2013年2月28日木曜日

うたがいから信仰へ(3)

昨日は今年3回目の家庭集会※
あれは、結婚して長男が誕生したころだったと記憶する。足利市の松林が生い茂る静かな環境に位置した県営住宅に私たちは居を構えていた。その家内が妊娠初期にそれと知らず、近くの行道山に山登りをしたために具合が悪くなり、その後何日間か絶対安静を命ぜられた。生まれて始めて、他人(家内)の身辺の世話をした。信仰を持ち、新婚早々だから苦にはならなかった。

ところがお産のあと家内の世話に義母がかけつけてくれた。その時、私の内に、家内が何気なく義母と話しているのに、私が二人からはじかれていると思い込み、言い知れぬ嫉妬心がムラムラと湧いて来た。それは自然人としての幼すぎる私の感情であった。私はうろたえるばかりであり、その思いを押さえることができなかった。これから何日もこの義母がいるのはありがた迷惑とばかり、二人から離れたくなり家を出てしまった。くわしいことは覚えていないが、その行動で困ったのは何の責任もない家内と義母であった。私は自己の内側に起こっている感情を正直に言うこともできず、ごまかして何もなかったかのように家に戻り、何とか聖人君子として表面を装ったように思う。

どうしてこんな他愛もない私事を書く気になったかと言うと、昨日の

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(マタイ7・12)

という、みことばの実践に関わる隣人を真に愛することの失敗の一例になるのではないかと思ったからである。O.ハレスビーはそのみことばが実践できない人間の本来の性質を6段階にわけて考察しているが、このことを実際に実行しようとしてみても不可能なことを経験するだろうと順を追って述べる。そして、その後半で次のように語る。

「第五に、あなたは利己主義のただ中で、あなたはどれほど不誠実であるかを経験なさるでしょう。あなたは利己的ではないのだと人々に信じさせたいとせつに望むのです。人々があなたを誤解して、あなたは自己犠牲の行為をしているのだと考えるとき、・・・あなたは喜ぶのです。あなたが利己的な悪い行為をして、それを人々が知るようになったとき、あなたはなんとかしてあなたの行為を見上げたものに見せようとしたり、あるいは、そのことを利己的な理由でしたのではなくて善意をもってしたのだとか、風向きが悪くなると、あなたがそれを愚かさあるいは思慮のなさの中でやったのだと、人々を信じさせようとしてその言いわけをしていることを知るのです。あなたが利己的であったことを認めることは、あなたが愚かであったことを認めるよりもあなたにはもっとつらいのです。

第六に、あなたはご自分に対して誠実でないことを体験なさるでしょう。あなたが今気づきはじめなさることはまた、事実よりももっとりっぱな光の中で、ご自分の行為をご自分に説明してきかせようとしていらっしゃるということです。ご自分の悩んでいる良心を平静にするために、たくさんの技巧や細工を用いなさるのです。 (中略)

これらの簡単な、しかも根本的な道徳的経験をおもちになるならば、「あなたがたも、悪い者ではあっても」(ルカ11・13)ということばで、慎重に私どもの特徴をえがき出しておられるとき、イエスのおっしゃることは正しいんだということを、あなたはご自分で悟られることになるのです」(『私はなぜキリスト者であるか』21〜22頁)

主イエス様は、どんな人に対してもそのまま「わたしのところに来なさい 」(マタイ11・28)と手を差し伸べておられる。私が42年前のことを急に思い出したのは、それまで家内の世話を献身的にしていたように見えたとしても、たった一遍の自分の思い(嫉妬)を主イエス様のところに持っていかず、家を出て、ごまかし闇に葬りそのままにしたことである。葬り去るのではなく、そんなことはそもそも人間にはできない(現にこうして私はO.ハレスビーの書物を通して鮮明に昔の罪を思い出しているからである)ことを悟り、正直にイエス様の御前に出て罪を悔い改めることであったと思う。まことに

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。 わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行ないの結ぶ実によって報いる。(旧約聖書 エレミヤ17・9〜10)

人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。(マルコ7・21)

(※昨日の家庭集会〈引用聖句2テモテ4・6〜8題名栄光の冠を受けるには〉にも主イエス様を求めて遠方から来られた方がおられた。そして喜んで帰られた。主イエス様はうたがう者を信仰を持つ者へと変えてくださる方である。次回は3月13日(水)14:00からである。)

2013年2月27日水曜日

うたがいから信仰へ(2)

スイス・レマン湖 by Nobuo.Y
私が10代後半に友人からキリスト信仰を紹介されたにもかかわらず、即座に否定したのは、科学という絶対的な真理を盾にしたものでした。もし神が存在すると主張するなら、神の存在が誰にでもわかるように証明できるはずだ。それができない限り信じられないというものでした。しかし、今にして思えば、その立論の奥にはどうしても崩されたくない自我があったことに思い当たるのです。したがって、昨日の最後のみことば「彼らは理由なしにわたし(イエス)を憎んだ」は私にとっては大切なみことばです。なぜなら、私は意識していなかったのですが、まるで自らを理性の王者であるかのように客観的であると自負していたのですが、真相は心の中には様々な問題を抱えていながらイエスを憎んだとしか言えないからです。

O.ハレスビーはそういう私のように懐疑するために懐疑している者でなく、確信が持てず何とかキリスト信仰にたどり着きたい人のために、まず新約聖書を読むことを勧めています。そして次のように言っています。(実は私自身も後に、いつの間にか、今度は婚約者からキリスト信仰を勧められ、聖書を不承不承ひもとかなければならなくなっていたのですが)

「あなたは、聖書の超自然的な起源に疑問をもたれ、同様に、新約聖書の中の奇跡の記事の大部分、おそらくその全部に疑問をもたれると、私はまず考えるのです。それにもかかわらず、新約聖書をお読みなさるようお願いします。(しばらくの間あなたの知性にあまりにいやな気を起こさせるものを読むことを省きなさい。残るところを読みなさい。それは、あなたをうたがいから引き出し、キリストについて、またキリストについての聖書のあかし全体についての個人的な確信に入る助けを与えるのに十分なのです。)

イエスは、ご自分に関する大小幾多の教理を受け入れたり、前もって承認したりするようには聴衆に要求せられなかったのです。イエスは、むしろ、彼のもとに来て、その声をきき、彼に従うように人々にすすめをなさったのです。

どういうことが起こったでしょうか。正直にそのことをした者は、みな、イエスを体験して、彼がご自身について語られた事柄の真理であることを、すぐ自分で確信するに至ったのです。その人たちが、体験した事柄、また自分で確信するに至った事柄を後に至って言い表わしたとき、その結果が新約聖書でありました。」(『私はなぜキリスト者であるか』15〜16頁、かっこ内は18頁)

ここで何よりも勧められているのは、ひとりひとりがイエス(の仰せ)のところに出てイエスを体験することが求められているということであります。これが2000年来、変わることのない、聖書が真理であることを納得する道なのです。なぜなら聖書の真理は「体験」をとおして明らかにされる性質を持っているからです。イエスは次のように言われました。

だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。(新約聖書 ヨハネ7・17)

このみことばは何と適切なみことばでしょうか。絶対的な真理と確信したいのなら、あなたは神のみこころを行ないなさい、とイエス様が勧められているからです。すなわち傍観者、認識者でなく、行為者としての人間という人格を持つ者にしか問われない責任が明らかにされているのです。

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(マタイ7・12)

これは私たちひとりひとりに対するイエス様の勧めのことばです。 これは今からでも実行できる勧めです。

2013年2月26日火曜日

うたがいから信仰へ(1)

懐疑者はいつの時代でもいます。現にこの私自身が懐疑者でした。懐疑者には二種類あることを最近『私はなぜキリスト者であるか』というO.ハレスビーの新書版の本で知りました。自己の立場(スタンス)を正当化するためにキリスト信仰を疑う人と、キリスト信仰を求めながらも、確信が得られず相変わらず不安定な精神生活を繰り返さざるを得ない懐疑者があると彼はその本で述べています。

そして彼は前者の人は私の本の対象者ではない、と断ります。しかし、私はこの本を読みながら、自らの苦い体験を思い出しました。それは浪人生活のため京都で下宿した時のことです。その下宿はたくさんの浪人生を泊まらせる専門宿でした。食事時に田舎から出て来て動作ののろい私は、各自が配膳せねばならないのですが、いつもお味噌汁をすくう段になると、先に行った人がすでに具を平らげているので、かすも同然の汁でがまんしなければなりませんでした。それでこれでは身が持たないとばかり、下宿屋さんに文句を言ったのです。それも半べそをかきながら喚(わめ)いたのです。

その時、自らの立場を正当化するために、よくもあんなことを次から次へ言ったかと思うほど、下宿屋さんの「悪政」を糾したのです。その折の主張としてはどうみてもお門違いの議論(おまえは、私の父が結核であることを知っていながら、こんな栄養価のない食菜、しかも商売のためとは言え、もともと少ない量を与えてよくもまあー平気だなあー、と)をふっかけたのです。それをどこかで聞いていたんでしょう。同宿人の三重出身のY君が「わしもまったく同感だ、こんな下宿屋は一時も早く出てしまおう」と言って、すぐ別の下宿先を見つけてきてくれました。だからその下宿は一月しかいず、その後半年ほどいることになる大徳寺の某塔頭にお世話になりました。打って変わって(お寺であるのに)、肉類が豊富に出て二人ともすっかり満足したのです。

そもそも自宅浪人のつもりでいた私ですが、わざわざ京都にまで出て来た理由の一つに、恥ずかしながら、父親が結核なので罹患を恐れての行動がありました。しかもその父親のスネをかじっているのに、予備校の授業はおもしろくないとばかり行かずに、自らの力を過信し、大学入学後の夢ばかり描いて、結局はろくに勉強もせず、目的の大学に入れませんでした。

このような私にキリスト信仰を勧める友人がいなかったわけではありません。しかし、彼が勧めても、頭から聞く意志はありませんでした。土台、キリスト信仰を受け入れるには余りにも天と地ほどの開きがあったのでしょう。自己中心の生活を続けている私には無理だったのかもしれません。ハレスビーのこの本の冒頭に次のような文章があります。

疑う者に二種類あります。第一に、疑うことの好きな者があるのです。そのわけは、その疑うことが、その人たちを、良心の呵責からのがれさせるからなのです。その人たちは、下品なはばかるところのない罪とか、普通の世俗を愛することとか、外見的な道徳性の自己満足で営んでいる利己的な生活とかを捨てようとしないのです。良心がその人たちをなやますとき、それを平静にするのにその人たちが手にする最善の方法はうたがいです。

このことが、疑うことを貴重な所有物として守り、それと離れようとしない人々を見るわけであります。その人たちは、自分のうたがいを強化する文献を選びます。キリスト信仰にかかわる問題を討論するあらゆる機をつかまえます。討論で、反対者を納得させることに成功しなくても、少なくとも、自分だけはそのたびごとに、信じている反対者を狼狽させて、窮地に追いやることができたといっそう安心するのであります。(『私はなぜキリスト者であるか』岸千年訳11〜12頁より引用)

考えてみますと、主なる神様は私が罪の渦中にある、すべての時に様々な形で語りかけてくださっていました。それを私は「うたがい」という形でつねに対峙していたのではないかと思うのです。私にとって次のみことばは真理です。

『彼らは理由なしにわたしを憎んだ。』(新約聖書 ヨハネ15・25)

(カット写真として用いさせていただいたのは『私はなぜキリスト者であるか』の表紙の絵である。この絵がどんな意図で描かれたか、まただれの作品かわからない。しかしよく見ていると、何となくルカ18・9〜14が背景になっていると思う。読者はいかに思われるだろうか?)

2013年2月25日月曜日

小羊の怒り(下) ゴッドホルド・ベック

彦根城大手門橋から西方面。右手奥は彦根西中、滋賀大学。2010.2.24
三番目、将来、大ぜいの人々は「何」を祈っているのでしょうか。今読んだように、「私たちの上に落ちかかれ、私たちをかくまってくれ」と祈るようになります。こういう人たちは主の前に出るよりも、死のほうを望んでいます。彼らはかつて自分の罪を認めようとしなかったのです。そして、小羊の提供された救いを受け入れようともしなかったのです。そして今、「小羊の怒り」から逃れようとしています。しかし、裁きと「小羊の怒り」とから誰も逃げることはできません。

ヘブル人への手紙の9章の中で次のように書いてあります。399頁になります。ヘブル人への手紙の9章27節になります。「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」いつか死ななくちゃいけないでしょうと、人間はみなわかっている。け(れ)ど、死んでから死後に裁きを受けることについて考えると、ちょっと問題になるのではないでしょうか。代表者、唯一のまことの弁護士であるイエス様なしだったら、もう悲劇的です。神の裁きと「小羊の怒り」とは、夢ではない、恐るべき事実です。「だれがそれに耐えられるでしょうか」と将来の人々が叫ぶのです。しかし、これは心からの問いかけではなくして、単なる恐れから出た叫びです。誰も主なる神の裁きに入る時にはその裁きがどのようになるのかという疑問は持っていないのです。なぜなら、小羊の裁きが正しいことを人間は認めざるを得ない。

最後に、三つの質問を考えてみたいと思います。第一番目、私たちは「いつ」祈るなのでしょうかね。今、恵みと受け入れられる時に祈るのでしょうか。それとも、恵みの時が過ぎ去り、すべてのものが揺り動かされる時に祈るなのでしょうか。あらゆる人間にとって一番大切なのは、「祈り」・「助けを求める」ことです。イザヤ書の55章6節、素晴らしいことばが書き記されています。1117頁です。イザヤ書55章の6節です。「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」祈ることとは主を呼び求めることです。助けを心から求めることです。

二番目、「誰」に向かって祈るなのか。生けるまことの神に向かって、イエス様をとおして永遠の救いを提供しておられる主に向かって祈るなのか、それとも後の日に岩や山に向かって祈るのでしょうか。結局、祈る対象は考えられないほど大切です。人間はほんとうに苦しむようになると(悩むと)「神さま助けてくれ」と言うでしょうが、この神とはいったい誰なのでしょうか。宗教と関係している神は空しい。まことの神は宗教と関係のない方であるからです。

(三番目、)「何」を祈るなのでしょうか。一時的な自分の守りについて祈るなのでしょうか。それとも不滅の魂のために祈るなのでしょうか。永遠のいのちのために祈るなのでしょうか。永遠のいのちとはどういうものか、今もちろんまったくわかりません。初めて完全な者として造られたアダムとエバでさえも永遠のいのちを持っていなかったのです。造られたいのちにすぎなかった。永遠のいのちは造られているものではない。イエス様は「わたしがいのちです」(と、言われた)。イエス様を受け入れた人は意識しないでしょうけれど、間違いなく永遠のいのちを持っている。行き先は決まっていると信じ、前向きに生活することができる。

今の時に罪人の私をあわれんでください、と祈ることこそがもっともたいせつです。いつか後の日に、岩や山に向かって、私たちの上に落ちかかれと祈っても終わりです。罪人の私をあわれんでくださいと祈るほうがはるかに賢明なのではないでしょうか。その人の罪が主イエス様の流された血によっておおわれている人だけがその日には守られるのです。ダビデはみこころにかなう祈りをしたから、喜んで言うことができました。詩篇の32篇1節2節だけ読みます。お宅で全部、初めから終わりまで読んだほうがいいと思います。856頁。詩篇32篇1節2節「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。

イエス様は今の時代には、なお救い主です。しかし、裁きの日には「救い主」でなくて「裁き主」になります。われわれの生活の基礎はいったい何なのでしょうか。イエス様の成し遂げられた救いなのでしょうか。基礎がイエス様にある人は幸せです。詩篇の2篇12節を読むと次のように書かれています。2篇12節「御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。

イエス様を信ずる兄弟姉妹にとって来たるべき真っ暗な裁きの日に対して二つのことが言えるのです。すなわち私たちにとっては、まず、まだ救われていない知り合いの人々のために絶え間なく祈るということ、そしてその次にそれらの方々をイエス様のみもとに連れてくるために、いわゆる愛の労苦をするということこそ要求されています。どういう人々は今救われているかと言いますと、救われていない人々のために心から祈られている人々ではないでしょうか。多くの人は「いやあ、信じています」「信じています」と言います。しかし、救われていない人のために心配して祈らない人(と)は考えられないのではないでしょうか。なぜなら私たちはどうしてイエス様を信ずるようになったか。主はあわれんでくださったからだけなんです。け(れ)どいつか天国へ行くためではないョ、悩んでいる人、困っている人、孤独になった人々をイエス様のみもとに連れて行くために救われたのです。

イエス様は生きておられます。このイエス様は貧しくなった。無視されても、悪口言われても、イエス様は口を開かなかった。黙って死に赴かれるのです。どうしてでしょうか。イエス様は富んでおられたのに、私たちのために貧しくなられた。それは私たちがキリストの貧しさによって富む者となるためです。富む者とは大金持ちではない。健康人でもない。私でさえも受け入れられている。神の愛を受ける資格はないけれど、愛されているからありがたいと素直に信じ、感謝している人々ではないでしょうか。

(ベックさんはこのようなメッセージを一週間のうち何回となくされている。蚕はせっせと桑の葉を食べては糸を紡ぎ出す。60年間、語り続けて来たベックさんの源泉は桑ならず、神のみことばである聖書である。みことばは食べるものである。食べるからこそ蚕はあの美しい絹糸を生み出すのだ。われらもかくあらん!)

2013年2月24日日曜日

小羊の怒り(中) ゴッドホルド・ベック

彦根城大手門橋の東方面。奥に見えるのは彦根東高校。2010.2.24
将来、多くの人々も結局祈るんです。山や岩に向かって。そういう祈りは全く意味のないことです。普通の祈り会にはそんなに多くの人が来ないかもしれないけれど、ここでは数えられない大変多くの人が来るんです。ここには七つの異なったグループの人々があげられています。七という数字は完全な数であります。ということは、小羊の救いを拒んだすべての人がここに来ているということになります。

「恐怖」が彼らを一つにしたのです。したがって最も強い者も力を失ってしまう。主なる神の提供された救いを拒んだ、思い上がった人々は、もぐらのように、ほら穴の中に隠れようとしています。け(れ)ど、これらの人々は落ちかかって来る原子爆弾から私たちを守れと言っているのではなくして、御座にいる方から、また「小羊の怒り」から守ってくれと叫んでいます。これらの人々は原子爆弾や人間の前に隠れているのではなくして、「小羊の怒り」の前に隠れようとしているのです。

この箇所を見ながら三つのことを考えましょうか。まず第一番目、「いつ」彼らが祈っている(の)でしょうかね。二番目、「誰に」向かって祈るのでしょうか。そして三番目、「何を」祈っているのでしょうか。

この祈りの時は「怒りと裁き」の時です。すなわち彼らの祈りはすでに遅すぎます。今のわれわれの時代は聖書によると、「恵み」の時代、「救い」を得る時代であります。すなわち今日罪を悔い改めてイエス様のみもとに来る者は罪の赦しを得、永遠のいのちを自分のものにすることができるのです。

聖書においては、父なる神の怒りについては確かに多くのこと書き記されています。けれど「小羊の怒り」については余り書いていない。小羊である主イエス様の怒りということは結局、完全なる破壊を意味します。その愛からいのちを与えられたお方が今怒っておられます。もしも主なる神の怒りをわれわれの代わりに受けてくださったそのお方が怒られる時、だれがこれに耐えることができるでしょうか。もしそうであればすっかり駄目です。小羊が怒られる時にはもはや救いがありません。

ちょっと、逆のことを見てみましょうか。ロマ書8章31節と32節です。277頁になります。皆さん、何回もお読みになった素晴らしい箇所です。8章31節32節ですね。「では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

イエス様がわれわれの味方であれば、だ(あ)れもわれわれの敵となることができません。け(れ)ど、イエス様がわれわれの敵となればだれが救いを与え、いやすことができるのでしょうか。小羊が怒られる時にはすべてがおしまいです。

二番目、「誰」に対しておおぜいの人々が祈っている(な)のか。ここで書かれているのです。ちょっと考えられないことです。 「山と岩」に向かって、彼らは祈っているのです。これは全く空しい、役に立たない祈りです。確かに聖書の中によくイエス様の御名を呼び求める者が救われる、と約束されています。ただ神の救い主のもとにのみ救いがある、と聖書は言っています。イエス様は聖書において岩そのものと呼ばれています。今日もなおイエス様に自分の支配権をゆだねる人は揺るがない永遠の岩の上に守られるに違いない。け(れ)どもこの人たちは山や岩に向かって熱心に祈りますが、それは全く意味のないことです。無駄なことです。

ちょうど初めの人間であるアダムやエバが主の前から逃げようとした時のように。恐怖と不安とがこれらの人々を捕えているのです。罪の赦しと呵責(※)とが人間を主なる神様の前から逃れさせるのです。罪が人間を臆病者に、そして神の前から逃げる者にさせるのです。もしかすると今日来られた方々の中で主の前から逃げている(方がおられる)かもしれない。そのようなことをやめて悔い改めてイエス様のもとに帰ったほうが幸せです。イエス様こそがほんとうの逃れ場そのものです。そしてイエス様はもちろん人間ひとりひとりを待っておられます。受け入れて赦そうと望んでおられるのです。

(語られる中で時々頁数が出てくるが、いずれも新改訳聖書第二版の頁数である。※意味が不鮮明だが、正しくは「罪の責めと良心の呵責」と言うべきところだろうか。)

2013年2月23日土曜日

小羊の怒り(上) ゴッドホルド・ベック

彦根城・馬屋の梅 2010.2.24
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 (新約聖書 2コリント8・9)

今読んでくださった箇所を通してわかることは、イエス様はどうして来られたのか、犠牲になったのか、空しいものになったかと言いますと、私たちは富む者となるためです。富む者となるために、言うまでもなく、へりくだることです。自分の空しさですか、自分のみじめさを知ることです。聖書全体の言わんとしていることは次の箇所でしょう。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」有名なイザヤ書57章15節のことばです。

へりくだるということは、たとえて言うならば、イエス様の前にあわれな乞食のような者です。心砕かれた人です。そしてイエス様の光によって自分の空しさ、自分のみじめさを知っている人なのではないでしょうか。自分には主の御心にかなったものが一つもないことを知ることなのではないでしょうか。もっとも大切な祈りの一つは、ルカ伝18章に出て来るのですが、『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』このような祈りは、必ず聞き届けられます。このような祈りをささげる者は絶対に後悔しない。このような心の態度を取ることだけが要求されています。非常にありがたい事実なのではないでしょうか。

ダビデは多くのいわゆる詩篇・祈りを書いたのです。彼の心をあらわす一番大切なのは多分詩篇32篇と51篇なのではないでしょうか。51篇の17節に「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」と彼は書き記したのです。どうして? 結局、彼は体験的に知るようになったからです。へりくだることとは、自分が強く偉大な富んだ者ではない、本当にみじめでどうしようもないことを認めることです。

イエス様は貧しくなられた。もちろんこの大宇宙を造られる前に、イエス様は想像できない栄光を持っていたのです。け(れ)ど、イエス様は貧しくなった。イエス様の貧しさとは何であるかと言いますと父なる神に対して自分で選んだ依存です。 イエス様は父なる神から聞いたことだけを語った。父なる神が行なったことだけを行なったのです。ですから、私たちは一生懸命四福音書を読んでもイエス様はどういうお方であったか、ちょっとつかめません。われわれ人間は全く違うからです。イエス様の唯一の変わらない祈りは「わたしの思いではなく、みこころだけがなるように」自分は、別に、どうでもいい、無視されても、悪口言われても、イエス様は全部(父なる神に)ゆだねたからあらゆる不安・心配から解放されたのです。すなわちイエス様は決して自分で勝手になさることはなかった。父なる神に全くより頼んだ。いつも父の御心に服従なさったのです。「わたしの思いではなく、あなたの思いがなるように」ちょっと想像できない、考えられない態度でした。なぜならば、この世に来る前にイエス様は何でも知っておられたし、何でもできたのです。何の不自由もなかったのです。けれどもこの地上に来ることによって本当に束縛されてしまいました。

黙示録の中で将来のことについて色々なこと書いています。われわれはイエス様に祈れば、助けを求めればイエス様は聞いて下さる。けれども、将来のことについてちょっと考えられないこと書いています。黙示録の6章15節から、444頁ですね。「地上の王、高官、千人隊長、金持ち、勇者、あらゆる奴隷と自由人が、ほら穴と山の岩間に隠れ、山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。御怒りの大いなる日が来たのだ。だれがそれに耐えられよう。」(6・15〜17)

ここで「小羊の怒り」について書いてあります。普通だったら、小羊のささげられたいのちについて、小羊の変わらない愛について書いてあるのです。けれどもこの箇所を見るとやはり、この小羊なるイエス様の愛は変わるものですって。「小羊の怒り」と書かれているからです。イエス様ははっきり約束してくださいました。すなわち「わたしは迎えに来ます」。もちろん、今度十字架の上で死ぬためではない、わたしに属する人々を迎えに来るためです。このいわゆる空中再臨の時、主の恵みによって救われた人々は皆、瞬間的に見えなくなる 、死を見ないでそのままよみがえりのからだを持つようになり、イエス様と一緒になる。それだけでなく、その瞬間、いわゆる恵みの時も終わります。そのあとのことについて前に読みました聖書の箇所によると多くの人々は祈るようになります。もう一節見てみましょうか。ルカ伝の23章30節153頁になります。「そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ。』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ。』と言い始めます」とあります。

前に読んだのですがロシア、ソ連のレーニンという男とはもちろん神を否定していましたし、神がいない、いない、それを信じなければ殺されるべきです(と主張していました)。もう何万人、彼を通して殺されたかわからない。けれども彼は死にそうになったのです。そして彼は祈るようになったんですって。誰に向かって祈ったかと言うと、テーブルと椅子に向かって祈ったのです。けれどいくら立派なテーブルであっても、丈夫な椅子であっても答えはない。気の毒です。結局生きている間に祈らない人はかわいそう。祈ることとは、もちろんまず頭を下げることであり、助けを求めることです。助けを求めなければ、この世でもっとも気の毒な人々です。なぜなら助けを求めなければ、助け主を知る可能性はないからです。

(今週水曜日上尾で家庭集会があった。私は出席しなかったが、出席した方から、良かったので、是非筆耕して欲しいと言われ、CDを預かった。語るのはゴッドホルド・ベックさんでドイツから1953年に来日され、今年で満60年になる宣教師の方である。自分の日本語が完全であるかはわからない、自分は日本人として一人前でないといつも言われるが・・・。これを機会に三回に分けて掲載する。)

2013年2月21日木曜日

良い地は実を結ばせる!

忍耐と 告げるかのよう 三須臾
しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。(新約聖書 ルカ8・15)

私たちは、今日はじめて、神のことばを聞いて救われた人についてまなぶことができるのです(※)。

最初に私たちが教えられることは、救われた人たち、すなわち、良き地は、みことばを受け入れたということです。これが第一歩です。語りたもうのは神であって、その神のことばが人の魂に来るときに、いわゆる霊の目ざめとなるのであります。神から語りかけを受けて、霊の眼が開かれた者は、神に召された人とされるのです。

神のことばをきいて、それに従う者は、新しい人とされるのです。ほんとうに人が生まれ変わるためには、まず神のことばを受け入れ、そして日ごとにおこたらずに祈らなければなりません。

「主よ、私はあなたの御声に耳を傾けていますからみことばをきかせて下さい。私の罪、とが、あやまちを私に悟らせて下さい。あなたが語りたもうときに、その御声を聞きわけるようにして下さい」と。

このようにして日ごとに神からのことばを待つ者には、信仰の実がすみやかにみのりはじめるのです。

その人は最初に、罪の重荷に苦しみ、また悲しみます。次に、過去におかしたさまざまの罪、人に知られた罪や、心ひそかに犯した罪を一つ残らず神の告白します。そうすると、罪深い自分自身が恐ろしくなって来るのです。

自分というものに、自信が持てなくなります。自分という者は、罪を心から悲しむこともできなければ、憎むこともできず、神を愛することも、信じることもできない者のように思われて来るのです。それにもかかわらず、キリストなしには生きることはできないのです。が、人の魂がこのような状態におちいったときに、神のめぐみが授けられるのであります。キリストの十字架のみが、彼らの唯一のさけどころとなるのです。

この信仰の実を結ばせるものは、忍耐であると、イエスは教えておられます。

実を結ぶということは、たしかに、容易なことではありません。なぜなら、信仰の実は、私たちのこの目に見えるものではないからです。

種は人の知らない間に育つものであります。

(『みことばの糧』O.ハレスビー著岸恵以訳2月21日の項より引用。※2/18ルカ8・5、2/19マルコ4・5〜6、2/20ルカ8・14と著者は種まきのたとえについて過去三日間で説明してきた。さて、ハレスビーがどのようにして主イエス様を信じたかを詳しく詳述した本に『私はなぜキリスト者であるか』岸千年訳がある。それを読むと、今日の箇所がいかに彼の体験から来たものであるかがわかる。それにしても最後のことば「種は人の知らない間に育つ」とは言い得て妙である。三須臾もまた連日の寒さの中じっと耐えて、黄色き花を咲かせようとしている。植物のように素直でありたい。)

2013年2月19日火曜日

救いの道(1)二つのグループ

       はこぶねが できました すると あめが ふりはじめました            あめは どんどん ふります おおみずに なりました   
今日世界には、ただ二つのグループがあるのみです。すなわち神のみまえにおける有罪の者と、無罪の者、救われた者と失われている者、罪人と聖徒の二つのグループです。あなたもわたしも、どちらかのグループに属しています。あなたは、クリスチャンであるか、そうでないかのどちらかです。

道は二つしかありません。滅亡と死に導く「広い道」と、天国と永遠の命に導く「狭い道」です。第三の道である中間の道はありません。わたしたちは、天国か地獄かのどちらかへ通ずる道を歩んでいるのです。また、わたしたちの主人もふたりしかありません。すなわち神かサタンかのどちらかに、わたしたちは仕えています。というのは、人は「ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」からです。あなたは、どのグループに属しておられるでしょうか。あなたは、どこへ行かれるのでしょうか。また、あなたはどの主人に仕えておられるのでしょうか。

一つのグループは「有罪」であり、もう一つは「無罪」です。あなたが、善人であるか悪人であるかは問題ではありません。あなたが、大罪人であるかないかは問題ではないのです。とにかく、あなたは有罪か無罪かのどちらかです。あなたの名前が数百の教会の名簿に載っていても、教会で最も熱心な働き人であっても、大罪を犯して数年間刑務所にいたとしても、そういうことは全く問題にはなりません。あなたは救われていなければ有罪です。そして、滅びに至る「広い道」を歩くグループに属しているのです。あなたは、教養と品位を身につけ、多くの人々から尊敬されているかもしれませんが、世の中で最も堕落した罪人の仲間のひとりです。ですから、神のみまえに「有罪」となるのです。そのグループのすべての者が平等に堕落していなくても、彼らは平等に有罪なのです。

何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3・22〜23)

ノアの大洪水のことを思うだけでも、恐ろしい気がします。それは、なんとすさまじい絵でしょうか。ノアとともにいた者のほかは、全部滅んでしまいました。善良な人生を送った者も、最も堕落した罪人とともに、永遠の滅亡の中でおぼれ死んだのです。ここにも、二つの群れしかありません。彼らの罪の大小や、普通に言う善悪とはなんの関係もありません。彼らは、神に服従しなかったのです。彼らは、神の警告を無視し、安全なノアの箱舟の中へはいることを拒みました。ノアの箱舟にはいるか、それとも死ぬかのどちらかであって、ほかに道はありませんでした。

大洪水をのがれるために高い山に登っても、水はどんどん増してきてどうすることもできず、最後に懸命に祈っても、涙を流してもすでにおそく、彼らはひとり残らずおぼれて死ななければなりませんでした。それは、箱舟にはいることを拒んだためでした。彼らが、殺人罪を犯したからではなく、またその他の大罪のためでもなく、ただ神が備えられた唯一ののがれ道を無視したためでした。

私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう」(ヘブル2・3)。

神のみことばに耳を傾けましょう。

悪者どもは、よみに帰って行く。神を忘れたあらゆる国々も」(詩篇9・17)。

あなたは外面的に非常に善良な生活を送っておられるかもしれません。また、大きな罪は一度も犯したことがないとおっしゃるかもしれません。

しかし、あなたは神の救いを無視されました。あなたは、イエス・キリストという「安全な船」に乗ることを拒否されたので有罪となり、滅びなければならないのです。

(『道は二つしかない』オズワルド・J・スミス著斉藤一訳1963年版7〜9頁引用。絵は『絵本聖書 ノアのはこぶね』1977年版より。この記事は「救いの道」と題する話の第一回目である。全部で八回にわけて分載する。) 

2013年2月18日月曜日

ミュラーが受けた主からの恵み(下)

埼玉県北坂戸から望見した富士山 2/17
14 主の再臨についての見解
彼はこの真理を神が彼に明らかにして下さったことを感謝した。これは、彼の敬虔さと有用性に最も大きな影響を与えたものである。彼はこの教えをはっきりと知ることにより、この福音の時代の目的は全世界を回心させることではなくて、キリストの花嫁としての信ずる者の教会を召し集めることであるということを悟った。

15 語るべきことについて神を待ち望んだこと
どのような場合にも、その時に応じた最善の言葉が与えられるように神に求め、目前の問題をどのように取り扱うべきか、どのように語るべきか、また、御霊の力を表わしてだれにもわかりやすく真剣に語るにはどうすべきか、などについて導きを求めてから語った。

16 みことばの権威に対する服従
みことばの与える光によって、すべての慣習(それがどれほど古くから行なわれていたとしても)を再検討し、すべての伝統(それがどれほど一般に普及していたとしても)を聖書に照らし合わせて、その結果がわかると、神が与えられたその光に従い、どんな結果をも恐れず、勇敢にその道を進んで行った。

17 教会生活の模範
彼は牧会生活にはいった最初から、まず自分が魂の牧者であり監督である方に従う模範を示すことによってだけ、他の人々を導こうとした。また、信者の群れに対して、みことばに明確に見いだされるかぎり、すべてのことにおいて新約聖書中の模範に従うように力説し、これによって、それまで存在していたすべての誤ったあり方を是正するように指導した。

18 自発的なささげものの強調
彼は自分に対する一定の俸給を勇敢に辞退するとともに、神の仕事はすべて信者の自由意志の贈り物によって維持されるべきであると教えた。また、教会の座席使用料徴集の制度は、聖徒間の階級的差別の感情を助長するものであるとして、排除した。

19 すべての地上的所有をささげたこと
彼も妻も、文字どおりすべての持ち物を売り払って貧民のためにささげ、その日その日を単位として生活するようになった。将来の必要、病気や老後そのほか金銭が必要となるかもしれない時のために、少しでも貯金しておくようなことはしなかった。

20 密室における祈りの習慣
彼は密室における神との交わりを非常に尊ぶようになっていたので、これこそ信者の最高の義務また特権であるとみなした。この神との交わりおよびみことばの瞑想が十分になされなかったり欠けたりすることは、何ものによっても償うことのできない大損失であるとした。なぜなら、これこそすべての霊的生活のささえだからである。

21 あかしにおける熱心さ
会衆を牧会してゆくにあたり、思う存分、束縛を受けずに語り、奉仕することができるように、それらを妨害するものをつとめて排除した。主に対する忠誠、人に対する忠実さを妥協させてしまうような、言葉や行動に対する干渉に耐えられなかった。

22 仕事の計画性
神は彼を、神聖な活動をする諸部門を備えた計画を立案するように導かれた。たとえば、神の言葉をあらゆるところに広めること、世界的な伝道の奨励、若い人々に対するキリスト教教育などの部門をふくむ働きなど。また同時に、その新しい団体が、世的な後援者、手段、訴えなどにたよらないようにすべきことを教えられた。

23 孤児に対する思いやり
彼はどこへ行っても、貧しさとみじめな生活に対して、惜しげもなく愛を注いだが、両親に取り残された貧しい孤児に対しては特にそうであった。また、ハレにおけるフランケの働きに精通することによって、ブリストルでの働きのヒントを得た。

24 これらのすべての準備段階のほかに、彼は主によって、生地プロシャからイギリスのロンドン、テインマス、そしてブリストルへと導かれて来た。この選ばれた器は主によって大いなる働きに役立つように形造られ、また彼が生ける神を余すところなくあかしするための大事業をなすべきこの地に、同じ御手によって導かれて来たのである。

彼が神から厳格な準備訓練を受け、しかもわずか10年にも満たぬ短期間に、一生涯のための準備訓練をほとんど完了したということは、まことに驚くべきことである。この神のしもべがその後次々と表わすようになった特記すべき性格は、すべてこの訓練の賜物である。その訓練中に、生涯の働きに必要な物事を学び、その働きの一端を教えられたのである。

聖なる陶器師はろくろの前にすわって、土を取り、そのかたくなさをときほぐし、ご自身の意のままに応ずるようにこね、徐々に、手ぎわよく器として形造り、最後にきびしい規律のかまの中で焼き、しっかりした堅いものとされた。次に、ご自分のみことばと御霊の豊かな宝を満たして、ご自分の力のすばらしさを人々に伝えるためにご自分の望まれる場所に置き、ご自分の用に用いられたのであった。

神がこのように主権的な御手をもって形造って下さるということを見のがすことは、神がジョージ・ミュラーの生涯を通じて私たちに教えようとされるたいせつな教訓を見のがしてしまうことになる。

ミュラーは自分がただの土の器であることを知り、神が自分を選び満たして下さったのは、神が自分にさせようとしておられる仕事のためであることを自覚していた。この確信のゆえに、彼は奉仕に喜びを感じたが、同時にこのためにへりくだり、年を取るにしたがってますます謙遜になっていった。日ましに、自分が全く無能であることを痛感するようになった。だれかが彼の主を賞賛する代わりに、そのしもべである自分に驚嘆の目を向けるようなことがあったりすると、そのことを非常に深く悲しみ、ただ神だけに目を向けさせようとして努力した。「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」(ローマ11・36)。

(『信仰に生き抜いた人』A.T.ピアソン著海老沢良雄訳104〜106頁より抜粋引用)

2013年2月17日日曜日

ミュラーが受けた主からの恵み(上)

1 回心
全く予期しなかった時に、予想もしなかった方法で、神は彼をその誤りから引き戻し、イエス・キリストを知るように導かれた。

2 宣教精神
それは御霊によって点火され、あおりたてられ、事実という燃料でいよいよ燃え上がった。彼は、主のみこころであるならどこへでも行き、自分を捨ててどんなことでもするという、焼き尽くすほどの熱烈な宣教精神を持っていた。

3 自己放棄
彼は一度ならず、地上的な偶像的な愛着心を、キリストのために捨てることができるように力を与えられた。なぜなら、そのような愛着心は、彼の全面的な従順を妨害し、天にいます主に対する忠誠を乱すものであったから。

4 神の助言を求めたこと
彼はキリスト者生活を始めてまもなく、どんな大きなことでも小さなことでも、実行に移る前に必ず主のみこころを確かめることが習慣となり、どのような場合にも、みことばと御霊とに導きを求めた。

5 謙遜な子どものような気質
御父はその子をご自身のみもとに引き寄せ、信じて求めまた信頼する素朴な心、御父の忠告と指導に喜んで服する孝順な心をお与えになった。

6 説教の方法
この同じ教師によって、彼は早くから、聖書を人間の知恵によらずに原語で解明し、ただ神の御霊だけによって語るという説教法を体得していた。

7 人との絶縁
彼は一歩一歩を人にたよったり、金銭的な訴えをしたりする方法を捨てた。借金すること、赤字をつくること、また一定の俸給を受けることも放棄した。彼の目は、ただ供給者であられる神だけに向けられていたのである。

8 みことばに満足したこと
聖書知識が増すにつれ、聖なる解釈者によって説明され解明される神ご自身の著書に対する愛着が強くなり、ついには、宗教書もふくめてすべての書物に魅力を感じなくなってしまった。

9 徹底した聖書研究
若い人で、彼ほど組織的に神の真理の宝庫を探求した人は少ない。彼は聖書を何度も何度も読み通し、その教えを瞑想しては心に刻みつけ、また実行に移した。

10 人間的支配をのがれたこと
彼は神に全く依存するために、人への依存を全く断ち、彼の説教や教えを妨害するかせを大胆に打ち砕き、天来の導きに従うことと、天にいます主に奉仕することを妨げるようなものを、すべて排除した。

11 好機の活用
彼は人の魂の尊い価値をよくわきまえていたので、公の席上で語ることを求められた時でも、救いについて話し、入信を勧めた。あかしの言葉により、トラクト配布により、またへりくだった模範によって、なんとかしてだれかをキリストに導こうと、絶え間なく努力した。

12 国民的義務の免除
これは全く神の摂理によるものである。神は実に不思議な方法によって、彼をすべての軍事的義務から解放し、神の兵士として天の召しに応ずる自由を与え、この世においてまといつくものから自由にして下さった。

13 奉仕における仲間
ふたりの非常に有能な同労者が神によって備えられた。すなわち、同じ志の妻とクレークである。どちらも神が不思議な方法でお与えになった尊い贈り物であり、彼の仕事をよく助け、また責任の重荷を分け合ってくれた同労者である。

(『信仰に生き抜いた人』A.T.ピアソン著海老沢良雄訳102〜103頁より引用。ピアソンはジョージ・ミュラーについて365頁、しかも一頁が上下2段に分かれているから大変な分量になる伝記をものしているが、彼はその三分の一程度のところで、ミュラーの準備段階の特質を24項目にまとめた。いずれもキリスト者の特質を示して余りあるものである。昨日も6名の若い方と火曜日の「主のために生きる大切さ(ローマ6・12〜22、7・14、2コリント5・15)」というメッセージの録音を聞き、そのあと交わるという機会が与えられたが、私をふくめてひとりひとりの小さな決断を通して集いが持てたことを互いに喜ぶことができた。さしずめ上記の4、5などの実践であった。その交わりの中で一人の方があげられたみことばを書き留めておく。「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。」箴言23・26)

2013年2月16日土曜日

The Ministry Expands(宣教の拡大)

三須臾(さんしゅゆ) 陽の光受け 星々に  
(ブリストルに着いた)ジョージ・ミュラーはヘンリー・クレークと一緒にギデオン礼拝堂の牧師になった。そしてさらに二人がベテスダの礼拝堂に招聘されるもう一つの機会が実現した。ある人が建物の年間賃借料を支払いたいと申し出たので、クレークとミュラーはその礼拝堂でも説教することに同意したのだ。

神さまはブリストルでの彼らの宣教の最初の年に、こうした交わりに109人の人々を加えられた。65人が新しく主を受け入れた人で、そのほかの多くの人は主に仕えるために戻ってきたかつて信仰から離れた人々であった。一日、60人から80人の間の人々がパンを受け取りにやって来たので、近所の人々が通りを乞食がうろうろして困ると文句を言うほどだった。ジョージはその人々にもはやあなたがたはパンを受け取れませんと話さなければならなかった。しかし彼の貧しい人を助けたいという願いは増すばかりであった。

1834年の2月の間に神さまはジョージが福音を本国や海外に広げるために設立される機構を造るように導かれ始めていた(※)。同じ目的で、すでに他の団体が働いていたが、ジョージは「世の人からの支援を求め」ない団体の設立への導きを感じていた。彼の目的は、神さまだけが後援者であるということだった。「もし神さまが味方でないなら、成功しない」ということである。その組織の一切を管理するにはどんな未信者にも関与させないし、「この組織を支えるために回心していない人々のお金や地位は主にとって不名誉だと信じていたので」そのような人々のお金は一切求めないということだった。

翌年の6月までに5日制の学校が439人の貧しい子どもたちを教えるために設立された。そして795冊の聖書と753冊の新約聖書が配布された。資金や祈りの支援はカナダや東インド諸島やヨーロッパの宣教師たちに当てられた。だが、ジョージ・ミュラーは神さまが彼を通してなされつつある全てのことを成し遂げてくださったと思うまでにはまだ遠かった。彼は孤児のための家を設立する夢を抱き始めた。

そして1835年の11月21日には導きを確信し、計画を建てはじめた。1836年の4月11日には最初の家が17人の子どもたちを世話するためにウイルソン通り6番地に開設された。すぐに30名の少女がミュラー夫妻と一緒に住んだ。程なく、ジョージは第二の家をウイルソン通り一番地に購入した。そこは間もなく30人の幼児で一杯になった。翌年、ウイルソン通り三番地に今度は三番目の家が入手されて、7歳以上のおよそ40人の子どもたちの家となった。

ウイルソン通りの孤児院の宣教は拡大し、移転の必要が避けられなくなった。神さまは一万人以上の孤児たちの生活を支えるまでその働きを大きくされるのだった。

神さまにより、ジョージ・ミュラーは地上の父親からお金を盗んでいたあの一人の少年から、今や天の父が与えてくださる富に信頼する一人の男へと変えられたのだった。

(『Release the Power of Prayer』16〜18頁より訳出。 ※この団体はA.T.ピアソンの『信仰に生き抜いた人』によると「本国および外国のための聖書知識協会」と称したようだ。この働きをまとめてピアソンは次のように述べている。同書98〜99頁より引用

こうして、神のみことばが同協会の顧問として迎えられた。また祈りの答えとして与えられる神の祝福に、すべてをかけて出発しようとしたのである。

これと同時に、協会の働きの対象も、次のように明らかにされた。
1 全面的に聖書的原則に従って、ただ信者だけによって教えられ、運営される昼間学校、日曜学校、あるいは成人学校を設立し、または援助する。
2 旧新約聖書、またはその分冊を、できるだけ広範囲に行き渡らせる。
3 主のどこのぶどう園で働いていても、聖書的原則に従って働き、ただ主だけに日ごとの食物をあおぐ宣教師を助け、その仕事に協力する。

このような仕事を、このようなスケールで、しかもこのような時に始めるには、全く2倍の信仰が必要であった。なぜなら、すでにこの時彼らが携わっていた仕事は山ほどあり、時間的にも体力的にも、それらにすべてを費やしているほどだったからである。また、ミュラーの機関誌の記録の中に、「もう手もとには一シリングしか残っていない」というような記事も見受けられる。もし彼らが、満ち満ちて尽きることを知らない宝を持たれる、裕福で物惜しみをされない主に目を向けることをしないで、自分たちのからのさいふを見つめていたとしたら、決してこのような大事業に踏み切ることはしなかったであろう。

・・・主はこう約束された。
わたし、主は、それを見守る者。
絶えずこれに水を注ぎ、
だれも、それをそこなわないように、
夜も昼もこれを見守っている。(イザヤ書27・3)

・・・生ける神を唯一の後援者とし、祈りだけを唯一の訴えの手段として、ついに大きく発展し、その全世界的な働きは、全く神が祝福し用いられるところとなっている。

なお、英文サイトとして以下のものがある。http://www.christbiblechurch.org/literature/george-muller-page.html )

2013年2月15日金曜日

Absolute reliance on God(神様に対する全き信頼)

イギリスの風景 by Minako.S.
神さまはジョージをテインマスの18人からなる教会の牧師となる道へと導かれた。ここで神さまは彼に人々にみことばを伝えるにはどのようにして主の指図に頼れば良いかを教えられた。そして彼は早くも「祈りと黙想の生活だけが主の御用に役だつ器を用意する」のだということを悟った。神さまの祝福なしに、また指図なく、臨在なしには何事も実現不可能であり、神さまに頼ればピリピ4・13「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」のお約束を自分のものとすることができると知ったのだ。

テインマスにいる間にジョージはメアリー・グローヴズと会い、結婚へと導かれた。 また神さまに導かれて、彼は教区民の支援を受けたが、特別な給与を受け取ることは断った。人々の地位がもたらす影響が彼の宣教を支配することを悟り、自分の報酬を支払っている人々の反対を避けたいがために、全面的に福音を宣べ伝えず、妥協するように誘惑されたくなかったからである。加えて、教会における座席使用料の慣習は聖書的でないと感じていた(※)。金持ちは良い座席を買うことができるが、貧乏人にはそれができなかったからだ。

ジョージとメアリーは教会内に献金箱が置かれることに同意した。その上に記された表示は牧師を支えたいと思う人は献金箱に捧げものを入れることができますと説明したものであった。そのやり方は支援者が誰であるか、また如何なる人がどれだけお金をささげているか決してわからない方法であった。神さまはこの信仰の歩みを祝福されて、彼らの必要はいつも満たされた。

ジョージ・ミュラーは今まさに一歩を歩み始めたばかりであったが、もっと神さまに依存し、自らのどんな祈りにも神さまが答えてくださるというさらに大きな喜びへと導かれたのだ。テインマスで学ばされたこの信仰の訓練は、夫妻がブリストルに移って行ったときに、信仰がさらに増し加わる段階へと導くものとなった。

テインマスでの二年三ヶ月ののち、ジョージはそこでの働きは間もなく終わるであろうと感じ始めていた。ジョージはそれまで愛して来た人々と別れる悲しさはあったが、自分が感じたことは神さまのご意志であることが完全に示されたので、1832年の5月25日には(テインマスを出発して)ブリストルに到着した。

(『Release the Power of Prayer』15〜16頁より訳出。※ミュラーは絶えず聖書に聞いた人である。だから当時イギリスのキリスト教会で何らの疑問なしに行なわれていた慣行、教会座席使用料を否定して上述のように献金箱を置いたのである。A.T.ピアソンの『信仰に生き抜いた人』にその辺のことがさらに詳しく次のように書かれている。

「彼は『キリストに仕える者として、これ以上一定の俸給を受け続けることは、良心的でない」と考えた。一定の俸給とは定まった金額を意味するから、教会座席使用料の徴集またはそれに類した収入によらなければ、支払いが困難になる。しかしそれは、神の御霊の教えに明らかに反するものである(ヤコブ2・1〜6)。貧しい人は富める人のようにはよい席にすわれない。その結果、教会の集まりの中にあの忌まわしい差別感情や人間的偏見がもたらされ、階級制度的な精神を助長することになる。・・・こうして、1830年の秋、やっと25歳に別れを告げるという若さで、このような段階を踏み、その後も決して後退することなく、神の民のためにするどのような奉仕に対しても、定まった俸給をいっさい受けないという方針を曲げなかったのである。こうした立場については、聖書的な根拠を穏やかに示した。

一方、その同じ根拠に基づいて、自発的なささげものを奨励し、それは金銭であれ、他の方法によるものであれ、神に仕える聖職者の働きに対する正しい感謝のしるしであり、神が喜んで受け入れて下さるささげものであると強調した。その後まもなく、そのようなささげものが信者から個人的に直接届けられるために、多くささげる者はそれなりに自己満足を覚え、またある者はささげものが少ないために肩身の狭い思いをして、結局だれに対してもこの方法は有害であることがはっきりしたので、更に一歩進めて、礼拝堂に献金箱を備えつけることにした。

・・・更に、この主義を一貫して実行するために、主の奉仕のための旅費などについても、人からの助けを求めず、また事前にその援助の要求を間接的にそれとなくほのめかすようなこともいっさいしないことにした。何かの必要が生じた時はいつも主だけに求めるべきであり、そうせずに人に助けを求めるならば、それは肉の力により頼むことになってしまうと考えたからである。『神の御前にあってこの結論に到達するまでには、俸給を捨てること以上に主の御助けが必要であった』と彼は言っている。」同書61〜62頁より抜粋。)

2013年2月14日木曜日

The Master Teacher(主である教師)

ジョージがイギリスに着いた時、彼の肉体は弱められ、病気はひどくなり、もう直らないと思ったほどだった。しかし、神の民だけが理解し得る道で、彼は肉体がますます弱くなりつつあるにもかかわらず、魂の内側の平安を経験していた。彼はかつて自分が犯した罪を思い、一方で主から受けとった赦しの恵みをはっきり知るたびに、心に平安をいただいた。彼には、死ぬことが神のご計画なら、死んで永遠に主とともにある備えができていた。

医師がやって来たとき、ジョージは祈った。「主よ、あなたは、お医者さんが私にとって何が最善か知らないのをご存じです。だから、どうか彼を導いて下さい」また彼に処方された薬を飲む時の祈りは次のようだった。「主よ、あなたはこの薬がほんのわずかの水以下のものでしかないことをご存じです。さあ、どうか私の徳とあなたのご栄光のために役立つものを生み出してください。すぐ天に連れて行ってくださるか、それとも回復させてくださるかしてください。主よ、あなたが最善と思われるように私をお取り扱いください」

神さまのご意志はジョージが健康を取り戻すことであったが、神さまは依然として病を通して彼に教えようとされた訓練があった。友人たちは彼に健康を取り戻すために田舎に招待した。そしてこの機会に彼は聖書を学ぶ時間をたっぷり与えられることになった。

神さまの訓練は豊富で深い。神さまはジョージに神のみことばが「判断の基準」であり、聖霊が彼の教師たり得ることを示された。彼は端的に聖書そのものを学ぶことができるように、注釈書やその他のほとんどあらゆる本を脇に置くようにと導かれた。彼が言ったことには、彼が神のみことばだけに集中した初めての晩、それまでの数ヶ月かけて学んだことよりも、その数時間のうちにもっと多くのことを学ぶことができたということだった。

彼がロンドンに戻ったとき、彼は主の働きに対して彼が持っているどんな力をも差し出す決意をしていた。彼は宣教師として直ちに出発したかったので、宣教協会に対して派遣して欲しいと要請していたが、返事を受けとれないでいた。だから、彼は公的な承認を待つよりもむしろ、今いるところで宣教師の資格があるなしを問わず、神さまに正しく仕え始めるのが妥当だと感ずるようになった。彼はロンドンにいるユダヤ人にトラクトを配布し始め、すぐに約40名のユダヤ人の少年たちと規則的に聖書を読んだ。

1829年もあとわずかになったころジョージはロンドン協会に財政的に支援されるのは妥当でないと感じた。そして宣教の方向や財政を求めるに際しては、ただ主だけを頼みにすべきだと知った。どちらにも影響することなく、ジョージは協会との関係を解消し、今や主が門戸を開かれる所ならどこであろうとも福音を宣べ伝える自由を体験した。

(『Release the Power of Prayer』13〜15頁より訳出。写真は昨日の家庭集会に掲げた聖句看板である。「主よ。どうかあなたの光のうちを歩みたくないすべての信者を集会から遠ざけてください。そしてまた、あなたによって備えられていないすべての未信者をも来ないようにしてください」とは『実を結ぶいのち』122頁にしるされていることばだが、聖でありまことである主イエス様の前に絶えず覚えていなければならない祈りであろう。この祈りは先ず第一に自らの内に鋭く迫ってくることばであることを肝に銘じ、主の光の中に照らし出されて、主にある方々との交わりをともに喜ぶ者でありたいと思う。昼間は「主を喜びましょう」と題してヨハネ14・1〜3、15・11、16・33が、また夜は「待ち望む生活」と題して1コリント16・21〜22とそれぞれみことばが取り次がれた。集会にいつも出席なさっている方々が友人を祈りのうちに誘ってお連れなさるが、そういう方々が喜んでおられる姿を目の当たりにするのは主が下さる恵みである。昨日もその恵みを味わった。次回は2月27日午前10:30からである。)

2013年2月13日水曜日

ミュラーの願いと主のお答え

The Infant Samuel,1777 by Sir Joshua Reynolds
ミュラーは宣教師からの手紙を読むにつれ、自分自身が宣教師として導かれていると感じ始めた。主に全面的に、かつ条件をつけずに仕えたいと強く願い、自分が新しくつかんだ喜びを他の人と分かちあいたいと願った。彼は父と兄弟たちの霊的な状態が気になり始めた。彼らもキリストを受け入れてくれるように願って、手紙を書いた。ところが悲しいかな、彼らの手紙は怒りの返事となって帰って来た。

そのころ、フリードリッヒ・トールク博士、神学教授がハレ大学に教えに来た。トールクが大学に来たというので、数名のクリスチャンの学生が教えを受けるために他の学校から転校して来た。こういう信者たちのおかげもあってジョージの信仰は強められ、宣教師として仕えたい意欲が増すのだった。

もう一度、彼は父にドイツの宣教団体の一つに入る許可を求めて手紙を書いた。父は、もしおまえがこの道をあくまでも求めるのなら金輪際自分の息子とは認めないと言ってきた。父は前々からジョージが牧師になり、皆から畏敬される生活を彼と共に送り、終生安楽な生活をと望んでいたからである。ジョージは父の将来設計を実現することはとても請け合えないので、もはや父の財政的な支援は受け入れるべきでないと考えた。その支援金がたとえあともう二年間神学校を終えるのに必要としているお金であったとしてもだった。

ところが、神さまはジョージがドイツ語を数名のアメリカの教授たち(ハレに文学研究のために来た)に教えてその経費を賄うようにさせなさった。ジョージは自分がキリストのためにした小さな献身にすぎないと思ったが、神さまから大きな祝福をいただいたのだった。しばらくして、彼はヘルマン・バルという裕福な人に出会った。彼は家族とともに安楽な生活を営むよりは、むしろポーランドにいるユダヤ人の間で働くという道を選んだ人だった。バルの献身はジョージに深い影響を与え、ユダヤ人の宣教師になりたいという意欲が彼の心に芽生えた。

トールクはジョージにイギリスの大陸協会がブカレストに行って、主のために働いている年配の宣教師を助ける宣教師を派遣したいと考えていることを知らせてくれた。慎重に考え祈った結果、ジョージは行くことを申し出た。ところが、予期に反して彼の父も同意したのだった。

ブカレスト行きを準備しているとき、ジョージはかのヘルマン・バル(ポーランドのユダヤ人の宣教師である)が健康を害して、その働きを投げ出さざるを得なくなっていることを知った。ジョージはバルの代わりになりたいとの燃えるごとき情熱を覚えたが、すでにブカレスト行きを約束してしまったあとだった。

ある日、トールク博士を訪ねたおり、ジョージは教授からあなたは依然としてユダヤ人の間で働きたいと思っていますかと尋ねられた。彼はその質問に驚き、トールクにそうしたいという思いはこの数週間心の中に思っていたことですと話した。だが、二人は、ジョージがブカレストに行く献身をしたこと、そしてそれが主があがめられるために必要だということに同意した(Both agreed, though, that he had made a commitment to go to Bucharest, which needed to be honored.)。

翌朝までにジョージのブカレスト行きの願いのすべてがなくなってしまった。彼は神さまに回復してくださるように祈った。神さまはそうなさった。一方でジョージの熱心なヘブライ語研究は今や情熱と化していた。

10日ほどして、トールクはトルコとロシアの戦争ゆえに、宣教協会がブカレストに宣教師を派遣しないことを決めたことを知った。それでもう一度トールクはジョージにユダヤ人への宣教師になることについて彼が考えていることを聞いた。

祈って神さまに尋ねることをしてジョージは自らがロンドン宣教協会のユダヤ人伝道を押しすすめる手助けをしたいと申し出た。トールク博士を通して、ジョージはロンドン宣教協会の宣教志願生として受け入れられることになった。

神さまの奇跡的な介入を通してジョージは結核のゆえにプロシア国の軍役の免除を受け、彼がイギリスに渡れる旅券を受けとったのである。神さまがジョージ・ミュラーの夢にも思わなかった方法で彼をお用いになる計画が今まさに始まろうとしていたのだ。

(『Release the Power of Prayer』11〜13頁より訳出。英語を併記した所は誤訳の恐れがある所。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」ピリピ2・13

2013年2月12日火曜日

驚くべき回心

ソファーに鎮座まします花瓶(二つの造型を組み合わせて)
 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。(旧約聖書 箴言1・7)

1825年の11月のある土曜の夕べ、ジョージは友人のベータと散歩していた。友人は彼に、最近ある個人の家庭で行なわれている祈り会に出席していることについて話をした。それによると、そこでは聖書が読まれ、賛美がなされ、祈りがなされ、印刷された説教が読まれているということだった(※)。ジョージはベータの話を聞いたとき、まるで彼が今まで全生涯で求めていた宝物を見つけたかのような思いになった。その晩、二人は一緒にその祈り会に行った。

ジョージは家に迎え入れられたとき、よくはわからなかったが、信者たちの間にある喜びに気づいた。彼の人生では初めて、人が祈りのために跪(ひざまづ)くのを目にしたのだった。そのことは彼に深い印象を与えた。カイザー兄弟が祈っている間、ジョージは考えていた。「私はこの人よりは教育を受けているが、この人のようには祈れない」

集会を辞してから、彼はなぜだかはわからなかったが、幸福感を味わった。以前の自分の生活のどんな喜びも祈り会の間に彼が経験した喜びに如(し)くものはなかった。神さまが彼の心に恵みのみわざをなされ始めたのだ。その晩が彼の人生の分岐点となった。

彼は続いてこのクリスチャンの兄弟の家を訪ねるようになった。もう一回神のことばを学び兄弟たちと一緒に祈れるように経巡ってくる土曜日がほとんど待ち切れなくなっていた。彼が直ちにすべての罪から手を切ったわけではなかったが、悪い仲間と時間を費やしたり、居酒屋に行くことはもはや止めにしたのだ。彼の虚言癖でさえ、木っ端みじんに砕かれた。正しい動機で教会に出席し始め、仲間の学生からあざ笑われることも意に介せず、心を開いてキリストご自身に罪の告白をするようになった。

※当時、プロシアでは任職された牧師がいなければ、説教が宣べ伝えられることは禁じられていた。

(『Release the Power of Prayer』10〜11頁訳出 。この同じくだりのところを解説してA.T.ピアソンは『信仰に生き抜いた人』の中で次のように述べている。

「彼は再びハレに戻ったが、その後まもなくキリスト・イエスにあって新しい人となろうとは、知る由もなかった。彼が神を見いだしたために、彼の人生の流れは、全く新しい水路に向かって流れはじめるのである。彼のこの20年にわたる罪と哀れな状態を書き連ねたのも、ただ彼の回心が超自然的なみわざによるものであり、神を除外してはいかにも説明のしようがないということを、より明白にしたかったからである。

このような結果を生み出したのは、決して彼の「進化」ではなく、また「環境」でもなかった。あの大学の町には、彼が救われて経験したような性格とふるまいの大改革を引き起こすほどの自然の力は、何一つ存在していなかった。その町には千六十人の学生がおり、そのうち九百人が神学生で、みな説教することを承認されていたのであるが、彼自身によると、真に「主を恐れる」者はそのうちの百分の一にも満たなかった。形式主義がきよい汚れのない信仰に取って代わり、多くの場合、敬虔な告白の陰には不道徳と不信仰が隠されていた。このような状況の下にある人間が、自分以外から、しかも天上からの大いなる力の介入を受けないで、どうして真の性格といのちの大変化を経験することができようか」同書19〜20頁引用)

2013年2月11日月曜日

どうすることもできない人の性

ジョージ・ミュラーは1805年の9月27日にプロシアのクロッペンシュタットで生まれた。父は収税吏であったが、子どもたちを世に役立つ者として教育した。ところがジョージも弟たちも落ちこぼれでたくさんの罪の生活にはまっていた。ジョージは10歳になるまでにすでに繰り返し、父に託されていた公金を盗んでしまっていたのである。父はその穴埋めを無理矢理させられるはめになったくらいである。

ジョージが11歳になったとき、父は彼をハルバーシュタットへ送り、彼が大学で学べるように取り計らった。父はジョージが教会の聖職者になるのを望んでいた。それは彼が神に仕えるというよりはむしろ暮らし向きのいい生活が送れるようにということだった。ジョージが好んだことと言えば、小説を読んだり、不道徳な生活を淫することだった。

母は彼がまだ14歳の時に突然亡くなった。母が亡くなった夜、朝の二時までトランプ遊びをしていてそれから次の日は酒場に行った。彼のアルコール癖は母との結びつき以上のものがあったのだ。

堅信礼を受ける前の三日間、彼は、後に彼自身が認めているように「とんでもない不道徳な罪」を犯した。堅信礼の前の日には、自分の罪を告白するどころか、聖職者に嘘を言った。堅信をなし得るやいなや、自らが変わる決意を反古にしたのである。

ジョージは16歳になったとき、高級ホテルの宿泊代を踏み倒して逃げようとしたため、4週間拘置された。父親は助けるためにやって来たが、家に連れ帰るまで何度も打擲(ちょうちゃく)するしかなかった。

ジョージは父を説得し、もう一回チャンスを与えてもらうことにした。ノルドハウゼンの学校の入学の許可をもらい、同校の校長の家に住まわせてもらった。ジョージは校長に自分が模範的な学生だと思わせることにまんまと成功した。しかし、内側は以前にも増してひどかったのだ。彼が自らの力で改良しようとする努力は決して長続きせず、効果のないものだった。

20歳のとき、神学を学ぶためにハレ大学に入学した。そしてルーテル派の教会で説教する資格を得たのだが、彼は以前よりも不幸で、神さまからはるかに離れていた。彼の神学校での生活はまさに使徒パウロが「私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています」(ローマ7・19)という言葉に尽きるものだった。

(『Release the Power of Prayer』9〜10頁より訳出。私は、いつの間にかこの二月で70歳を超えてしまった。けれども私には自らの誕生日をそのまま素直に祝えない自分がいる。なぜだろうか、と振り返って見て、それは18歳からの挫折の経験が影響していることに思い至った。実はこのミュラーの小伝記を一部紹介する気になったのはその辺のことが頭にある。彼の20歳までの人生は普通の人が想像もできない悪さの生活があった。〈くわしくは、A.T.ピアソンの「信仰に生き抜いた人』いのちのことば社刊に紹介されている〉その彼はその忌まわしい過去と完全に決別した生活を私たちに提示して、それを知る者に喜びを与える。それがキリストにある新生の生活そのものではないか。だとすれば、私自身本当にキリストにある一歩を歩んできたのかという悔い改めの情さえ覚えるのだ。しばらくミュラーの歩みに並走したい。)

2013年2月9日土曜日

アンテパスは、今日どこにいるでしょうか(下)

ペルガモにある教会の御使いに書き送れ。『鋭い、両刃の剣を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。(新約聖書 黙示録2・13)

「サタンの住むあなたがたのところで殺された」。主はペルガモにある教会の状態を見られました。サタンはそこに座を持っていただけでなく、自らそこに住んでいました。獅子の穴の前で、紅の血や砕けた骨を見いださないことは、困難です。サタンの住む所に迫害があるのは、驚くことではありません。サタンは初めから人殺しです。サタンは最初の日から今日に至るまで同じです。

「わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも」。証人となること、すなわち真実であり、サタンの怒りをかき立て、サタンの王国を麻ひさせる者となることは、必ず敵の迫害を生じさせます。証人は、サタンの王国を麻ひさせることができない限り、彼は真の証人ではありません。真の証人は、必ず敵の怒りを引き起こします。しかしながら、時には、私たちが証をする時でさえも、殺されないでしょう。

アンテパスは、単に証人であるだけでなく、忠実な証人でした。忠実に証をする者はみな、迫害を受けるでしょう。サタンは私たちのむなしい言葉を恐れません。サタンが我慢できないのは、忠実な証です。証人となるだけでは多くの代価は要求されませんが、忠実な証人となることは自分のいのちを賭けることが要求されます。ここに代価があります。だれが進んで代価を払うでしょうか?

「あなたは、わたしの名を堅く保って、・・・アンテパスが・・・殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった」。主は彼らの上に困難が臨むのを許されました。ですから、主は彼らに尋ねられませんでした。彼はあわれみ深い主です。主は裁きの中にもあわれみを忘れられません。最善を尽くして教会を賞賛しようとされました。彼の子どもの長所に気づかないとか、知らないということはありません。主は彼らの環境の困難をよくご存じです。主は彼らが彼の名を堅く持ち続け、信仰を捨てなかったことを賞賛されました。

「あなたは、わたしの名を堅く保って、・・・わたしに対する信仰を捨てなかった」。彼らは、いったん聖徒たちに伝えられた信仰を否みませんでした。彼らは主の名に包含されるすべてを堅く持ち続けました。この名は、主のパースンの栄光を示します。彼らは、主の肉のからだのゆえに、彼のパースンを忘れたりしませんでした。彼らの目は主を見ませんでしたが、彼らは主の神性を信じました。彼らは主の名を堅く持ち続け、信仰を捨てませんでした。

このようなことが、この世的な教会から起こるとは何と不完全なことでしょう! しかし、主は人の長所を無にされません。こういうわけで、主は賞賛されます。初めの半分の主の賞賛は後の半分の賞賛よりも強力でした。なぜなら「堅く保つ」ことは「否まない」ことよりすばらしいからです。いずれにせよ、「堅く保つ」ことも「否まない」ことも、容易なことではありません(※)。これだけでさえ、主を感激させるのに十分です。こういうわけで、彼は喜んで彼らのことを述べ、彼らを賞賛されました。

主は今日の教会に、この言葉を言うことができるでしょうか? 今日私たちは何を見るでしょうか? 私たちは、キリストのパースンが至る所で拒絶されているのを見ないでしょうか? 人は20世紀の文化を褒めそやしますが、20世紀のこの世は依然としてサタンの座ではないでしょうか? しかし、ここにアンテパスがいました。彼の名前の意味は、「あらゆる人に反対する」です。彼はステパノのように、自分が担っている証を、自分自身の血をもって確認しました。彼は黙っていることを拒絶する者です。地獄の力も、この世の迫害も、生命の危険も、彼があらゆる者に反対するのをやめさせることはできません。主のために忠実に証し、自分のいのちを死に至るまで惜しまないこれらの証人は、今日どこにいるでしょうか?

(『啓示録を黙想する』ウオッチマン・ニー全集280〜282頁より引用。※本文では[「堅く保つ」ことは「否む」ことよりすばらしい・・・「堅く保つ」ことも「否む」ことも容易なことではありません]とあり、何らかの誤訳が生じたと思い、引用文のように変えました。念のために並行する英文サイトを紹介しておきます。http://www.ministrybooks.org/books.cfm?id=0A847B

2013年2月8日金曜日

アンテパスは、今日どこにいるでしょうか(上)

造型の妙
教会はこの世の中に住んでいます! これは何と奇妙なことでしょう! 敵対するこの世は、もはや教会を追い出せませんし、教会に、この世と異なるものを感じさせません。今や教会は、この世の底にまで堕落したのです。もはや教会は、くずではなく(1コリント4・13)、まして疫病のようなものでもありません(使徒24・5)! 今や、一つの地位を獲得し、人の誉れとなっています。教会は、サタンが王として支配するこの世に住んでいるのです。「住む」とは家を造ることです。教会はもはやこの世では客ではなく、この世にあって重要なメンバーとなっています。教会はこの世に家を造ったのです! 何とこれは主と異なることでしょう!

主は地上における最初の夜を、宿屋の飼葉おけで過ごされました。また地上での最後の夜を過ごされたのも、宿屋でした。(ルカ22・12の「広間」という言葉は、原文ではルカ2・7の「客間」と同じ言葉です)。主イエスは、地上で初めから終わりまで旅人でした。彼が死なれた後でさえ、彼は他人の墓に葬られました。彼は本当に客でした。彼が教会に求めておられるのは、地上で客になること以外の何ものでもありません。ですから彼は、救われた者を宿屋に置かれます(ルカ10・34)。

主は再臨の時に、救われた者がみな宿屋にいることを願われます。しかしながら、哀れなことに、教会は寄留者、旅人の性質を失ってしまいました! この世の中に「いる」ことと、この世の中に「住む」こととの間には、違いがあります。この世の中にいることは、旅人であることにすぎません。ところが、この世の中に住むことは、この世の市民であることです 。これは一つの道徳的な問題です。彼らはこの世と結合したので、異端を受け入れる可能性があります。肉体がこの世の中に住んでいても、危険はありません。しかし、心と霊がこの世に家を造ることは、哀れなことです。

救い主は、環境が困難であることを認められました。彼は教会が危険な所にあることを知っておられました。罪と偶像が至る所にありました。主は、教会に苦境が臨んでいるのを認識しておられました。ですから彼は、「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある」と言われたのです。主イエスは殉教者に誉れを与えられます。ですから主イエスは、「わたしの忠実な証人アンテパス」(黙示録2・13)と言われました。アンテパスの名は、聖書にも歴史にも見あたりません。しかし、これは主のために真に苦難を受ける人の名です。人は彼を知らなくても、主は特別に彼の名を述べられました。主は彼の忠実さを述べられました。これは何という賞賛でしょう! 聖徒たちの死は、主の目にいかに尊いことでしょう!

主はご自身に属する者をご存じです。主は、だれが主のために患難と苦難を経たかを知っておられます。人はアンテパスを知らなくても、良き羊飼いは彼の羊の名を知っておられます。これは何という慰めの思想でしょう! いかに孤独でも、人の目に知られなくても、迫害が死にまで至るものであっても、この世に何一つ残さなくても、歴史家が名前を記録しなくても、主の目は見ておられ、主の心は覚えておられました。

主は彼を褒め、彼を賞賛されました。これはまことに「閉じられた庭・・・封じられた泉」のようです(雅歌4・12)。この世は彼に触れることはできませんでした。なぜなら、彼は主の目のひとみであったからです。彼がこの世に何かを与えることは、容易ではありませんでした。彼はただ主を知っており、ただ主を喜ばせることだけを求めていました。彼は孤独な殉教者であり、主が賞賛される者です。

主に感謝し、賛美します。主は決して、名のない、隠れたしもべでも忘れはしません。主のために苦しむ者はだれであれ、主によって知られているのです。主は彼らすべてを、心の中に覚えておられます。主よ、私に対するあなたの思いは、何と多いことでしょう! 来たるべき王国で、主のために苦しむ者はみな栄光を受けるでしょう。今私たちが失ういのちは、将来得ることができるでしょう。これは、アンテパスだけでなく、いのちであれ死であれ主のための殉教者である、名もない英雄たちもみなあずかるのです。彼らはみな太陽のように輝くでしょう。

(『啓示録を黙想する』ウオッチマン・ニー全集第4巻278〜280頁より引用。)

2013年2月5日火曜日

啓示録は人に無視された(下)

多くの人は、この世は日一日と良い方向へ進んでおり、あらゆる文明は進歩し続けていると考えています。この世は発展し進歩しており、堕落の事実などどこにもないと考えています。もしこの世が現在の勢いで進歩していくなら、キリストの理想の社会は間もなく地上にやってくるであろうと考えています。啓示録と人の考えには何という著しい対照があることでしょう! 

啓示録は、世の中が一瞬たりと進歩しているとは考えません。その証しによれば、世の罪悪は増し加わっており、また人はどうしようもないほど神ご自身と彼の救いを拒否し続けてきたと告げます。神には彼らを裁く以外に方法はありません。神が彼らを厳正に裁いたとしても、彼らはなお悔い改めないでしょう! 

これはこの世だけでなく、教会についても言えることです。教会は最初の愛から離れたがゆえに、ついに主から吐き出されてしまいました。現代の人の考えは神のみことばと完全に異なっています! 啓示録は神のための証しです。それは人と妥協することを求めません。そのために人から受け入れられないのです。啓示録において、多くの人が罪の世に対して持つべき霊と証しとを失ってしまったことは、悲しむべきことです。

本物の教会はある水準へと達するはずであると言っているのも、啓示録が人々に好かれないもう一つの理由です。啓示録第二章と第三章とで教会に要求された水準を見る時、この世を愛している信者は実に恥ずかしい思いをするでしょう。今日人々が最も注意を払っているのは働きです。最高のクリスチャンとは最も多く活動している人です。ところが啓示録は、もし人が初めの愛を失うなら、彼のすべての働きは無益であると言います。主に対して真実である者は死に至るまで忠実であって、また目を覚ましていなければなりません。これは確かにこの世的な信者にとっては耐え難いことです。

いつの日にか全世界の人々がみな救われることが、今日の人々の願いです。啓示録はこれとは正反対です。数限りない人々が火の池で永遠に滅びると預言しています。自らを神以上に親切であると考えている人たちは、この言葉をどのように受け止めるのでしょうか? 人々は、罪人に対する懲らしめは一時的であり、いつかは消え去るものと考えます。啓示録はこれとは正反対です。むしろ、人々は火の池で永遠に苦しみ、彼らには一日たりとも安息が与えられないと預言します。この書は災害、災難、のろい、問題、警告に満ちています。ですから人々から敬遠されてしまうのです! 結論から言うと、啓示録はあらゆる人の意見とは相入れないということです。このために今に至ってもなお、この書を学びたいという人は極めてまれであるのです。

しかし、主を愛する聖徒たちがこの書を取り扱う態度は何と違っていることでしょう! 彼らは必要に応じて供給を受け、失望している時には支えを、悲しんでいる時には慰めを、弱い時には助けを得ます。この書は彼らの涙をぬぐい去り、信仰を増し加え、熱意を呼び覚ますのです。主のために苦難を喜んで受けようとする聖徒たちは、何とこの書を読むのを好むことでしょう! 彼らは主のために貧しく、孤独になり、十字架の狭い道を歩みます。これは人の目から見れば苦難でしかありませんが、彼らはこの書によって慰めを受けます。信者たちがこの書から多くの希望を見いだしているのは事実です。主イエスの到来は彼の出現を待ち望んでいる人々に幸せを与えるとは思いませんか? この地上で苦難を受けている彼らにとって、天に携え上げられること以上に良いことがあると思いますか?

金でできた町、新エルサレムは彼らの内側に強烈な願いを持たせないでしょうか? たとえ彼らが多くのものを捨てたとしても、主とともに王となり、その何倍をも受けるのではありませんか? 彼らが今受けている苦難は一時的で、軽いものです。千年王国と永遠の御国における来たるべき栄光とは最も高く、最も秀でたものではないでしょうか? 啓示録はクリスチャンにとって真の祝福です!

(『啓示録を黙想する』ウオッチマン・ニー全集第三巻163〜165頁より引用。その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。黙示21・18

2013年2月4日月曜日

啓示録は人に無視された(上)

昨日の浅間山
創世記は聖書の最初の書であり、サタンが神によってのろわれたことを述べています。啓示録は最後の書であり、どのようにサタンが将来打ち破られて、神が彼の上に裁きを執行されるかを述べています。サタンの正体と彼の永遠における終局とがこの二冊の書に記されています。このためにサタンは特にこの二冊の書を憎んでいます。彼は、創世記は科学に一致しないばかりか、創造の物語は神話にすぎないと言って攻撃してきます。表面上は創造の記録を攻撃しているように見えますが、そうすることによって、彼は自分ののろわれた背景を人の目から巧妙に隠しているのです。彼の終局を預言している啓示録の場合は、彼は戦術を変えてきます。彼は啓示録をあからさまに攻撃するのではなく、それを「黙示録」に変えてしまうのです。彼は信者たちにこの書は非常に難しく、深く、理解するのが難しいから、たとえそれを勉強し、調べたとしても、それは時間の無駄であると思い込ませるのです。このために多くの信者たちは聖書の他の箇所は読みますが、啓示録にはあえて触れようとしないのです! このようにして、サタンは自分の来たるべき屈辱をいともたやすく覆い隠してしまうのです!

私たちは、啓示録が初期のクリスチャンたちによって軽んじられたことを知っています。彼らはそれを軽んじたばかりか、完全に拒絶さえしました。私たちは歴史を学ぶことによってこのことを知ることができます。この二十世紀においても、この書を喜んで読んでいるクリスチャンが幾らかいるにしても、大半の人たちはそれに対して冷たい態度を取り続けています。人々はそれを人目に触れない所に置きたがります。彼らがそれを読もうとしないのは、おそらく聖書そのものをあまり読まないからではないかと思います。そういう人が啓示録も読まないのは当たり前のことです。また他の人たちは聖霊に全く信頼しないために、聖書を読み続けるための忍耐に欠けています。彼らはしばしば、「この書はあまりに深く、あまりに奥義的である。わたしには難しすぎる」と言います。

実際、啓示録が人に受け入れられず、つまずきの石として考えられているのには、多くのはっきりとした理由があります。簡単に言えば、サタンの失敗を除いても、この書の内容は世的な信者に楽しい印象をほとんど与えないのです。それは千年王国の栄光と永遠の御国の楽しみに関わるものであるからです(20・1〜9、21・1〜22・5)。そこには栄光と真の喜びとがあります。しかし、この栄光と喜びを享受したければ、「死に至るまで忠実である」、「主が来られるまでしっかり持ち続け」、「目を覚ましており」、「悔い改め」、「熱心で」なければなりません。将来の世を得たいと思う者は、現在の世を放棄しなければなりません。もし彼らが今日苦難を受けるのでしたら、将来は栄光を受けるでしょう。その反対に、今この世の栄光を持っているのでしたら、将来は恥を被るでしょう。多くの世的な信者たちはこの世を手放すことはできません。なぜなら彼らはあまりにも長くそれを愛してきたからです。突然の別れを告げる時が訪れても、心の中ではそお愛情を断ち切るのは困難でしょう。啓示録を読めば読むほど、彼らはますます煩わされます。結局、読むのをやめてしまいます。

さらに、この書の大部分は神の激怒と裁き(第4章〜第19章)について述べています。しかし、人はどちらかというと神の優しさや愛について聞きたがります。彼らの想像の中では、神は決して怒ったり人を裁いたりしません。しかしこの書は神の義に関する書です。彼の激怒や裁きは人から敬遠されます。心の中で敬遠している書を彼らは果たして読むでしょうか?

この書全体は、初めから終わりまで超自然的な事柄に言及しています。神は人が全く天然の領域の事柄にのみ関係することを欲しておられません。神は私たちが顔と顔とを合わせて彼を見ることを願っておられます。彼は私たちを超自然的な領域で取り扱いたいのです。人は過去にあった超自然的な物語を黙認することができます。なぜなら過去の出来事や状況は現在の彼らの上にいかなる影響も与えないからです。しかし、もしこれらの超自然的な事柄が将来起こるとすれば、彼らの物質主義的な心や、しるしや不思議に対する彼らの不信仰は大打撃を受けるのではないでしょうか! もしこれらの事柄の多くが将来において実際に起こるとすれば、人はどれほど日々の生活を敬虔に過ごし、神に栄光を帰すべきでしょうか。多くの人々が啓示録の単純で直接的な教えに我慢できなくなり、この書をただ霊的に捕らえてしまっているとは何と悲しむべきことでしょう! 彼らはこの書を将来的に歴史的価値を全く持たない比喩としか考えようとしません! これは何ということでしょう! 神のもろ刃の剣の前に肉はどれほど恥じ入らせられるべきでしょう! 真に心はすべてのものにまさって偽るものです。

(『啓示録を黙想する』ウオッチマン・ニー全集第三巻160〜162頁より引用。「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。」黙示1・3)

2013年2月1日金曜日

私は何を見て生きてきたのでしょうか?

柚子の実、一月前に来れば良かった 昨日栃木市内の友人宅で
それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった(新約聖書 黙示録1・17前半)

振り返って、一目この栄光の主を見るだけで、このような結果になります。この栄光は並外れたものです。だれの目がその光景に耐えることができるでしょうか? ヨハネはかつてイエスの胸に寄りかかりました。しかし、この栄光、威厳、力、聖のゆえに、彼は主の足もとに倒れて死人のようになりました。キリストが来られて、教会とこの世を裁かれる時、だれがこのような光景に耐えることができるでしょうか? もしヨハネがそうであったなら、他の人々はどうなるでしょうか? 不忠実な信者たちはどうなるでしょうか? 主の敵はどうなるでしょうか? どうかすべての聖徒たちと罪人たちが、この来るべき裁きの厳粛さを認識しますように!

もし私たちが真に主の栄光、主の聖、さらには主ご自身をも見たのでしたら、私たちは昔の聖徒たちのようになるでしょう(※)。私たちは、みずからを深く恨み、自分自身を最も憎悪すべき、最大の敵であると見なすでしょう。あらわにされている高ぶりであれ、隠されている高ぶりであれ、両方とも私たちがキリストを見ていないことによって起こります。いずれにせよ、私たちは自分自身を知らないのです。

自省は益になるかもしれませんが、それは完全な導きにはなりません。心はよろずのものよりも偽るものであって、だれがこれを知り得るでしょうか? もし主がなければ、私たちは自分自身さえも知らないのです。もし私たちが主の光の下にいなければ、どうして私たちは自分自身の光で見ることができるでしょうか? 私たちが主の前にやってきて、自分自身を吟味する時こそ、私たちは真の自己を見ることができます。

自分は何かを持っていると考えたり、自分自身を他の者よりも強いと見なす者たちは、自分自身を知らないからです。主は私たちの生活におけるあらゆることを案配し、導いて、私たち自身の完全な失敗を私たちに見させます。私たちがこの学課を学ぶことは、何と難しいことでしょう! 

私たちは失敗する時は、少しへりくだるかもしれませんが、私たちが神の恵みで満たされ、働きにおいて成功する時は、私たちが自分は役に立たないことを認めることはとても困難です。もし私たちが常に主イエスを見て、絶えず彼の足もとに倒れて死人のようになるなら、それは何と驚くべきことでしょう! どうか主の栄光と聖が、私たちに自分自身を憎ませ、そして私たちが地にひれ伏し、自分自身を死にゆだねますように。その時のみ、主はご自身を私たちの生活において現わされます。

(『啓示録を黙想する』ウオッチマン・ニー全集第4巻98〜100頁引用。※この文章の前にイザヤ、ヨブ、ダニエル、ハバククの経験がそれぞれ述べられており極めて有益であるが編集上省略せざるを得なかった。文意は充分汲んでいただけると思う。それにしても弱冠24、5歳にしてこのような思いで生きていた人と、そうとは知らず、高慢なまま人生を終わろうとするこの者とではいかなる違いがあることだろうか。しかし、今からでも遅くないと主は言ってくださるから、有難い!)