埼玉県北坂戸から望見した富士山 2/17 |
彼はこの真理を神が彼に明らかにして下さったことを感謝した。これは、彼の敬虔さと有用性に最も大きな影響を与えたものである。彼はこの教えをはっきりと知ることにより、この福音の時代の目的は全世界を回心させることではなくて、キリストの花嫁としての信ずる者の教会を召し集めることであるということを悟った。
15 語るべきことについて神を待ち望んだこと
どのような場合にも、その時に応じた最善の言葉が与えられるように神に求め、目前の問題をどのように取り扱うべきか、どのように語るべきか、また、御霊の力を表わしてだれにもわかりやすく真剣に語るにはどうすべきか、などについて導きを求めてから語った。
16 みことばの権威に対する服従
みことばの与える光によって、すべての慣習(それがどれほど古くから行なわれていたとしても)を再検討し、すべての伝統(それがどれほど一般に普及していたとしても)を聖書に照らし合わせて、その結果がわかると、神が与えられたその光に従い、どんな結果をも恐れず、勇敢にその道を進んで行った。
17 教会生活の模範
彼は牧会生活にはいった最初から、まず自分が魂の牧者であり監督である方に従う模範を示すことによってだけ、他の人々を導こうとした。また、信者の群れに対して、みことばに明確に見いだされるかぎり、すべてのことにおいて新約聖書中の模範に従うように力説し、これによって、それまで存在していたすべての誤ったあり方を是正するように指導した。
18 自発的なささげものの強調
彼は自分に対する一定の俸給を勇敢に辞退するとともに、神の仕事はすべて信者の自由意志の贈り物によって維持されるべきであると教えた。また、教会の座席使用料徴集の制度は、聖徒間の階級的差別の感情を助長するものであるとして、排除した。
19 すべての地上的所有をささげたこと
彼も妻も、文字どおりすべての持ち物を売り払って貧民のためにささげ、その日その日を単位として生活するようになった。将来の必要、病気や老後そのほか金銭が必要となるかもしれない時のために、少しでも貯金しておくようなことはしなかった。
20 密室における祈りの習慣
彼は密室における神との交わりを非常に尊ぶようになっていたので、これこそ信者の最高の義務また特権であるとみなした。この神との交わりおよびみことばの瞑想が十分になされなかったり欠けたりすることは、何ものによっても償うことのできない大損失であるとした。なぜなら、これこそすべての霊的生活のささえだからである。
21 あかしにおける熱心さ
会衆を牧会してゆくにあたり、思う存分、束縛を受けずに語り、奉仕することができるように、それらを妨害するものをつとめて排除した。主に対する忠誠、人に対する忠実さを妥協させてしまうような、言葉や行動に対する干渉に耐えられなかった。
22 仕事の計画性
神は彼を、神聖な活動をする諸部門を備えた計画を立案するように導かれた。たとえば、神の言葉をあらゆるところに広めること、世界的な伝道の奨励、若い人々に対するキリスト教教育などの部門をふくむ働きなど。また同時に、その新しい団体が、世的な後援者、手段、訴えなどにたよらないようにすべきことを教えられた。
23 孤児に対する思いやり
彼はどこへ行っても、貧しさとみじめな生活に対して、惜しげもなく愛を注いだが、両親に取り残された貧しい孤児に対しては特にそうであった。また、ハレにおけるフランケの働きに精通することによって、ブリストルでの働きのヒントを得た。
24 これらのすべての準備段階のほかに、彼は主によって、生地プロシャからイギリスのロンドン、テインマス、そしてブリストルへと導かれて来た。この選ばれた器は主によって大いなる働きに役立つように形造られ、また彼が生ける神を余すところなくあかしするための大事業をなすべきこの地に、同じ御手によって導かれて来たのである。
彼が神から厳格な準備訓練を受け、しかもわずか10年にも満たぬ短期間に、一生涯のための準備訓練をほとんど完了したということは、まことに驚くべきことである。この神のしもべがその後次々と表わすようになった特記すべき性格は、すべてこの訓練の賜物である。その訓練中に、生涯の働きに必要な物事を学び、その働きの一端を教えられたのである。
聖なる陶器師はろくろの前にすわって、土を取り、そのかたくなさをときほぐし、ご自身の意のままに応ずるようにこね、徐々に、手ぎわよく器として形造り、最後にきびしい規律のかまの中で焼き、しっかりした堅いものとされた。次に、ご自分のみことばと御霊の豊かな宝を満たして、ご自分の力のすばらしさを人々に伝えるためにご自分の望まれる場所に置き、ご自分の用に用いられたのであった。
神がこのように主権的な御手をもって形造って下さるということを見のがすことは、神がジョージ・ミュラーの生涯を通じて私たちに教えようとされるたいせつな教訓を見のがしてしまうことになる。
ミュラーは自分がただの土の器であることを知り、神が自分を選び満たして下さったのは、神が自分にさせようとしておられる仕事のためであることを自覚していた。この確信のゆえに、彼は奉仕に喜びを感じたが、同時にこのためにへりくだり、年を取るにしたがってますます謙遜になっていった。日ましに、自分が全く無能であることを痛感するようになった。だれかが彼の主を賞賛する代わりに、そのしもべである自分に驚嘆の目を向けるようなことがあったりすると、そのことを非常に深く悲しみ、ただ神だけに目を向けさせようとして努力した。「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」(ローマ11・36)。
(『信仰に生き抜いた人』A.T.ピアソン著海老沢良雄訳104〜106頁より抜粋引用)
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