめたまえ。彼らが永遠に滅びないように。
 
(H.E.Alexander作 訳 ゴッドホルド・ベック)

2012年2月16日木曜日

ああ、集会!

 昨日の集会も部屋に入り切れないほどの人が各地から集まって来られ、ともに賛美をし、聖書のことばに耳を傾け、互いに語らう豊かな時が与えられた。以下は352年前のイギリス人バンヤンの告白である。

 神のよき御手に導かれて、5、6年の間私は何ものにも妨げられず、主イエス・キリストの尊い福音を自由に宣べ伝えてきたのであるが、尊い恩寵を通して与えられた祝福のお陰で、私が励ましをうけていた時、人の救いの敵である悪魔は、手下どもの心をそそのかし、私に対して激しい敵意を示すようにさせた。そこで私は、ついに、判事から令状をさし向けられ、捕えられて、投獄された。その始末は次の通りである。

 紀元1660年11月、すなわち今月12日、私は、田舎の友人たちから、ベッドフォド郡ハーリントン町の近くのサムセル村へ説教にきて欲しい、と懇望された。私は行く約束をした。そして神のお許しがあるならば、その日にそこへ出かけることにした。すると、判事(名をフランシス・ウィンゲイトという)は、それを聞き込んで、すぐに私を捕えて、連れてこい、という令状を発し、同時に、集会の行なわれる家をきびしく見張っているよう命令した。それは、まるで私たちがそこに寄り合って、国を滅ぼすために、恐ろしい陰謀でも企てているかのように思われていた。

 ところが、おかしいことには! 警官たちが踏み込んではきたものの、私たちは、手に聖書をもって、神の御言葉を語ったり、聞いたりしているだけであった。なぜならば、私たちはこれから礼拝をはじめようとするところ、 詳しくいえば、私たちは、そこに集まった人たちに、主の言葉を説教するつもりで、まず、その集会に祝福を垂れさせ給え、と神に祈りはじめたところであった。そこへ警官たちが踏み込んできて、私たちを妨げたのである。そして私は捕えられて、否応なしに、部屋から連れ出された。

 けれども、もしも私に卑怯なまねをする気があったら、私は身を隠して、警官の手からのがれることもできたのである。なぜかというと、私がその友人の家を訪れた日に、すでに、私を捕えよ、という令状が出ているから、きっと捕えられるに違いない、という噂を耳にしていたからである。私の友人はその噂をきくと、生まれつきちょっと臆病な人だったので、集会を催したものだろうか、どうだろうか、と私にたずねた。それとも逃げた方がよくはないか、警官たちの手に捕まると、すぐに判事の前へ引き出されて、それから、投獄されるにきまっている、と友人はいってくれた(彼は警官の近くに住んでいたので、彼らの気持ちについては、私よりも、ずっとよく知っていた)。

 それに対して、私は答えた。いけません、断じていけません、私は逃げ隠れはしません。 そんなことのために、集会をやめてはいけません。さあ、元気を出して、しっかりやりましょう。びくびくするのはやめましょう。私たちの志は正しいのです。 私たちは恥ずかしく思う必要はありません。神の言葉を伝えるのは、まことに立派な仕事です。そのために苦しんでも、苦しむだけの立派な報いが与えられるはずです(けれども、友人は彼自身のことよりも、私の身の上を案じている様子であった)。

 それから私は構内※1へ出て、そこで、しんみりと考えた。すると、次のことに気づいた。これまで私は真心をこめて勇敢に説教してきた。有難いことに、私は、多くの人たちを勇気づけるのを私の仕事としていた。それゆえ私は思った。もしも、いま、私自身が逃げたり、隠れたりすれば、近郷近在の不評判者になるであろう。私が口先ほどにも意気地がないとなると、新しく回心した気の弱いキリスト者たちはどうなるであろうか、また、すでに令状が発せられている今に及んで、逃げるとなれば、私は、大切な御言葉を語らねばならぬ大事な時にあたって、彼らをおじけさせることになるであろう。その上、私はこうも考えた。神のあわれみを見ることができたお陰で、私は、かたじけなくも、神から、この国で死地に踏み込んで希望を得るよう抜擢された者である。福音のために身を投げ出すべき最初の人として選ばれたのである。※2

 それゆえ、もしも私が逃げればあとから続いてくるキリスト者全体の士気をくじくことになるであろう。世間の人たちは、私の卑怯をよいことにして、福音をそしり、けがし、私と私の信仰に対して難癖をつけるよい口実にするであろう。このように、あれこれと考えてから、私は再び家の中へ入って、十分覚悟して、集会を催すことにした。

(『罪人らの首長に恩寵溢る』バンヤン著小野武雄訳新教出版社1958年版125頁から引用。※11969年の高村訳では「畑の囲い」とある。※2同じく「決死隊の一員にお選びになったとすれば、すなわち、福音のために真っ先に敵と衝突することになっているなら」)

 同時代、我が日本はキリシタン禁制の高札が立てられ、長崎でキリシタン630名が処刑されている。イギリスの事情は国教会の礼拝に出ないで、聖書だけを大切にしようとした鋳掛け屋のバンヤンを迫害せしめた。これまで彼我の差のみが私の印象にあったが、ところを問わずいつの時代にも福音に敵対する力は働いていることを新たに覚えた。しかし同時にそれにまさり、主のみわざは凄い、としか言いようがない。具体的なことは略すが、昨日も同じことを昼夜の集会で感じた。

2012年2月14日火曜日

一枚の手紙が語る真実(バレンタインデーを知らなかった戦中の人々)

(以下、拝借する手紙は1939年10月18日に、三井物産にお勤めであった方が、ロンドンから婚約間近の当時は甲府にお住まいであった婚約者に出された手紙である。すでにお二人とも天に凱旋されている。遺族によって戦後も、平成の世になってから発見された手紙である。この方の手紙の活字化の作業を依頼されたこともあって、いつも私の手許にある資料であるが、今日はこの一人の市井の徒であった先輩キリスト者が残された望みにあずかりたく掲載させていただく。)

 九月七日附御手紙並に御写真有難うございました。先日送りました私の写真は多分没収されたことと思います。八月中手紙を書かぬ為に皆様に御心配をかけてすみません。もう大分そちらに着いた手紙もあることと存じます。

 夏休が了って甲府で一人ボッチになると淋しさが急に身に浸みられたことと思います。然し一人居る淋しさの中から神のみが充し得給う慰を求めさせられます。 宇宙間に只一人となることは言い難い淋しさに襲われることでありますが、然しそれによって、多くの人が神を求めしめられたことを思います。

 御手紙にこちらへお出になりたい旨御認めですが、御尤もです。私としましても出来る丈早く帰るなり、来ていただくなりしたいと思って居りますが、目下の状 態では、先づ戦争が止まねばなりません。それはそれとして五年経過すれば何れにしてもどちらかに決定しますが、私の収入から申しても一年二年では無理であ ります。三四年経てば何とかして貰えるとは思いますが、私としては可成、私が帰ることにしたいと思います。田中さんとしては、何時までも御両親の重荷であ りたくない気持とお察しします。又これから先、永い三四年を考えられると心細くもあり又淋しくもあられるとお察しいたします。

 私、後の日の希望を望んで、今の苦難を越えてゆきたいと思って居ります。地上生活は到底、何処に居ても仮の幕屋であり、この幕屋の中で独り神を仰ぎ、キリ ストに頼って、呻き、嘆き悦び、又楽しみしてカナンの地を望む旅が死の日まで続くことを覚悟して居ります。田中さんに萬全を期待はいたしません。

 田中さんは今や私の悦びではあります。然し、私の霊の呻き、又渇きは「彼」ならでは何者によっても充され様とは願いません。

 けれども私としても出来る丈早い機会に帰るなり来ていただくなり出来る様にするつもりで居りますから忍耐を以って、許される日をお待ち下さいませんでしょうか?

 ヘブル書十一章があなたを慰める様に望みます。

 陰鬱な冬空がLondonを 蔽う様になりました。菊が種類も多く色もとりどりに美しく咲いています。「日本の香り」と共に何と云うことなく田中さんを聯想します。そしてフローレンス の街上でダンテがベアトリーチェに会う絵を思い出します。この話は御存知と思います。(もしそうでなかったら先生にお聞きください。)「神曲」が如何にし て完成されたか、ベアトリーチェなしにダンテの神曲はあり得なかった様に思います。

 目下決算で一ヶ月程夜業して居ります。勉強出来ないのが残念ですが、健康で居りますから御安心ください。独逸からチョイチョイ空襲に来る様ですが、私共は平穏に居ります。日本同様物価が上がって参りました。
 御宅の皆様によろしく御願いたします 

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(ヘブル11:13) 

2012年2月12日日曜日

キリストの友情ーその起源

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)

 ヨハネ15:13〜15の三つの節で、主は主と弟子との関係を友情という新しい面から語られる。まず主のがわでは、友情の起源である愛について(13節)、次に私たちのがわでは、友情を維持するために必要な服従について(14節)、そして終わりに、友情に導いていく聖なる親しい交わりについて(15節)述べられている。

 私たちとキリストとの関係は愛である。前章までにキリストは愛が天の栄光の中でどのようなものであったかを私たちに示されたが、ここでは主が私たちのためにいのちを捨てられたことによって、その愛を地上で現わされたということを私たちに示しておられる。キリストが私たちのためにされるすべての事の根源と力とが愛であるというこの奥義を、キリストは私たちに知らせたいと切に望んでおられる。私たちはこのことを学び、信じるようになると、私たちはただ知るだけでなく、神のいのちを生きる力として、私たちの中に取り入れなければならないと感じるようになる。キリストとキリストの愛とを切り離すことはできない。両者は同一のものである。

 神は愛であり、キリストは愛である。神とキリストと愛とは、実際にそのいのちと力が私たちの中で働くことによってのみ、私たちはこれを知ることができる。「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」(ヨハネ17:3)と言われたのはそのためである。もし私たちが愛について知りたいと思うなら、私たちはそのいのちの川の水を飲み、聖霊によってその水が私たちの心の中に注ぎ込まれるようにしなければならない。

 いのちは最も尊いものである。いのちは人の存在のすべてである。いのちは人そのものである。いのちをその友のために捨てるのはまさに愛の限界で、後に残るものは何もないのだ。主がぶどうの木の奥義について明らかにしたいと願われるのはこの点であって、キリストはその持っているすべてのものと共に、ご自身を私たちの自由にするためにゆだねられたのである。ゆえにキリストのすべては私たちのものであり、私たちのすべてもキリストものであることを望まれるのである。

 キリストは死によってそのいのちを私たちにお与えになったが、それは死によって完成された過去の行為ではなくて、キリストを将来にわたり永遠に私たちのものとする行為であったのだ。それは私たちのいのちを主のものとするため、主のいのちを私たちのものとするためであった。理論や想像としてではなくて、それによって私たちは心の奥深く、天のぶどうの木の枝として、私たちの生涯がどのようにあるべきかを知り始めるのである。これがキリストが私たちをお招きになる、あの聖なる友情の始まりであり、その根源である。

 「確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です」(1テモテ3:16)。私たちは無知と不信仰とをまず告白しようではないか。私たちはひとりよがりの理解や努力によって、この奥義を知り尽くそうとすることをやめるべきである。聖霊が私たちの内に住んで、この奥義を現わすのを切に待ち望もうではないか。そして主の限りない愛を心から信じるべきである。

祈り
「『その友のためにいのちを捨てる』、そのいのちを枝のために与えるぶどうの木の教えは何とすばらしい教えでしょうか。そして主はご自身のいのちを友のためにお与えになりました。その愛を友のために、友の心の中にお与えになったのです。私の天のぶどうの木であられる主よ、あなたが私の内に住まわれることを、あなたがどのように強く望んでおられるかを、どうぞ私にお教えになってください。アーメン」。

(『まことのぶどうの木』アンドリュー・マーレー著安部赳夫訳118〜121頁より)

2012年2月10日金曜日

『聖戦』第2章 魔王、市(まち)を占領す

[魔王、城をものにする—市長、分別氏は辞めさせられ、家を暗くするために壁が築かれる—書記、良心氏は役所から追い出され、魔王にも住民にも非常に嫌われる—魔王の主張に心から信奉する我意氏は市の幕僚にされる—霊王の像はこわされ、かわりに魔王の像が建てられる—淫欲氏が市長にされ忘善氏が書記にされる—新しい市会議員が任命される—霊王に反抗する市を守るために三つの城砦が建設される]

 我意氏は 人霊の名門の出であった。多くの人々と同じように自由権の所有者であった。この物語に誤りないとすれば、彼は有名なる人霊市において一種特別の特権を持っていた。それと同時に彼は偉大なる力あり決意あり勇気ある人物であった。彼が頑張ったら、誰もこれを振り向かすことができなかった。しかし彼は自分の財産や特権や勢力を自慢していた。やっぱりその同じ慢心から人霊市の奴隷たることを賎(いや)しんだ。魔王の下に働いて小さくとも人霊市の支配者か統治者になろうとした。彼はきかん気の男なので、直ぐそう心を決めた。魔王が耳門で演説をした時、彼は真っ先にその言う所に同意して、それは善いことだと承知した一人である。彼は門を開いた。市内に魔王を引き入れた。魔王は彼と親しくして、地位を与えようとした。彼はこの人の勇気と剛健とを認めて、幕僚の一人に取り立て た。そしてあらゆる重大事に参与させた。

 魔王は彼に使者を送って、胸の裡の秘密を明かした。彼はたやすく承諾した。最初からこの人は魔王を市に引き入れようとしたのだから、もちろん彼に仕えるのに苦情はない。魔王は我意氏が自分に仕える意志もあり、心構えもあることを知ったので、城の大将、壁の監督者、人霊諸門の擁護者に任じた。その任命については人霊市のことは一切彼に相談せざるべからずとの一項目があった。それゆえに人霊市で魔王の次に位するのは我意氏で あった。この人が託(うん)と言わなければ、人霊市では何事もなすことが出来なかった。この人にはまた心意氏という属官があった。これはその主人と同様な人物である。心意氏とその主人とは主義が同一で、実行においても別々ではなかった。今や人霊は思う壺にはまって、意志と心意との欲情を満たすことになっ た。

 我意氏が権力を掌中に握った時は、自暴自棄していたとほか思われない。第一、彼は前の君主に対して何らの関係もない、何らの服務(つとめ)もしないと明言した。次には大君である魔王に対して忠臣たることを誓った。そして彼は位地定まり職務にもつき、昇級も抜擢もされる身分になった。彼が人霊市でどういうことをしたか、実見した者でなくば考えられんほどであった。

 ここに登場する我意氏について、雲舟氏はこの本の解説で次のように書いている。蓋し至言である。

 便宜上余儀なく我意氏と訳したが、その実名はWill be willである。バンヤンはパウロがロマ書の第7章で罪に対する正当なる名をつけることを困難に感じたように、人霊のこの身分ある人物の正当なる名を見出すに困難を感じた。パウロはその深邃(しんすい)にして激烈なる章句において、ただ罪を罪というほかなかった。言わば罪の罪である。それと同じようにバンヤンは魔王に次げるこの怖るべき人物の固有名詞を見出すことができないので、意志を二つ重ねて、「意志は意志なれ」と言った。パウロのいわゆる「われ願う所の善はこ れを行なわず、かえって願わざる所の悪はこれを行なえり」である。つまり我意は心情次第である。心情が神の聖殿であらば、我意も好意となる。これに反して心情が魔王の住居となれば、我意は悪意に変ずる。

「肉の思いは神に対して反抗するものです(The carnal mind is enmity against God)」(新約聖書 ローマ8:7)

2012年2月9日木曜日

『聖戦』第1章 人霊の都

エルストウ村のバンヤンの家(1955年版『恩寵』より)
今日から適宜『聖戦』の梗概を示す。編成は三部に分け最初に英文サイトの梗概を示し、次にその太字に当たる部分の中核になる雲舟氏の訳文を写し、最後に引用者の感想を記す方式である。

霊王の統治下にある人霊の都の原初的な素晴らしさと美しさその気高き城の叙述五つの門—町に住める人々の完璧さ—魔王の起こり—彼の誇りと堕落—人霊の町をだましてものにする最善の手段を議する戦の会議—魔王、町に進軍し耳門の前に座す—魔王の演説—抵抗将軍殺害される—無垢氏殺される—町は奪取される]

 さて宇宙のこの大きい国に美しい立派な市(まち)があって、人霊と呼ばれていた。その市の建物は奇妙であった。その位置は大変都合好く、その特徴は大変便利な点にあった。と言うのは、その起源に関したことで、前にも言ったごとく、その大陸のある位置は、天地間に類がないほどであるからだ。

 この市の位置はといえば、ちょうど二つの世界の間にあった。その最初の創立者で設計者は、私が集むることの出来た最も善い確実な記録によれば、一人の霊王であった。彼は自分の歓楽(たのしみ)にこれを創立した。彼は今までこしらえた物の中の亀鑑(かがみ)となり、栄光となるようにこれをこしらえた。彼がその国でこしらえたいろいろな物のうちの傑作であった。然り、人霊がどれほど善い市かといえば、その初め出来あがった時の創立式に、神々がくだって来てそれ を見て祝いの歌をうたったと言われるほどである。外観(ながめ)も佳いし、国中を治めるにも都合が好かった。

 この市の真中に、最も有名な荘厳な宮殿が建てられた。堅固なので城とも言える。愉快な所なので浄楽園(パラダイス)とも言える。宏大なので全世界を保つほど豊かな所とも言え る。霊王がこの場所を設計したのは自分のためなので他人のためではなかった。自分の歓楽(たのしみ)に建てたので、市の中に他人の侵入することを好まれなかった。霊王はまたこの場所に兵営をこしらえて、市民だけにそれを守ることをゆだねられた。

 この有名な人霊の都には、出入りに五つの門があった。これはまた壁に適当なようにこしらえられた。要心堅固で、内部から開けたいと思うか、開けることを許さねば、開けることも強いることも出来なかった。門の名は次のようである。耳門、眼門、口門、鼻門、感覚門。

 このような人霊の都が魔王の詐術の手に落ちて、町は開城される。魔王の耳門の演説に人霊がそそのかされてのことであった。その陥落はまことにあわれなものであった。明らかに創世記の初めのアダム・エヴアの堕落が意識されての創作である。訳者の雲舟氏は解説の中で、五感のうち「耳」がどうしてそんなに大切なのだろうか、「目」じゃないかと自説を展開しているが、考えてみるとやはり聖書は「耳」のようだ。よって「耳門」の攻防が聖戦の中心舞台である。耳に関するみことばをいくつか列挙した。

を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。(旧約聖書 詩篇94:9)

見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。(1サムエル15:22)

あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。(詩篇40:6)

2012年2月8日水曜日

「不十分」と「十分」

何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。(新約聖書 2コリント3:5)

 不十分と「十分」——これらの二つの語は互いに補足し合うものであり、いっしょになって有効なクリスチャン生活の鍵を提供している。自分が全く無力であることを見出し、それを十分に確信することは、霊的な供給の不断の条件である。旧約のねらいは、人間の失敗を絶えず繰り返して示すことであり、新約のねらいは、キリストの十分さを示すことである。主は私たちのためにすべてを用意しておられる。しかし私たちは、私たちが何も持っていないことを知るまでは、それを受けることができない。

 それゆえ、クリスチャンの完全ということは、私たちの完全を絶えず否認することであり、キリストの義を絶え間なく受け入れることである。私たちが自分の無力と邪悪についてさらに深い見解を受け入れるようになると、それが、キリストの豊かな恵みをさらに要求するようにという呼びかけになるのである。

 しかし、私たちが、自分の不十分さを十分に知りながら、キリストの「すべて」をしっかり把握していないということもあり得ることである。このこともまた、すべてに達しないものは受け取らないという信仰をもってなされなければならない。

 預言者エリシャは、イスラエルの王が三回しか地面を打たなかったので怒ったのである。王はそれを、五回、六回とすべきであった。そうすれば、彼はすべてを得ていたことであろう。(※)

 それゆえ、キリストの偉大さと恵みを受けるための条件を満たそうではないか。

(『天国の日々』A.B.シンプソン著松代幸太郎訳いのちのことば社1980年版 2月8日の項から引用。※2列王記13:18〜19)

2012年2月7日火曜日

「目に見えないもの」とは?

 日曜日、久方ぶりに礼拝に出席された方と何年ぶりかでお会いした。集会後のパンとコーヒーの交わりにもその方は残られ、互いにお交わりをした。キリスト者にとってこの交わりは礼拝についで欠かせないものである。パウロはローマの人に向かって、次のように言っている。

「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」(ローマ1:11〜12)

 信仰者の交わりには一切上下関係はない。ともに主イエス様を見上げての交わりである。その話題は時勢のこともあり、個人生活の出来事もあり、また信仰上の話題もあり、実に様々な話題がある。それぞれが自由に示されたままお互いに思うところを交換し合う場である。

 日曜日、その方は私に、聖書でよく言う、「目に見えない」ということばがありますが、あれはどういう意味ですかね、と問われた。お聞きするうちに、その方のうちにご自身が理工学部出身であるとしてその思考法から脱することができないでおられること、すなわち「目に見えるもの」しか信じられないという考えがおありになることがありありと私にはうかがえた。そして、その方は「目に見えない」ということは思想なのでしょうと、言われた。

 ところが私はすぐにそうですとは言えなかった。聖書は何よりも霊的存在を前提としていると考えていたので、そのことをどのように説明していいか適当な言葉が見つからなかったからである。いくつかの聖書のことばを頭に思い浮かべながら、私は「目に見えないもの、霊的なものの実在」をその方に説明していたが、なおその方も私ももう一つ腑に落ちず別れざるを得なかった。

 それで家に帰ってその方の問いを更に考えていたら、次の聖句に思い至った。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:1〜3)

 上述のことばに照らし合わせれば、目に見えないものとは、神のことばであると言えるのでないかと思った。私がその方が「目に見えないもの」は「思想」のようなものでしょう、「人間の考え」でしょう、と言われた時に、すぐに「ハイ、そうです」と言えなかった理由のようなものをつかんだ思いになったからである。

 というのは、聖書で言う「目に見えないもの」は限りなくその実在が確かなものであり、それは神様ご自身であり、神様ご自身を信ずる人間の霊そのものを指していることが明らかであると思ったからである。そんなことを考えて、電車内でたまたま今日読んでいたバンヤンの『罪人らの首長に恩寵溢る』という作品の彼の自叙伝に、次のようなことが書いてあった。第12章の118というところだが「人の知恵による偽りの信仰と、人が神から生まれたことによって授かる信仰の間には大きな違いがあるのを知った」。

 聖書中にしばしば登場する「目に見えないもの」は決して人間の知恵を指すのでなく、生けるまことの神様がおられ、その方にあずかっていのちを得ること、すなわち啓示(上から示される)をとおして新生のいのちを得ることと著しく関わっていることだと思わされた。

 その方は、3月には故郷の東北に帰り、震災者の悩み苦しみの中でその方々の友となりたいと抱負も語ってくださった。目に見えないお方が私たちすべての人間の創造者である。この方の働きのうちに主がともにいて「望みの神」である主イエス様を指し示してくださると確信している。

「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。(1コリント2:9〜10)

2012年2月6日月曜日

『聖戦』読者へより、その4

人霊は喇叭(らっぱ)の鳴るを聴けるのみならず、
その豪奢(おごり)の地に委するのを見ぬ。
さればいと大いなる熱心も戯談(たわむれ)に過ぎざる者や、
大いなる戦いの猛烈なる威嚇(おどし)も、
談判か言葉争いに終わる者と
人霊とを同視するなかれ。

人霊よ、その大いなる戦いは、
幸不幸の分かれ目にして世の終わりに至る。
さればその怖れの同一日に終始する者や、
いかに戦うも生命と手足を失うほか、
他の害を受けぬ者よりも、
人霊の懸念は一層大なり。(※1)
宇宙に住める者誰かは
これを告白し、この物語を語らざるべき。

人々をして星を凝視(みつめ)しめ、
あれ見よ、星には大胆なる
生き物住めりと、おもむろに、
彼らを説きつけ驚かす、
輩(やから)とわれを同視するなかれ。
物の道理を弁え、指の長さを知る人に、
星にはそれぞれの世界ありと、
首肯(うなづ)かしむるは斯かる輩の能ならじ。

あまりに長く門口に読者を留めぬ。
日光を離れて炬火(たいまつ)の下に留めぬ。
いざや進みて戸のうちに歩めよ。
珍しき物さまざま内にあり、
心の欲するまま幾度にてもそれを見よ。
卿(おんみ)が基督者にてあるならば、
それにて眼をば養えよ、
その見るところは小さからず、いとも大なり。

わが鍵なしに往くなかれ。
迷宮の中に忽ち途を失わん。
わが謎を解かんとせば、
わが牝牛の子をもて耕さんせば、真っ直ぐに向けよ。
そは窓の内にぞ横たわる、いざさらば。
われは次に卿(おんみ)らの葬(とむらい)の鐘を鳴らさんかな。

ジョン、バンヤン

(※ 1 ここの文章はこの物語の要諦と言える。イギリス人の編者は以下の文を補っている。The death of the body, or loss of a limb, is as nothing compared with the eternal loss of a neverーdying soul.時代も異なり全く別の著者の本に以下の一節があった。「この世に国民の死よりもいっそう悪いものがある。肉体の死よりもいっそう悪いものがある。それは罪と咎との中に沈んでいる人々の霊的な死である。人間の霊魂の状態は、エゼキエル書の幻の谷における骨のようなものであって、それは甚だ多く、 甚だ枯れている。そこには回復と生命に対する人間的な希望は絶無である。しかし神およびその甦りの生命の中に希望がある。」〈A.B.シンプソン『旧約における聖霊』281頁より〉ほぼ共通する考えでないか。「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」〈新約聖書 ローマ8:1〜2〉誰かまことに霊の死せる己が姿に泣き、主イエスのもとに来らんか。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」〈マタイ11:28〉)

2012年2月5日日曜日

『聖戦』読者へより、その3

知人に所望していただいた一枚の絵
われは聴きぬ、王子は叱咤将軍(※1)に
城に登りて、敵を捕えよと命ずるを。
将軍とその部下は恥の鎖に敵をつなぎ、
市(まち)の中をば曳(ひ)いて来ぬ。

イムマヌエルが人霊の
市を占領せし時われは見ぬ。
いかに大いなる祝福は華やかなる人霊に来れるよ。
王子の赦令(ゆるし)を受けて、その律法(おきて)に住める時。

魔王党の捕えられし時、
吟味されし時、死に処されし時、
われそこにあり、然り人霊が、
その謀反人を磔殺(たくさつ)せし時、われ側に立ちぬ。

人霊が皆白衣をまとうをわれは見ぬ。
王子は人霊を心の歓喜(よろこび)と呼びぬ。
金の鎖や、指環、腕環を、
人霊に与えてこれを飾りぬ。

われ何をか言わん。人霊の叫ぶを聴きぬ。
王子が人霊の眼より涙を拭うを見ぬ。
呻き声を聴き、多くの者の悦ぶを見ぬ。
われはその凡てを語らず、語るを得ず。
ただわがここに語る所にても人霊の類なきその戦いは、
作り話にあらざるを見るに足らん。

人霊は二人の君主の願望(ねがい)にてありき、
一はその所得を保ち、他はその損失を得んとす。
魔王は「市はわが有(もの)」と叫び、
イムマヌエルは人霊に対する、
その神権を主張してここに戦いとなりぬ。
人霊は叫びぬ、「この戦いにわれは滅びん(※2)」と。
人霊よ、その戦いは窮(きわま)りなく見えぬ。
一方が失えば、他方はそれを獲(え)ぬ。
最後にこれを失える者は誓いぬ。
「われこれを獲ん、然らずば砕片(こなごな)にせん」と。

人霊よ、そは戦場にてありき。
戦いの響きの聴かるるところ、
打ち振る剣の怖れらるるところ、
小競り合いのなさるるところ、
空想が思想と戦うところ、
人霊の艱難(なやみ)はそれにもまして大なり。

戦士の剣は赤くなりぬ。
傷つきし者は叫びぬ。
これを見聞きせざる者、
誰か人霊の驚愕(おどろき)を知らん。
太鼓の音を聴ける者、
誰かおそれて家より遁(に)げ出さざるべき。

(※ 1 「叱咤将軍」とは雲舟氏の訳語だが、原文はBoanergesとある。明らかにイエス様が弟子であるヤコブ・ヨハネ兄弟につけられた綽名 Boanerges「雷の子」であろう。しかし雲舟氏はまさにこの場合にふさわしく「叱咤(しった)将軍」ということばを当てられている。絶妙な訳であ る。もちろん王子はイエス様である。この場面は「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行 列に加えられました。」〈新約聖書 コロサイ2:15〉などが考えられるのではないか。※2 バンヤンには「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこ の死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」〈ローマ7:24〉のみことばが念頭にあったのではないだろうか。)

2012年2月4日土曜日

『聖戦』読者へより、その2

人霊きよきものを踏みにじり、
豚のごとく汚穢(けがれ)に臥(ふ)しまろび、
武器を手にしてイムマヌエルと
戦ってその魅力を軽んぜる
時にもわれはそこにあり、
見て悲しめり(※1)、魔王と人霊のその和合。

われを戯作者と見なすなかれ、
わが名と信用とをして
彼らの嘲笑を配(わか)たしむるなかれ、
わが見たるところはわれ自ら知る、真実(まこと)なりと。

われは王子の武人が人霊を囲まんとて、
隊伍堂々として来るを見たり。
われは諸将を見ぬ、喇叭(らっぱ)の鳴るを聴きぬ。
その軍勢の全地をおおい、
いかに勇ましく陣列を引けるかは、
わが生涯忘るあたわざるところ。

われは旗の風に翻るを見たり。
内に禍(わざわい)をなす者ともどもに
人霊を滅ぼさんとて、遠慮なく、
その源泉を枯らさんとするを見たり。

山は市に向かって突起しぬ。
投石器(いしなげ)はそこに据えられぬ。
石はわが耳をかすめて飛びぬ。
(心は怖れに捕えられぬ)
石は落ちていかに大いなる働きをなせるよ、
老いたる黒奴はその蔭もていかに人霊の
顔を覆いしよ、われは人霊の泣くを聴きぬ。
「わが死するその日は禍いなるかな」と。

われは破城槌(はじょうつい※2)を見ぬ、いかにその
耳門を砕くかを見ぬ。われは怖れぬ。
ただに耳門のみならず、人霊の市もまた、
破城槌もて砕かれんとするを。

われは戦いを見ぬ、諸将のさけぶを聴きぬ。
戦いごとに敵に向かう勇者(つわもの)を見ぬ。
傷つけられし者、殺されし者を見ぬ。
死して甦(よみがえ)らんとする者を見ぬ。

われは傷つきし者どもの叫ぶを聴きぬ。
(他の者どもは怖れを知らぬ人のごとく戦えり)
「殺せ!殺せ!」の叫び声はわが耳にあり
溝には血と涙と流れぬ。

諸将は常に戦えるにあらず、
日夜われを悩まさんとて、
「起ちて襲えよ、市(まち)を占領せしめよ」と叫びては、
われらを睡(ねむ)らしめず、臥(ふ)せざらしむ。

諸門の破れ開けし時われそこにあり。
人霊のいかに希望(のぞみ)を奪われしかを見ぬ。
諸将の市に進み来たるを見ぬ。
彼らはそこに戦っていかに敵を倒せしよ。

(※ 1原文はThen I was there, and did rejoice to see Diabolus and Mansoul so agree. とあり雲舟氏は当然「見て悦びぬ」と訳している。しかし前後関係から意味不明である。現代の編纂者は次の一文を加えている。In 1752, and even in Burder's edition, the line is strangely altered to-'Then I was there, and grieved for to see.そのため引用に当たっては「見て悲しめり」と訳し直した。※2ここは注釈者が注として'The battering rams' are the books of Holy Scriptureすなわち破城槌は「聖書」を指していると付け加えている。まさしく旧約聖書のエレミヤ23:29「わたしのことばは火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。」に書かれていることばそのものである。)

2012年2月3日金曜日

『聖戦』読者へより、その1

読者へ

古(いにしえ)に起これることを語るを好み
歴史学にすぐれたる人々が
人霊の戦いについて語らざるは不思議なり。
その戦いを昔話のごとく、値うちなきことのごとく、
死して横たわらしむるも読者になんの益あらん。
人々これを知るまで、自ら知らずとも、
彼ら自らの戦いをなさしめよ。

物語には、外国のもの、国内のもの、
類(たぐい)かわれど、その語りぐさは、
空想の作者を導くままに作らるれ。
(書物によって作りし人を量るべし)
かつてあらざりしこと、あるまじきこと、
いわれなく、作り出されて、
山も起こされ、人々や、
おきてや国々や王たちのことも語らるれ。
その物語はいと慧(さか)しげに、
荘重の装い紙上に満てり。
その口絵は一切空を告ぐるとも
それによってなお教訓を得べし。

読者よ、わがなすところはいささか異なりて、
空なる物語もて卿(おんみ)らを悩まさじ。
わがここに言うところは、誰も(※1)よく知ることにして、
その物語は涙と悦びもて語るを得べし。
人霊の市(まち)は誰もよく知るところにて、
人霊とその戦いを記せる
歴史に通ずる人誰か、
その艱難(なやみ)をば疑わん。

人霊と市とその有様を
語らんとするわれに耳を貸せ。
人霊はいかに失われ虜(とら)われ奴隷となりけるよ、
人霊はいかに自らを救わんとせる彼に叛けるよ。
その主にいかに敵対し、
主の敵をばいかに親しみしよ。
これ皆真実(まこと)のことにして、これを拒むその人は、
最上の記録(※2)をば譏(そし)るなり
われは自らその市の
建ちし時にも倒れんとせる時にもそこにあり。
魔王それを占領し人霊彼が圧抑(あつよく)の
下にあるをわれは見ぬ。
人霊魔王を主とあおぎ、
こぞりて彼に服(したが)える時にもわれはそこにあり。

(上記はいずれもバンヤンが『聖戦』を読もうとする読者に語りかけた文章を松本雲舟が、これまた流麗な日本語に置き換えたものを写したものである。翻訳文は壮麗な文章であるが今日では使われていない漢語もあり、現代の読者には読みにくいと思われるものは引用者が平仮名のみにした。なおバンヤンの英文原書は今日サイトで自由に閲覧できる。それを参考に少し注釈をつける。※1はTrue Christians.「真のクリスチャンたち」※2はThe Scriptures「聖書」と文中にあるが、雲舟氏は省いたようだが、それを補った方が理解が深まる。なお雲舟氏が人霊と訳していることばはMansoulである。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」 旧約聖書 エレミヤ17:9

2012年2月2日木曜日

あなたの宮殿にはどなたがお住みですか

 昨日の続きだが、松本雲舟氏は『聖戦』を訳するにあたり、その序で次のように言っている。

 『何処へゆく』『神々の死』、皆これ霊肉の衝突史である。『聖戦』は純基督教思想の霊肉衝突史である。訳者はかかる意味においてバンヤンの著作に筆をつけた。而して遂にその著作のみならず、バンヤンその人に多大の興味を持つようになった。
 『天路歴程』は基督教界の必読書として広く世に紹介されている。しかしその他の二大傑作である『聖戦』と『恩寵記』とは、宣教50年を過ぎた日本の基督教界に未だ紹介されずにいたのである。これは極めて奇怪なことである。余のごとき後輩の筆によって、バンヤンの著作が日本に紹介されるのは、日本の基督教界の恥辱ではあるまいか。
 『聖戦』を訳した余の筆は勢いバンヤンの自叙伝である『恩寵記』に及ばざるを得ない。余は来る年においてこれを完成したいと想う。

   明治44年12月              雲舟生

 彼は明治15年生まれだから、この時29歳そこそこであることがわかる。しかも彼はこの『聖戦』を読者の便を図って解題につとめ、その第4項目「王の宮殿」と題して私にとって興味ある記事を以下のように載せていた。

 グョオ夫人が不幸に沈める時、一人の隠者は言った。「夫人よ、御身(おんみ)がさように失望し困迷せるは、御身が内に持てるものを外に求むるからである。 神を御身の心の中に求むるようにしたまえ。すれば御身は常にそこに神を見出すようになる。」この時から夫人は神秘家となった。内部生活の神秘はたちまち夫人の心に閃(ひらめ)いた。夫人はそれまで糧食豊かなる中にあって飢えていた。神は近くにある。遠くではない。天国は夫人の心裡(しんり)にあった。神の愛はその時から夫人の霊魂(たましい)を占領して言い現わしえざる幸福に満たした。前には困難であった祈祷も楽しく欠くべからざるものとなった。祈りの時は瞬くままに過ぎた。夫人は二六時中祈りを止むることがなかった。その家庭の試練は最早夫人にとりて大きくなかった。その内部の喜悦(よろこび)は夫人が生まれた以来、周囲に附き纏うた嫌厭(けんえん)、不平(ふこう)、悲哀を火のごとく焼き燼(つく)した。

 グョオ夫人とは恐らくガイオン夫人のことであろう。明治末年においてすでにガイオン夫人のことは巷間に知られていたのだ。彼女のすぐれた自叙伝は残念ながら今もって邦訳は存在しない。しかし、この雲舟氏の筆で彼女の一生が簡潔にまとめられており、わずかながらでも一端を知ることができる。私は『聖戦』の場が、この王の宮殿たる、私自身の心裡にあることを改めて教えられた。

 そんなことを考えているとき、今日の家庭集会でのメッセージもまた、私たちの王の宮殿たる心が問題にされた。すなわち、私たちの心が全能の王である主なる神様の住まいとなっているか、を問うたものだったからである。何でも自分でやれる、やろうとしているときはこの全能の主を知ることは決してできない。それはきわめて不幸なことである。そうではなく、ヤコブの全能者(イザヤ40:14)を心にお迎えすることだと語られた。また証してくださった方も、普通の人間関係では考えられない主のお働きを受け、全能の主を心の王座にお迎えできた喜びを伝えてくださった。最後に今日の家庭集会でメッセンジャーが引用されたみことばの一部を掲げておく。

主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。・・・」(旧約聖書 詩篇132:13〜14)

2012年2月1日水曜日

The Holy War by John Bunyan

バンヤン作 聖戦 表紙(明治45年3月)
 明治から昭和まで生きた松本雲舟と言う方がいた。バンヤンの多くの作品の明治・大正期に活躍された訳者である。

  二週間ほど前、『聖戦』という本を古本市場で見出した。ほとんど色褪せていてその背表紙の文字は気をつけていないと思わず見過ごすところであった。この作品も実はバンヤンのものである。オースティン・スパークスがメッセージの中でその『聖戦』から引用していたように記憶しており、かねがね一度その本を手にしたいと思っていた。

 バンヤンの作品の『天路歴程』は一般にもよく知られており、古本市場でも時々目にすることはあるが、『聖戦』はそれほど有名でもなく、また捜そうにも手立てがなかった。その本が私が出かけて行った古本市場で、たくさんの本の間にひっそりと潜んでいるではないか。手に取ってみると、松本雲舟訳とあった。全く聞いたことのない訳者の名前であった。それはそのとおり、冒頭でも記したように一時代前の訳者であったからである。訳は文語体で綴られており、一見私には読みにくい文章に映った。しかし『聖戦』そのものを何としても読みたいという思いが私のうちに強く起こされ、その思いが結局勝った。それで思い切って購入することにした。

 家に帰って早速読み始めた。ところが、文体も何のその、全く気にならず、その訳者の筆力はぐいぐい私を魅了してほとんど三日ほどこの本の虜になってしまった。確かに文体は文語だがメリハリの利いた簡潔な訳文は時を越え、私をバンヤンの作品(1682年)へと確実に招き入れてくれたからである。

『聖 戦』とは、私たちの霊が主によって造られているはずなのに、悪魔の攻撃によって奴隷とされ、その悪魔から私たちの霊が再び主のもとに取りかえすために、まことの私たちの霊の主である王が苦心惨憺私たちの霊を取り戻してくださる、その戦いの叙述が延々と続く作品である。恐らく登場人物は何十人であろう。ちなみにどんな人物が登場するか紹介しておこう。

 我意氏、偏見氏、懐疑氏、万屋(よろずや)将軍、負嫌氏、邪思案(よこしましあん)、一文惜しみの百損氏、良知氏、克己将軍、求醒氏、涙眼氏、秘書官長、良心氏、信用将官、好望将官、博愛将官、無垢将官、忍耐将官と、ざっとこんな具合である。

  こういう一人一人が敵陣と味方に別れて戦うのである。戦争とは言え、この戦争は私たちの霊のうちに見られる恐ろしいまでの心中の戦いそのものを風刺した作品であり、それぞれは私たちの分身であることは言うまでもない。しかもその叙述は聖書全巻が偏ることなくベースとなっている。松本雲舟氏は煩を避けるために引用聖句は一切カットしているが、バンヤンの原文には一々聖書個所が根拠としてあげられている。その中で王(父なる神様)が王子イムマヌエル(イエス・キ リスト)を遣わし、霊の解放がいかになされていくかが、一つの頂点である。さらに悪魔の奪回の攻撃は激しく、そのためにこの王子イムマヌエルと魔王の戦いは黙示の戦いを予示した激しいものとなる。

 全部で19章の章立てとなっているが、最終章に近い内 容は17章「魔王なお一度軍を挙ぐ」、18章「悪疑氏疑惑者と共謀す」、19章「『わが来るまで堅く守れ』」という題名をとおしても、ある程度その内容は想像がつくというものである。訳者松本雲舟氏は読売新聞の「身の上相談」欄にかかわり、昭和女子大学の前身の女学校の創設者の一人であったことを付け加えておこう。この項はhttp://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/rensai/20090414ok04.htm による。
 
 それにしてもこの表紙はとても100余年前のものとは思えない。また明治期最後の年に近く出版されたこの斬新なデザインは、これまた大正デモクラシーを目前に控えた夜明けの時代がなせるわざであったのであろうか。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(新約聖書 エペソ6:11〜12)